天使たち
七
本来なら夕食を終えてからが、酒を楽しんだり読書をしたりと長い夜が始まるわけだが、奇妙な病によって子供と化した騎士団長二人は、レストランを後にして部屋に戻るなり猛烈な眠気に襲われていた。
そもそもが病の症状が常に微熱を発して倦怠感にとらわれるというものである。眠くなるのも当然なのだが、カミューなどは元々が宵っ張りなだけに直ぐに眠るのがなんだか惜しかった。
彼は言葉どおり机に噛り付いて眠気と格闘していた。
幼い身体は椅子に座っても正面の机に顎が届くかどうかと言う高さである。机の縁に小さな指で掴まって、彼は悔しそうにがしがしとこれまた小さな口で机の縁を齧っていた。
「カミュー」
「うー…」
浮いた両足をばたばたと振ってカミューは首を振る。
「もう寝ろ」
「うー……」
そんなカミューの後ろでは、やはり眠気に瞳をとろとろとさせているマイクロトフがおり、困ったように立ち尽くしていた。しかしその変化した身体の推定年齢の差か、まだカミューよりは眠気も浅い。
「カミュー。眠いのだろう? 無理をするな」
労わるように手を伸ばすがカミューは机から離れない。それを無理に引き離すのはマイクロトフにとって簡単だった。このくらいの年頃では少しの年齢差は随分の差を持つ。後ろから羽交い絞めにして椅子から引き摺り下ろせばカミューはぶつぶつと言いながら引き摺られた。
そのまま寝台まで連れて行くが、カミューはまだ文句を言っていた。
「ねむくない……」
「今にも寝そうだぞ、おまえ」
「うー」
「ほら、カミュー。一緒に寝よう」
「んん?」
「早いけど、眠い時は寝た方が良い」
そして広く感じる寝台の上に乗りあがってマイクロトフはカミューを招き寄せる。するとカミューも漸くこっくりと頷いて寝台へとよじ登った。
「ねよっか」
「あぁ、寝よう」
マイクロトフが頷くと、カミューはこてんと転がってくふふと笑った。マイクロトフはその肩に毛布を引き寄せてやってから、ちらちらと揺れていた蝋燭の灯りを吹き消した。そうしてから自分もごそごそと毛布の中に潜り込んだのだが、そこへふとカミューの小さな手が伸びた。
「カミュー……?」
「……ん…」
カミューは毛布の下でマイクロトフの手を探し出すと、きゅっとそれを握り締めてきた。そんな仕草に何とも言えず庇護欲を掻き立てられてマイクロトフは笑みを滲ませる。
幼くなってからカミューはやたらとマイクロトフにべたべたとしてくるようになった。二七歳どおりの外見では在り得なかったことだ。恐らくいつにない特異な環境に、落ち込むよりは前向きに行こうとでも考えているに違いない。確かに成人男子が臆面もなくべたべたとしていると鳥肌ものではあるが、これが幼児ならば微笑ましい光景にしか映らないのである。
と言うことは……―――。
ふと思いついた事にマイクロトフは目を瞠る。カミューはもうすっかり寝入ってしまっているが、その顔をじっと見つめて考えをめぐらした。
いつもカミューは人前でマイクロトフが必要以上にひっつくのを嫌がるのだが、実はそれは単に人目を気にして照れているだけで、本当は反応ほどに嫌がっていないと言うことなのか。
そうなのか、そうだったのかカミュー!
それに、こうして眠る時に手を握りたがるのも、本当はいつもそうしたいという心の現われなのだろうか。
途端に嬉しくなってマイクロトフは手を握ってくるカミューの身体を抱き寄せていた。
「んん……?」
寝惚けた声があがったが、起きる気配はない。
「カミュー」
眠気などすっかり冷めてしまい、ドキドキと高鳴る胸にマイクロトフは込み上げる愛しさに腕の中の小さなカミューをひたすら抱き締めていたのだった。
2002/05/09
八
それでもいつの間にか寝てしまっていたマイクロトフだった。
ところが夜半、妙な騒がしさに気付いて先に目覚めたのはマイクロトフの方だった。腕の中にすっぽりと納まったカミューは相変わらずすうすうと規則正しい寝息をたてている。だが覚醒を余儀なくされたマイクロトフは、そんなカミューからそっと身を離して起き上がった。
そしてなんだろうと、寝台を降りようとした。だがそうして動こうとする身体をガクンと引っ張られて遮られる。何だと闇夜で目を凝らして見れば、うとうとと半開きの目をしたカミューがマイクロトフの寝着の裾を掴んでいた。
「カミュー」
「どう……したんだ……?」
小さな声で問うて来るのに、マイクロトフは部屋の外を指しながら答える。
「外が騒がしい」
「そと…?」
ぽやんとしながらカミューは目を閉じて耳を澄ます。
「ほんとだ」
確かに外が騒がしい。マイクロトフはそして裾を掴むカミューの手を取って寝台から降りた。
「様子を見に行こう」
小さくなっても騎士団長。その責任感には少しも変わりがない。手を引かれたカミューも眠気に目を擦りながらもぞもぞと寝台を降りた。そして素足のままぴたぴたと音を立てて、マイクロトフは高い位置に変わってしまった扉の取っ手に触れて、体重をかけるようにして開いた。
「行くぞカミュー」
「あぁ…」
マイクロトフはカミューの手を引きながらうすぼんやりと灯りの点る廊下へと出る。すると騒々しさは益々はっきりと聞こえるようになった。そこに明確な単語が飛び交うのを聞き咎めて顔色を変える。
「侵入者だと?」
そしてまだ寝惚け眼のカミューを引っ張り、聞こえてくる騒々しさを頼りに現場へと向かった。階段を上るとそこへは見慣れた傭兵の背中があった。
「ビクトール殿!」
「なんだおまえら。起きてきたのか」
「はい」
「大丈夫か? 後ろの奴は随分と眠たそうだが」
マイクロトフが振り返るとカミューは小さな二本足で立ちながらも、今にも眠りそうにこっくりこっくりと舟を漕いでいる。
「カ、カミュー!」
「…んー……?」
「起きろ!」
「んー」
マイクロトフの声にカミューは重たそうな瞼を押し上げるものの、潤んだ瞳の眠気は拭いきれないようだった。そんな様子にビクトールが苦笑する。
「おまえら戻っても良いぞ?」
「ですが侵入者と聞こえましたが。もしや主殿を狙ったのでは」
「かもなぁ。足音忍ばせて歩いてるところを番兵に見咎められてさっさと逃げ出しちまったから良くわからねえ」
「なんですと?」
ビクトールののん気な物言いにマイクロトフは目をむいた。だが傭兵はそれに「だってよ」と首を振って答える。
「見るからに怪しけりゃそりゃ番兵だって警戒するだろうが、普通の出で立ちで武装もしていねえ一般人がだ、ただ歩いてただけだってーから」
「しかし、この辺りは一般人の侵入が禁止されているはず」
「そーだよ。だから声かけたんだろうがよ」
城の居住区の三階から上は軍師の部屋や盟主やその姉の部屋があるため、限られた数名しか出入りを許されていない区域である。それでも昼間は清掃係のものなどが出入りするわけだが、夜間の立ち入りは厳しく制限されているのだ。
「逃げられちまったのを今更責めてもしょうがねえだろ。てわけだからな、後は俺たちが処理すっからよ、おまえらは戻れ」
「しかし……」
「あのなぁ。言いたかねえけど、今のおまえらじゃあ役に立つどころか足手まといだ」
「う……っ」
ビクトールのもっともな指摘にマイクロトフは言葉を詰まらせる。
「ほら、カミューもおねむだ。さっさと連れ帰ってやんな」
カミューはもう寝ながら立っている状態であった。なのでマイクロトフは渋々ビクトールに一礼して来た方向へと足を向けると、がっくりと肩を落としてカミューを引き摺るようにして戻ったのだった。
2002/05/14
九
しかし事態は二人を大人しく部屋に戻るのをよしとしなかった。
灯りの乏しい寒い廊下を小さな足音を立てて歩くマイクロトフとカミューだったが、その耳が異質な音を聞き分けてしまった。ビクトールたちのいる場所とは階も違う場所である。意識もせずに二人の足は止まっていた。
「カミュー」
「あぁ…」
薄闇の中細く目を開いたカミューが小さく頷く。それを見てマイクロトフは繋いでいて手を解いた。
「マイクロトフ?」
「見てくる」
小さな囁きにカミューがハッと目を見開く。
「よせ」
「大丈夫だ」
しかしマイクロトフは言うなりさっさとカミューから離れてしまった。
「……!」
呼び掛けて足を止めようとしたが、大きな声は憚られる。カミューは仕方なくそんなマイクロトフを追おうとした。だが幼い身体の扱いには慣れておらず、足運びも危なっかしい。先程まではまだマイクロトフが手を引いてくれていたから真直ぐすたすたと歩けたものを。
カミューは僅かな焦燥を覚えながらもマイクロトフを追う。しかしその背は益々遠ざかるばかりだ。せめて待ってくれと声がかけられたならと思うのに。それでもカミューは無言で懸命に歩を進めようとした。
ところが。
そんなカミューの背後で不意に人の息遣いが聞こえた。
「…………っ!」
反射で振り向いたそこには見覚えのない男の顔。そして男の舌打ちが響き、咄嗟に声を上げようとした口を大きな手で押さえられて、あっという間に抱き上げられる。
瞬間的にカミューはこいつが例の侵入者に違いないと悟った。
そして判断するなり口を塞ぐ男の手に闇雲に噛みついた。
「ぐあ!」
「マイクロトフ!」
男が呻いて手を離した隙に叫んで、我武者羅に暴れた。しかし身体を抱える男の腕はびくともしない。
「マイクロトフ!!」
「うわ、大人しくしろって!」
再び口を塞がれたが、廊下の向こうからは小さな足音。
「…カミュー!!」
そして薄闇の視界にマイクロトフの走ってくる姿を認めた途端、男は身を翻しカミューを抱えたまま反対方向へと走り始めた。男の足は速く、今のマイクロトフでは到底追いつけないに違いない。
「カミューーーー!!!」
少年のマイクロトフの叫びが夜の城内に木霊する。しかし男の走る足音は忍びやかで、マイクロトフの声に騒ぎを知って駆け付けた者たちからは益々遠ざかる。喧騒は遥か後方。このままでは人知れず城から連れ出されてしまうに違いない。
そしてカミューはそんな状況判断をしながら、男の腕の中できつく口を塞がれているために酸欠に陥り、いつしか気を失っていたのだった。
2002/05/16
十
マイクロトフの目は真っ赤に染まっていた。決して涙をこぼすまいと堪えているのだろう、しかし目の縁は溢れ出しそうな涙に濡れて、その大きな瞳はうるうると潤んでしまっていた。どうやら幼くなった涙腺は大人の時に比べて随分と脆いようだ。
そんなマイクロトフの頭をぽんと撫でて、駆け付けたビクトールが訊ねる。
「顔は見たんだろ?」
覗き込むが、マイクロトフは大きく首を左右に振った。
「……暗くて…見えなかった」
「そっか。でもカミューが連れてかれたのは確かなんだよな?」
「はい……」
暗がりの向こうにマイクロトフは見たのだ。男の腕に抱えられて小さな手をマイクロトフに伸ばして、必死で逃げ出そうともがいていたカミューの姿を。今も、あの声が耳の奥に木霊する。どうしてあの時自分はカミューを置いて先に行ってしまったのだろう。どうして、手を引いて一緒にいなかったのだろう。今のカミューはいつものカミューではなかったのに。
「おいおい。なに落ち込んでんだおまえは」
呆れたようなビクトールの声が降ってくる。
「ですがカミューが!」
「ああ、何処連れてかれちまったんだか」
腕を組んで首を傾げるビクトールだが、騒ぎを聞き付けて直ぐ闇雲に何処かへと走って行こうとするマイクロトフの首根っこをひっ捕まえて、無理やりに聞きだした事情に対して迅速に部下たちに指示を与えていた。今頃は多くの兵士たちが城の内外を不審な幼児連れの男を探しているところだろう。
しかしビクトールの鷹揚に構えた態度に焦燥を掻き立てられたのか。
「探しに行きます!」
マイクロトフは宣言するなりビクトールの前を駆け抜けて行こうとする。それを傭兵の手はすかさず捕らえて引き止める。
「待て待て待て待て」
「止めないで下さい!」
「止めるに決まってるだろう。あのなぁ、もう沢山の人間が動き出してるんだ。そいつらをおまえは信じられねえのか? 第一、ガキのなりで飛び出して何が出来るんだおまえは」
「俺はガキじゃない!!」
「中身はな。だが身体は立派なガキだろうが。剣も持ち上げられねえで吠えるなよ」
辛らつな物言いにマイクロトフは顔を赤くして言葉を詰まらせる。そして震える小さな肩をビクトールはしかし柔らかく触れた。
「今は待っていてやれよ」
「……はい」
口を真一文字に引き結び、マイクロトフは頷いてそのまま項垂れた。その背をぽんと叩いてビクトールは行こうと促す。
「取り敢えずシュウは会議室に集まれと言ってっからよ」
今は病の症状で小さくなっていてもカミューは同盟軍の戦力だ。シュウもそれを見離すわけが無い。それに、連れ去られたのがあのカミューであるから、事態がどう転ぶか予測が付かない。そのうえで城の奥まで忍び込んできた者の素性も気になる。
だから真夜中にも関わらず、兵士たちや幹部を叩き起こし大掛かりな捜索を始めた。カミューも黙って連れ去られるはずも無いと信じたいので、何か手がかりは無いかと皆必死で探している。それから対策を練るために首脳部も集められている。
「行くぜ?」
「………はい」
今にも飛び出そうとする思いを押さえて震える小さな肩は、しかし紛れも無いマイクロトフの肩である。それを複雑な思いで見下ろすビクトールだった。
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2002/05/17
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