ため息の数だけ
その溜息に、部下がぴくりと反応した。
けれども何度目かになるその溜息の回数と、あえて何も聞いてくれるなと言わんばかりのカミューの態度に、部下は顔を上げるでもなく手元の書類に意識を戻した。
溜息と言うよりは、これは思わず零れる吐息だな、とカミューは内心でひとりごちる。
腰から下の違和感がなんとも言いようがない。
夕方に、気に入りの隠れ場所で居眠りをしていたのだ。ところがそれを、どんな嗅覚の持ち主かマイクロトフに見つけられてしまった。そこまではいい。だがその秘密の場所に思わぬ闖入者たちが更に現れ、カミューたちに気付かずに情事を始めてしまった。
片方はまだ若い女性である。出るに出られず困っていたカミューであったのだが、そこであろうことかマイクロトフが不埒な真似に出てきたのだ。冗談じゃないと突っぱねようとしたが、大きな物音も立てられず、場所が狭いところだった所為で大した抵抗が出来ずに、結局良いように翻弄されてしまった。
尤も、ここ最近の忙しさにかまけて多少の餓えもあったのは否めない。最後はカミューも確りマイクロトフの手で満足させられてしまった。
だが、仕事中のちょっとした息抜きの昼寝だったのである。カミューには戻って仕事を再開しなくてはならない事情があった。そんな立場上、マイクロトフをきつく叱って今は仕置き中である。
今頃、この部屋の表では廊下にただ棒立ちになっている元青騎士団長の姿に、通りかかる騎士もその他の城の住人も、大いに驚いて慄いているに違いなかった。とはいっても、仕事が終われば一緒に部屋に戻るという褒美を与え、もとい約束をしているので、仕置きになっているかどうかは疑わしい。
もしかしたら一番可哀想なのは、そんな元青騎士団長の気配を扉の向こうに感じつつ、上司の溜息を幾度も聞かされる羽目になった、カミューの部下たちかもしれない。そろそろ解放してやる頃合かもしれなかった。
カミューは最後の書類に署名を走らせると、手に持っていたペンを置いて顔を上げた。途端にその気配を察して部下たちがこちらを見る。
「今日はこれで終了する」
カミューの一言に、彼らの緊張が緩むのが分かる。そこへ更に加えた。
「皆、遅くまでつき合わせて悪かった」
元はと言えば休憩に出たっきり戻りの遅くなったカミューの所為で、居残り仕事になってしまったのだ。更に元凶を辿れば、部屋の外で立たされているマイクロトフの所為なのだが、ここはカミューが詫びるところだった。
しかし部下たちはいいえと首を振って笑った。そしてカミューが退室するのを皆、一礼して見送った。
さて、扉を開ければそこにはマイクロトフが立っている。
くるりと振り返った男はひょいと片眉を持ち上げて首を傾げて、カミューの言葉を待っている。その仕草が、まるで待てと命じられた犬のように見えなくもない。
思わず苦笑を浮かべながらカミューは彼の腕を叩いた。
「終わったよ、帰ろう」
途端に、激しく動く尻尾の幻が見えたカミューであった。
扉を閉めるなりきつく抱きしめられてカミューは思わず笑った。気分はお預けを許された犬に抱きつかれたようなものだ。
「先に着替えくらいさせてくれ」
おまえだって騎士服のままじゃないか、とカミューは隣のマイクロトフの部屋を指差した。だが彼はゆるりと首を振ると腰に回した腕に力を込めて、首筋に鼻を埋めてきた。
「どうせ脱ぐ」
「おまえね」
直截な言い草にカミューは呆れて天井を仰いだ。
「優しくしてくれるんじゃなかったのか?」
「するとも」
すいと顎を誘われて口づける。温い舌が潜り込んできた。それは確かに柔らかく優しい探り方で、カミューは直ぐにその口づけにとろりと思考を熔かしかける。
「んー……、こら」
唇を離してもマイクロトフは頬やこめかみや耳や、小刻みに小さな口づけを落としていく。カミューはその僅かな刺激に吐息を零した。それは夕方から何度となく零れたものに似ていて、違うところといえば熱が篭っているというところだけだった。
確かに望んでいた。
夕方に性急に、そして無理を強いられて及んだ行為で、半端に火がついていた。
満足したとは到底言えない状態で放り出された。
マイクロトフだって同じの筈だ。若い盛りではないが老成しているわけではない。数え切れないほど抱き合ってもまだ足りないと思っているのだ。いつだってその手の温もりを求めて、夢中になる。
だが。
「待て、服が皺に」
なる、という言葉もまた唇に吸い込まれる。しかしそれは乱暴ではなく、やんわりとした促しだった。
今だってカミューは逃れようと思えば逃れられる。マイクロトフはそれくらいの力でしか掴まえてきてはいないのだ。
結局、カミューの抵抗は表面的なものでしかなかった。
含みきれなかった唾液が溢れて口の端を滴り落ちる。カミューは手の甲でそれを拭うとマイクロトフの目をちらりと覗き込む。自分でも顔が火照っているのが分かるが、目前にある精悍な面差しもまた、熱に浮かされたような色を浮かべていた。
「仕方のない奴だ」
口元に薄っすらと笑みを刷くと、マイクロトフの喉がごくりと鳴った。
いつからこの男を誘う術を知ったろうか。己の眼差しの送り方ひとつで、マイクロトフが煽られるのに気付いた時、カミューはそんな自分の浅ましさを厭うどころか積極的に受け入れていた。
こんな顔の造作が多少整っているだけで、それ以外は柔らかくもない男の身である。そんな自分に本来は正常な性嗜好を持ち合わせていたはずのマイクロトフが欲情するのである。これほど嬉しい事があろうか。
ずっと焦がれていたのだ、この存在だけを。
「マイクロトフ」
今度は自分から口付けをねだってカミューはマイクロトフの首に腕を回した。背後には寝台がある。誘うように重心を引いて、柔らかな敷き布の上に、カミューはマイクロトフを誘った。
だが。
悲鳴が聞こえた。
ついで、ドン、と遠くはない何処かで何かが崩れる音と振動が響いてくるではないか。
「………」
二人は顔を見合わせた。
そして先に動いたのはカミューのほうだった。背中から倒れ込んだ寝台から身を起こし、マイクロトフの腕の下から抜け出すと半ば脱がされかけていた騎士服の前を合わせる。
「ただ事ではないようだね」
乱れていた前髪をかきあげて一息吸い込むと、ふっと呼吸を整えた。
「行くぞ、マイクロトフ」
寝台の上、マイクロトフがずるずると崩れ落ちると敷き布に呻き声を放った。だがそれでも、一瞬後には跳ね起きるようにして身を起こして、カミューの後を追ったのは流石の責任感と言えよう。
「報告だ!」
揃って現れた元騎士団長二人に騎士たちは慌てて居住まいを正す。そして押し殺したような声で報告を求めるマイクロトフにびくりと震えた。
「は、それが、襲撃のようです。まだ襲撃者の正体は掴めていないようですが、目的は軍主殿のお命かと」
「爆発があったのか?」
カミューの声に振り返った騎士は、気だるげな流し目を寄越されて息を止める。
「……は、その……雷系の紋章の、こ、痕跡が…」
よく見ればカミューの騎士服は首の辺りの留め金が一つ二つ外されて、首筋が露わになっている。そして襟足の髪が妙にほつれて、そこから色気が滴り落ちているような幻覚が見えた。
なんなのだ、その色気は。
その場の騎士たちが一斉に目を逸らし、ただひとりそんな赤騎士団長の視線に絡み取られた同僚騎士を不憫に思った。
「今夜の見回りは傭兵隊だったな。騎士の出る幕は……まあ、逃亡を図った場合の阻止か」
ぽつりと呟きながら思案するカミューの唇は、この夜は常になく赤く見え、しっとりと濡れたような艶がある。それが動くたびに部下たちの挙動があやしくなっていった。
「夜勤の部隊は城壁周辺の警戒。他の者は待機」
「は……は、はい!」
カミューの静かな命令に、動揺していた部下たちが正気を取り戻して顔をあげた。だが次の瞬間、彼らはそれを後悔した。
そこには、滴り落ちる色気を纏いつかせながらも、心の奥底から冷え込むような恐ろしくも怜悧な笑みを浮かべた元赤騎士団長がいたからだ。
「命令があるまで鼠一匹逃すな」
「はっ!」
では散開、の言葉と共に騎士たちは迅速にその場から散っていった。
そしてカミューとマイクロトフはその足で軍主の少年の起居する部屋へと向かう。
ただでさえ普段から人目を集める二人ではあったが、この夜はそれに輪を掛けていた。しきりに髪をかきあげながら溜息を何度も零すカミューと、その少し後を無表情に無感情を載せた顔で追うマイクロトフである。
カミューと言うのはただでさえ綺麗な男である。ちょっと類を見ないほどに美しい青年なのである。同盟軍の城の住人たちはそれでも何とか見慣れてきていて、最初の頃ほどに立ち止まってぼうっと見惚れることはなくなっていた。しかしこの夜の彼の破壊的な雰囲気はなかった。
その瞳にかすかに感じ取れるほどの怒りを宿しつつも、若干乱れた騎士服が危うさを思わせ、そして僅かに開いた唇から零れる熱っぽい吐息。男の下半身の事情を直撃されて腰が引けた兵士も少なくなかったと言うし、見惚れるどころか夢見るように一瞬で熱を上げた女性も多かったらしい。
だがしかし。
後に続くマイクロトフの存在に、男も女も一瞬で熱を奪われむしろ涙を浮かべて慄いた。
まだしも戦場に立ち、生命のやりとりをしている真っ最中の、あの極限の厳しさに慣れた戦士ならば、或いはその殺気を受け止められたのかもしれない。しかし城の住人の半分近くは、そんな最前線の熾烈さを知りはしない。それなのにマイクロトフは、このとき異様なまでに殺気立っていたのである。
しかも無表情だ。彼もまたこの城においてその顔の造作を讃えられるほどに整った容貌をしている。それが今、全くの感情を宿さずにいれば、どんな非情の暗殺者であろうと即座に負けを認めて自殺を選ぶような、そんな迫力を持つのである。
城の住民たちは皆、悲鳴と爆発に驚いて起き出して来たというのに、偶さかそうして通りがかった二人の災厄に遭遇して、その夜は眠れずに過ごした者が多かったのだと言う。
「よお」
軍主の少年の部屋がある階に到着すると、そこには既に騒ぎを聞きつけた軍の幹部たちが顔をそろえていた。流石に夜警担当の傭兵たちは早い。声をかけてきたのはビクトールだった。
「遅くなりました。軍主殿はご無事ですか」
見渡せば、部屋の外の窓は破られ、その周辺は黒く焦げて変色している。
「ああ、傷ひとつねぇよ。賊も捕らえた。ったく、こんなとこで札を使いやがって」
「賊の素性は」
「まだ吐いてない、が、おそらくハイランドから雇われた流しのモンだろう。それにしても」
ふと言葉をとめたビクトールは、カミューを見てニヤニヤと笑っている。
「なんですか」
その不躾な視線に、じろりとにらみ返すとビクトールは肩を竦めた。
「おいおい。何やってたんだよおまえら」
「答える必要はありませんね」
世慣れた傭兵は流石である。カミューたちの部下の騎士たちがその場に居たなら、尊敬の念を抱いたかもしれないほど、彼は泰然と構えて、カミューの滴る色気もマイクロトフの物騒な殺気も笑って受け止めていた。
そこに来て、流石に感情をそのまま出してしまっている己らの大人気なさに、二人は少しばかり恥じ入った。だがそうは言っても、無意識に出てしまうものは抑えるのが難しい。それに賊を既に捕らえてあると聞いては、緊張も長続きしなかった。
「その賊は、全員取り押さえられたのですか?」
「ああ、一人だけだったしな。だからいいぞおまえら戻って、休んでも」
休んでも、というところをいやに強調してにやりと笑う傭兵に、カミューは気まずく咳払いで誤魔化した。
「で、その賊は」
「部屋の中だ。シュウの野郎に尋問されてやがる」
「それはお気の毒に」
聞けば、しかも中にはフリックのほか、騒ぎで駆けつけたハウザー将軍やリドリー司令官、リキマルにハンフリーなど強面が揃っているらしい。カミューたち騎士の出る幕は本当にないようである。
「……それでは、警戒中の部下には引き上げを命じます」
「おう。ついでに他の連中にも詳しくは明日の会議で話すから来なくて良いって」
「伝えます」
カミューが頷いた時だった。
直ぐ傍の軍主の少年の部屋の扉が爆音と共に弾け飛んだ。咄嗟に身を伏せたカミューだったが飛んできた破片に襲われ庇った腕に痛みが走る。だがまた、そこに続けざまに爆発が起こった。
「待てこの野郎!」
立ち込める粉塵の向こうからフリックの怒声が聞こえたかと思うと、扉のなくなった間口から飛び出してくる影。だが、それがカミューに激突する寸前、横合いから不意に繰り出された拳がその影を殴り倒した。
蛙が潰された時のような声がして、影はそのまま出てきた間口へと逆に吹っ飛ばされた。そして。
「うわぁああ」
ドカッと鈍い音がして、フリックの悲鳴と共にドンガラガッシャンと派手な音がした。それから粉塵が晴れるまでの僅かな時間、辺りがシンと静まり返る。だがそれもややもして、ビクトールの呑気な声がその静寂を破った。
「なんだぁ? 札をまだ隠し持ってやがったか」
ガラガラとビクトールが壊れた扉を乗り越えて中に入り込む、粉塵に咽ながらカミューが頭を上げると、漸く状況が飲み込めた。
部屋の中では見覚えのない男がフリックを押し潰すような格好で気絶している。どうやらそれが賊らしい。そしてその向こうでは軍主の少年をハンフリーが抱え込むようにして守り、シュウをリキマルが背後に庇っていた。部屋の中は札の紋章の力で散々な事になっている。
「カミュー、大丈夫か」
「……あぁ」
差し伸べられた手を握ると、相変わらず無表情のマイクロトフが居た。だが、先程よりはその殺気が薄れている。
「これはまた、思い切りやったものだな」
カミューが立ち上がりそう言うと、フリックが漸く男の身体の下敷きから逃れるところだった。
「あのままではカミューに体当たりをしていたではないか」
「そうだけど」
「それに逃げようとしていた」
だから殴って止めたのだと。マイクロトフが言う端から、部屋の中で少年が稀有なる紋章を使って意識のない男に、その恩恵を与えていた。傍らシュウが不機嫌な面でいる。カミューは良くぞ男があの一撃で即死しなかったものだと感心した。何しろあの殺気の殆どを込めた拳で殴られているのだ。
これからと言うところを中断された、その元凶に対する容赦なしの一撃でもある。おかげで少しばかりは溜飲が下がったようではある。だが。
「それでもやりすぎだよ。軍主殿のお手を煩わせてはいけない」
「だが……カミューを…」
「わたし?」
「血が、出ている」
言われて気付く。頬にちりちりとした小さな火傷のような痛みを感じた。すっと指先でその箇所に触れれば、ぬるりと滑る。見れば指先に血がついていた。どうやら飛んできた破片で切ったらしい。
「ぬかったな」
腕で庇った筈なのに、とカミューは顔を顰めた。その腕はと言えば流石の騎士服の、その頑丈な生地に守られて、ぶつけたような痛みはあるものの無傷だ。顔の皮一枚切れたところで、大した痛手でもないが、小さな傷とはいえ負傷をしたのは情けない。
「だが、まぁ、舐めれば治る」
言ってカミューは血のついた指先をぺろりと舐めた。
途端。
マイクロトフが石像のように固まった。
さもありなん。
それを見ていたビクトールが、フリックを引っ張り起こしながら洒落にならんと引き攣った笑みを浮かべた。無自覚の元赤騎士団長の強烈なまでの美青年ぶりは、ここまで来てもはや犯罪に近かった。
爆発のあおりを受けて乱れた髪は、その白く滑らかな頬にかかり、若干やつれたような印象を持たせている。そしてその頬に走る一筋の赤。ビクトールに妙な趣味はないものの、その小さな血のひと筋のせいで、妙に色っぽさを増しているのだ。廃頽的とでもいうのだろうか。
しかも軽く眉根を寄せて、悩ましげな表情でちろりと舌で己の指先を舐めるなどと言う仕草に至っては。
常のカミューならばここまでの威力はなかったろう。
だが今夜のカミューは姿を見せた最初から、独特の抑えがたい色気を滴るほどに零れ落ちさせていたのだ。これは、いけない。
「う、わ。目の毒」
後の方で少年がボソリと呟く。ちらりと振り返ればその言葉に従ったのか、シュウが少年の目元を掌で覆うところだった。そして一方でその口から騎士たちに軍師としての命令が下される。
「ご苦労だった。貴様らはとりあえず、負傷の治療とその手当てをするためにここから去れ。今すぐ、とっとと」
「はい?」
シュウの言葉にカミューが振り返る。しかしその手首を、マイクロトフの手ががっしと掴んだ。
「部屋に、カミュー」
「あ、おい。マイクロトフ」
戸惑うカミューに、ビクトールはバタバタと手を振ってやった。
今はマイクロトフの強引さに感謝である。いつまでもあんなカミューを野放しにしていてはいけない。そしてドカドカと性急な足音を響かせて、元騎士団長の二人が階段を降りていった。
それを見送って漸く肩をおろしたビクトールと、その他の面々だった。ただ。
「あ、あれ? オレどうしたんだっけ」
引っ張り上げられて立ち上がったフリックだけが、床に倒れこんだ時に床板に激突させた頭をグラグラとさせながら、よく分かっていない発言をしていた。
来た時とは違って、半ば駆け足の速度で部屋まで戻ったマイクロトフとカミューである。どうにかして途中で掴まえた騎士に、警戒を解いてビクトールの言葉を伝えるように命じて、そして部屋に飛び込み扉を閉めるなり、カミューはマイクロトフに押し倒された。
「マイクロトフ?」
仕切りなおしのように、この部屋を出て行く寸前の状況に戻って、カミューはぱちぱちと瞳を瞬かせてマイクロトフの顔を見上げた。それは未だ変わらず無表情だった。しかし開いたその口から零れた声は、意外なほどに切羽詰った懇願の声だった。
「カミュー……」
ガックリと項垂れたマイクロトフは、カミューの身体を抱きこむようにして上体を伏せた。
「頼むから」
ため息が零れる。
「そんな顔は俺の前だけにしてくれ」
囁きに、カミューは思わず笑みを浮かべる。
「どんな顔だよ」
ふっと口の端だけを持ち上げた笑顔で、カミューはしかし充分にマイクロトフの切なる訴えの意味を理解していた。
「もしかして、こういう、顔?」
とろりと色味の増した瞳で見つめる。その濃艶さを増した眼差しに、マイクロトフの堪えていた理性の鎖はいとも容易く千切れた。
「カミュー……やさしく、できそうにないが。いいか」
辛うじて、押し殺した声でそれだけを確認してきたまでは褒められよう。
しかし返答を待たずして暴挙に及んだのは、いただけなかった。
それでも翌日。元赤騎士団長が、前夜の異常なまでの色気など何処へいったやらと言った風情で、昼過ぎに漸く姿を見せた事に、部下の騎士たちも、そして城の住人たちも一様に安堵のため息を零したのだった。
しかし直属の部下たちは知っていた。
呑気そうな上官から、実はそこはかとなく漂う気だるい気配を。微笑混じりのため息の意味するところを。
彼らは、今は訓練場で訓練に励んでいるだろう元青騎士団長へ、決して口には出来ない願いを念じて送る。
頼むから、ほどほどに。
ため息と共に彼らの声なき声が、同盟軍本拠地の空の下、いくつも零れては消えていくのだった。
end
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数日後のイベントに後日談としてコピー本で書かせていただいたもの
けっこうご好評を得たものでしたので三年経ったしサイト掲載
2008/01/13
2011/04/23 サイト掲載