ほんとうの話
逆戻りをしてきた一行をトランの関所に詰める国境警備隊長バルカスは怪訝な表情で出迎えた。出来るだけ穏便に事もなく関所を抜けたかった面々だが、しかしやはりと言うか当然と言うか、そう簡単にはいかなかった。
人が一人通り抜けられるほどにだけ僅か開かれた関所の木作りの門で、ゆっくりと過ぎ行く面々の顔をじっくりと見て行くバルカスが、先程とそこだけ違うのに確り気付いて声を上げた。
「おい! そっちの別嬪さんは誰だ」
元は山賊の首領だったという男はあけすけにマイクロトフを指差して言った。途端に一同がびくっと肩を震わせたのを警備隊員たちは不審に思ったろう。マイクロトフも己の事を指して言われているだろう事は分かってはいたが、気まずさから俯いたっきりの顔が上げられず、言葉も返せずに困り果てた。すると、不意にカミューが腕を伸ばしそんなマイクロトフをぐいっと抱き寄せると秀麗なその面差しに笑みを浮かべた。
「彼女のことですか?」
……他に女性は居ないので、バルカスの指すのはあえて聞き返す必要も無いほど女性化したマイクロトフの事だろう。しかしカミューはあえてそう聞き、バルカスもその通りだと頷いた。
「あぁ、まぁあんたらの連れなら心配はねえだろうが、一応素性を聞いておこうか」
その言葉にマイクロトフも一同も言葉に詰まる。素性をあらかじめ考えておくべきだったのをすっかり失念していたのである。
「えっと…」
口ごもる少年の後ろで相棒から救いの視線を注がれたビクトールがその蓬髪を掻き回す。いつもなら口八丁で対する相手を丸め込む才覚も、今は本人もまだ驚きから冷めやっていないためかなりをひそめていた。ところがである。困窮する一同を他所に、再びカミューが相変わらず腕の中にマイクロトフを庇いながらにっこりとバルカスに微笑みかけた。
「マイクロトフですよ」
そう言い切ったカミューにマイクロトフがハッと顔を上げた。だが彼は依然として微笑を浮かべたままそんな青ざめるマイクロトフを見下ろした。
「お前は嘘をつきたいのか? 違うだろう。そもそもトランへは原因を探りに来たのだからつまらない嘘はつかないほうが懸命だ」
そうだろう? とカミューが優しく諭すのに、マイクロトフはまた俯いた。途端に湧いて出た羞恥心と、悔しさによるためだった。
確かにマイクロトフにとって本来ならば、偽りを述べるのは善しとしない行為だ。それにカミューの言葉は正論で、理由も告げずに原因だけを探るのは誠意のない事だ。しかし何よりも、咄嗟の事とは言え誰何されて堂々と己を名乗る事の出来なかった今の自分が、ひどく卑小な存在に思えてならなかったのだ。
マイクロトフは軽く唇をかみ締めるとこくりと頷いた。
「……分かったカミュー。トランでは俺は俺を偽ることはしない。だが―――部下たちには絶対に言ってくれるなよ」
俯いていた顔を上げ、毅然として言うマイクロトフにカミューは苦笑を浮かべて肩を竦めてみせた。
「信用がないなぁ。他の皆さんだって明日は我が身と思えばこそ、他言無用なのは分かっているさ」
そう言って後ろを振り返るカミューにつられてマイクロトフが背後を見れば、そこには大仰なほどにこくこくと頷く一同の姿があるのだった。
ともあれ、無事に関所を抜けたマイクロトフらの目指すは、トラン共和国の主都グレッグミンスターであった。
そして無事、にぎやかな街の石畳を踏むに至った一同は取り敢えず、ある人物との会見を求めて街の中央通を歩き、城へと向かっていた。
「カスミなら知ってるかもしれねえからな」
ビクトールのそんな提案にフリックも頷く。
ロッカクの里の副頭領と名高い忍者のカスミ。現在、同盟軍にトラン大統領よりの使命で力添えをしてくれているバレリアとは、このトラン共和国政府において対を成す立場にいる女性である。ロッカクの里はあの森のどこかにある隠れ里だ。古くからそこに住まう一族の人間ならば何か知っているかもしれなかった。
ビクトールらがかつては共に戦ったと言うその女性とは、マイクロトフもカミューも一度出会った事がある。以前にやはり少年の遠出につき従った折にトランへ訪れ、大統領との謁見に同席したからだ。あの時は顔を合わせただけで一言も会話を交わす事はなかったが、今回ばかりは何が何でも彼女と話をせねばなるまい。常ならば女性との会見を避けがちなマイクロトフも心なしか急いた気分で歩いていた。
だがそうして城へと向かう途中、一同は思いもよらない人物と行き逢ったのである。
「おや、あんたたち……?」
恰幅の良い女性が一同の前に立ち止まり、特にビクトールなどをじぃっと見て首を傾げた。だが直ぐにその顔が向日葵の花が咲いたような笑顔になり、その大きな胸がぐんとそらされた。
「誰かと思ったらビクトール! ここで何してんだい?」
「マリー!」
ビクトールはその腕を大きく広げて四十は超えているだろうその女性にがしっと抱き付いた。マイクロトフは突然の事に驚き立ち止まり、いつの間にか背後に控えていたカミューと目を合わせて首を傾げ合う。いったいこの女性は何者なのだろうか。とは言っても、ビクトールやフリックは三年前にはこのトランで大活躍した英雄たちの一員である。知り合いがいないほうが不自然であるから、この偶然の出会いも当然のことなのだろう。
「元気だったかよ? 相変わらずで嬉しいぜ!」
「薄情もんだね、こっちはずっと変わらずさ。あんたこそちっとも変わって無いじゃないか。おや、そっちはフリックさんだね。それにクライブさんまで!」
快活に笑いながらマリーはそれぞれの顔を優しく眺めて嬉しそうに声を弾ませる。だがその目がマイクロトフに止まった時その陽気な笑顔が途端に曇った。随分と表情豊かな女性である。そしてマイクロトフはいったい何を言われるのかと首を僅かに竦めたのだが、彼女の口からこぼれたのはひどく同情的な言葉であった。
「なんだよ。あんた女の人にそんなぶかぶかの服を着せてさ」
びっくり目で怒ったようにビクトールたちを責めるマリーに、だがフリックが「ええっと…」と苦笑いを浮かべた。両手をわけもなく動かして言葉を探る。確かに現状の説明は難解だ。
「なんて言えば良い? あのな、俺たちこれからちょっとその事で城に用事が……」
「お城だって? それこそあんたたちそんな身なりのまま連れて行くつもりじゃないだろうね。年頃の娘さんに恥をかかせるつもりかい?」
「あー…いや……」
「あのさフリックさん。この人は誰?」
不意に話の腰を折って、それまで静観していた少年がちょいちょいと傭兵の腕を突付いてそう訊ねた。そこで漸く取り残された形になっていた少年と騎士二人の現状に気付いて、口篭りつつフリックは、取り合えずマリーの素性を説明してくれた。
聞けば三年前のトラン解放戦争でビクトールたちと同じく宿星に名を連ねた女性であるらしい。今の同盟軍で言えばヒルダと同じような役割を担っていたらしい彼女は、しかしフリックの紹介が終わるや否や、こちらの有無を言わさずさぁさぁと急き立てるようにして街の大きな宿屋へと入らせた。そしてカミューの手からマイクロトフを引き離すと抱えている青騎士団長の上着を奪い取る。
「さぁその服は脱いで、身体に合う服を貸して上げるからね」
「いや、その脱いでと……言われても…」
「あら恥ずかしがりなのね。大丈夫よきちんと着替えの小部屋へ通して上げるから」
そして衣装箪笥の中からマイクロトフの身体に見合う服を取り出して、呆気にとられているその手に渡しマリーは微笑んだ。
「女の人なんだから、そりゃ綺麗な格好の方が良いわよねぇ」
手渡されたものは………スカートだった。
頼むから男物に近い服を貸してくれと必死で頼み込んで漸くマイクロトフが妥協できた格好は、一見して男装の麗人であった。細くとがった顎の線が否応なく女性の顔立ちを強調させているので、どれほど男勝りな格好でも女性にしか見えないのである。
その上に姿勢と立ち居振る舞いは随分とよろしいのでこれまたどこかの由緒ある家の出身かとさえ思わせる品の良さだった。これが元の大柄な身体であればこそしなやかな動きとなるものが少し大きさが違えば印象も変わるものである。
「見違えたね」
髪も整えられ身体に合った服を着て現れたマイクロトフを見て、カミューがそう第一声を発した。そばでマリーが「そらごらんなさい」と胸を張る。ビクトールたちも気まずげに耳の後ろなどを掻いた。そして。
「似合うじゃないかマイクロトフ」
そんなカミューの言葉に引きつったような笑みを浮かべた。
別に似合わないわけではないだろう。だがあまりにも異質に過ぎたのだ。ここにいるのは確かにマイクロトフだと思うし面影も随分色濃く残っているだろう。だが目に見えるのは何処から眺めても女性そのもので、少し前までは有り得なかった事象にどう対応すれば良いか誰もが戸惑っているのだった。
それよりも、何の驚きも困惑も見せず、そうしてマイクロトフの姿を褒めてみせるカミューの余裕が返って不自然を思わせた。だからフリックがついそんなカミューに首を傾げたのも無理からぬことで―――。
「カミュー、おまえマイクロトフがこんなふうになっても随分落ち着いてるな?」
そう問いかけたのも仕方のないことだろう。だがしかし、くるりと振り向いたカミューの琥珀の瞳を真っ直ぐに見たとき、フリックはそれが失言だったと知った。
「落ち着いている? わたしが?」
カミューは微笑を浮かべたまま不思議そうに首を傾げた。だがふと目を瞬かせて、カミューは少し困ったような仕草で吐息を零した。
「それは誤解ですよフリック殿…」
そしてカミューは立ち尽くしているマイクロトフへと顔を向けると、そっと手を差し伸べた。
「城へ急ごうマイクロトフ」
「カミュー…?」
「早くカスミ殿にお会いできると良いんだが」
戸惑うマイクロトフの腕を取りカミューはさっさと城へ向かって歩き出す。しかしマイクロトフも抵抗せずにひょこと歩き出しつつ、去り際そこにいたマリーへ律儀に頭を下げた。
「あ、マリー殿。服をどうも有難うございます。後日改めて御礼に伺います」
引っ張られながら礼を言うマイクロトフに、マリーは「あらまぁ」と笑いそんな彼らを見送った。そして取り残されたようなフリックたちを見やる。
「あなたたちは行かなくても良いの?」
マリーの言葉に一同はハッとしてカミューたちの後を追った。
カスミとの面会は支障なく許可された。
流石に多忙の大統領との謁見はなかったが、事情を伝えるとカスミ自らが出向いてくれて大統領からの、問題が解決するまで幾らでも滞在してくれて構わないとの旨を伝えてくれた。
「それで、ええとマイクロトフさんですね?」
ロッカクの里出身のくノ一。桃色の忍者装束が実に色っぽいカスミの視線は女性化したマイクロトフに向けられている。幸いかな、以前に一度面識があるためにあっさりと信用して貰えた。
「で、山の中でリンリンと戦闘後、やつらの落したアイテム『ダイエットランチ』を食べたらそうなったと」
マイクロトフが長い黒髪を揺らしてこくりと頷くとカスミは「そうですか…」と呟いた。そして顔を上げると真面目な表情で一同を見回してこう言った。
「分かりました。それは恐らくリンリンではなかったのでしょう」
そしてカスミは説明を始めた。
マイクロトフをこのような姿たらしめたのは、その名もルンルン。リンリンに良く似たモンスターでその出現率は洛帝山に咲く向日葵よりも低い。そしてそのルンルンがまた低い確率で落とすアイテムが―――。
「…『レディランチ』と言うのです」
「それは、レストランのメニューにあったんじゃないか?」
デュナンの城を思い出して言うビクトールにカスミは生真面目な顔のまま首を振る。
「いえ、それはたぶん『レディースランチ』です。ルンルンの持つアイテム『レディランチ』は名前は似ているのですが中身はまるで違います。レストランにあるのは女性が好むメニューが揃った女性向けのものですよね。でも『レディランチ』はそうではなくて女性以外は口に出来ないものなのです」
「え……と、言う事は」
フリックが首を傾げて問えば、カスミは力強く頷いて答えた。
「はい。女性以外が口にすれば、すなわち強制的に女性にさせられるのです」
「なんだそりゃあ。初耳だぞ?」
「ええ、ルンルン自体が余り知られていないモンスターですから。それにリンリンと見分けるのがとても難しいので、里の人間は例えそれがリンリンであっても落したアイテムは捨てますよ」
ビクトールが仰天して大声を上げるが、カスミはにべもなくあっさりと返す。どうやら本当の事らしい。その事実にマイクロトフががっくりと肩を落すのに、カミューがそっと気遣うようにその背を撫でた。するとそれを見たカスミが慌てたように両手を振りつつ付け加えた。
「あ、でも大丈夫ですよ。個人差はありますが日が経てば元に戻りますから」
え、とマイクロトフだけでなく、話を一緒に聞いていた全員がきょとんとして顔を上げた。
「戻る、のですか…?」
そろそろと問うマイクロトフに、カスミは「ええ」とにっこりと微笑んで頷いた。
「はい、安心して下さい」
戻るまで滞在していただいて構いませんからねとまで言ってくれるのに、マイクロトフがホッと息を吐く。ところがその横でカミューが突然気が抜けたように前屈みに崩れた。
「……戻るんだね、良かった」
そして隠れて見えない彼の口からそう聞こえた呟きに、マイクロトフが伺うように声をひそめる。
「カミュー?」
「ん?」
ところが微笑のまま振り向いたカミューの顔を見て、マイクロトフは不意に口を噤むと何の言葉も返さずに俯いたのだった。
つづく
ルンルンとかレディランチとかは勝手に作ったものです
ゲームしてても出てきませんのであしからず〜
でも本当にあったら何時間かけてでも入手するね…(笑)
2002/11/26
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