交差する道 4
「カミュー!」
マイクロトフが驚きに声を上げ、思わずと言った風に立ち上がる。そして戸惑いに満ちた眼差しで見つめてくるその瞳を、カミューは対照的に静かな眼差しで見上げた。
どう言えばどんな反応を返してくるのかを散々考えた。決して穏やかに済ませられはしないだろうと。どんな風に取り繕っても、カミューがこの地を離れ、マイクロトフを置いて、別れを選ぶことに変わりはないのだ。だができるなら諍いもなく、傷つけあいもせずに、終えたい。そう思うことはわがままだろうか。
「座れよ、マイクロトフ」
だが彼は首を振る。
「マチルダを、出て行くだと?」
混乱が伝わってくる。
「マチルダを出て、どこへ行くんだ」
「グラスランド」
と、マイクロトフがハッと目を瞠ると「ああ」と嘆息して、椅子に腰を下ろした。その身体から力が抜けたのが分かる。
「故郷に帰るのか」
「そうなるな」
「それで、いつ戻る」
予想の範囲内だ。カミューは乾きかけていた唇を舐めるようにして口を開いた。
「マチルダへ戻るつもりはない。二度と」
それは、とマイクロトフの口が声なく呟く。
「騎士団を出ていく―――騎士を辞めると、そういう意味か」
「ああ」
カミューは頷く。
「もとより、エンブレムを投げ捨てたあの時に騎士は辞めたも同然なんだが」
いまだに騎士団長としての身分を纏っている方が不自然だ。
「だがそれは!」
「分かっているさ。戻ってきた我々を迎え入れてくれたマチルダの人々の期待に応えることこそ、あの時離反した我らの務めだ。だから一度は騎士を捨てた身でありながら、それを横においてこうして代表として仕事をしてるだろう? けれどそれも限界がある。いつまでも中途半端な真似はできまい」
「何がだ。このまま務めを続けて全うすれば良いではないか。出て行くなど、それこそマチルダの民の期待を裏切ることだろう。俺だとて騎士である事よりも大切なものがあると言い捨ててマチルダを出て行った、その過去をなかったことにはできん。だがそれでも!」
マイクロトフの想いは痛いほどに分かる。けれど。
「それでも、マチルダのために出来ることがあるならば、かい? それで残りの人生をマチルダのために捧げる、とでも言うんだろう、おまえは。それもまたひとつの生き方だが、わたしには無理だ。できない」
マイクロトフの瞳は険しさを増して、カミューを凝視している。何を言い出すのかと恐れてすらいるようだった。そんな男の表情に、ふっと笑みを零して小さく息をついた。
「そんな顔をしてくれるなよマイクロトフ。まるでわたしが再びマチルダを裏切ろうとでもしているみたいだ」
「裏切りなど! そうではなくおまえがマチルダを、捨てる、つもりなのかと」
「違うよ。今でもわたしにとってマチルダは第二の故郷で大切に守って行きたいと思っている」
「だったら!」
「そう、だから、わたしはマチルダを出て行くんだ」
カミューの言葉にマイクロトフが口を開けたまま固まる。そして左手で己の頭を抱えて掻き乱した。
「だからどうしてそうなる!」
「言ったろう? 白騎士団が必要だからだ」
「それとこれとは話が別だ!」
「同じだよ。落ち着いてくれマイクロトフ。おまえがそんなんじゃ、安心して後を任せられないじゃないか」
「なんだと?」
「まだ分からないか。そんなに難しいことを言っているつもりはないぞ、わたしは」
少し唐突過ぎたんだろうか、とカミューは呟いて、それから腰を浮かせ立ち上がると、二人の間にある卓に片手を置いて身を乗り出した。そして右手を突き出し、握りこんだ拳でトンとマイクロトフの胸を叩いた。
「おまえが白騎士団長になるんだ。戦後の新たなマチルダの、最初の指導者に」
カミューの宣言にも似た言葉と己の胸に置かれた拳に、マイクロトフは一瞬石像のように停止した。そしてゆるゆると胸元を見下ろし、それからまた顔を上げる。
「何を、言っているんだ、カミュー」
「おい。そこまで呆けてどうする。次代のマチルダ騎士団を率いる白騎士団長がそんなでは、示しがつかないぞ」
「カミュー。俺達は今、そんな冗談話をしているのではなかったはずだ」
「そうさ、冗談じゃない。わたしは至って本気だし、何も誤魔化してもいない。いい加減に認めろ。白騎士団長になれマイクロトフ。おまえにはその資格と使命がある」
ふと、それまで怒りと困惑に彩られていたマイクロトフの瞳に、冷たいまでの理性が戻ったのが分かった。すっと持ち上がったその手が、カミューの右手を掴む。
「俺に使命を担えと言うのならば、それはカミューにもあるはずだ。俺に白騎士団長になる資格があると言うのならば、カミューにもその資格はあるだろう。おまえはマチルダを出て全て捨てて行くつもりか」
「そうだな。おまえに押し付けていくようで悪いが、わたしはもう何にも影響されたくないし影響を与えたくない」
身軽になりたいんだ。
カミューが告げた言葉に、マイクロトフが眉をひそめる。それに笑って見せて、拳を掴む手を離させて胸元に取り戻す。
「それに、わたしに資格はないさ。マチルダ生まれのおまえと、外国からきたわたしとでは、前提が違う。騎士たちやマチルダの人々が認めはしまい」
「そんなことは!」
ない、とは流石のマイクロトフでも言い切れなかったようだ。悔しげに唇を引き結び、厳しい目でカミューを見つめる。だが直ぐに「いや」と呟く。
「それでもだ。百歩譲って仮に俺が白騎士団長になったとして、それでおまえが身軽になってマチルダを出て行こうとするのとは、やはり話が別だ。納得できん」
その強い眼差しを正面から見つめ返して、カミューはやれやれと肩をすくめた。それから指先をマイクロトフに突きつけて、言い含めるように繰り返す。
「おまえが白騎士団長になるのは決定事項だ。他の誰にも出来ることではないし、おまえ以上の適任者はいないだろう。それで、だ。新たなマチルダの指導者として立つおまえは、マチルダ騎士達から改めて忠誠を捧げられる立場になる。マチルダの人々からも尊敬を受けるし、きっと歴代の中でも愛される白騎士団長になるだろうな」
「例え話でも大袈裟だぞ。カミューは俺を買い被りすぎだと思う」
「それはおまえを愛しているひとりの男として、多少の欲目はあるかもしれないけどね。でも欲目だけではなく、おまえは立派な白騎士団長になる。マチルダで長年過ごしてきて赤騎士団長にまでなったわたしが言うんだ。素直に褒め言葉として受け取っておけよ。そして自信を持って使命を果たせばいい。わたしはそんなおまえを、グラスランドから応援する」
「だからどうしてグラスランドなのだ。マチルダに、騎士団に居てはいけない理由があるのか」
「うん。あるよ」
こくりと頷く。
それはもう、カミューの中で絶対に譲れない定義だ。マイクロトフがなんと言おうと曲げられない。何故ならその理由とは。
「だってわたしは、マイクロトフ。おまえに忠誠を誓いたくはない」
「なんだ、と……?」
「白騎士団長になったおまえの影響力は、騎士団やマチルダはもとよりデュナン全土にとっても大きなものになる。だがそんな中で、わたしはおまえとの間に立場の隔たりがあるなんて、嫌なんだ」
「待て、待ってくれ、カミュー。おまえの言っていることが、よく分からん。俺は、たとえ自分が白騎士団長になったとしても、カミューから忠誠を捧げられて配下として扱うような真似をしようと思わない。今だって俺はおまえとはずっと対等であり続けたいと、そう……」
マイクロトフの言葉が途切れる。
そしてその顔色が見る間に青褪めていくのが良く分かった。そうなのだ。どう考えたって、対等であり続けるのは無理なのだ。
「マイクロトフ。かつて、わたしが先に隊長に昇格した時、おまえは友人であり続けてくれたけれど、公式の場では弁えた態度を取っていた。わたしが赤騎士団の副団長になった時もそうだ。そしておまえが一足飛びに青騎士団長に任ぜられた時、今度は逆にわたしがおまえに敬意を払って接した。覚えているだろう。騎士団において立場の差は絶対なんだ」
「だったら騎士をやめるのはまだ分かる。騎士団を抜けるというのも分かる。だがそれならそれでマチルダには住み続けてもいいではないか」
「無理だ。わたしは騎士を引退したとしても、このマチルダに……いや、デュナンにいるうちは元赤騎士団長だった過去を決して無かった事にできない。そしてその前歴はマチルダの領主となるおまえに対して常に有効であり続ける。対等になど決してなりえない。どころか元赤騎士団長で共に離反したわたしはおまえの対抗馬として悪影響さえ及ぼしかねない」
「だから、出て行くというのか。俺を白騎士団長の地位に留め置いて、全てを捨てて行くのか」
マイクロトフの表情は今にも泣き出しそうだ。いまだにこんなにも感情がすぐ表に出るのでは、部下達の苦労も尽きないだろう。いつまでも困った奴だと、それでもきっと、こんなにも素直に感情をあらわにしてくれるのはカミューの前だからだと分かっていて、ゆっくりと頷いた。
「そうさ。でも全部を捨てるんじゃない。おまえはわたしに誓ってくれただろう? 剣に、わたしへの想いを。おまえがわたしに捧げてくれたものは忠誠心などという一方的なものではない、もっと対等で純粋な気持ちだったじゃないか。そしてわたしもそんなおまえに心を預けたつもりだ。その心だけは持って行く」
「本気なのか、カミュー」
「ああ。納得できたかい?」
しかしマイクロトフは拳を握り締めぶつけるようにしてドンと卓上を叩くと、大きく頭を振った。
「嫌だ」
「マイクロトフ」
「おまえが、出て行くというのなら。俺もそれを望んで良い筈だ。おまえと離れて何故俺だけが白騎士団長にならなければならんのだ。俺はそんな地位は要らない。カミューが、おまえがいないなら俺は」
「マイクロトフ!」
目の前の男の身体がびくりと揺れる。そして向けられた眼差しは敵を見るかのように厳しい。それを真っ向から受け止めてカミューは畳み掛けた。
「それが使命だマイクロトフ。マチルダのために成すべき事が我らにはある。それがおまえにとっては白騎士団長になることだし、わたしにとっては、そんなおまえの支配を絶対のものにする為にマチルダを出て行くことだ」
だがマイクロトフは再び首を振ると「違う」と言った。
「カミュー。おまえらしいやり方だ。まるでそれしか選択肢がないようなことを言う」
「事実そうだろう」
「いいや違う」
断言してからマイクロトフは、グラスに酒が残っていたことを今気付いたような顔をして、最後の酒をぐいと飲み干した。それから両手を組み、親指をこすり合わせる。腰を据えて話し合うその姿勢に、カミューは舌打ちしたい衝動に駆られた。
混乱している内に無理やり納得させて言質でも取っていれば話は早かったのに。
尤も、カミューと同様元青騎士団長として辣腕を奮ってきた男を相手に、そう簡単に行くはずもないのは道理だ。何よりも、次代の白騎士団長として立たせようとしている男なのだ。簡単に事が進んでしまっても良くないのか。
「カミュー。おまえはシュウ殿の思惑通りに騎士団が弱体化するのは望ましくない、そのために白騎士団長を領主として確固たる体制を築く必要があると主張するが、それはあくまでおまえだけの意見だ。マチルダの総意ではない」
その通りだ。やはり安易に誤魔化されてはくれないらしい。マイクロトフは続ける。
「反対の考えを持つ者も当然いるだろう。いや、いなくては困る。一方的な思想だけしかない組織など間違っているからな。戦争は終わり新たな国が建つ。その時代の流れにマチルダも従って、地方の一都市を守るだけの小さな騎士団になり、デュナンの国軍こそが国家の最強の剣と盾として、マチルダを含めた国内を守る。それもまた選ぶべき道筋のひとつではないか?」
「ああ、否定はしない」
「むしろ俺にはそちらの方が現実的に思えるぞ。俺達はもう既にデュナン共和国の一員だ。国家の一部として吸収されることに不都合はないはずだ。力を合わせて、ひとつの国を守って行く事の方が大切ではないか」
マイクロトフにとっての故郷は、マチルダであると同時にデュナン全域もその範囲に含まれてしまうのだろう。この地に生まれ育ったものの、それは無意識的な感覚なのかもしれない。
「カミュー。今はマチルダのことだけを考える時ではないと思う。デュナン全体のことを考えて、発言し動くべきではないのか。まずは国軍を鍛えなくては、周辺諸国に舐められてしまう。そうならないように一刻も早く国軍を増強し、デュナン全土に配置して体制を整えねばならんだろう。そんな時に騎士団だけを建て直すのは無意味だし中央の反感を買うだろう。俺達はそれよりも、騎士団もまた国軍の一部として吸収される可能性だって考えておく必要があるのではないか」
「マイクロトフ。おまえはなんてことを言うんだ。騎士団が国軍の一部になるだと? ありえない! だったら白騎士団長がマチルダの領主であるという、その大前提が崩れてしまうじゃないか! 我らが騎士団のその頂点に立つべき団長だからこそマチルダの人々はついてきてくれるんだ!」
「いや、そうでもないと俺は思う。いつか、マチルダ騎士団の白騎士団長の地位が、名誉職になる日が来たとしてもおかしくはない。それこそ、騎士ではない者が白騎士団長を名乗るかもしれん。俺はそれも構わないと思う」
ざわりとカミューは自分の肌が粟立ち毛が逆立つのを感じた。
「おまえは構わなくともわたしは構う。白騎士団長が名誉職だなどと、あってたまるか!」
バン! と音が聞こえて、その後から掌にじわりとした痛みが広がり、己が衝動的に卓上を叩いた事に気付く。マイクロトフはといえば、大きく目を瞠って軽く仰け反っていた。
「カミュー、どうしたんだ」
「おまえが、あまりに馬鹿げたことを言うから!」
カッと頭に上った血はなかなか下りてはくれない。言い知れぬ不快感もざわざわと胸を騒がすばかりだ。
と、そこでマイクロトフが小さく笑ったのが分かった。
「何を笑ってる」
「いや、そう怒るなカミュー」
「だったらその緩んだ口元を引き締めろ。何が可笑しい」
するとマイクロトフが更に笑みを深めてカミューを見た。その細めた黒い瞳が、意外なほどに柔らかい。
「マイクロトフ?」
「ああ、すまん。カミューが、俺よりよほどマチルダ騎士団を愛しているのだなと思ったら、嬉しくなった」
「なっ」
途端に頭に上ったはずの血が顔中に散るような気がした。おそらく今、自分の顔は真っ赤だ。
「真面目な話をしていたはずなのに、なんだこれは」
「ああ、そうだな。至って真面目な話だった。おかげでカミューの気持ちがようやく分かった気がする。俺を白騎士団長に推す魂胆とか、な」
「人聞きの悪い事をぬかすな。べつに企みがあるわけじゃないぞ」
「分かっている。ただ、そうだな。最初から素直に、マチルダを愛しているからなるべく戦前と変わらぬ形で残したいのだと、そう言ってくれれば良かったんだ。騙まし討ちのように突然出て行く、後は任せたなどと言うから話が複雑になるんだ」
「―――仕方がない、それがわたしの性格だ」
「全くだ。だがカミュー。やはりマチルダだけが変わらないままではいられんと、俺は思う」
「そんなこと、わたしだって分かっているさ」
「だったら」
「それでも!」
カミューは大きく息を吸うとため息のようにそれを吐き出した。
「建国宣言をしたところで、この国は形ばかり整えただけの中身のない生まれたばかりの国だ。国軍はまだ国土全てを守れるほどの力はない。だからせめて国軍が確りと機能するまで、マチルダ騎士団はその武力を保ち続けていなければいけない。おまえの言うとおりの地方の小さな騎士団になるのはその後だ。今じゃない。もっと何年もずっと後のことだ」
少なくとも、今回の戦争を知っている者が年老いるほどに時が経るまで。
「戦後の今が、一番重要な時期だ。この時期を乗り越えられるかどうかで、国内においてのマチルダの方向性が変わってくる。首都でもなく、たいした特産品があるわけでもなく、ハルモニアと国境を接する、地方都市マチルダの、だ」
カミューの真剣な言葉に、マイクロトフも今度は静かに頷き返した。
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おまえらなんで痴話喧嘩でそんな堅苦しいんだよぉおおおーーー!
2011/05/04