天使たち


 十一


 低い声で囁き交わしているらしい、さざめきが聞こえる。遠くの方では水音も―――ここは何処だろう。
 静かに意識を取り戻したカミューは、身を取り巻く常にない空気にいつも通りの目覚めを反射的に拒絶していた。意識が浮上した瞬間に身を強張らせ、目を開ける前にまず聴覚だけに頼って現状把握に努めようとした。瞼を透かす灯りはそこにいる場所が明るいのだと教える。誰かが傍にいるのなら目を開けてしまえば直ぐそれと知られてしまうだろう。
 カミューはゆっくりとではあるが全身の感覚を一つ一つ改めていく。どこにも不快さを感じないと言うことは、拘束もされずただ寝転がされているらしい。無用心だな―――意識を失う前の出来事を思い出してカミューはそんな事を考えた。だがしかし、三歳児程度の子供を相手に縄をかける者もいるまいが。
 と、そこで低くくぐもったように聞こえていた声が不意にはっきりと聞こえた。
「なぁ、やっぱり死んじまったんじゃねえのか?」
「馬鹿言え、見ろちゃんと息してんだろ」
「でもちっとも起きねえよ」
 男が二人、言い争う声である。
「うるせえな! 大体なんで連れてきちまったんだ」
「だって顔見られたかもしれないんだぜ?」
「ガキだぞガキ。深夜に寝惚けてうろついてたんだろうが、はっきり覚えてるわけねえだろ。だいたい大人に説明するのも無理だろ」
「で、でも……」
 二人の男たちの言い分はどちらも正しい。
 確かに三歳児ならばあの瞬間に薄闇で見た顔をはっきり覚えるのはともかく、それを人に伝えるのはとても難しいだろう。だがカミューは三歳児ではないので、もう確りと男の顔を覚えてしまっているし、その特徴を説明するのは容易い。この場合弱気な方が正しかったのだ。
 それにしても何者だろう。
 こんな時期にあの城に侵入するのなら、真っ先に考えるのはハイランドの間者だろうか。だが男たちの口調にはそんな要素は感じられない。
「でもじゃねえよ、しくじりやがって!」
「お、怒らないでくれよケイン」
「馬鹿言うな! これが怒らずにいられるか。ガキなんぞどうしろって言うんだ」
 随分と怒りっぽい男だと思った。
 まぁ目的がどうであれ、こんな幼児を抱えてしまってはこの先厄介だろうに、口早にまくし立てるような男の声にカミューはなんとなく同情をしてしまう。
「全く、折角隠し通路を見つけたってのに! 折角同盟軍の金庫を暴けると思ったのに!! おまえに下調べなんかさせるんじゃなかったよ」
「ケイン、ごめんよ」
「ベリル、馬鹿。おまえみたいな馬鹿は本当にしらねえ!」
 なんだ。
 カミューは拍子抜けした。泥棒だと言うのか。しかもとんだ間抜けだ。
 確かに今同盟軍は危機感を覚えてきたらしい有力者たちから多くの資金を得ている。だがそんなものは日増しに増える難民の胃と、兵士達の武器防具にことごとく消えていく。どちらかと言えば借金の方が多くて、交易で名を挙げた軍師だからこそまだ何とかなっているようなものだ。
 金庫なんて、ないのに。
 盗むものなど皆無と言って良い。何もかもがかつかつの同盟軍。泥棒だって哀れに思って何かを置いていく。
 くすりと、笑みがこぼれた。途端に男たちの息を呑む気配があって、カミューはそこで目を開けた。
「あ、起きたよケイン!」
 見るからにホッとした声の『ベリル』に、舌打ちをする『ケイン』。ひと目で分かる。
 カミューは、とりあえず眠たげに目を擦って見せて、言った。

「おじさんたち、だあれ?」

 それは天使の声だった。




2002/05/26




 十二


 人見知りをしない態度で、薄い色の睫毛に縁取られた大きな瞳はあどけなさ全開。そんな瞳でまじまじと見詰めてくるカミューに、二人の男は「うっ」と言葉に詰まっている。
 場所は何処か地下らしき風景で、薄暗く湿った感じで窓のひとつも無い。そこでただ一本だけの蝋燭の灯りだけが灯り、男二人の不審な顔を照らし出していた。見るにまだ若い男たちで、ベリルは大柄なのに対してケインは如何にも敏捷そうな小男であった。
 一瞬でそんな諸々の情報を叩きこんでから、カミューは内心で溜息を落とした。これでは今が朝だか夜だか分からない。いったい連れ去られてどの位の時間が経過したのか把握できずにカミューは少しだけ苛々して、それでも茫洋とした表情で男たちから目をそらさずにいた。するとベリルが立ち上がってカミューの前へとやってきた。大きな影が小さな身体を包み、灯火を遮られて目の前が暗くなる。
「直ぐ気付いたんだな、良かった。どこか怪我してないか?」
 男の手がカミューの身体に触れる手前でうろうろと彷徨っている。カミューはその揺れる指先から視線を上げてベリルを見上げて機嫌よく笑顔を浮かべた。
 そうか、僅かしか気絶していなかったのか。教えてくれて有難う。ついでにもうひとつ教えてくれるだろうか。
「ここ……どこ…?」
「あ、あぁ、ここはな…―――」
「ベリル!」
 言いかけたところを背後から鋭い声があってベリルはびくっと飛び上がった。
「余計な事言うんじゃねえよ」
 ちっ。
 内心で舌打ちをしてカミューは男たちから視線を逸らす。まぁ短時間で目覚めたと言うのなら城からそう離れた場所ではあるまい。水音がやけに大きいのが気になるからもしかすると水辺の方かもしれない。下手をすると同盟軍の居城の施設の一部かもしれず、元は古い城だからそんな場所があってもおかしく無かった。
 だがそうして思索に耽るカミューを、ベリルの穏やかな声が遮る。
「名前、なんてんだ? 年はいくつだ」
 どうやら子供好きらしい。見ればベリルはにこにことカミューに微笑みかけている。どう応えてやるべきかカミューは一瞬惑ったが直ぐににっこりと微笑を浮かべて応えていた。
「カミュー。みっつ」
 ご丁寧に指まで立てて答えてやった。するとベリルは嬉しそうに笑った。
「ケインこの子すごいよ、お利巧さんだよ」
「馬鹿、喜ぶな」
 苦々しい口調のケインにカミューは同情を禁じえない。二人の会話などからしてその付き合いが一朝一夕のものとは思えないが、仲間がこんな呑気な調子ではケインと言う男の苦労は並大抵ではないだろう。
 気の毒に。
 同盟軍に無断侵入し、幼児であるカミューをさらった者を相手にして、カミューはだがこの二人がそれほどの悪人と思うのが難しくなっていた。こんな時勢だからまともな者でも生活は苦しいだろうし、誘惑があれば容易く手を伸ばしやすい。彼らも恐らくその類に違いなかった。本当に悪い者と言うのはもっと澱んだ目をしているものだ。
 そんな事を考えていたカミューは知らず微笑んでいた。それにまたベリルが大きく反応を返す。
「ケインケイン! この子すごく可愛いよ!」
「騒ぐな馬鹿。大体名前なんか聞いてどうすんだ。懐かれちゃあ困るのはおまえだぞ」
「え、でもケイン」
 途端に困惑顔も露なベリルにケインは長く溜息を吐いた。
「お前がその子に出くわした辺りは同盟軍の幹部連中の部屋があるとこなんだぞ……見てみろその子供のなりをよ。きちんとしてるだろ、多分その家族かなんかだろ」
 それなりの洞察力は持っているらしいケインにカミューは感心する。だが流石に幹部本人とは思ってもいないらしい。無理もないが。しかしベリルはそう言われてもいまいちわけが分からないらしく首を捻っている。
「それが、どうかするのか?」
「あのなあ! 今頃その子供の親は必死になって探してるって事だ。そいつをさらった俺たちは見つかったらただじゃすまねえ」
「見つからなきゃ良いんだろ?」
 きょとんとするベリルにケインは盛大に舌打ちをした。
「俺たちが見つからない為には、その子供を親のところへ返さないようにしなくちゃなんねえんだぞ」
「な、なんでだよ」
「顔見られてるからに決まってんだろ! しかも今お前が利巧だっつったろうが。直ぐにばれちまう…」
「ええ? それじゃあずっとこのまま俺たちと一緒にいるのか?」
 親と会わせられないなんて可哀相じゃないかとベリルは言う。だがケインはそれに緩く首を振った。
「俺たちがそんな子供を連れ歩いたら目立つに決まってるだろ……一緒になんていられるわけがねえよ」
 そこで漸くベリルの顔から血の気が引いて行く。
「じゃ、じゃあここにこの子を一人で置いてくのか?」
 そんなひどい事をとベリルが慌てたようにもごもごと言うのに、ケインが苦り切って答えた。
「だから俺は最初っから怒ってんだろうが!!」
 だがそうして仲間を怒鳴りつける男の顔には苦渋と後悔が満ちているのをカミューは見逃さなかった。恐らくは、こんな事態になってしまったことに悔いを感じているのだろう。
「ご、ごめんケイン…」
「お前に任せた俺が馬鹿だったんだよ。お前は気にすんな」
「うん、でも……」
「鬱陶しいからでももなんも言うな」
「………」
 あぁ、全く。図体のでかい男が落ち込むほど鬱陶しいものは無い。見当外れの同意を密かに示しながらカミューは俯く。
 そして室内には沈黙が降りた。
 カミューは目を伏せて考える。
 置き去りにされるのは避けたい。それに、自分をさらった時のベリルの大男ながらの敏捷さや、素人さながらのそれでもケインの洞察深さは惜しい気がする。人材が必要なこの時勢で少しでも使いものになりそうな者たちは得ておきたい。
 さぁ考えろ。
 事態が少しでも好転するように、カミューはその小さな頭を巡らせ始めた。




2002/06/16




 十三


 そう言えばと不意にカミューは思考を中断させた。
 今自分は特異な病にかかって、こんな幼児化しているわけだが、ホウアンは三日ほどで元に戻ると言っていなかっただろうか。
 そこでカミューは愕然とした。もう一日目である。あと二日しか残されていないのだ。なんと言うことだろう。
 ―――あの可愛いマイクロトフとあと二日きりしか過ごせ無い!
 しかも今は離れ離れになっているでは無いか。
 カミューはやにわに焦りだした。折角あんな可愛いマイクロトフと過ごせる機会を得たのに、何がどうしてこうして引き離されていなければならないのだ。急いで戻らねば。
 拳を握り締めてカミューは決意を固めた。だが実際の見た目にはきゅっと小さな拳を握り、ちょんと唇を噛んだ程度のことだったのだが。
「……かえりたい…」
 ぽつりと呟けばベリルがハッとした。カミューはかくっと俯くと小さな手で目元を隠してもう一度言ってみせた。
「かえりたい……」
 舌足らずでもはっきりと言えば男たちの戸惑う気配がありありと伝わってきた。
「ケイン、やっぱり可哀想だよ」
「………」
 指の隙間からちらりと伺えばケインは苦虫を噛み潰したような顔で頭を掻き毟っていた。
「可哀想だと? この馬鹿、解りきった事言うなよ。どうにか出来るもんならさっさとやってる!」
 怒鳴り散らしてからケインは立ち上がった。そしてはっとしたように口を噤む。
「あぁ……そうだよ、んなこと考えた俺が馬鹿だったな。ベリルは俺の言う通りにしただけだ……くそ、怒鳴って悪かったよ」
 しゅんと項垂れている大男にケインは苦り切った口調で詫びた。そして沈黙が降りる。カミューは内心で大きく溜息を吐いた。
 八方塞なのだろう。仕方ない。一刻も早くマイクロトフの元に帰る為だ。幸い、彼らの顔はカミューしか見ていない。つまり、誰も知らない。
「あの」
 小さな呼び声に男二人は振り向いた。





 なんとかするから、いうこときいてくれる?

 子供の言うことなど間に受けるなんてどうにかしていると思いながらも、ケインは城の中をうろついていた。
 赤騎士を誰でも良いから探せと言われた。そしてこう言えと。
 幸い直ぐに元マチルダ騎士らしい赤騎士を見つけた。あの騎士服は良く目立つので間違いようが無い。ケインはとにかく最初に見つけたその赤騎士に声をかけた。
「…ちょっと良いか……」
「は……?」
 ぼそぼそと声をかけたケインに、その赤騎士は怪訝な顔で振り向いた。背筋はピンと伸び、腰には重そうな剣を帯びている。ケインのような輩とはどこもかしこも違う。畜生、なんだってこんな奴に声をかけなきゃならねえんだ。だいたい上手く行くのか。
「なんでしょうか」
「あ、いやーその。あんた、赤騎士だろ?」
「そうですが……」
 何か、と言いかける赤騎士に、ケインはつばを飲み込んで覚え込んだ言葉を口にのぼらせた。
「あんたたちの団長様が内密にやりたい事があるから協力してもらいたいってよ」
 言った途端に赤騎士の顔色が変わった。
「なんだと!?」
 がしっと肩を掴んで目の色を変えた赤騎士がケインを覗き込んでくる。
「それは確かか!!」
「た、確かだよっ!!」
 肩を掴む手を振り払いケインは怒鳴る。それからまたあの幼子の言葉を思い出す。
「えっとだな……ナインって赤騎士がいるだろう。そいつをまず呼び出して欲しいんだ。事情を知ってるのはそいつとあと副官のベリンガーってのらしいんだけどな、今はナインってのだけで良いらしい」
「ナ、ナイン様は隊長だぞ! それにベリンガー様は団長付き副官と言って、そいつだとかてのだのと呼ぶような…!」
「あぁ、悪ぃ。堅苦しいのは苦手なんだ」
 なんだよ、団長ってのはそんなに偉いのか。隊長がなんだ、副官がなんなんだ。それがどうした。
 思いながらもケインはまだまだある言伝を赤騎士に告げる。
「ともかくだな、団長様の伝言だ。ナイン隊長様を呼び出してくれよ。それからな、これが大事だ。他には絶対に知られないようにってな。特に青騎士にはなにがなんでも知られてはいけないとかって言ってたぜ?」
「青騎士には……?」
「そうそう。騒ぎにしたくないってな。青騎士には熱くなると見境無いのがいるんだって?」
「………その質問には答えかねるが、とりあえずナイン様にはお伝えしよう。ここで待っていてくれるか」
「ああ、頼む。それからな、そのナイン隊長様を呼び出す時にこう言ってくれってよ。『ベッドから転げ落ちたのは秘密だ』って」
「…なんだそれは」
「知らねえけどな、そう言えば絶対に来るってよ」
「承知した……」
 そして首を傾げつつ去っていく赤騎士を、ケインは実に複雑な気持ちで見送るのだった。


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またもオリキャラ大活躍ですみません

2002/07/13

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