天使たち
十七
思い掛けない事ではあったが漸く出会えた事にマイクロトフは感動した。
「カミュー!!」
暗い場所から飛び出してきたマイクロトフにしてみれば、そこは明るく見通しの良い場所だった。その中ほどの石床に座る小さな影は間違いなく捜し求めたそのひとのもので、呼べばハッとしたように印象的な琥珀色の目を瞠った。
「マイクロトフ……?」
呆然としたように自分の名を呟くのが嬉しくてマイクロトフはにっこりと笑った。すると小さいカミューは泣きそうな顔をして立ち上がり、床を蹴り手を広げてマイクロトフの方へと駆け出した。
のだが。
「あっ!」
ずる、べちゃ。とものの見事に転んで顔面から床へと倒れ込んだ。
「カ、カミューっ!!」
慌てて駆け寄ると、カミューは小さな手を突いてふらふらと立ち上がろうとした。
「大丈夫か?」
「あぅ……」
可愛らしい鼻の頭を赤く擦り剥かせてカミューは起き上がる。その手を掴んで確り立たせてやると薄っすら涙に潤んだ瞳が間近に見上げてきた。
「マイクロトフ……」
おぼろげな灯りでも桜色に見える唇がそう囁き、瞬間マイクロトフは「か、可愛い…」と固まる。しかしぎゅっとしがみついてカミューはその顔を直ぐにマイクロトフの胸に押し付けて隠してしまった。
少し残念に思ったマイクロトフだったが、しがみついて来るそのこじんまりとした身体をぎゅっと抱き締めると否応にもその存在が感じられて途端に感動が今度は愛しさと一緒に込み上げてきた。
心配で心配でたまらず、ビクトールには大人しく待っていろと部屋に閉じ込められたのだが我慢できず飛び出してきてしまっていた。その時は後でどれ程の非難を浴びようとも構わなかった。こうしてまんじりともせずに待っている間にカミューがどんな目に合っているか知れないのだ。それを思うだけでじっとなどしていられるはずもなかった。
しかしこうして今無事な姿を抱き締める事が出来て、飛び出してきた己に何の悔いもなかった。どうやらどこにも怪我を負っている様子は無いし、無体を働かれた様子も無い。それにしてもいつもと勝手の違う身体ではさぞ心寂しかった事だろう。普段のカミューならばこうして駆け寄って抱きついてくるなど考えられもしない反応だった。心情的にどれほど辛かった事かと慮れば、やはり飛び出してきて良かったとマイクロトフは本当にそう思った。
ところが抱擁は直ぐに解かれた。カミューがごそごそと身動きして顔を上げたのだ。そして見上げてくる瞳には戸惑いの表情が浮かんでいた。
「マイクロトフ、どうしてここがわかったんだ?」
その問い掛けにマイクロトフは思わず笑った。小さくなっても中身はやはりカミューのままだ。気になった事はなんでも明かさないと気がすまないらしい。
「おまえが消えた場所に、濡れた靴の跡があったんだ」
「ぬれた…?」
「あぁ、それでもしかしたら水場のどこかから出入りをしているのでは無いかと思ってな。すぐ乾いてしまったから気付いたのは俺だけだったらしい」
そしてマイクロトフはカミューにここまで来た経緯を話して聞かせた。それは、船着場から岩壁伝いにずっと奥へ行くと、子供くらいの身体でなくては入り込めない小さな穴があり、子供たちのかっこうの遊び場になっているのだというそこを探し当てたところから始まり、奥がどこへ続いているのか分からないままもとにかく真っ暗な中を手探りで進んできたのだと言う、聞くだけでもいかにも無謀な内容の話だった。
「マイクロトフ……それ、ほんとに?」
「あぁ! それがまさかカミューのいる場所に繋がっているとは流石に俺も思わなかったがな」
深く頷いて答えてやると、カミューは何故か困ったような可笑しいような微妙な表情を浮かべたのだった。
2002/09/07
十八
だがそんな二人の世界は忘れ去られていた人物の身動きで破られた。ジャリ、と重い靴底が砂を踏む音にマイクロトフがびくりと反応する。しかしそのマイクロトフが声を上げるより早く、茫洋としたその声が戸惑ったように言った。
「ど、どこの子供だ? カミューの友達か?」
薄暗いその場所で、灯りを片手にぬっと立つ男に今更気付いたとでも言うのかマイクロトフが飛び上がる。それを小さな手できゅっと抑えてカミューは慌てて務めて明るい声を出した。
「あ、ベリル」
不安そうに眉を下げて小さな二人を見下ろしている大男に、カミューは安心させるように笑みを向けた。
「さっきいっていたマイクロトフだよ」
紹介をして、硬直しているようなマイクロトフの腕にぎゅっとしがみついて見せる。
「そして、マイクロトフ。このひとはベリル……われらにがいなすじんぶつでは、ないよ」
しがみついた腕に更に寄りかかり顔を寄せると、そう囁き掛ける。するとそれで緊張が僅かに解けたのか、マイクロトフの強張りが少しなくなった。だが完全には解けていない緊張がベリルへの不審を物語る。
「何者だ?」
「えっと……」
説明を求められても困る。正直に「わたしをさらった人物だよ」と答えても良いが、そうすると場が益々混乱するだろう事は想像に難くない。
「ベリルはね……ケインのおさななじみだよ」
「ケインとは誰だ」
苦し紛れに答えた言葉にマイクロトフがすかさず突っ込む。
「………ベリルのおさななじみ」
我ながらどうしようもない答えだなと思いながらカミューは、ええいと首を振る。
「とにかくね、わるいひとではないんだから、きをゆるめろマイクロトフ」
「む」
口を真一文字に引き結び、納得しかねる様子であってもカミューがそう言うからにはと、とりあえずの警戒心を解いてくれる。カミューは一息ついてベリルを見上げた。
「ケインは、もうすぐもどってくるかな?」
「どうかなぁ。地上までそう時間もかからねえ筈だから、用件が直ぐ済めばなぁ」
「そう……」
カミューは俯いて考える。これでまた誤魔化さなければならない事柄が増えてしまった。マイクロトフがこんなにも砂や埃にまみれて、こうして自分を探して来てくれた事は正直嬉しい。だが、あまりにも予想外だったために目論んでいた事が端から崩れて行くようだった。
いや、それ以前にマイクロトフの行動力を見誤っていた己の薄情さを反省すべきか。
カミューはつと顔を上げてマイクロトフの幼くなっても意思の強い顎の輪郭とその眼差しを見た。
変わらない。たとえ外見がどのようになろうと、マイクロトフの魂そのものにはなんの変化もない。今思えば、彼ならどんなに周囲が止めようとも、持ち前のその前だけを見てつき進む行動力でカミューを探し出し助け出すに違いなかったのだ。
現に、こうして彼は目の前にいる。
「マイクロトフ」
「どうした」
カミューは微かに笑みを浮かべて掴んでいたマイクロトフの服の袖を、きゅっと強く握った。
「ごめんね…」
「なに?」
小さくかけた言葉は聞こえなかったようだ。
「カミュー?」
「ううん」
ふるふると首を振ってカミューは今度こそ本心からの笑みを浮かべてマイクロトフに身を寄せた。
「きてくれて、ありがとう。おまえのおかげで、とてもこころづよくなったよ」
「そ、そうか」
途端に照れたようにマイクロトフは顔を赤くしたが、その手は確りとそんなカミューの背を撫でてくる。
「俺も、やっとおまえを見つけられて安心した。もう大丈夫だからな」
「うん」
にっこりと微笑むとマイクロトフもその幼い口元を笑みに綻ばせ、白い歯を覗かせたのだった。
2002/09/24
十九
だが、不意にそんな二人の身体がピクリと強張った。同時にハッと息を呑んで極小さくではあるが視線を泳がせる。そんな唐突な動きにそれをずっとじっと見守っていたベリルが首を傾げる。
「どうしたんだよカミュー」
「しっ」
問い掛けをカミューは鋭く制してぷくりとした桃色の唇にその小さな指を当てた。それを、分かっていると言い添えるようにマイクロトフがこくりと頷く。
「カミュー」
「うん」
ひっそりと返してカミューは唇をきゅっと噛んだ。
「ベリル……ここ、かくれるようなばしょ、ある?」
潜めた声で問い掛ければベリルは一瞬驚いたようだったが、直ぐに「あぁ」と頷いた。
「それなら、その坊主が出てきた奥っかわだ」
「え? でも…」
この先はマイクロトフくらい小さくなければ通り抜けられないと、先ほどマイクロトフ自身が言っていたばかりではなかったか。
「ベリルも、かくれるんだよ?」
「ああ、だからこの奥っこにな、もうひとつ広間がある」
来る時気付かなかったか? とベリルがひょいと問い掛けるが、マイクロトフはふるふると首を振った。暗くて手探りで進んできたものだったから、とても他に部屋があるなど気付けなかった。ベリルは、そうかと頷きでもあるんだぞ、と念を押すように言った。
「な、でもなんでそんな事聞くんだ?」
「人の気配がする。それも複数だ」
答えたのはマイクロトフだった。カミューもその言葉にこくりと頷いて、ベリルを見上げた。
「たぶん、ベリルひとりじゃ、あいてはむりだよ」
だから隠れる場所をと。だがベリルは眉を潜めてそんな子供たちを見下ろした。
「これでも俺は強いぜ? おまえらくらい守れるぞ」
「無理だな」
すかさずマイクロトフが否定をするのにベリルは些かむっとしたようだ。
「カミュー、こいつ何だか感じ悪いぞ」
カミューは困ったように眉を寄せた。何故なら自分もマイクロトフと同意見だったからだ。ベリルには分からないのだろうか。響いてくる足音が、素人では無い訓練された武人としての足運びのそれであるということが。しかも、複数である。何者かは分からないが、決して気配を隠そうとはしない図々しい移動の仕方は―――。
「かくれてようすをみたほうが、いい」
「でもよカミュー」
「きし、じゃない」
「なに?」
「ビクトールどのでも、フリックどのでも、ない」
全く予想外の第三者だ。
「おいカミューよ?」
「くそっ」
カミューは奥歯を噛み締めて地団太を踏んだ。今、身体が小さいのがもどかしい。剣がここにないのが、頼りない。いつもなら、どんな相手でも立ち向かって見せるのに。
だがそうして悔しがるカミューの頭を、不意にぽんと撫でる手があった。
「落ち着けカミュー」
「マイクロトフ……」
「今は俺たちに出来る事だけをすれば良い。無理は禁物だ」
カミューよりも大きな身体で、もしかしたらいつもと違う状況で今だけ年上ぶっているのかも知れない。余裕のある態度で優しく髪を撫でてくる。だが、この助言は瞬時にカミューののぼせた頭を冷やしてくれた。
「うん、そうだな」
ふっと微笑んでカミューは頷いた。そしてぐっと小さな拳を握り固め、気を取りなおすと再びベリルを見上げた。
「とにかく、いっしょにかくれましょう」
「あ、ああ…?」
ふと感じの変わったらしいカミューの様子に、つい頷いてしまったベリルだった。
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青が活躍するはずなのに赤ばっかり
しょせん私は赤すきー
2002/09/27
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