祝いの品
親友が呼ぶ時の自分の名前は気に入っている。低い声で耳に染む独特の響きで聞き心地が良い。
こんな事を考えるのは変かもしれないが、あの声なら例え何を言われても、自分は陶然としてしまうに違いないと思うのだ。と、カミューは実際上等の酒を口に含み、陶然としながらそんな事をふと思った。
「どうしたカミュー。随分と上機嫌じゃねえか」
頭上から降ってきた声に顎を上げると、熊のような傭兵が腕組みをしてそこに立っていた。
「これはビクトール殿。お一人ですか?」
場所は酒場。大抵ビクトールは腐れ縁のフリックと共に訪れるが、まだ早い時間ではあるが今夜は珍しく一人だ。
「あぁ、まぁな」
頷くビクトールは、そして当然のようにカミューの前にどっかりと座り込んだ。
「なんだ、えらく良い酒を飲んでるなぁ」
「貰い物なんです」
カミューは微笑んで酒のボトルを軽くビクトールの方へと押しやった。
「ご一緒にいかがですか?」
「いいのか?」
上等のかなり値のはるシロモノを前に、流石のビクトールもついそんな風に聞き返す。だがカミューは穏やかな笑みを一層深めると頷いた。
「どうぞ」
そして酒場の娘が持ってきたグラスを受け取るとビクトールに渡し、カミューはボトルを傾けた。
深く濃い葡萄色の液体が、小さく音を立ててグラスへと流れ込む。それを目を見張って見詰めていたビクトールは、注ぎ終えられるとまず香りを嗅いで、次にはがぶりと飲み込んだ。そして。
「うまい」
一言放って満足そうに笑った。そして、またごくりと次のひとくちを飲みこむと、音を立ててグラスをテーブルに置いた。
「で? これほどのもんをいったい誰から貰ったんだ。まさかマイクロトフか?」
「まさか」
傭兵の探るような言葉を軽く笑って一蹴すると、カミューは自分もグラスを傾けてこくりと喉を鳴らした。そしてボトルのラベルをつい、と指先で撫でてくすくすと笑って呟いた。
「部下ですよ。赤騎士の」
「は?」
「今日の夕方に連名で贈られたものです。カードを添えてリボンまで巻かれて」
そして目を伏せて更に笑うカミューに、ビクトールは眉を寄せると唸った。
「なんだよ、今日は祝いの日か何かなのか? にしては一人で寂しいよなぁ」
「祝いの日、といえばまあそうですね。私の誕生日ですから」
さらりと告げられた事実に、一瞬思考が追いつかないビクトールだったが、直ぐに「あぁ!?」と声を上げた。
その大声に酒場にある全ての視線が集う。
「あ、いや。なんでもねえなんでも」
ビクトールは手を振って注目を払うと、声を潜めてカミューににじり寄った。
「おい、マイクロトフはどっか出かけてたか?」
「いいえ?」
城に居ますよとカミューは答える。するとビクトールは、じゃあと首を傾げた。
「おまえら、また喧嘩とかしてんのか?」
「またとはなんですか」
「してねえのか」
「してません」
「んじゃあなんだよ」
「何がです」
「何がっておまえ、そりゃ、なんで一人でこんなとこで酒なんか飲んでやがんだって事をだなぁ……」
ビクトールはがしがしと頭を掻きながら、次第に小さくなる声でぶつぶつと言った。そこで漸く傭兵の言わんとする事に気付いたカミューは「あぁ、なるほど」と苦笑した。
「確かに、これまでずっと誕生日はマイクロトフに祝ってもらっていましたからね。騎士団にいた頃は、お互い誕生日は二人で祝いの酒をあけたものです」
「…あぁだから何でだよ」
幾分辟易したような口調でビクトールは重ねて問うた。するとカミューは一転、額に手を当てると盛大な吐息をついた。
「そこ、ですよ」
「どこだ」
憮然と返す傭兵に、だがカミューは更に吐息を繋ぐと緩く首を振った。
「そこなんです」
「だからどこだっつんだ」
「マイクロトフは……今、忙しいんです」
カミューは額の手を前髪にかけると憂鬱そうにかきあげた。
「昨日まで普通だったのが、今日に限ってものすごく忙しいらしくて。何度もすまないと謝ってくれましたが、ああ言う奴ですから仕事を中途半端になどしておけないんですね」
ふう、とカミューは深く溜め息をついた。
「で、部屋で一人飲むのも味気ないですから。わざわざ賑やかな場所を選んだんですけどね」
でもマイクロトフ以外とは飲む気になれなくて、とカミューはぽつりと呟いた。
「いっそのこと一気飲みでもしてやろうかと思ったんですが、勿体無いでしょう?」
「あぁ……」
手元のグラスを見ながら、ビクトールはわけも分からず頷いた。
「折角、部下たちがくれたものですから、大事にはしたいのですが……どうにも盛り上りに欠けましてね。そろそろ引き上げようかと考えていた所だったんです」
「じゃあ、俺は丁度良い所に来たってわけか?」
「そうですね。どうせなら酒の味のわかる方に飲んでいただきたいですし。残りは差し上げます」
良いのか? と問おうとした言葉をビクトールは慌てて飲みこんだ。こんな人目のある場所で、こんないわくのある酒なんぞ貰った日には、次の日から赤騎士が何か仕掛けてきそうだ。
「あ、いや、遠慮しとくわ。こいつはほら、また栓でもして持って帰れ。俺はこんだけ貰えりゃ充分だ」
そして片手のグラスを掲げると、ビクトールは席を立った。
「ビクトール殿?」
「んじゃ俺はこれで。おまえはもう部屋に戻れ、な。あ、誕生日おめでとうよ」
「……はい、ありがとうございます」
首を傾げながらも頷いたカミューに、ビクトールはニカッと笑って去って行った。
さて、部屋に戻ってもやはり明かりの灯っていない暗さにげんなりする。
カミューは手早く洋燈に火を灯すと半分空いたボトルを卓上に置いた。そして椅子を引くと静かに腰掛け、そのまま前屈みに肘を突くと両手で顔を覆った。
上等の酒があったとしても、賑やかな場所があったとしても、良い仲間がいたとしても、結局たったひとつが無ければ、そのどれもが色を失い味気なくなる。
全くつまらないものだとカミューは小さく息をついた。
もう寝てしまおうか。
ぼんやりとそんな事を思った。
大体、誕生日だからと言っても今は戦時中なのだし、こうして生きて同じ城に共に過ごしていられる事をこそ感謝すべきなのだ。今朝、一番におめでとうと言ってくれた事を喜ぶべきなのだ。
「うん…寝よう」
まだ全然早い時間だが、そう呟くとカミューは立ち上がり、寝台に膝をついてばたりと倒れこんだ。そして目を瞑ると、上等の酒が眠気を誘ったのか、途端にとろとろと全身を睡魔に覆われたのだった。
そろり、と頬を撫でる冷たい空気。
夢うつつ、部屋の扉が開いて、廊下の冷たい空気が流れ込んできたのだと知った。
マイクロトフ。
声に出そうとしたが、どうやら自分はまだ夢の中にいるらしい。指先さえぴくりとも動かなかった。
そして寝て初めて気付くのもおかしな話だが、どうやら自分は結構疲れをためていたらしい。ゆっくりと酒を飲んでぼんやりと埒も無い事を考えたのは久しぶりだったし、こんなに早く寝たのは、いつ以来の事だったろう。
さては、と夢の中で思案をはじめた所でふわりと温い何かが額に触れた。
「カミュー」
低い、耳に染み入る独特の声。カミューが何より心地良いと感じるそれが、間近で己の名を呼ぶ。そして続く囁きは。
「流石に回りくどくてすまないな…」
言葉と一緒に優しく額を撫でられて、そのまま前髪を梳かれる。
「全く…赤騎士連中にどうにかしてくれと泣きつかれて参ったぞ」
赤騎士――――部下たちがどうかしたのだろうか。
「無理も続くと身体を壊す……。俺もおまえと一緒に今日を過ごしたかったがな。今はおまえが健康で居てくれる事の方が嬉しい」
髪を撫でていた温もりが、頬に移ってじんわりと暖める。
「今日は俺も頑張ったからな。明日の朝もゆっくり出来るから、昼頃に起こしてやる」
だから、と声は耳元で囁いた。
「眠れ」
夢の中、カミューは頷いた。
そのままの温もりで包んでいてくれたら、このまま言う通り眠り続ける。そして、カミューはまた深い眠りの淵に落ち込んでいったのだった。
翌日。
充分な睡眠後の自然な目覚めに促され、カミューは起きた。そして己の手がマイクロトフの手を握り続けていたと知って苦笑した。
「おかげで今朝は訓練放棄だ」
全く、と文句を言いながらも穏やかなマイクロトフの苦笑に、夢うつつ聞いた声が重なった。
なるほど、なんとも回りくどい祝いの品であった事だ。
しかし、おかげで身体の疲労はすっかり解消されている。
「手を振り払わずにいてくれたんだな。マイクロトフ」
にっこり微笑んでやると、マイクロトフは顔を赤くして視線を反らす。その男の頬を今度はカミューがとらえて引き寄せた。
「ありがとう」
囁いて、心からの感謝を込めてカミューは口付けを贈ったのだった。
END
色んな誕生日ネタがありますので今更という感じですが
いかがでしたでしょうか、こんな青赤誕生日ネタ
おまけは
コチラ
2000/12/20