本の匂い 2


 入ってきたのは若い男女だった。男は兵士で、女はエミリアの部下のようである。
 最初は何か用事があって入ってきたのかと思ったが、その考えは直ぐに打ち消された。二人は人目を憚るような素振りで入ってくると、扉を閉めるなり身を寄せ合って口付けを交わし始めた。
 書架の隙間から見えたその二人の様子に、マイクロトフは思わず顎を引く。目の前のカミューもそれを見たのだろう、くるりと振り向いて肩をすくめた。
「………カミュー、これは」
「密会に出くわしたようだね」
 そんな一言二言交わす間にも、盛り上がっているらしい恋人たちは扉の直ぐ傍の棚の影に潜り込むなり、もつれ合うように床の上で抱き合い始めた。その頃になってマイクロトフは、これでは自分たちが出て行けないことに気付いた。そしてカミューが再び視線を戻して思案気にしている横顔を見る。
「今までこんな遭遇はなかったんだけどな」
 小声で囁くカミューを伺うと、彼はふっと苦笑を浮かべた。
 自分も昼寝に使っていた手前、気まずいのだろう。
 流石に初心な青少年ではないので、直ぐ近くで男女が絡み合い始めても照れる柄でもない。「早く終わらないかな」などと呑気に呟いているくらいだ。マイクロトフはしかし、そのこめかみについ思わず唇を寄せていた。
「……?」
 不思議そうに見遣る飴色の瞳を見つめながら、マイクロトフは両腕を回して背後からガッチリとカミューの身体を抱き締めた。
「おい?」
 戸惑ったような声がマイクロトフを呼ぶ。それに僅かに口元を笑みに歪めて、一つ二つ留め金の外されていた騎士服の襟首に手を忍ばせた。途端にぎょっと腕の中の身体を強張らせるのが分かったので、寄せたカミューの耳元であるかなしかの声で囁いた。
「触るだけだ」
 しかしカミューは大慌てで首を振った。振り返った瞳が信じられないと訴えている。
 何しろすぐ傍で見知らぬ男女がいるのだ。更に大胆な行為へ没頭しているとはいえ、そんなところで自分まで不埒な真似に及ぶ趣味などないと、その目が雄弁に語っている。だがマイクロトフは浮かべていた笑みを深めるとカミューの騎士服の留め金を、片手で器用に外していった。
「マイクロトフ、こらっ」
 本気で焦りながら小声で嗜めてくるのだが、手早く腰のベルトを緩めて中のシャツを引っ張り出して直に地肌に触れると、その声がぴたりと止まった。そして身体の方も腕の中でガチッと石の様に固まる。しかし裾から潜り込ませたシャツの中の素肌は、手触りが良くて気持ちいい。それに寝ていた所為かいつもより体温が高いようにも感じて、首筋からは彼独特の体臭が香った。
 誘われるように首筋に鼻を埋めて息を吸い込むと、腕の中でカミューがぞくぞくと震えたのが分かった。そして掌の下でその肌がぞわりと鳥肌を立てるのも直ぐに感じた。顕著な反応が可愛くて、ますますその肌を撫で回す。しかしその片方の手首を不意にがしっと掴まれた。
「……カミュー」
 咎めるように名を呼ぶが、涙に潤んだ瞳がじろりと睨んできた。
「触るだけでも、却下だ。……このケダモノがっ」
 ぐぐっ、と渾身の力でマイクロトフの手を退けようとカミューの手に力が入る。だがここまで必死になって拒むのは、きっとこの他愛のない触れ合いだけでも流されそうになっているからに違いなかった。実際、残されたもう片方の手を唐突に下衣に突っ込んで股間に潜らせると、誤魔化しようもなくそれは緩やかに立ち上がっていた。
「………!」
 声を出すのを寸前で堪えたカミューは、代わりにマイクロトフの手首を離して歯を食いしばった。全身がガチガチに固まっている。
 マイクロトフは都合が良いとばかりにカミューのそれを握り込むと、揉みこんでぐいぐいと扱いてやる。すると泣きそうな目で天井を睨みながら、彼の身体がゆらゆらと揺れてぐらりと背中から凭れ掛かって来た。そこにまた囁きかける。
「却下か、仕方がない」
 マイクロトフは遠慮を脱ぎ捨てた。触るだけでは駄目ならば、最後まで―――。
 耳には女性の押し殺した嬌声と、濡れた肌がぶつかり合う音が聞こえてくる。
 一種倒錯的な現状で、マイクロトフはカミューの顎を掴んで書架の隙間から彼らの様子を無理やりに見せ付けさせた。そして先端から濡れて来た彼の欲望を更に強く扱きたててやる。
「向こうはそろそろ終わるんじゃないか?」
「………」
 カミューが小刻みに首を振る。それはマイクロトフの揶揄への否定なのか、それとも他人の情事など見たくないと言う意思表示だったのか。覗き込めばぎゅっと瞑った目の縁から涙が滲んでいた。
 マイクロトフはその涙を軽く舐め取ると、そのまま舌先を滑らせて首筋も舐め、そして身を屈めて床にそろりと膝をつくと、ベルトを緩めた所為で腰に引っかかる程度にずれていた彼の下衣を下着ごと引き落とした。
「ひっ」
 そして前を些か乱暴に弄りながら目の前に露わになった尻の奥に舌先を伸ばす。
 カミューは小刻みに震えながら浅い息を噛み殺している。
 マイクロトフは己の唾液でたっぷりと濡らしながらまずは指を一本差し込んだ。狭いそこは、きゅうっと骨太な男の指を締め付ける。その頑なさをいっそ楽しみながらそこへどんどんと唾液を流し込んでは、奥を無遠慮に探った。
 ちらりと見上げればカミューは目の前の書架に縋るように掴まりながら、かたかたと震えている。入口付近の恋人たちにばれないように、必死で耐えている風情がたまらなかった。マイクロトフは、そうして彼が物音を立てるのを恐れて抵抗らしい抵抗が出来ないのを良いことに、むしろ普段よりも酷く性急に彼の奥を探る。
 加虐心が煽られてもいたのだろう。指を一気に三本に増やすと明らかにカミューがびくりと大きく震えて、書架に掴まっている彼の指先が力みすぎて真っ白になるのが見えた。おそらく痛みのほうが圧倒的に強いのだろう。暫くこうした行為から遠ざかってもいたし、状況が状況だ。
 それでも、三本の指をばらばらと動かしながら舌先も伸ばしてぐちゃぐちゃに濡らすと、そこは少しずつ柔らかくほぐれてくる。マイクロトフは相変わらず前を緩急つけて弄りながら、更に指を増やして揃えると、今度は突き上げるように抜き差しをした。
「……ん、く、うっ」
 小さな呻き声が僅かに漏れ聞こえてくる。しかし向こうから聞こえる物音に紛れて、きっとマイクロトフにしか聞こえない。だが目を瞑って息を殺すのに必死のカミューには、もう向こうの様子など頭にないのだろう。
 可哀想に硬い木材の書架に爪を立てて、がくがくと震える身体を何とか支えて立っている。
 マイクロトフはそっと立ち上がるとそんなカミューの耳元で静かに告げた。

「いれるぞ」

 言葉と同時にすっかり興奮して立ち上がっていた己の欲望を、指を引き抜いたそこに宛がうと、カミューが怯えて身を捩って逃げようとした。だが。
「ぃや、や、あ……あ、あ、あっ、んーー!」
 声を上げそうになったカミューの口を咄嗟にマイクロトフは掌で覆った。そしてゆっくりと狭いところを押し開いていく。掌には押さえ込まれた彼の悲鳴がぶつかっては消えていく。
 そしていっそ意地悪なほどに慎重に押し入ったマイクロトフは、最後まで納めきるとそっと掌を外してカミューの顔を無理やりこちらに向けさせた。
「カミュー」
「……こ、の…っ、あとで、おぼえてろ……」
 ぼろぼろと涙を零しながら詰るカミューを、マイクロトフは今度は深い口付けで黙らせる。そして口を塞ぎながら、ぐいと腰を引くとまた突き入れる。
「ん、ぐ……」
 悲鳴までも吸い上げて、逃げないようにその顎と腰とを押さえ込んで、マイクロトフは小刻みに突き上げるように腰を揺する。カミューは苦しい体勢のまま相変わらず手は書架を掴んで、揺さぶられるままの身体を支えている。
 ところが先程は可哀想に思えたその指先の白さが、今は不意に不快に思えた。
 マイクロトフは顎から手を外すとそのカミューの手を書架から取り上げて、彼自身の欲望へと導いて自分でそれを握らせた。
 カミューは縋りつく先を失って、膝から崩れ落ちそうになりながら、掴まされて自分のものを握りこむ。その上からマイクロトフが離さないようにと掌で包み込んで動かしてやると、ぐちゅぐちゅと音を立てて、小さな悲鳴が上がった。
「や……、やぁ」
 カミューの一方の手がぶるぶると震えながらやめてとマイクロトフの腕に縋った。
 だがマイクロトフは再びカミューの口元を掌で覆うと、そこから容赦ない抜き差しを始めた。
「んっ、んー……っ」
 ずるりと引き抜けば、狭かったそこは惜しむように粘り纏わりついてくる。そして一気に突き刺すと今度は柔らかくあたたかな肉でぎゅうぎゅうと締め付けてくる。何度もそれを繰り返すと気持ちよすぎてマイクロトフのほうがどうにかなりそうな具合だった。
「カミュー……」
 はあっ、と首筋で吐息を乱せば、それすら刺激になるのかガクガクと身を揺らす。
 もはや何処にいるのかすら意識にないのか、息苦しさに顔を赤くさせながらカミューは忘我とした目から涙を零し続けている。そしてその背は全てを閉じ込めるように丸くなり、項垂れて露わになった項が白い。
 薄暗い部屋の中で、二人の押し殺した呼吸音だけが密かに響く。
 マイクロトフはそして、カミューの脇腹から腕を伸ばして目の前の書架に手をつくと、白いうなじに歯を立て噛み付き、いっそう激しく突き上げを繰り返した。
「ひぅ、あ、んっ、や、あっ、あっ、ああっ」
 指の間から悲鳴が断続的に零れるのを聞いて、この声をもっと聞きたいとマイクロトフは掌を外すと再びカミューの雄を握り込むと激しく扱いた。
「や! う、んんっ、ん、ん、んあっ、あっ、ん」
 しかしカミューは小さく首を振ると、自分で口を押さえて悲鳴を殺した。
「カミュー、はっ、……出すぞ」
「あ、だ……、だめだっ、マイクロトフ、や、あ、ああ!」
「……くっ…」
 一瞬の膠着の後、マイクロトフはカミューの裡に己の欲望をぶちまけた。
 そしてその僅かに後、カミュー自身も強く扱いてやるとマイクロトフの掌にその精を吐き出すと、ガクリと膝から崩れ落ちた。



 呼吸も整わないまま、マイクロトフはカミューの腰を抱き寄せて、同じく床に膝をついて辛うじて書架に掴まりながら、その背に胸を合わせて目を閉じていた。
 鼻腔には埃の匂いと本の紙とインクの匂いにまじって、カミューの体臭と精液の匂いが届いてきた。そして次第に呼吸と脈が落ち着いてくるにしたがって、その匂いが、マイクロトフに奇妙な冷静さを取り戻させてくれるのだ。

 不意に、ぞくりと背筋に悪寒が走った。
「……カミュー」
 彼はグッタリと座り込み、両手も床の上においてぜいぜいと荒い息を零している。だが、その背から立ち上るものは、艶かしいものでも色っぽい甘さのそれでもない。そしてゆっくりと振り返ったカミューの瞳は不穏な光を宿して、明らかな怒りを現していた。
「このやろう」
 ゆらーりと伸びてきた指先がマイクロトフの鼻先を掴むと、ぎゅうっと捻り上げる。
「いっ!」
「却下だと言っただろうが。しかも何処が触るだけだ、ああ?」
 物騒な押し殺した低音で、それでも気を使って決して大声を出さずに、カミューはぐいぐいと鼻先を挟み込んで押しやりながら、マイクロトフの身体を、己が居眠りをしていた壁際に追い詰める。
「カミュー、痛い」
「私のほうがずっと痛かったというんだ、この乱暴ものがっ」
「………っ」
 と、マイクロトフはぎょっと目を剥いて、鼻先を掴むカミューの手を取ると、同時に放り出されていた彼の足首をも持ち上げた。
「うわっ」
 足首を持ち上げれば身体は背中から床の上に転がるしかない。しかしマイクロトフは、悲鳴をあげてごろんと転がったカミューの、その尻の奥に厳しい視線を向ける。そしてそこに血のあとがないことを認めると、ほっと胸を撫で下ろした。
「良かった、切れてない」
「…………」
 そして足首から手を離した途端。
「良くないっ!」
「…っーーー!」
 その踵が、ゴスッとマイクロトフの頭部を蹴り払った。
「久しぶりだというのに、よりにもよってこんな場所で欲情なんぞ、おまえは見境のない犬か猪かケダモノか! おかげでこっちは息苦しいわ痛いわ散々だ!!」
 が、怒鳴りつけた途端にカミューはサーッと青褪めて手を口で覆った。
 そしておそるおそる振り返って薄暗い室内の、入口の方へと顔を向ける。
 だが。
「え……?」
 そこには誰もいなかった。
 当然である。
「彼らなら、事を済ませてさっさと出て行ったぞ」
「……いつ」
「途中で」
 言った途端に飴色の瞳がぎりっと睨み付けて来た。だが涙に滲んだそれは、どこか可愛らしい。どうやら全く気付かなかったのが悔しいらしい。
 ところが直ぐにその目が顰められる。
「マイクロトフ、何か拭くものを寄越せ」
「あ。ああ」
 カミューの目の縁がほんのりと赤いのに気付いて、思い至る。マイクロトフは慌ててそういえば殆ど乱れのない己の騎士服の懐から、ハンカチを取り出して渡した。
「くそ」
 小さく罵りながら、尻と太腿を濡らすものを拭うカミューの姿は、騎士服の上着は前をはだけられ、シャツは胸元まで押し上げられて、下衣と下着はその足首の辺りで蟠っている。
「すまん」
「謝るなら最初からするな」
「……すまん」
 深く頭を垂れながら、マイクロトフはカミューの乱れた髪を撫で整えて、散々揺さぶられて力の入らないらしい身体を助け起こして、下着と下衣とを引き上げてやり、ずり上がったシャツを直し、騎士服の留め金を直してやる。
「大丈夫か」
「…なんとかね」
 けほん、と咳をひとつ。カミューは目元を擦ると、むっとしながら背筋を伸ばした。
 なんとか元通りの格好には戻れたものの、泣いた目許は少しだけ赤い。
「未決済の、今日中の書類があるのに……」
「あっ」
 そういえば彼の部下から戻るように言付かってきていたのに。
 今更思い出した己の馬鹿さ加減に、マイクロトフは自滅する。
「す、すまなかった。カミュー、俺にできることなら何でも手伝おう」
「馬鹿め。だったら執務室まで夕飯を運んで来い」
「分かった。他には」
「終わるまで執務室の前の廊下で立ってろ」
「分かった」
 廊下に立たされるなど、従騎士以来だ。
「それから」
「それから?」
 首を傾げたマイクロトフに、ふとカミューは手を伸ばすと、ぐしゃりと黒い髪をかき混ぜた。
「終わったら一緒に部屋に戻って、今度は優しく抱け」
 言って背を向けるカミューを、マイクロトフは吃驚して見つめた。
「………返事は」
 マイクロトフは破顔した。
「分かった!」





 余談だが、一週間後、再びエミリアが同盟軍盟主の少年のもとへと訪れていた。
 理由は閉館後の図書館内での問題についての相談である。
「警備が、ですか?」
 少年がきょとんと首を傾げるのに、エミリアは静かに頷いた。
「ええ。おかげで本をめちゃくちゃにしてしまうような人は、入り込まなくなったけれど」
 頬を押さえて困り顔のエミリアは、今日ばかりはシュウにもその場に居てもらっていた。何しろ未成年の少年にだけ告げるには、大人としてどうかと思ったのだ。
 ちらりと見上げれば、多忙の正軍師は苦虫を噛み潰したような顔をしている。目の下のクマもあってなかなか物騒な顔つきである。寝不足なのだろう。
「兵士さんたちの、秘密の逢引場所になっているみたいで」
 どうも警備の者が目を瞑って引き込んでいるようなのである。というか、そもそもその警備の人間が恋人との逢瀬に、少しばかり図書館の一室を間借りしたのが最初らしい。時間もちょうど夜間のことである。あの辺りは夜になれば人気もなくなるし、施錠して警備を置くようになってから尚更、誰かが足を運ぶ事もなくなった。
「……別に、会うだけなら良いんですけれど………」
 ほう、と溜息を零すエミリアに、少年はなんとも言いがたい顔でいる。そしてその傍ら、シュウがこれ以上ないという不機嫌な顔で口を開いた。
「下らん。ならば警備の管轄を変えれば良い。もっとまともな警備をする部隊に割り当てれば良いんだろうが」
「あ、それなら」
 エミリアがハッと顔を上げて言った。
「マチルダ騎士の方たちなんていけないかしら。あの方たちはよく図書館をご利用くださいますし、カミューさんも常連ですし。この間なんてマイクロトフさんも来てくれました」
「それじゃあ、僕からお願いしてみます」
「良いんですか?」
「はい。尤もお二人が引き受けてくれれば、の話だけど」
 忙しい人たちだし、と少年が言うのに対して、シュウは断ってもやらせればいいんだ、とぶつぶつと呟いていた。

 元青騎士団長と元赤騎士団長の二人が、主である少年のお願いに、即答で了解をしたのは、その直後の事だった。



end

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書きながら変態気分を味わっておりました(笑)
でも当サイトにしては、なかなか頑張ったエロではないでしょうか!
青が変態ぽいのはともかくとして、赤は可愛いし。
しかもらぶらぶだし。
お楽しみいただけましたでしょうか!

2008/01/02