ほんとうの話6


 横であれこれと言い争いを―――互いにマイペースな言い争いではあったが―――しているグレンシールとアレンのことなど、思考の片隅へと消え失せて、マイクロトフは痛いほどに胸打つ心臓を押さえてうめいた。
「カ………」
 名を呼ぼうと一歩踏み出したところで、向こうに佇む青年はふいっと視線を外して視界から消える。ハッとして駆け出せば、追った背中が宿の中に消えて行くところだった。
「ま……待てカミュー!」
 叫び慌ててその背を追おうとした、はずががしっと引き戻されて阻まれる。
「何処へ行く!」
 厳しい声に振り向けば、アレンが己の腕を掴んでいるのに気付いてマイクロトフは眉を寄せた。
「離して下さい」
 追わなければ。
 マイクロトフの思考はカミューのことでいっぱいに埋め尽くされていた。
 宿の部屋で二人きりでいたときに、カミューは正直に自分の心情を語って聞かせてくれた。心配をしたと、偽りの無い瞳で真摯に告げられて胸が痛んだ。それなのにつまらぬことで飛び出したりして、またあの愛しい青年の心に重荷を背負わせたに違いない。
 いつもと違う身体で、不慣れな街へとあても無く飛び込んでいった自分を案じてくれたに違いなのだ。今は一刻も早く追いかけて詫びねばならない。それなのに阻むこの手はなんだ。
 ギッと睨みつけるとアレンは驚いて怯むように顎を引く。だが掴んだ手の力が緩む事は無かった。
「……離せ」
 再び、低い声で恫喝するように告げるとアレンは不機嫌そうに目を細めた。
「グレンシール。なんだこの女は」
 マイクロトフから目を離さずに傍らの男に問う。すると視界の中で翠の瞳がやんわりと微笑んだ。と、次の瞬間アレンの手がパッと離された。
「い―――痛い痛い痛いー!!! グレンシール離せっ!!」
 何処をどう掴んで力を入れているのか、痛がって暴れるアレンの肘の辺りに、涼しい顔をしているグレンシールの指が食い込んでいる。
「失礼な真似をするなアレン」
「グレンシール! は、離してくれ……!」
 どう暴れて振り回してもグレンシールの手はアレンの肘から離れはしない。はや息も絶え絶えに懇願するのを一瞥すると、やれやれと肩を竦めて漸くその手を離した。途端に肘を押さえ込んでアレンががっくりと項垂れる。
「いきなり、何を、する……」
 ぶつぶつと不服もあらわに文句を募らせるアレンに、グレンシールは冷ややかな眼差しを向けた。
「賓客に無礼を働いた相応の罰だ。マイクロトフ殿、これを許してやって頂きたい」
 グレンシールはマイクロトフに向き直ると、目を伏せて詫びた。だがその隣でアレンがぎょっと目を剥いている。
「グレンシール! おまえまさか本気でマイクロトフ殿だとでも思っているのか?」
 友人を疑いつつも案じているような眼差しで、アレンは首を振って詰め寄る。だが当のグレンシールはそれを軽く眉根を寄せて見やると「その通りだと」断言した。
「ここへ来る道すがら、確認した」
 そしてちらりとマイクロトフを見下ろすと、翠の瞳をふっと細めた。
「間違いない。原因は知らないが」
 アレンはしかしまだ疑わしげにグレンシールとマイクロトフトを見比べている。そこへふうっと溜息が洩れた。
「アレン。俺を信じないのか」
 その言葉に黒い瞳が翠の瞳を見詰めた。そしていともあっさりとアレンは答えた。
「いや、信じる」
「そうか」
 返すグレンシールも違和感なく頷き返している。そしてくるりとマイクロトフに向き直るとにっこりと笑った。
「と言うわけです。どうぞお行きください」
 すっと掌で宿までの道を示される。その手をじっと見詰め、マイクロトフはトランの将軍たちの顔を見比べた。だが今はとにかくカミューを追いかけるのが先決だと、さっと頭を下げると二人の前を走り抜けたのだった。



 急いで宿へと駆け込んで、階段を二段飛ばしで登っていくと、息が切れる頃に漸く部屋の前で追いついた。
「カミュー!」
 しかし振り返らずにその背中は部屋の中へと消えていく。マイクロトフは慌てて閉まりかけた扉を掴んだ。
「カミュー、すまない」
 肩で息をして詫びると、部屋の奥のベッドにカミューがぎしりと音をたてて座り込むところだった。
「何を、謝るんだ。マイクロトフ」
「……心配をかけた」
「いつものことじゃ無いか」
 くす、とカミューが笑うが、その目は決して笑ってはいない。マイクロトフは後ろ手に扉を閉めるとそんなカミューの目の前に立った。
「今は『いつも』とは違う。軽率な真似をした」
「……無事なら良いさ。あれはグレンシール殿だね」
「ああ。危ないところを助けて貰ったのだ、が」
 言った途端に青褪めたカミューを見て、マイクロトフは瞬時に失言を悟ったが、遅かった。
「危ないところ、だと?」
 顔色を変えてカミューが問うのに、マイクロトフは「う」と己の口を掌で塞いだ。
「マイクロトフ! よもやどこかに怪我などしていないだろうな!?」
 だがその言葉が言い終わらないうちにカミューの目はマイクロトフの掌の擦り傷を見つけた。
「この、馬鹿―――見せろ」
 手を取られて親指の付け根のふくらみを軽く指先で撫でられる。ちり、とした小さな痛みにマイクロトフは顔をしかめた。確か立ち回りをした時に、髪を掴まれて引き倒されてしまって出来た傷だ。
「他には無いのかマイクロトフ。正直に言え」
「無い。これだけだ」
「本当に?」
「疑り深いな」
 ふっと笑みを滲ませるとカミューは少し怒ったように睨んでぽつりと呟いた。
「誰のせいだ」
「すまん」
 本当に悪いと思っているので、マイクロトフも常以上に謝罪の言葉がすんなりと出てくる。するとカミューも仕方が無いなと微笑んだ。
「まぁ、飛び出したおまえの気持ちも分からなくはないからね」
 言いながらカミューはマイクロトフを隣へと座らせて、自分は身体を伸ばして器用に荷物を引き寄せて傷薬を取り出し、掌の手当てをし始める。
「正直、わたしだってまだ戸惑いが消えないからな。見かけが変わっただけでおまえはおまえだと分かっているが、やはり心の奥の方では理解出来ていないんだろう」
 染みるぞと小さく囁いて、傷口を洗うと軟膏を塗りこむ。
「さっき、おまえがグレンシール殿と歩いて来る姿を見て、訳もなく嫉妬を覚えたんだ」
「なに?」
 一瞬カミューの言った意味が分からずに問い返すと、照れたような笑みが返ってきた。
「嫉妬だよ嫉妬。グレンシール殿と並んで実にお似合いだったぞマイクロトフ」
「なっ……!」
 冗談では無いとマイクロトフは仰天した。
 似合うも何も、自分は男だ。カミューとならばいざ知らずそれ以外の男と似合いだなどと言われてはたまったものでは無い。そもそも、似合ったところでどうにもならない。するとカミューは「分かっているさ」と笑った。
「別にどうにかなると疑っているわけじゃないから安心しろ。ただね、自覚は無いんだろうが、今のマイクロトフは本当に魅力的な女性そのものなんだ。街へ飛び出してどんな不埒者に絡まれる事かと気を揉んでいたところで、グレンシール殿のように立派な方と一緒にいるところを見て、意味もなく腹が立ってね」
 苦笑しつつカミューは説明する。
「どうやらわたしは随分と独占欲が強いらしいんだ。どんな姿であろうと、マイクロトフを誰にも渡したくないようだよ」
「カミュー」
 マイクロトフは呆然とカミューの告白を聞いた。そして僅かに朱を上らせた青年の頬にたまらない愛しさを覚える。
「お、俺は……俺とてカミューを誰にも渡したくは無い」
「ああ、そうだなマイクロトフ」
「どんな姿になろうとも、俺はカミューが一番だ」
「うん」
 頷きながらも、流石にその直截な物言いに照れるのかカミューは目を伏せて微笑む。またその仕草が、常の凛々しい青年のものとは少し違う、色を含んだものでマイクロトフは耐えられない衝動に突き動かされて、治療半ばの手でカミューの手を握り返した。
「あ、え? マイクロトフ?」
「好きだ!」
「う、うん。だ、だがマイクロトフ!? ま、ま、待てっ」
 慄く首筋に唇を寄せて、幸いにもベッドに腰掛けているのを良いことに、体重をかけて押し倒す―――のだが。うろたえる相手を他所にいつものように強引に事を進めかけたところで、カミューの腰の上に跨りながらマイクロトフが沈黙する。
 心配になったカミューが覗き込めば、マイクロトフの肩はふるふると震えていた。
「俺は……っ」
「?」
「俺は今こそ、俺以外の世の男どもが憎いと思った事は無い!! 畜生、これではカミューに悦くしてやれんではないか〜〜!!」
「悦くせんで良い!!」
 恥も外聞もなく状況を事の他無視した叫びにカミューの神経がぶっつりと切れた。



 げしっ! とカミューの蹴りが容赦なくマイクロトフの鳩尾を直撃し、長く伸びた髪が大きくはねてどさっとベットが音をたてて軋む。カミューはそして己の足に仰向けの体勢で気を失ってしまった恋人を見詰め、ずるずると身体をずらして起き上がると沈痛を隠しきれず溜息を落とした。
 どうしてこんな奴が好きで好きで、しかも心配が尽き無いのだろう。
 仰け反って目を回している美しい女性姿のマイクロトフ。中身があのマイクロトフトはいえ、戦闘以外で女性の身体にこんな乱暴を働いたのは始めてである。手加減をする暇が無かったが、よもや骨など折れてはいないだろうかと手を伸ばす。
 そろそろと探るが大丈夫なようだった。女になっても頑丈なのは変わらないらしい。そっと安堵の息をつく。
 それにしても、と掌で鳩尾に触れたままカミューはその直ぐ上のふくらみに目をやった。
「………」
 それから白く滑らかな首と細くとがった顎を見る。そして美しく整った、男の時の精悍な名残を強く思わせる凛々しくも清楚な顔立ち。
 紛う事無く美女であるとカミューは判断していた。
 実際、グレンシールを相手に嫉妬をしたのは本当の事だ。幾ら中身は無骨な男のままであると分かってはいても、見かけは美女は美女。そしてかのトランの雷撃将軍は掛け値なしの良い男である。知らぬ者の目にはそれは似合いの二人組に見えた事だろう。カミューにしてみればそんな些細な事にすら嫉妬を覚えるのだ。
 男の時でさえ、近寄りがたい雰囲気があるとはいえその誠実な人格からか、控えめながらも昔から女性には好かれていたのだ。大小問わず噂を耳にするたびに、火傷をしたような痛みを胸に覚えていた。
 だがここに来て、よもや女性姿のマイクロトフに対する他の男性へ、あらぬ嫉妬を向けるとは流石に考えてもいなかった。
「まったく、人も気も知らずに」
 散らばった髪を揃えてやりながら、カミューはベッドを降りると毛布をその身体に掛けてやり、部屋を後にしたのだった。


つづく



女性化してるくせに赤を押し倒す青、クリア〜(笑)
このお話を書きはじめる前からこのシーンだけは外せない!
などと考えていたのですが、いかがでしょう
さてそう言えば
デュナン戦争時ではグレ(28)でアレ(29)なんですって

2003/02/02

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