天使たち


 二十


 三人が隠れるように身を潜めて直ぐ、入れ替わりのように彼らはそこにやってきた。少し前にケインが去って行ったそこから淡い光りが差し込み、そして影が射し、幾つもの靴音がそこに響く。
 その足音はいかにも無遠慮であったが、流石に彼らはひと声も発さずそこへ踏み込んで来た。
 先頭の男が手に持っていた洋灯を目前まで掲げて辺りを注意深く見た。おかげで彼らの顔が物影から息を潜めて見ていたカミューたちに見えた。どの顔も見覚えの無いものばかりで、その伸び放題の髪や髭が不審さを思わせる。

「誰も、いねえな」
 低い声が聞こえた。
「隠れるにゃ、具合が良いだろうがよ」
「違いない」
 男たちは五人。誰もが陰気な声で囁き交わしている。そのうちの一人が突然どっかりとそこへ座り込んだ。それを別の男が嗜める。
「おい…」
「良いだろうが。俺は大概疲れちまったよ」
 休ませろよ、と座り込んだ男はガチャリと腰から重たげに剣を外した。その扱い、身のこなしを見るに、多少腕に覚えのある連中のようである。
「まぁ良い。どうせ今日は一日ここでじっとするんだ」
 洋灯を持つ男がそう言って同じく座り込んだ。
「城が寝静まった頃にゃ、仕事だからな」
 その言葉に残りの男が全員静かにゆっくりと頷いた。

 それを見ていたカミューは、男たちのただならぬ様子にひやりとしたものを感じた。だが男たちはそれっきり黙り込み、それぞれに座り込んだかと思うとごろりと寝転んだり水を飲んだり様々だった。
 何者だろうか。
 ―――城が寝静まった頃に……。
 そして男たちのいかにも真っ当で無い様子は。

 暗殺者かもしれない。その何かしらの命令を受けているような男たちの様子では、もしかしたら盟主殿を狙ってきたのかもしれない。なるほどベリルがああも簡単に城に忍び込めたのだ。ここに潜むのは正解であろう。だが、先客がいたのは男たちにも予想外では無いか。
 どうする。どうすれば良い。
 ケインはいつ戻るだろうか。そして誰を連れてくるだろうか。それを待つのが一番最良かもしれ無い―――。
 だがそうして思案するカミューであったが、男の一人がふと洋灯を奪い取ってこちらに目をこらした事でその思案は破られた。

「……どうした」
「いや、どうにも床の埃がまばらなような気がしてよ」
 男はそして洋灯の明りで床を照らしてじっと積もっている砂埃に目を眇めた。カミューは拙いと唇を噛む。このまま奥を探られてしまえば必ず見つけられてしまう。傍らのマイクロトフもベリルも同様に焦った様子で息を飲んだ。
 どうする、と真っ暗な中で目線だけを送られてカミューは眉を寄せた。
 観察するにいかにも物騒な装いの男たちに今は到底敵う術は無い。捕らわれるか逃げるかのどちらかであるが、前者の場合は命の補償があるとは決して言えない。ケインやベリルたちのような穏健な方が珍しいのだから。
 しかしそうして思案するあいだもこちらを伺う男は洋灯の光りをかざしつつじりじりと近寄ってくる。どうにも動きようの無いカミューの思考は次第に空滑りを始めた。
 そして。

「誰がいやがる……?」
 低く恫喝するような声で男が間近に迫る。
 カミューがハッと顔を上げた時、その視界いっぱいに真っ白な明りが広がった。




2002/10/08




 二十一


 刹那、小さい影がカミューの横を飛び出した。
「マイクロトフッ! よせっ!」
 叫ぶが到底彼を留める事は出来ない。あっという間に男たちの真ん中に躍り出た少年姿のマイクロトフはどこに隠し持っていたのか棒切れを構えて鋭く叫んだ。
「逃げろカミュー!」
 馬鹿な真似を、と舌打ちしたい気分で―――実際この小さな舌でそれが出来たならしていただろう―――カミューは青褪め唾を飲み込んだ。
 男たちは突然現れた少年に一瞬戸惑ったらしいが直ぐに表情を変えた。
「おいおい、ここには誰も入り込めないんじゃなかったのか」
「知るかよ。とにかくこいつは運が悪かったってことだ」
 言い様男の一人が腰に帯びた剣の柄に手を伸ばした。しかし、黒い影が走りバシッと音を立ててその手は払い除けられた。マイクロトフが構えていた棒で男の手を打ったのだ。
「畜生このガキ!」
 男は痛む手の甲を押さえて怒りに喚いた。しかしマイクロトフは薄暗い中、油断なく周囲に視線をめぐらせて、他の手が動けばすかさずそれを打つ。男たちは次々に続く動きを制されて惑うが、しかし相手は子供である、体格や力では充分に優位にあるのだ。
「なんだこのガキは……くそ!」
 男が一人、打ち込まれてくる棒をその手で強引に払い飛ばすと乱暴にマイクロトフのこめかみの辺りを殴り飛ばす。小さい身体がその力で真横に吹っ飛んだ。
「マイクロトフ!」
 カミューは顔色を変えて叫ぶ。そして無意識の内に物影から飛び出していた。更にそれを追ってベリルまでが現れる。
「駄目だカミュー!」
「マイクロトフ!マイクロトフ!」
 先ほどまでの落ち着きを失くし、周囲のまるで見えていない様子でカミューは小さな手をマイクロトフへ伸ばす。それをベリルは後ろから掴んで必死で引き止めていた。暗くて良く見えないがマイクロトフの身体は吹っ飛ばされた姿勢のまま力なくぐったりと横たわっている。心配なのは分かるがこの小さな幼児をあんな物騒な連中の元へ行かせるなど出来ない。
「…んだ、続々と出てきやがって」
 男はマイクロトフとカミューたちを見比べて不機嫌も顕わな声を出す。ベリルはハッとしてすかさずカミューの小さな身体をその胸に抱き込んだ。
「お、おまえら何モンだ!」
 恫喝するつもりが声が震えてしまう。ベリルは見てしまったのだ。飛び出したマイクロトフに対して男が何の躊躇いもなく、剣を抜こうとしたのを。こいつらは本当の悪党だと思うとどうしようもなく声が震える。だが、このカミューだけは守らなければと力強く抱き締めれば少しは勇気が湧いてくるような気がした。
「この、この子には、絶対手を出させねえからな!」
 マイクロトフと言う少年の方も心配だった。だが今は―――。
 しかし腕の中のカミューはそんなベリルの思惑も他所に暴れる。
「マイクロトフだいじょうぶかっ! へんじをしろ! へんじだ、マイクロトフ!」
 するとどうだろう、ぐったりとしていたマイクロトフが小さく呻いた。
「カ…ミュー……」
「マイクロトフ!」
 え? とベリルが驚いて、ほんの僅か力を緩めてしまったその隙にカミューがぱっと飛び出した。そして軽い足音を立てて一直線にマイクロトフの元へと走り寄る。だがそれは後少しで手が届くと言うところで遮られた。
「さっきから煩いのはこのガキか」
 むんずとその細い腕を取られ、無造作にぐいっと持ち上げられた。
「……っ」
 肩が外れるかと思うほどの痛みにカミューの顔が歪んだ。だが男は構わず持ち上げた小さな身体をまじまじと眺める。そしてちらりとベリルを見て首を傾げた。
「親子にしちゃあ、男の年が若い……それに第一、あっちのガキともこっちのガキとも似てねえな」
 そして男はカミューを腕一本でぶら下げたままマイクロトフの方へと向かう。そして。
「おい、クソガキ」
 よろよろと起き上がろうとしていたマイクロトフの、その腹を靴先で蹴り付けた。
「……ぐっ!」
「答えろよ、痛い思いはしたくないだろ。おまえら、どうしてこんな場所にいる? 他に出入り口があるのか? ここには、頻繁に出入りしているのか?」
 冷たい声だった。肩の痛みに喘ぎながらカミューは男の顔を見上げた。そして見た男の瞳に浮かぶ色にぞっと背筋を凍らせる。
 これは……用が済んだらさっさと殺してしまうつもりだ。そんな暗殺者独特の感情の無い声と目をしている。
 と、そこへベリルの悲鳴のような声があがった。
「おまえら子供になんてことすんだ! その子を離せ!」
 カミューはぎゅっと目を瞑った。
 駄目だ。ベリルではこの男たちには決して敵わない。せめて何とかして時間を稼がなければならないのに。下手をして男たちを煽れば直ぐに切り殺されてしまう。
 案の定、そんなベリルの喉元にすっと冷たい刃が突き付けられた。
「黙ってろ。俺たちはおまえには何も聞いてねえ。答えるのは―――あのガキだ」
 剣を抜いた男が指すのは、床の上で腹部を押さえてうずくまるマイクロトフのことだ。
「その通り。聞いているのはおまえにだ、さぁもう一度蹴りを食らいたくなければ答えるんだ。おまえたちは良くここに出入りしているのか?」
 男がその質問に固執する意味は、もしここが広く知られた子供たちの遊び場ならば、男たちの隠れ場にはならないからだ。そうならば、色々と計画が狂うのだろう。しかしうずくまったマイクロトフは呻き声をもらすのみで何も答えなかった。
「ああ…ちょっとばかり強く蹴りすぎたか?」
 悪いな、と男は笑う。だがそうではなかった。
「…誰が…貴様らの言葉になど答えるものか……!」
 小さくはあったがハッキリとマイクロトフの口からそんな言葉がもれた。そしてその顔がきっと上を向いてカミューを見て、それを捕らえている男を睨み上げた。
「カミューを離せこの卑怯者め!!」
「…のガキが…!」
 マイクロトフの態度に怒りを誘われたらしい男が小さく唸って、再びその屈強な足を振り上げようとした。
 ところがその時である。
「そこまでだ……これいじょう、マイクロトフにもベリルにも、てはださせない…」
 ひっそりとした声が響いて男の動きがびくりと止まり、そして一瞬の沈黙が訪れたかと思ったその瞬間―――。

「おどるかえん!」

 ぼうっとした朱の煌きがその場全員の目を焼いた。




2002/10/14




 二十二


 辺りを瞬時に席巻した炎の円舞は、流石に悪党たちを驚かせ、それどころかベリルまでが呆気に取られて立ちつくしていた。カミューは男の手が緩んだ隙に身を捩り床の上に逃げると、すかさずマイクロトフの元へと走り寄った。
 マイクロトフは機敏にもカミューの烈火の発動をさとると、部屋の隅の方へと身を転がせて炎を回避していた。
「マイクロトフ」
 相変わらず床にうずくまったままではあるが、その無事な姿にほっとしてカミューはきっと背後を振り返る。
「ベリル!」
 鋭く叫べば炎の照りを受けて呆然としていたベリルがハッとする。その後の動きは早かった。彼に剣を突き付けていた男を殴り飛ばすと、炎に巻かれてのた打ち回る男たちの中にも飛び込んで次々に殴り倒していく。流石は大男だけあってその渾身の殴打は一撃で彼らを失神に陥らせていた。
 その様を見つつ、徐々に火勢が弱まり消えていくのを確かめながらカミューはがっくりと膝をついた。途端に頭の上から血の気が引いていくような気分になって床に手をついた。
「大丈夫……か、カミュー…?」
 傍らからの案じる声にカミューはマイクロトフを見て、弱々しく微笑んで見せた。しかし、流石にこの身で気構えもなしの呪文詠唱は無理があったらしい。床についた腕が小さく震えた。
「ちょっと……たてない、かも……」
 夢中で烈火の紋章を使ったが、魔力が足りても体力が足りなかったようだった。緊張と共に高めた集中力が霧散すると途端に冷や汗が全身を覆った。常ならば一息つけば回復するが、小さな身体から急速に熱が奪われていくのが分かり、カミューはそのまま肩を大きく上下させた。
「ベリル……、ベリル…」
 そうしながらも切れ切れに名を呼ぶのに気付いてベリルが飛んでくる。
「カミュー! お、おれすごく吃驚したぞ! ……て、どうしたんだ!? どっか怪我でも……!」
 顔色の悪いカミューを見ておろおろとするのを、しかしカミューは瞳を眇めて見上げた。
「ベリル……ぶそう、かいじょを…」
「ぶそ? へ?」
「やつらの、ぶきを、とりあげて」
「あ、ああ! 分かった!」
 大きく頷いてベリルが気を失っている男たちの元へまた駆け戻っていくのを見て、カミューは荒い息のまま安堵の笑みを浮かべた。そしてまたマイクロトフを見る。
「マイクロトフ…」
 くしゃりと顔を歪めてカミューは震える手を横たわるマイクロトフに伸ばした。
「へいき、か?」
「ああ、カミュー……大した事はないぞ」
「そうか」
 ほっとして微笑むカミューの手を取ってマイクロトフはよろよろと起き上がった。二人とも実に満身創痍である。だがマイクロトフもまた笑顔を浮かべると手を繋いだまま、もう一方の手で乱れた髪をそっと撫でた。
「おかげで助かった。有難うカミュー」
「うん…」
 律儀に礼を言ってくるのにこくりと頷いて答える。
 ところが、そこでまた新たに聞こえてきた別の音にびくっとその身体が強張った。
「な……っ」
 ハッとして厳しい目を向けると入り口の方から二つの足が見えた。見覚えのあるその足元に呆然としながらその上を見上げ、カミューが途端にくたりと脱力した。
「ビクトール、どの」
「お! いたいたぁ!!」
 快活な声が薄暗い地下室に響き渡った。
「んだ焦げ臭いな? 何したおまえら」
 ずかずかと入り込んで中央に立ち止まると、驚いて固まっているベリルをよそに床の上に転がる男たちをぐるりと見て行く。
「悪い面構えの連中だな。獲物抜いてるって事は……そうか、なるほど」
 なにやら一人で納得してほうほうと何度も頷いている。それからカミューたちを振り返り、傍らのベリルを顎でさした。
「こいつはなんだ?」
「ベリル……てきじゃ、ありません」
「そっかそっか。で、この伸びてる奴らは?」
「しりません、が、こうげき、してきました」
 ビクトールの問い掛けにカミューはいちいち答えていくが、次第にその呂律が怪しくなってきていた。そしてこれ以上は、と思った時カミューは繋いだままのマイクロトフの手に縋り、最後に一言振り絞った。
「ケインと、ベリルのしょぐうは、ビクトールどのに……おねがい、します」
 言ってから。
 あ、駄目だ。
 カミューがそう思った時、視界が暗転した。


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頑張ったねカミュー!

2002/10/30

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