馬鹿な真似2
室内をあらかた調べつくした頃、屋敷中を澄んだ鐘の音が鳴り響いた。
カミューはぴくりと顔を上げてその大きな音の出所を探す。傍らで同じようにマイクロトフも顔を上げている。その黒い瞳がふと窓に吸い寄せられて、無骨な指先が窓の鍵を開けた。
良く手入れをされているのだろう、埃ひとつ散らさずに硝子窓が大きく開き、途端に鐘の音が一段と大きくなった。どうやら外から聞こえてくるらしい。それにしては屋敷全体を震わせるようなこの響き方が気になる。
首を傾げているとマイクロトフがふむと頷いた。
「中央の塔にあったあれだな」
「あれって…」
「巨大な鐘が吊るしてあった。どうやら夕刻時に鳴らす鐘とはあれの事のようだな」
カミューの気が付かなかったそれを思い出しているのか、マイクロトフは開けた窓から身を乗り出している。そうするうちに長く響いていた鐘の音がやんだ。とそこでハッと我に返る。
「あ、そうだよ。広間に行かなければならないんだった」
カミューの言葉にマイクロトフも頷く。
「普段着で良いと思う?」
「どうだろう。ディナーならばだらしのない格好はまずいだろう」
他にも客がいるようだし、とマイクロトフが言い添える。
「うーん、と言っても正装なんて持ってきてないからなぁ」
「尤も、奴が主催する晩餐ならばそう格式ばったものでもないと思うがな」
「確かになぁ」
この屋敷の主の性格などとっくの昔に心得ている。たとえ正式なディナーが用意されていても、正装ではないからと追い出されるような事はないだろう。かえって不躾な格好で出向いた方が喜ばれてしまうかもしれない。
「普段どおり、けれど他の客の手前もあるから出来るだけ失礼にならない格好が良さそうだ」
そして着替えて二人は広間のある一階へと降りたのだった。
降りた先には見知らぬ他人が数名、男の方が多いがその連れ合いらしい女性もその半数ほど。子供は不思議といなかった。誰もが気楽な貴族風の身なりで、いかにもランバートの友人たちと言った具合だった。
そのどれもがマイクロトフとカミューが広間に入ってくるなり、いっせいに視線を向ける。
良い意味で他者の視線には鈍感な男と、不躾な視線には慣れた男の二人連れである。別段気にした様子も無く、奥にいたランバートに手を上げる。
「遅かったじゃないか?」
歩み寄ったマイクロトフの腕を軽く叩いて、屋敷の主は広間中を見渡した。それからその腕を引いて、傍の空いた椅子を指し示す。
「あ、おまえらはそこに座ってくれ。今日は俺のそばにいろよ」
そして二人が着席すると同時に、給仕が支度をはじめた。緩やかに晩餐が始まる。同時に一番近くにいた紳士が興味津々の態で二人の頭越しにランバートに語りかけた。
「おや新顔だ。ランバート殿、ご紹介いただけないのかな」
どうやら一同を代表しての言葉に、ランバートは鷹揚に頷いてみせる。
「私が騎士団に所属していた頃からの友人ですよ。こちらが赤騎士のカミューで、それから青騎士のマイクロトフです。二人ともこれで隊長職にある優秀な奴らで、ロックアックスでは有名だからご存知の方もおいでかな」
「それは素晴らしいな。ご高名なら伺った事がある。若いのに実に立派な騎士だとかで、将来のマチルダを背負って立つだろうと専らの評判だよ」
純粋な賛辞を述べる紳士の向こうでは、婦人が数名顔を赤らめて囁きを交わしている。
「恐れ入ります」
神妙に微笑むカミューの隣ではマイクロトフが居心地悪そうにしている。そんな反応が愉快なのかまた女性たちがさやさやと笑みを隠しつつ頷き合ったりしていた。そしてそれぞれが好き好きに自己紹介をしていく。
ところがそんな女性たちの中でも、ランバートの近くに、つまりカミューらの真正面にいた婦人が、何気なく視線が合った時にふんわりと微笑んだ。実に、可愛らしい風情の女性である。しかしずっと目を合わせたままニコニコとし通しであるのに、これと言って話しかけてきたりするわけではない。
堪らずカミューはランバートに声をかけた。
「失礼だが、あちらはもしかしてあなたの―――」
「ああ、妻のロスマリンだ」
なるほど、道理で。あどけない少女のような雰囲気でありながら、それなりに女主人としての風格を持ち合わせている。客達もこのロスマリンよりは目立たないアクセサリで身を装っているからにはきちんとした敬意も払われているようだ。
そして再びカミューが彼女へと視線を戻すと、満面の笑みを殊更に深めてロスマリンは会釈をする。
「初めましてカミュー様にマイクロトフ様。でも、お二人のお話は何度もランバートから聞いているから初対面だなんて気が全然しないわ」
「いったいどんな悪事を喋られたか怖いですね」
「まぁ。ご心配など無用ですわ。いつもいつも自慢話ばかりですもの」
肩を竦めてみせたカミューにロスマリンはコロコロと笑う。その隣でランバートも微笑みながら頷いてた。
「そうだぞ。おまえたちの武勇伝といったら何処で語るにも事欠かない。特にマイクロトフなんて昔から無茶ばかりする奴だからな」
途端に話の中心に放り込まれてそれまで黙り込んでいたマイクロトフが軽く目を剥く。
「よせランバート。俺の話などつまらんものを」
「どこがだよ、ほらあれ覚えているか。ムカつく先輩騎士をぶちのめした時だよ、あれには俺も内心で喝采をあげたものだ」
「……馬鹿な真似をした。その件は忘れてくれると有り難い」
目元を掌で覆ってマイクロトフは項垂れている。しかしランバートは調子付いて更に続ける。
「たかだか二年か三年ばかり年嵩なだけで先に騎士になったような奴が、俺たち従騎士を良い様に私用でこき使ってくれてな。だが相手は腐っても騎士だから反論の出来る奴もいない。ところがこいつは面と向かって何故と問うたんだなぁ」
「ランバート、よさんか」
「若気のいたりもあるんだろうが、誰も言い出せなかった事をいとも容易く口にしたマイクロトフに、だがその先輩騎士は怒り出して、おまえらなど言われた通りに動いていれば良いんだと言ってな」
「それならわたしも覚えていますよ。あまりに無茶な言い分だったからわたしも腹が立って言い返したんですよ、確か」
不意に話に加わってきたカミューに、ランバートはニヤリと笑う。
「そうそう。カミューの理屈に敵う奴などまずいないからな。理路整然とその先輩騎士の不正性を説いたところは最高だった。あのムカつく白騎士め顔を真っ赤にしたり真っ青にしたりして愉快だったなぁ」
「ですがわたしも随分と未熟者でしたね。言わなくてよい事まで言ってしまって相手を逆上させるなど、失敗でした」
カミューが苦笑を浮かべてそう言い添えると、ランバートも気難しげな表情を作ってうんうんと頷いた。
「あれはやばかったな。あの白騎士が真っ赤も真っ青も通り越して紫色の顔をした時には、俺もあっと思ったよ。気付いたら握りこぶしがカミューを襲うところで」
そこで、それまでずっと黙って聞いていたロスマリンが「まぁ」と青ざめる。それに慌ててランバートが笑顔を作った。
「いやいや、それが間一髪。マイクロトフがその拳を受け流して逆に一発ぶちかましたと言う次第でな。実に爽快だった」
「だがその後に俺は謹慎処分だ……―――」
ぼそりとこぼしたマイクロトフにカミューは仕方がないなと笑みを浮かべる。どうしたって生真面目な男にすれば団規に反した過去の過ちにしか受け取れないらしい。周囲は全くそんな風には思っていないというのに。
「それだっておかしな話だ。先に手を出してきたのは向こうなのに、処分を受けたのはマイクロトフただ一人でな。しかも謹慎だってまだ軽いもので、カミューの直属上司だった当時赤騎士隊長のノエル様が口添えしてくださらなければもっと重い処分だったんだ」
憤慨混じりにそんな説明をするランバートの表情は、まるで当時に戻ったかのようなものだ。思い出して本当に憤っているらしい。それが実にこの男らしくて、変わっていないところを見てカミューは何だか嬉しくなった。
「仕方がありませんね。あの白騎士殿はお知り合いが大勢おられたようですから―――」
暗に騎士団上層部との縁故を告げると、さすがは嗜み深い面々らしく心得たようで眉をひそめるばかりだ。マイクロトフも不機嫌さを隠しもせずに盛大に眉をひそめている。しかしそんな中ロスマリンだけがのほほんとしていた。
「あらいやですわ、難しい話はよして下さいませ」
場違いなほどの明るい声音でそう発すると、一同を見回してくるんと笑った。
「それよりももっと楽しいお話をいたしましょう。マイクロトフ様もカミュー様も、もうこのお屋敷の秘密はお聞きになりまして?」
するとどうだろう。誰も何も言いはしなかったが、明らかにロスマリンのもちかけた話に興味があると言わんばかりにピクリと耳をそばだてたではないか。それだけ、この屋敷の宝が途方もない事を物語っている。
カミューはやんわりと微笑むと頷いて見せた。
「どうやらこの屋敷の客には全てその謎解きが課せられるようですね。もちろん聞かせて頂きましたよ」
「それで、もう何か見つけられまして?」
ロスマリンが身を乗り出して聞いてくるのに、他の客たちはゴクリと固唾を呑んで聞いている。カミューは失笑を禁じえず、口元を拳で隠すと首を振った。
「残念ながらちっとも。ですがこの宝探しには名乗りを上げさせて頂くつもりです」
「まぁさすが騎士様ですわね、お勇ましいこと。これは皆様のんびりしてはいられませんわね」
ロスマリンが実に楽しそうにそんな事を言う。その言葉にふとカミューは不審を覚えた。どうやらそれはマイクロトフも同様だったらしい。
「ランバート、どういう意味だ」
低い声で問うたものの別に気を悪くした様子もない。単なる興味のようだ。ランバートもそれを分かっているのか呑気に首を傾げている。
「何がだ?」
「我々がやる気を出すと、どうして他のお客人が焦らねばならないのか」
カミューが静かに問うと、ランバートは「あぁ」と大きく頷いた。
「それならあれだな、ご褒美だよ。宝を一番に見つけた者には、特別にその一部を分け前として差し上げると言っているんだ」
「それは……なるほど…」
これほど広大な敷地と屋敷に隠されているとなれば、それは大した宝と目される。たとえ一部と言えどそれを手中に出来るのならば、なるほど少しは欲も出ようと言うものだ。
カミューは笑みを浮かべてそのランバートの言葉を咀嚼して、さりげなく客たちの顔色を覗ってみた。そのどれもが欲を隠しもせずにうずうずとしている。思わず肩を竦めて傍らの男を見た。
「どうするマイクロトフ。これはゆったりとくつろぐ暇はなさそうだよ」
「カミュー、目が笑っているぞ。……くそ、滞在は一週間しかないんだぞ」
不満げに言ってくるのにカミューは笑って遣り過ごす。どうやらすっかりやる気であるのを見透かされていたようだ。
「分かっているよ、直ぐに見つけてやるさ」
小さく囁き返して、カミューは取り敢えずは腹ごしらえとばかりに、目前に並べられ始めた食事の皿に目を落としたのだった。
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妻ロスマリン。次回も登場。
最近開き直ってオリキャラを書いていたりします。
好きとおっしゃって下さる方がいてくれるだけでこの有様です。
ちなみに隊長時代の青赤二人ですが、この段階で既にラッブラブです。
気楽に婚前旅行する筈が何やら騒動の匂い(笑)。
2003/06/24
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