ほんとうの話7
あれから直ぐに日が落ちて、カミューは夕食を二人分盆に載せると部屋へと戻った。
片腕で盆を支えて軽く扉を叩いてから開けると、中でハッとマイクロトフが顔を上げた。どうやらベッドに腰かけてじっとしていたらしい。カミューの顔を見て情け無い表情をして俯いた。
「お腹、減ったろう」
カミューは部屋に置いてある二つのベッドの、その真ん中にある台の上に盆を載せると、被せてあった布を取り払った。牛肉を挽いたものと豆と香辛料とを混ぜてオーブンで焼いたもの。それに温野菜が添えてあり、深皿には白いミルクのスープ。それからオイルで光るパスタが山盛り。
「美味しそうだ。食べようか」
そして別に布で包んでいたフォークを取り出すと、マイクロトフに差し出す。しかしそのフォークは受け取られることなく、カミューの眼前には深々と下げられた黒い頭があった。
「すまなかったカミュー」
マイクロトフははっきりとそう告げて、いっそう折り曲げた上体を深く下げた。
「マイクロトフ」
カミューは苦笑混じりに囁いて、そっと手を伸ばすと細く見える肩に触れた。途端にぴくりと反応が返って、そろそろと黒い髪が持ち上げられて白い顔が見える。それから上目遣いの黒い瞳と視線がかち合って、たまらずカミューは小さく吹き出した。
「カミュー……? 怒っていないのか」
「怒ってないよ。それより、どこか痛んだりはしないのか?」
結構な力で蹴り倒した覚えのあるカミューである。がマイクロトフは慌てたように首を振った。
「あ、いや。俺は別に」
「そうか? なら食事にしよう。折角急いで運んできたのに冷めてしまう」
「あぁ……その、ありがとう」
「どういたしまして」
漸くフォークを渡してカミューはにこりと微笑む。マイクロトフはそんな笑顔に、どうやら本当に怒ってはいないらしいことを確認して、ほっと息を吐く。そしてフォークを握りなおすと真っ直ぐに肉料理を目指して一口放り込んだ。それから浮かんだ幸せそうな顔にカミューは密かに笑って自分も温野菜を突付く。
そんな風に始めた食事だったが、途中でふとカミューは思ったことをそのまま口にしてみた。実のところ蹴り倒したマイクロトフを部屋に残してから、少しばかり考えていたことなのだが。
「なぁマイクロトフ」
「ん?」
「このまま戻らなかったらどうしようか」
「……不吉な事を言わないでくれ」
途端に低い声で返されてカミューは苦笑する。よっぽど嫌な例え話らしい。
「いや、でもね。いつ戻るか分からないじゃないか。いつまでも戻らなければ、それなりに問題が出てくると思うんだが」
「そうだな。今のままでは戦闘参加が難しい」
真面目な顔をして、何か痛そうにそう言うマイクロトフに、カミューは目元を掌で覆いつつ「いや、そうじゃなくて」ともう一方の手を振った。それに「どうした」と問い返されてカミューは細く溜息を吐いた。
「……あのなマイクロトフ。キスは、良いだろう…キスはね」
言ってからカミューは視界を覆っていた手を外してマイクロトフを見た。黒い瞳は不審を浮かべてこちらをじっと見ている。あぁ、分かっていない……と投げ出したい気分になりながらも、自分から言い出したことなので腹を括る。
「別にわたしはどっちでも構わないんだけどね―――おまえは、嫌じゃ無いかい?」
「何がだ」
「……キス以上のことだよ」
瞬間、マイクロトフが固まったのが見て取れて、カミューは引き攣ったように唇を笑みに歪めた。
「カ、カミュー……それは、つまり、アレ…だな?」
「ああ、アレだね…」
頷きながらふっと儚げな笑みを零してカミューは優しげな眼差しをマイクロトフに向けた。ところが当の相手は怯えたような表情をいっぱいに浮かべている。
この時、つい数刻前の出来事が二人の脳裏を過ぎっていた。どうしたって不可能なのだ、立場を入れ替える以外には―――。
気の毒なほどに蒼褪めているマイクロトフに、カミューは諦念に似た気持ちを抱きつつ手を差し伸べた。
「マイクロトフ、肉汁が零れそうだ……取り合えずフォークを置こうか」
「……」
言われるがままフォークを置いたマイクロトフを見詰めて、カミューは留まる気鬱を払うように爽やかな笑みを浮かべた。
「悪かったマイクロトフ。この話はもうやめよう……おまえが元に戻るのを待てば良いだけのことだ」
「し、しかしカミュー」
一ヶ月くらいなら耐えられるだろう。騎士の精神力をもってすれば何とか。だが、これが二ヶ月、三ヶ月。或いは半年ともなれば互いに寂しさが募るばかりなのは目に見えている。次第にダラダラと脂汗を浮かべるマイクロトフの、考えていることが手に取るように分かり、カミューは哀しい気持ちで胸を押された。
「でもマイクロトフ、キスするくらいは許してくれるよな…?」
「あ? ああ! も、勿論だ」
どこか上の空でいながらも確りと返事はするマイクロトフに、カミューはまたにこりと微笑み掛けると「さ、食べてしまおう」と食事の再開を促した。
色々な意味を含めて、早く戻れば良いなと、祈りつつ。
ところがそんな二人の食事が漸く終わろうかと言う頃、突然勢い良く扉が叩かれて二人を呼ぶ焦る声が響いた。
「お、おいっ! おいカミュー! いるか!」
フリックの声である。ノックと呼ぶには些か乱暴すぎるドンドンという音に、呼ばれたカミューが慌てて立ち上がる。一瞬、何なのだろうとマイクロトフト視線を交わして扉に向かうと開けた。
と、拳を振り上げたフリックが目の前にいて驚く。
「フリック殿、どうされました」
「……大変、だ」
階段を駆け上がって来たのか、肩で息をして何度も言葉を飲み込みフリックは言う。
「何がです」
「よ、よりによってアイツが来たんだよっ」
叫んでフリックは部屋に一歩踏み入るとマイクロトフを見つけて、その瞳に厳しさを宿らせる。
「いたな、マイクロトフ……今すぐ、隠れろ」
「……は…?」
「良いから隠れろって! 理由は後で話すから!」
常になく慌てた調子のフリックに何が何だか分からないマイクロトフとカミューである。戸惑いも露わに二人は、慌てて何かに追いたてられているように鋭く周囲に目をやるフリックを見詰めた。
「あの、フリック殿?」
「いったい、誰が来たと仰るのですか」
問う二人に、フリックは「ああもう!」と地団駄を踏んできっと睨んだ。
「シーナだよっ!」
……あの大統領御子息が?
「シュウんとこに連絡やったら、アイツが様子見に寄越されたんだ。くそっ!」
それにしては来るのが早いなと呟くとフリックが「ビッキーだよ」と言った。
なるほど、城にはビッキーが居るので一か八かに掛けたのだろう。以前にビッキーが移動魔法はイメージが大切だと言っていたのをカミューは思い出していた。どうも移動先の地を知らなければ難しいらしい。そしてシーナは何よりこの国に縁深い。
しかしフリックが何をここまで慌てているのか分からない。シーナが来ることに何の問題があるのだろう。シュウに連絡がついて、その結果この国に詳しいシーナが寄越されるのは至極尤もなのではないだろうか。
そんな二人の思考を読み取ったのか、フリックは泣きそうな顔をしてカミューと、そしてマイクロトフを見た。
「おまえら忘れてないか? マイクロトフ、おまえは今、女になってんだぞ?」
「……はぁ」
「教えてやる。今のおまえははっきり言ってシーナのもろ好みだ」
………。
………………。
「えっ?」
反応が遅いぞ、と口早に言いつつフリックはマイクロトフを足のつま先から頭のてっぺんまでを見て「やっぱりな」と頷いた。
「背筋が良くて、真面目で頭が固そうな美人―――がアイツの好みだ、とビクトールが言っていた」
そのうえ、とフリックは続ける。
「シーナは、やばい。あいつの口が雲より軽いのは知ってるだろう」
カミューが虚ろな調子でこくりと頷く。
秘密どころではない。帰ったその日の内に同盟軍全てに知られかねないではないか。なるほど、フリックの慌てぶりに得心がいった。
「マイクロトフ……」
「ああ、カミュー」
こくりと頷いたマイクロトフであるが、しかし隠れるといってもどこに行くと言うのか。騒ぎを起こしたばかりであるので、兵士からあまりこの宿からは出ない方が良いと言われている。
だがその一瞬の逡巡が命運を分けた。フリックが飛び込んできたその時に、素直に部屋を出てどこかに隠れれば良かったのだが、もう遅かった。
「なんで邪魔するんだよ、わざわざ山飛び越えて来た相手にナニその態度。良いから一目見たら気が済むんだからさ〜。街中その話で持ち切りなんだよ気になるじゃん。な、一目だけ。俺だって好奇心ってモンがあるんだからさ〜〜、見せてよそのグレンシールの恋人♪」
聞こえてきたに声にフリックとマイクロトフがびくっと飛び上がる。が、カミューだけは怪訝に眉を寄せた。
「……なんだって…?」
シーナらしき声の、その最後の言葉が聞き捨てならない。
誰が誰の恋人だって……?
ひんやりとした空気が部屋中に満ちた頃、扉が勢い良く開かれた。
つづく
シーナ登場
たくさんたくさん引っ掻き回してくれそうですね(笑)
2003/02/21
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