馬鹿な真似
馬鹿な真似をしているんだろう自覚はある。
大声でそれを認めても良いから誰かに助けてもらいたい気持ちと、この先どうなろうとも絶対誰にも見つからずにやり過ごしたい気持ちがせめぎ合う。
カミューは見慣れたような錯覚を感じさせる通路を、今度は右に曲がりながら長く続く廊下の先を見遣って溜息を落とした。
やはりあの階段を登ったのが間違いだったのだろうか。だがこんなにも広い私邸など冗談にしてもあり得ない。だが現実として、ここにひとり、個人の私邸で
遭難しかけている人間がいる。
「…マイクロトフ……」
カミューは何ともいえない情けない声で、求めるべき相手の名を呟いた。
広大すぎるとはいえ、建物の中で迷ってしまった己の失態も情けない。そしてそれ以上に情けない、というか馬鹿げていることにも、泣きたいような感情が声に滲むのだ。
「……神でも悪魔でも構わない。誰かこの窮地を救ってくれないだろうか…」
囁いてカミューは自身の身体を見下ろした。
そして視界を覆う見事なレースの意匠に眩暈を覚えてすぐに目を逸らした。
あぁ、どうして。
意識が遠くに離れてしまいそうになりながら、カミューは先ほどからずっと左手に持ったままのハイヒールをも見下ろした。大人びた赤い色のそれは、なるほどこのレースのドレスに実に似合うだろう。上品な赤の染めに艶やかな光沢を見せるこのドレスに。
着ている者が、男でなければこんなにも見事な衣装はないと言うのに―――。
カミューはそして、行く宛ての分からない廊下の先に向かって裸足を踏み出したのであった。
事の発端は一通の招待状であった。
マイクロトフとカミュー、二人して旧知の友人がとある親戚の遺産として土地と屋敷を譲り受けたから、一度遊びに来ないかと言ってきた。地方領主の跡取息子で、従騎士時代に交友を深めた男だったが騎士になって一年ばかりで父親が病に倒れたため、騎士を辞め婚約者と結婚して郷里へと帰った。
それ以来何度か手紙でやり取りはあったものの、全く顔を合わせていなかったのもあって、ちょうど二人の休暇と重なるからと誘いに乗る事にしたのだ。
二人とも既に隊長という要職を預かってはいるものの、ここ数日多忙に過ぎた。そのために周囲から長期休暇を勧められていたこともあったのだ。どうせなら、利用しようじゃないかという次第になった。
朝早くに馬で出立して日暮れ前に漸く到着したその屋敷は、鬱蒼とした森の奥深くにあった。森の手前の小さな村に案内人がいなければ迷っていたに違いないその場所には、他にも呼ばれたのだろう数人の客が既に揃っていた。
聞けば数日前から滞在している客もいるらしい。夕食時に一階の広間に集うよう言い渡された以外は、別に領地内であれば何をしていても構わないらしい。三食昼寝つきの優雅な休暇を楽しんでくれというわけで、つい長居してしまうらしい。
なんとも太っ腹な屋敷の主は、二人が到着したのを知ると直ぐに駆けつけてきた。数年前に別れた時よりもずっと大人びて雰囲気の変わった男は、すっかり領主の貫禄を身に着けていた。多少軽薄なところのある印象は昔から変わっていなかったが。
「まさか来てくれるとは思わなかったよ」
「呼んだのはお前だろう、ランバート」
憮然とマイクロトフが答えると、主は吹き出して笑う。それからカミューを見てにやりと笑った。
「良く来たなカミュー。ますます色男ぶりがあがったじゃないか」
「ランバートあなたも。この度はご招待下さって感謝しますよ」
「まぁまぁ、そう畏まるな。おまえら最近忙しいんだろう? 好きなだけゆっくりしていってくれ」
この屋敷は楽しいからな。
意味深な言葉を残してランバートは慌しく二人の前から去っていってしまった。そして入れ替わりに現れた使用人が二人の馬を引き取り、執事が荷物を受け取ってさっさと部屋へと案内する。
そして屋敷の中へと踏み入れて、二人は声を無くした。外から見ただけでも大した大きさの屋敷であるが、中に入ると一層その規模が分からなくなる。
入って直ぐは高い吹き抜けで正面には広い大階段がある。そして見渡せる二階部分の壁にははまるで博物館のように絵画がずらりと並んでいた。その奥には先の見えない廊下が続いていて、どうやら部屋はそこから向こうに並んでいるらしい。
執事はその大階段の手前で立ち止まり、脇にあるこれまた大きな扉を示した。
「夕食時にはこちらにございます広間へとお集まりください。時刻になりますと鐘が鳴り響きますので」
それ以外は屋敷の何処へおいででも結構です、と執事はにっこりと笑う。
「何処へでも?」
「ええ、ただ庭は広うございますので、決して屋敷の見えない場所まではお行きになりませんよう」
遭難なさってしまいます。
本気なのか冗談なのか分からない口調で執事は言う。それから、またにこりと笑って執事はカミューとマイクロトフの顔をじっと見た。
「お二方とも読書はお好きでございますか? 図書室や遊戯室など大抵のお寛ぎの場所は一階と二階にございます。もちろん地下や三階にも色々ございますが、わたくしですらこの屋敷の全てを把握しているわけではございませんので、邸内ではお迷いになりませんようにお気をつけございませ」
執事の目は真実を語っていた。なるほど、確かに迷いそうな大きさの屋敷ではある。階段を上り左に折れた先の廊下をゆっくりと進みながらカミューもマイクロトフもその地図を頭の中に描いていった。
「それこそ、庭などよりも遭難しそうだね」
するとカミューの言葉に執事が鷹揚に頷いた。
「ええ実際これまでにも何度か遭難されたお客様がおられまして。ですから夕食時に必ず姿をご確認させて頂くのですよ」
「なるほど」
どれだけこの屋敷が庭も含めて広大であるかはこれで分かった。しかもそれを理解していながら屋敷の主は客に探索を推奨しているようだ。夕食時以外は何処に行っても構わないとは、そして何度も遭難者が出ているとは……。
「ランバートの奴、客を使って屋敷の見取り図を作る気か」
ぼそりとマイクロトフが呟いた。するとそれを聞きとめたが執事が苦笑しながら振り返る。
「流石青騎士隊長様でいらっしゃいますな。実はその通りでございます」
「え」
唖然と思わず聞き返せば流石に体裁が悪そうに執事は言葉を濁す。
「実はこのお屋敷には見取り図が存在しないのでございます。屋敷の全容を把握されていたのはただお一人、お亡くなりになった先代の旦那様だけだったといった次第で」
あまりの事にカミューは言葉を無くした。
これほどの規模の屋敷なのに見取り図がないとは、生活するにも管理の上でも不都合だらけではないか。だがしかし、無意味すぎるほど複雑に建てられたらしいこの屋敷には何か曰くがあるのかもしれない。
「もしかして、何か秘密でもあるのかな」
今度はカミューがそうポツリと呟けば、執事はハッとして目を瞠った。
「あ……いや、流石は赤騎士隊長様でいらっしゃる…」
「なに?」
不審に問うたマイクロトフがぎろりとそんな執事を睨むと、慌てて取り繕うように笑顔が返された。
「失礼をば―――その、よもやそこまで推し量られるとは思ってもおりませんで取り乱してしまいました」
それから執事はふと声を潜めて二人に囁いたのだ。
「実は全くその通りで、この屋敷には隠された秘密があるのでございます」
「秘密……ね…」
「さようで。先の旦那様がお屋敷と共にお残しになった遺書に記されているのです。この広い敷地の何処かに貴重な何よりの宝がある、と」
「それは本当なのか?」
むっとしたまま確認するようなマイクロトフに執事は神妙に頷いた。
「だから旦那様はお客様の探索を推奨されているのです。何しろ、これほどの広さでございますから、大抵のお客様は喜んで知らぬ場所を開拓しようとなさるのです」
確かに、人間というのはそこに未知の場所があれば、確かめずには居られない性分を持っている。よほどの臆病者でない限り好奇心と安心を満足させるために、少しずつでも周囲の把握に努めようとするだろう。
カミューはなるほどね、と顎に触れた指先をトントンと揺らしつつ、マイクロトフは相変わらずむっつりとした顔でそれぞれ執事の言葉を咀嚼する。
そうするうちに二人の滞在するべき部屋へと辿り着く。
「お二人はお隣同士にと旦那様から言われております。こちらの部屋は中にある扉からも往来が可能ですが、鍵を閉めて頂ければプライベートは守られる仕組みとなっておりますので」
殆ど同室扱いである。
だが別段不都合はない。こんな広い屋敷で離れた部屋を与えられるよりは良かった。
「では、後からお部屋の世話をさせていただく使用人が参りますので、暫くお待ち下さいませ」
二人の荷をそれぞれの部屋へと置いて、執事は辞退していった。
そして閉じられた扉を確認してからカミューはマイクロトフの部屋へと早速向かう。
水場を挟んで窓際になるほど扉がある。鍵穴に差し込まれた鍵を回して扉を開くと直ぐそこにマイクロトフが立っていた。どうやら同じ行動を取ろうとしていたらしい。カミューは笑ってそのまま部屋へと邪魔した。
「で、どう思う?」
マイクロトフの部屋を見回して、己の部屋と対照的なつくりであるのを確かめつつカミューは聞いた。
「どう、とは」
「あの執事の言葉だよ。おまえはどう思った」
そのまま南向きの窓へと移って下を見下ろせば広い庭が見えた。手入れをされた芝が青々と横たわり、美しい並木道まである。清々しい早朝に散策でもすればさぞかし気持ち良いだろう。そしてその向こうには鬱蒼とした森が続いているのだ。どうやら石垣や柵の類はないらしい。尤もこのような森の奥ではそんなものは不要だろう。
ふむ、と頷きながらぐるりと一瞥すると背後からマイクロトフがむっつりと返事をした。
「軽々しく邸内に宝があるなどと口にするのはどうかと思った」
振り返ってカミューは苦笑を浮かべた。
「マイクロトフ。あれは故意にだよ、そう執事の人柄を疑うものじゃない。大方ランバートに命じられて客には一通り屋敷の秘密を打ち明けるようにしているんだろう」
「そうなのか?」
「そうだよ。あんなにも不自然だったのに」
気付かなかったか? とのカミューの言葉にマイクロトフは眉を顰めた。まぁマイクロトフの性格では、執事が容易く屋敷の秘密をばらす有様にその裏を読み取る前に不興が勝ったのだろうが。
「宝があるのは間違いないよ。けれどあのランバートの事だから大して必死で探してはいないんだろう。元からそうした欲のない男だったから」
昔から風に揺れる柳のようだとか、或いは水面に浮かぶ水草のようだとかいった喩えが多かった男である。軽薄で飽きっぽくふらふらとしているが、何においても執着が薄いのだ。ただ面白いと思ったことにはやけに反応を返す男で、騎士であった頃にも愉快な事には必ず首を突っ込んで散々掻き回しては満足していた厄介なところがあった。
「客に宝探しという娯楽を提供しているのだろうが、実際はそれで客が右往左往して挙句遭難するのを楽しんでいるんじゃないかな」
「………」
こんな何もない森の奥である。退屈と仲良くなれるに違いないこの場所にあの男が住み着く理由はそんなところだろう。もしも宝が見つかって娯楽の種がなくなれば、それこそここは無用の長物として打ち捨てられてしまうのではないか。
「だが、こうしてあからさまに宝探しをしろと言われて黙っているのも癪に障るね」
「カミュー?」
「取り敢えずはマイクロトフ、この部屋から探索をはじめようか」
笑ってカミューは室内に視線を巡らせる。
個人に充てられた部屋とはいえ、やはり相応の広さがあって立派である。調度類もなかなかに良いものが置いてあるし、水場以外にも小部屋があって、調査のしがいもありそうだ。
「まず手近なところからってね」
「カ、カミュー?」
すっかりその気のカミューに対し、どうやらまだマイクロトフの方は付いてこれていないらしい。
「夕食までにまだ少し時間があるようだから」
さぁ、やろう。
早速頭の中に室内の見取り図を描きながらカミューは鼻歌混じりに己の部屋へと続く扉をくぐったのであった。
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とりあえず『遭難』クリア。
冒頭で赤さんがなぜあんな格好をしているのかと言えば、それはやっぱりお題だから(笑)
想像して是非笑ってください、見事なレース仕様のドレス姿の赤さん……ハハハ。
2003/06/15
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