ほんとうの話


 たとえば男ではなく女であったのなら、どんな人物であったと思うか。

 よもやその例え話が現実となって我が身に降り掛かろうとは、彼自身思いも寄らなかった事だった。―――そりゃそうだろう。





 誰かこれは夢だと言ってくれ。

「マイクロトフ、これは夢じゃない。確りと現実を見ろ」

 そうだ、俺は夢を見ているんだ。でなければこんな事はありえない。
 こんな馬鹿げた話は聞いた事がない。だったら夢だ。これは夢だ。夢に違いない。

「おいおい。現実逃避するんじゃねえぞ」
「どうする。完全にショック状態だ」

 目が覚めたらいつも通り俺は部屋の寝台に寝ていて、そうだ腕の中にはカミューがいて。

「マイクロトフ……なんて姿に……」

 俺はちゃんと男の姿でいるはずだ。
 こんなのは、だから夢なんだ。
 俺は、俺は―――男なのだから。



 漆黒の瞳と、髪色は変わらない。だがぺたりと座り込んで呆けるその姿は、ふた周りほど大きさが違った。そして長く伸びた髪の長さも、その印象を随分と違って見せる。
 元々の地肌は白いのだろうが、彼のそれは毎日の訓練で逞しく日に焼けていた。だがそれが今はすっかりと雪のように白いそれへと変わっている。屋外に出ず陽光の恩恵を受けなければこんなものだったろうと思わせるが、だがそこに不健康さの類は一切見受けられないのは、瑞々しく張りのある豊かな肢体がそう見せるのか。
 平均よりは随分と背の高い方だろう。オウランと並び立てば映えるかもしれないが、あの女戦士ほどの隆々とした逞しさはなく、どちらかと言えばすっと引き締まった感がある。呆然としていても背筋の通った姿勢は、どんな体格になろうと変わりはないらしい。そのおかげか禁欲的だった雰囲気がいや増して清楚さすら思わせた。
「いやいやいや……」
 フリックが意味もなくそんなふうに零した。
「マジだもんな。びびったわ、こりゃ」
 ビクトールがその傍ら、腕組みをしつつ唸る。
「………」
 クライブは常の通り沈黙を守る事にしたようだったが、流石にその顔は僅かばかりの驚愕を浮かべていた。
 そして、呆然と座りこむままのその手に握られっぱなしだった大剣をそっとその手から取り、近くに投げ出されたままの鞘を拾い上げ、痛ましくそれを収めながらカミューが小さく溜息混じりに声をかけた。
「でも、美人で良かったじゃないか、マイクロトフ」
 ………いや、それはちょっと言う事が違うんじゃないか!? と一同は内心で激しく突っ込んだが、それに続いた盟主の少年の言に皆黙り込む。
「本当だよね。男のまんまのごつさで女性化しちゃったら、ちょっと嫌だよね」
 確かに―――。
 クライブまでがこくりと頷いてさえいる。
 少年の言葉に含まれたそれ―――女性化。信じられない出来事に、だが目の前で起きた事実を否定も出来ずに受け入れている一同である。ただ唯一、当事者だけが現実逃避をしているのがなんとも気の毒な事である。

 事はトラン共和国での用を済ませてバナーの村へと戻る森でおきたのだった。
 かの森には時々美女と見紛うモンスターが出没する。リンリン、とかランランとか、テンテンとか呼ばれているのだが、顔はどれもそっくりの人型モンスターである。その美しい外見に油断を誘われれば手酷い目に合う、その本性は間違いなくモンスターのそれで、騎士道精神溢れるマイクロトフにとっては中々全力を出し切って相手の出来ない敵であった。
 そしてまた『騎士の紋章』が働いて人を庇うものだから、戦闘が終了した時には誰よりもダメージを強く受け、抜いたままの剣に縋らねば立っていられないほどだった。だがその時、モンスターたちの落とした戦利品の中から、少年がこれをとマイクロトフに差し出したものがあった。
 ―――『ダイエットランチ×5』
「これ手に入ること滅多にないですけど、どうぞマイクロトフさん食べてください」
「ありがたく頂きます」
 正直『ダイエットランチ』はマイクロトフの味覚には合わないシロモノだったが、ないよりはマシと受け取り、剣もそのままにさっそく食した。食べればそれだけ回復するのだから、有難がりこそすれ文句は出ない。直ぐに回復して皆の迷惑にならないようにと殊更かきこんだ。
 ところが、である。
 普段から食べ慣れていないために、マイクロトフにはその違いが分からなかった。これが、いつも体調管理には気をつけていて、ダイエットランチも好んで食すようなシモーヌあたりなら、その味の違いに気が付いていたかもしれなかったのだが。
 そう、それは見かけはダイエットランチそのものだったのだが、実際は全く違うものだったのだ。
 味わうような事もせずただ無心にガツガツと綺麗に平らげたマイクロトフだったのだが、カミューに差し出された水を飲んで一息ついたところで、ふと眉を寄せたのだ。
「どうした?」
 カミューが不審気に問うてくるのに「いや……」と答えて腹をさする。
 何かが違った。
 本来なら食べたはしから体力が回復するはずが、様子が違う気がするのだ。
「腹が、何やら……熱い」
「熱い?」
 腹を押さえて唸るマイクロトフのそんな言葉に、ホカホカになれるタコスフライでも入っていたのだろうか? と一同が首を傾げたその時だった。ガクッとそのマイクロトフが地面へ崩れ落ちた。
「マイクロトフ!!」
 驚いたのはカミューだ。慌ててその身体を支えて何事かとその顔を覗きこむ。すると―――。
「カミュー……身体が…おかしい…」
「あ、ああ…マイクロトフ………確かに…」
 カミュー共々呆然と一同が見守る中、マイクロトフの身体が徐々に変化していく。そして…………。
「なんてことだ」
 カミューの呟いた先には、すっかりと女性と化したマイクロトフがいたのであった。



「とりあえず、帰りましょうか。城に」
 驚きに言葉をなくしていた面々を現実に引き戻すような少年の言葉に、一同はハッとしてそうだなと頷く。
「じゃ、カミューさんマイクロトフさんを立たせて下さい」
「はい」
 だがそうしてカミューが呆然としたままの、その腕を取った時、びくっと大きすぎるほどの反応が返った。
「マイクロトフ、ほら、戻るぞ?」
「嫌だ」
 即座に返された声が、一同の動きを止めた。
 初めて発せられた声はやはり深みのある低音のそれではなく、静かで掠れがちの声だった。それでも充分美声の類に入る魅力的な声で―――。
「マイクロトフ?」
 だがマイクロトフは頑是無い子供のようにぶるぶると首を振って、黒く艶のある髪を跳ねさせて、もう一度「嫌だ」と言った。
「このような姿を……他の者に見せられるものか!!」
 あぁ……。
 一同は同情を禁じ得ず俯いた。
 この時のパーティーメンバーは男ばかりである。誰もが己に置き換えて考えて見たのだろう。今回は偶々マイクロトフが犠牲になったのだが、これがもし―――。考えたくない事象にビクトールなどはぞっとして二の腕に浮いた鳥肌をさすった。
 そもそもマイクロトフなどは青騎士たち多くの部下を従える身である。例え一見美女であろうとも、こんな姿は見せたくないだろう。そして何が何でもここから動くものかと座り込むマイクロトフを、一同は「だけどなぁ…」と途方に暮れたように天を仰いだ。
 ところが不意に少年が「あっ!」と大声を上げて、一同がなんだと振り返る。すると少年はニコニコとしながらマイクロトフに近寄った。
「トランに行きましょう」
 少年は遥か南を指差して言う。
「幸いここから関所までそう距離もないし、トランなら顔見知りも少ないから」
 なるほど、と一同が頷く。と言っても彼らはそのトランから城へと戻る途中だったのだ。また逆戻りしてきたらトランの役人が何事かと驚くのではないだろうか。だが少年は自分の思い付きがいたく気に入ったらしく、さぁさぁと一同を急かした。
「それにトランの人ならマイクロトフさんがこうなっちゃった原因が分かる人もいるかもしれないよ」
 そんな少年の言葉に、ビクトールたちが「まぁ確かにな」と頷いた。
「しょうがねえ、戻るか」
「…マイクロトフ、それで構わないかい?」
 カミューが心配そうに訊ねると、城に戻るよりは良いと納得したらしい。こくりと頷くとしぶしぶマイクロトフは立ち上がった。
「じゃ、しゅっぱーつ。あ、マイクロトフさんは後衛に回って下さいね。モンスターが出てきてもじっとしてて下さいよー」
「う…承知した」
 少年の命令にマイクロトフはなんとも情けない顔で頷く。そして身体が一回り小さくなったために肩から抜けそうになる騎士服の上着を脱いで腕に抱え、緩くなり過ぎたベルトを締め直し、裾を幾重も折り返し、そしてガボガボになったブーツをずるずると引き摺りながら歩き出した。こんな有様ではまともに戦闘など出来ようはずもなかった。
「マイクロトフ、平気かい?」
 カミューがそっと声をかけて来るのに大丈夫だと首を振り、それ以降マイクロトフはトランの首都に辿り着くまで無言を通したのだった。


つづく



あぁ、とうとう初めてしまいました…(笑)

2002/11/19

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