交差する道
交易の街カレリア。
雑多な人種が集うこの街には、様々な立場と思惑の者が吹き溜まりのように集う。そして街並みもまた、多種多様な建築様式が入り乱れ、一見して統一感のないそれらは雑然としてハルモニア領としては美しさの欠片もない。けれどこの街が常に孕む方向性の見えないやたらと溢れんばかりの活気だけは、己の知るどの都市にもないものだと。
青年は太陽が中天を超えた辺りで漸く辿り着いた街を見回して吐息をこぼした。
グラスランドからここまでやってくるのは比較的簡単だ。ここより東方にある小さなクラン(集落)を朝方に出れば、馬で昼には到着できる。見慣れた城壁もここ数ヶ月ですっかり馴染んだ。
毎日入れ替わり立ち代り、大勢の人間が行き交うこの街は、いずれにせよ他国の人間と落ち合うには一番都合が良いのだ。
相手が何日後に到着するか分からないが、ひとまず三日はここに滞在する予定で、青年は定宿に向かって歩き出した。城壁をくぐる時に降りた馬は手綱に引かれるまま大人しくついてくる。信用の置ける厩舎を備えてある定宿までそう遠くはない。
宿の前で呼び込みの男に手綱を預ける。顔馴染みの年配の彼はもうこの街に住んで長いが、元はグラスランドの人間だ。グラスランドに親戚や知り合いも居て、そちらからこの宿を紹介してもらった経緯がある。
聞けばここ数日は人が増えているが、今日はまだ部屋が残っているだろうとのことだ。
「何かあるのか?」
「祝い事があるんですよ。この街を治めてなさる領主様のご長男がご結婚されるんで。跡取りですからね、嫁いで来られる方も次期領主夫人だ」
「……その女性はどこから?」
「さて、クリスタルバレーまでの道中にある何処かの街のご令嬢らしいですがね、詳しい話は聞こえてきやしませんな」
「ふむ」
ハイランド領といってもこのカレリアはその最南端。風土も違えば文化も随分と趣を変えているため、かなり独自の裁量権を任せられた領地となっている。その交易の盛んさから、毎年かなりの額の税を納めていることと辺境警備隊の砦が幅を利かせている事で、本国もよしとしているのだろうというのが大方の見解だ。
だから領主と言うよりは、この街を取り仕切る大親分のような立場にあるらしい。実質支配権を握っているのは警備隊の司令官という話だが、こちらはこんな辺境にいるよりも一刻も早く本国に帰りたいと思っているような上級士官が任命される為、あまり領内の面倒ごとには興味を持たないらしい。
いずれにせよ複雑な街ではある。
「しかし領主の息子の結婚か。妙な時期に来てしまったのかもしれないな」
確か領主には息子が二人居たはずだ。
「現領主は抜け目のない人物と聞くが、息子はどうなんだ」
「これと言った良い噂も悪い噂も聞きませんな」
「平凡、か?」
「さて」
この街の次期領主とされているのが、果たして平凡と言えるのか。良くも悪くも噂を聞かないというのは、逆に何かありそうな気もする。それを分かっているのだろう。馬を厩舎に繋げながら、宿の男は黙って肩を竦めた。
宿に荷を預けて青年はカレリアの中央広場まできていた。そして比較的大きい宿屋兼食堂へと目を向ける。三階建ての煉瓦壁のそれは派手な概観で、初めてこの街に来たらしい懐に余裕のありそうな旅人や商人が出たり入ったりしている。
その様子にひとつ頷くように顎を引くと彼はふらりと身軽にその広く開かれた店の入口へと足を向けた。こうした宿は新しい噂を聞くには格好の場所である。
そして一階にある食堂で簡単な皿と飲み物を一人前注文すると、旅慣れた様子で空いた席に座ってひとり食事をはじめた。と、ふと店内にいたやはり旅人だろう若い女性が、そんな青年を見つめて頬を染めた。
彼の旅装はいかにも旅の剣士のものだ。マントから覗く腰の剣は大きく確かにその存在を誇示している。けれども無骨なそれとは裏腹に、すっと伸びた背筋と涼やかな首まわりが僅かに彼を周囲から浮き立たせている。
そしてその首筋にまで伸びた金茶色の長い髪を無造作にひとつに束ね、こぼれた髪がその端正な面差しにかかっている。それを煩わしげに払う仕草がまたなんとも言えず、さりげなく男の色気を漂わせて、その気のある女性なら、是非一晩一緒にどうかと声をかけたくなるような風情であった。挙句に目が合ったと分かると、なんとも艶やかに琥珀色の瞳に微笑を浮かべるのだ。
微笑みかけられた女性も思わず小さな悲鳴を上げそうになって、慌てて口元を手のひらで覆いつつも、期待に満ちた眼差しでそわそわとしはじめた。ところが。
「どういうことなのよっ!」
少女の怒鳴り声が、宿の入口から聞こえてきて、食堂のざわめきが一瞬しんと静まり返った。思わずそちらに視線を向けると、人影が三つと宿の人間らしき男が向かいあって何事か諍いを起こしている。だがそれを見た途端、この青年にしては珍しく驚きに表情を強張らせて、息を飲んだ。
「さっきの男の人を出しなさいっ! 適当なことを言って誤魔化そうとしたら許さないんだから!」
三人組はまだ十八、九の少女と少年が二人の、こんな雑多な街には不似合いな面子だった。しかし先ほどから顔を真っ赤にして怒鳴っているのは少女だけで、残る二人の少年たちは困った顔で立ち尽くしている。
「もう良いよ。お金を返してもらって他所に移ろう?」
金髪の少年が少女にそう声をかける。しかし。
「だめよっ! それだって半分しか返さないって言ってるのよ! 嘘ついて私たちを騙そうとしてるのよ、こんなに大きなお宿なのに!」
だが大声の少女に、今度は宿の者が「おい」と低い声を出す。
「騙すだなんぞ人聞きの悪い事を言うんじゃない。子供でもお客だと思って黙って聞いていれば言いたい放題しやがって。そっちこそ出鱈目を言ってうちの店にたかろうって腹じゃないのか? だいいち子供だけでうちみたいな立派な宿に泊まろうってのがそもそも怪しいんだ」
警備隊を呼んだって良いんだぞ、と恫喝するように言う。子供相手にしては物騒すぎるその態度に、食堂に居た大人たちが眉をひそめる。だが、当の子供たちはといえば怯むどころか逆にむっとして睨み返している。そして金髪の少年が、少女をそっと自分の背後に庇うように進み出ると、くんと顎を上げて男を見据えた。
「立派な宿が聞いてあきれる。こちらの主張は最初から一貫しているんだ。先ほどの男性をもう一度ここに呼んできて話を聞かせろと言っている。そちらが妙な隠し立てをするからこそ疑いも持とうというものだろう」
まるで貴族然とした大人びた態度の少年に、今度は宿の男がたじろぐ。
「警備隊を呼ぶなら呼べば良い。だがその時、先ほどの男こそが僕たちから金を騙し取っていたと分かったら、それ相応の責任は取ってもらえるんだろうな。口先だけの謝罪で済ますつもりはないぞ」
なんともはや、大人でさえも舌を巻く勢いで少年は男をやり込めている。だが如何せん、反論の余地も与えない手加減のなさは若さゆえか。追い詰めすぎると厄介な相手は見定めなくてはならないのだが、その辺りの手心はまだまだのようだ。
宿の男はすっかり顔を赤黒くさせて奥歯をぎりぎりと軋らせている。
「……子供が、生意気な……! うちをこのカレリアの中央に店を構えて何年の店だと思ってる! 話を聞いてやるのも馬鹿馬鹿しいっ! 金はくれてやるから出て行け! いくらだ!」
「ちょっと! くれてやるってどういう意味よ!」
最初から私たちのお金よ! とまた少女が火に油をそそぐ。
「うるさい! これ以上騒いで力ずくで叩き出されたいか!」
「なんですってぇ! のぞむところよ!」
少女が反射的に腰をすっと落とし構えの姿勢を取る。そしていよいよ抜き差しならぬ事態になってきたかと見守る人々の目の前を、その時一人の青年が通り過ぎた。
「落ち着いてください、レディ」
ぽん、と。
少女の肩にそっと手を置いて、場にそぐわぬほど静かで穏やかな声をかけた者がいる。
それは先ほど食堂で一人食事を取っていた旅の剣士だ。しかし、はっとして振り返った少女と、そして二人の少年たちは、その剣士の顔を見るなりぽかんと口を開いて固まった。そんな彼らににっこりと笑みを浮かべて青年は少女の肩に手を置いたまま、宿の男を見つめた。
「さきほどから子供子供と言ってるが、彼女はもう十九の女性だ。客商売にしては失礼な態度だな?」
確かに小柄で言動も些か元気すぎて大人びているとは言いがたいが。
「こちらの彼も」
と金髪の少年を手で示す。
「彼女と同年代で、将来有望な若者だ。そしてこちらも―――」
一人、これまで一切の口を挟まずにただ黙って事の成り行きを見守っていたもう一人の黒髪の少年を振り返り、ふと笑みを消すと青年は小さく目を伏せて目礼すると、改めて宿の男に視線を戻す。
「見た目で判断していいような方ではない。人を見る目がないにも程があるな」
客商売なのに。
ぽつりと念を押すように呟かれた最後の言葉に宿の男がぐっと喉を詰まらせたように息を飲む。
「あ、あんたはなんだ。いきなり口を挟んできて」
だが男が答えるよりも早く、少女が身体ごと勢い振り返り、歓声をあげた。
「うわぁー! カミューさんてば、ぜんぜん変わって―――」
口を大きく開いて全開の笑みで少女―――ナナミがそう言い掛けて、声を途切れさせる。そしてカミューの頭上から足のつま先までをまじまじと見て小首を傾げる。
「ううーん? すごーく、なんて言うか、カミューさん……」
「変わりましたか?」
にこりと笑ってみせるとナナミがこくこくと頷く。その横ではその弟と幼馴染が苦笑を浮かべていた。
「どこからどう見ても前みたいな騎士様に見えないよ? なんだか、野生的な……そう! ゲオルグさんみたい!」
「かの剣豪には及びもつきませんが、光栄ですよ。ところで、今更ではありますが、なにか揉め事のようですね。よろしければわたしが力になりましょう」
「ほんとっ? 困ってたの、ありがとうカミューさん! 聞いてちょうだい、もうこっちが若いのばっかりと思ってこの宿の人たちったら馬鹿にして! ちゃんと部屋を二つって言って了解して前金も受け取ったくせに、お買い物して戻ってきたらひとつだけだって! お金も一部屋分しか貰ってないって言うの!」
縋り付く勢いでナナミは胸元で両手を組み合わせカミューに訴えてくる。
改めてその姿を見れば、少女は記憶にあるより随分と成長していて、やはり女性と呼ぶべき雰囲気を抱いている。昔はうなじの見えていた黒髪も、今は伸びてきちんと結わえてあるし、服装は相変らずの動きやすそうな格好だが、衣服から覗く首筋や脚は健康的というよりは香るような清さを感じさせていた。
「……なにをにやにやしてじっと見てるんだよ、あんた」
ふと傍らから不機嫌そうな声がかかる。ぱちくりと瞬いてそちらを見下ろせば金髪の隙間から氷に似た瞳がじっとりと睨んでいる。
「お美しくなられたな、と見惚れていたんですよ。失礼しました」
嘘ではない。だが恥ずかしげもなく、それどころか余裕の笑みでそんな言葉をさらりと言ってのけられて、逆に少年―――ジョウイの方が顔を顰めている。そしてナナミはといえば頬を両手で包んできゃーきゃーと照れている。
この、今はデュナン国として建国されたばかりのかの地で、かつてはマチルダ騎士団の赤騎士団長としてその勇猛を馳せていた青年は、相変らずの甘い顔立ちと言動で女性を嬉しがらせることを息を吸うよりも自然にこなす。見た目は少女の言うとおりに些か野性味を増していたとしてもそうした性分に変わりはないらしい。
といってもそれを金髪の少年ジョウイが知っていたわけではない。彼らの間にそう確かな面識はなかった。むしろやはり寡黙なままの黒髪の少年の方がよほど付き合いが長い。
「さて、事情は飲み込めました。よくある手違いなら良いが……前金を支払った時に引換証のようなものは受け取られなかったのですか?」
「受け取ったわ。でもこれってただ私たちの名前が署名されているだけのものなの」
詳細は宿帳に控えてあるから問題ないというのだそうだ。
「その場で部屋までは案内されなかった?」
「すぐお買い物に行くつもりだったの。荷物も多くはないし、ね?」
ナナミが弟と幼馴染に向かって確認を取るように問いかけると、二人ともこくりと頷く。そのあとを次いでジョウイが続けた。
「その時にやりとりした男の顔も覚えているし、確かに二部屋だと確認も取った。けれどこいつが、宿帳には一部屋分しか記録されていないと言うんだ」
ずっと年下からこいつ呼ばわりをされて、宿の男は顔を引きつらせている。
「だからその時の男を呼べとずっと言っているんだ」
その言葉を受けて、カミューはふむと小さく頷いた。それから口の端に笑みをのぼらせると宿の男を見やった。
「そんな面倒な真似はしなくても、ここで宿帳を見せてもらえばいい」
「は? そんなことは…他のお客様のお名前がありますし。そういった商売上のものを見せるわけには……」
途端に鼻じろみ拒絶しようとするのを、畳み掛けるようにカミューが更に笑みを深めて言葉を重ねた。
「だったらそれこそ警備隊を呼べ。彼らに代わりに見てもらおう。第一おかしいじゃないか? 女性一人に男二人で一部屋だって? 宿帳につけられているのは何人部屋だ?」
と、男は台の向こうにあるらしい宿帳にちらりと視線を走らせる。
「二人部屋だが?」
「それを三人で使うのに、一部屋分の前金なのか?」
「……あ」
語るに落ちた様子で宿の男が焦ったように宿帳と三人を見比べている。だが。
「し、しかし! 元は二人だけで部屋を取ったのかも知れない!」
「引換証には?」
「三人分の名前が書いてあるわ。ほら」
ナナミに小さな木札を見せられる。そこには石墨で引っかくように名前が書かれている。ナナミ以外の二つの名は―――、カミューには覚えのない名前だ。おそらくは三年前にシュウが彼らのために密かに発行した旅券に記されているものと同じ名前なのだろう。流石に本名ではもう容易には何処へも行けない彼らのための、新しい名前。
それでもそれとなく似た名前にはしてあるようだ。それこそ「ジョウイ」と呼ぶのが愛称だと言い張れるような。
カミューはそんな木札を見つめて、もう一度少女たちに笑みを向けると再び宿の男を顧みた。気の毒に、先ほどまで真っ赤だった顔色が今は色を失くしている。
「これまで多くの宿を使った事があるが、ここは三人で泊まるのに二人部屋を使えば宿代は二人分で構わないのか? 珍しいものだ」
大抵は人数分で計算するのが常である。宿側もそれは十分に理解しているものだ。
「………宿帳にこれを書いた者を、連れてきます……」
少々お待ちください、と。押し殺したような声は、どちらかといえば今度は信じていた身内への怒りに震えているようだった。
それから結局、三人分の前金をきっちり返してもらって十分すぎるほどの謝罪を受けた三人は、カミューの定宿へと場所を移していた。
そこは街の中央からは外れるし地味な宿だが、返って静かでよほど安全だ。宿の受付の者が、訪れる宿泊客の多さにうっかり二重で受付をしてしまい、それを誤魔化すついでに小遣い稼ぎまでしよう、などと言うことはない。
そして質素だが清潔に整えられた部屋に通されて、三人はほっと息をついた。ナナミなどは寝台に飛び込むようにして腰を下ろすと、うわー、と声を上げて盛大にため息を零した程だ。
「もう、どうなることかと思っちゃったよ。でも偶然だけどカミューさんと出会えてよかった! ね!」
だが少女が、自分たちの後から部屋に入ってきたはずの青年に目を向けると、彼は入口で扉を閉めると控えるようにして立ち止まり、彼女の弟を―――かつてのデュナン新都市同盟軍の盟主であった少年を見つめ、静かに頭を下げていた。
「カミューさん……?」
ナナミの不思議そうな声に、しかし彼は答えず頭を下げたまま、それはどちらかといえば完全に、従者か何か目下のものが主に対して取るべき最敬礼の姿勢で。
「ご無沙汰しております。お元気そうなご様子に安心致しました……」
姿形はどうであれ、それは青年が騎士として少年を主としていた時と変わらぬ、礼節に溢れた言葉だった。
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デュナン統一戦争後のお話です。
実は初めてきちんと書くのかな……?
しかし厳密に言えばグラスランドではなくカレリアはハルモニア領なんですよね。
ちなみに統一戦争が460年。デュナン建国が461年。これはその更に二年後の話。
外伝で青と赤が手に手を取ってグラスランドの田舎にデートに出かけたあとの話ですね。
赤さんは既に31歳ですがあえて青年呼ばわりであります!
2011/03/20