天使たち


 四


 その幸か不幸か判別のつき難い役目を担ったのは、カミューの部下である赤騎士団の隊長であった。
 彼は齢にして三一歳。往々にして多くの現役騎士がそうであるように彼も独身であった。決して女性に興味がなかったわけでも縁がなかったわけでもない。ただ、機を逸して過ごしてきてしまっただけの事である。
 彼の上司が男にしては息を呑むような美貌であったとしても、そちらの趣味に走ったわけでもない。一人の剣士として、また騎士としてでも充分に尊敬し、剣を捧げるに何の不足もない上司に彼はただ純粋に心酔していただけであった。
 そんな彼が、その日昼を過ぎても姿を見せない上司を探しにその部屋を訪れたのは、まったく当然のことである。元赤騎士団長を探すのなら元青騎士団長を探せとは、マチルダを離れてきた騎士たちの間で密かに言い交わされている法則であった。
 今朝、早朝訓練に現れなかった元青騎士団長が、風邪に似た珍しい病気で暫く休暇を得るとの情報は既に赤騎士たちにも伝わっている。どうせそんな病気の元青騎士団長のそばにべったり貼り付いて出てこないに決まってる。
 彼は同盟軍居城内のマイクロトフの私室の前でいったん立ち止まると深呼吸をしてからその扉を軽く叩いた。
「赤騎士団のナインと申しますが、こちらにカミュー団長はおいででしょうか」
 いつでも何処でも礼儀を欠かないのが騎士だ。彼はノックの後、暫く大人しく室内からの応答を待った。しかし、予想していた声がない。
「マイクロトフ様? カミュー団長はおいででしょうか?」
 再び扉を叩きながら彼は重ねて呼びかける。しかし返るのは沈黙だけで、だから彼が様子を見ようとその扉の取っ手に触れたのは自然の成り行きだった。
「あれ」
 取っ手に触れて少し力を込めると扉は音もなく開いた。そうして開いた僅かな隙間から彼は恐る恐る室内を覗き込んだ。
「………?」
 扉の側に据えられている棚を見、それから中央にあるテーブルを見る。そこにある椅子には何者も座ってはいなかった。それから壁をたどり明るい陽光の差し込む窓を見詰め、最後に反対側の壁に寄せられている寝台へと、扉から身を乗り出して覗き込んだ。

「………???」

 思わず彼は扉から室内に入り込み、ふらふらと中央まで進み出ていた。
 これは、なんだ。
 夢か。



 柔らかな日差しが被る寝台の上。そこに丸くなっている小さな身体が―――ふたつ。
 ひとつは黒髪で半身を毛布に絡まれながらすうすうと規則正しい寝息をたてている。きゅっと瞑った目元と一文字に引き結ばれた口元は、どこかその幼い少年の生真面目さを感じさせるようで、否応なく元青騎士団長を連想させた。
 そしてその近くに寄り添うように眠っているのは、そんな黒髪の少年よりももっと幼げな金茶の髪の幼子で、力なく伸びた黒髪の少年の手をゆるく握り締めてすやすやと気持ちよさそうに微笑を湛えて寝息をたてている。その柔和な雰囲気もまた、元赤騎士団長を連想させてならない。

「カ、カ、カ………」

 呆然と寝台の上を見詰める男の口からは意味を成さない声が漏れるばかりだ。
 そしてそれがどうやら、眠る幼子たちの寝覚めを誘ったらしい。

「んー……」
 敷布の上でぐいーっと小さな四肢を広げて伸びをするカミューらしき幼児の人形のような拳が、側で眠るマイクロトフらしき少年の頬を押す。
「む……?」
 微弱な押しに少年は唸って目をぱちぱちとさせる。その隣で幼児がごしごしと目元を擦った。
「んん?」
 あどけない声が洩れでて、幼児がごそりと身動きした弾みでその身体がころりと転がった。
「あ」

 どさ。

 赤騎士が見ている前で寝台から床へと転げ落ちた小さな身体は、だが大した衝撃を受けた様子もなく床の上でくったりと寝そべる。

「…カミュー……?」

 寝台の上から消えた存在に、こちらも漸く身を起こしたらしい少年が首を傾げてそんな呟きを漏らした。そうしてから、目の前で呆然と開いた口も閉じずにじっと見詰めてくる赤騎士に気付く。

「……どうした?」

「あ、いえ、その」

 問い掛けてくる少年の姿はどうやら紛れもなくマイクロトフらしい。それでは、床の上でごろごろと寝転んでいる幼児は―――。

 赤騎士はどうした言葉を吐けば良いのか見当もつかず、マイクロトフが寝台の下に転がる幼児を見付けるまで、呆然と固まったままだった。




2002/04/07




 五


「いつのまにか、ねてたんだ」
 カミューはくしゃくしゃと髪を掻きながら告げた。
 その姿は立ち比べて見ると推定五歳のマイクロトフよりも低い。となると。
「たぶん…三さいかな。だめだ、したがもつれる」
 口調はそのまま舌っ足らずに喋る元赤騎士団長は、元青騎士団長を凌駕する凶悪なまでの可愛さのオーラを放っていた。
 ぱっちりと開いた瞳はしかし常にどこか眠たげな印象を見るものに抱かせる。猫っ毛のようにあちこちへ毛先が遊ぶ薄い金茶の髪に覆われた賢そうな額も、滑らかな白い頬も。すんなりと伸びた細い首筋も。ふわふわと頼りなげに身動きするさまは、優雅であった元赤騎士団長の洗練された立ち居振る舞いとは遠くかけ離れているようでいて、しかしその姿や仕草はどうしても彼を想起させる。
「カミュー様……なんというお姿に」
 赤騎士団の副長は自団長の愛らしさに頬を緩ませながら嘆いた。
 その横で、はからずも団長二人をお昼寝から起こす役割を担った赤騎士がぽつりと「天使を見た……」と呟いていたが誰も聞いていなかった。余談ではあるが彼がこののち同盟軍の居城内でとある娘と出会いを果たし、親密な付き合いを経て結婚して三児の良き父親となるのはずっと先の話である。

「まったくお前らも、揃って珍しい奇病にかかるたぁ、仲が良いにも程があるだろうよ」
 カミューまでもが幼児化をしてしまったという噂をいち早く聞きつけたビクトールが、野次馬根性を惜しげもなくさらして、ほとほと弱り果てている騎士団の面々の前へと顔を出していた。その傍らでは無理やりに引っ張られてきたものの、目にしたものの可愛らしさに呆然とするフリックもいる。
「信じらんねえな」
 ぼそりと呟くフリックの気持ちも分からないではない騎士団の面々である。
 片や勇猛を誇る元青騎士団長が、非力なばかりの―――ただ瞳に宿る力強さはそのままだが―――可愛い少年となり、片や優秀なる騎士の中の騎士として誉れ高い元赤騎士団長が、ろくに舌も回らぬ幼児と成り果てているのだ。
 しかし、論理的に考えればこの二人の姿は、かつて彼らがそんな姿であったとの証明である。ここで言う「信じられない」と言うのは、この愛らしい天使のような姿から、あの無骨で無愛想な男と、油断のならない微笑を絶えず浮かべる青年に育ったのかと、その点であった。
「こんなんだったのに……」
 常日頃から何かとカミューとマイクロトフに偶然とも必然とも言えない被害を受けているフリックにしてみれば、なんだか泣けてくるような気分で、ついついそんな言葉を呟いていたのだった。
 しかし、小さくなったとは言え中身はそのまま二七歳である。
「それは、どういういみでしょうか? フリックどの」
 にっこりと天使の微笑でちょこんと首を傾げて問うカミューの姿は、以前のままの気迫をかもしていた。
「な……き、気にすんな」
 己の腰にも届かぬ小さな存在にすっかり気圧されフリックは口ごもる。
「ま、いいですけどね」
 だがカミューはそんなフリックとのやり取りなど、実際どうでも良いらしい。一度ふっと小さく吐息をつくと、くるりと身体の向きを変えて少し離れたところに所在無くしているマイクロトフへと視線を向けた。そして。
「マイクロトフ」
 弾んだ声で名を呼ぶなり、カミューは駆け出して声に顔を上げたマイクロトフめがけて飛びついた。
「うわっ! カミュー!」
 驚いたもののマイクロトフは咄嗟に自分よりも一回り小さな身体を抱きとめた。
「なんだ、どうした!」
「どうもしないよ。でもマイクロトフがちょっとさみしそうだったから」
「な! 俺は!」
「えへへーー」
 カミューはそれは嬉しそうにマイクロトフにぎゅっとしがみついて顔を擦り付けている。それは、普段のカミューならば絶対にしないようなそんな行動だった。なのでそんな二人を見守っていた一同は目を白黒させていたわけだが、唯一、ビクトールだけが得心のいった様子で頷いていた。
「てめえも小さけりゃ、どんだけ抱き付いても払われるこたあねえもんな……」
 そう。
 カミューは己が幼児化していても、まだなお少年マイクロトフにめろめろだった。なので大人の姿の時は素気無く振り払われて、内心かなりダメージは大きかったのだが、自分がそんなマイクロトフよりも幼くなってしまえば、逆に抱き付いた身体をぎゅっと支えてくれたりするのだった。
「カミュー……重い…」
「あ、ごめんごめん」
 にこにこと、カミューの浮かべる天使の微笑みはそれはもう、最高級のものだった。




2002/04/11




 六


 さて夕飯時になり、場所を移して子供化した二人は傭兵らに連れられてレストランで高い椅子を横に並べて揃って座っていた。横幅も小さいので大人一人分の場所で充分なのである。
 そしてそろそろ食べ終えようかと言う頃、フリックの見ている前でカミューは紅茶に粗目砂糖をひと掬い入れては飲み、またひと掬い入れては飲み、を繰り返していた。
 カミューは確かストレートでいつも飲んでいなかっただろうか。と不審に思って見ていると、その視線に気付いたらしい。
「にがいんです……」
 少し残念そうに、どこか悔しそうに眉根を寄せてカミューは呟き、更には「それにアツイ…」と漏らして小さな赤い舌をちろりと出した。
 その横ではマイクロトフがなかなか噛み切れない肉と長い時間を掛けて格闘をしていた。
「食べ切れなかったら残しても良いんだぞ」
 ビクトールがそう言ってやるが。
「いえ、食べ物を残すのは俺の主義ではありません」
 と四角四面な返答があった。
 だが少年にその料理は多過ぎた。それに大きな肉は噛んで飲み込むにも一苦労である。
「アゴ、疲れねえか?」
「………」
 もくもくと几帳面に顎を動かしてマイクロトフは悔しそうに頷く。だが絶対に残してなるものかと、他の者はすっかり食べて片付けてしまっている食卓で、ただ一人一生懸命にフォークとナイフを握り締め冷めた食事を続けていた。
「たく。どこまでも真面目だなぁ」
 ビクトールは呟いて自分の顎を撫でさすった。
 これが二六歳通りの見た目ならば、それ以上食べなくて良いんだぞと、残っている料理を横取りしてやるくらいは出来るのだが、如何せん見かけは少年で、そんなつぶらな瞳の前から食べている料理を奪ってしまうと、まるでいじめているように見えそうで具合が悪い。
 しかしこのまま黙って見ていても良いようなものではない。食べ過ぎは身体に良くないだろう。だがどうやってマイクロトフに食事を残せと言い聞かせようかとビクトールが考えあぐね始めた時、それまで食後のお茶を顔を顰めながら飲んでいたカミューがひょいと小さな首を突き出した。
「マイクロトフ。あまりじかくはないけれど、これでもわたしたちはびょうにんだよ? むりしてたべても、たぶんつらいだけだとおもうけど」
「カミュー…しかし」
「ごめんね。わたしがちゅうもんのときにきづいて、りょうをすくなくしてもらうようたのめばよかったね」
「いや、カミューは何も悪くない」
「じゃあ、もうそれぐらいにしてのこりはあきらめよう?」
 小首を傾げてそうマイクロトフに提案するカミューのなんと健気な風情であることか。さしものマイクロトフも黙りこくって、観念したように手にしていたナイフとフォークを皿の上に並べて置いた。
「ごちそうさまでした」
「うん、ごちそうさま」
 少し気落ちしたように言うマイクロトフに、カミューの努めて明るい声音がかぶさる。それを聞きながらビクトールは、カミューのどうやら己の今の容姿を分かっていながらの計算づくの振る舞いに密かに脱帽していた。
 あんな幼い顔に心配そうに見詰められれば、マイクロトフだって嫌だなどと決して言えないだろうに。小さくなってもやはり中身は二七歳のカミューのままなのだなと改めて思い知る。
「んじゃあ、後はもうおまえら部屋戻って寝ろよ」
 やれやれと首を振りながら立ち上がりビクトールは言い、そうして夕食は漸くの終わりを告げた。


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2002/04/25

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