馬鹿な真似4
ご冗談でしょう?
そう口にしかけてカミューは引き攣った笑みのまま固まった。
レディたちの視線には本気の色しか含まれておらず、目前に広がる美しいドレスは男の目から見ても、到底女性が纏うには大きすぎる寸法だったからだ。
紛れもなくそれは、大柄な男の体格に合わせて縫製されたドレスなのだろう。
「見てくださいな、このレースのところ」
「まぁぁああ、なんて見事なんでしょう」
「それに、この絹の光沢のなんて美しい」
「本当に、手触りも最高ですわ」
女性たちが口々に褒め称える、なるほどそれはドレスとしては全く以って見事以外のなんでもない、高級品なのだろう。
しかしそれが男物であるのがカミューには信じ難い。
ドレス一着と言ってもそれなりに値の張るものだ。
たっぷりと高級な生地を使えばそれだけ、レースや飾りの意匠に凝れば凝るほど、値が上がる。
そして女性たちの口振りから察するに、カミューの目の前にある真っ赤なドレスは恐らく、職人に特注してあつらえた物に違いなく、たぶんこの一着だけで、平騎士のひと月分の給金は軽く上回るのではないだろうかと推し量れた。
金持ちの道楽、と言い切るには些か過ぎる気がしないでもない。
しかし。
「ね、カミュー様、素敵でしょう?」
「は……はあ…」
あまりの意外な展開にカミューも呆然としてしまっていたのかもしれない。
「さ、お立ちになって?」
「え、あ…はい」
促されるまま立ち上がるカミューの前に立ち、ロスマリンはドレスの肩をカミューの肩へと合わせた。
「まあ、丈がピッタリですわ。肩幅もちょうど宜しいんじゃなくて? あら、じっとなさってね」
「は、はい」
ドレスがふわりと空気をはらんでカミューの肩に掛けられる。そして、するりと首のタイが解かれて引き抜かれた。
「なっ? レディ?」
「やですわ、じっとなさってとお願いしておりますでしょう?」
引き抜いたタイを片手にロスマリンは子供に叱るかのように、めっと笑顔で睨む。己より随分下にある彼女の瞳を見詰め、カミューはひく、と引き攣った。
しかしロスマリンはにこ、と微笑んでカミューの胸にぴたりと掌をあてる。
「あらあら、カミュー様もやっぱり騎士様ですわね、見た目よりも確りとした手触り……」
「れ、レディ……っ」
慄き後退しようとしたカミューだったが、その背後から他の女性たちが迫ってきて動けなくなる。
「やだ本当ですの? じゃわたくしも失礼して」
背中からするりと女性の華奢な掌が己の肩に触れる。しかもそれは一本や二本ではなく、恐らく部屋にいた女性全員の手がカミューの肩と言わず背中と言わず、胸や腰を遠慮なく撫でるではないか。
「ちょ、うわ、レディっ、お止めくださいっ」
しかしカミューのそんな抵抗は女性たちの勢いにあっさりと呑まれた。
「まぁ素敵。うちの人と違ってなんて逞しいのかしら」
「あら比べては御主人が気の毒よ。カミュー様はなんといっても赤騎士隊長様ですもの、お若くておまけにお顔もスタイルも抜群で」
「そうですわよね。あらでも腰は細くていらっしゃるのね」
「でも脚が長いわ。腕もすらりと長くて、指も綺麗ね、流石に掌は硬くてらっしゃるけど」
「そりゃあ騎士様ですもの。でも、あらやだなんて手触りの良い御髪かしら!」
ここへ連れられてきた時同様に、相手が女性では力任せに振り払う真似など恐ろしくて出来ない。それでなくても、彼女たちの言葉どおり、カミューは見掛けほどにやわな性質ではないのだ。剣を振り回す勢いで女性の小柄な身体を押しやろうものなら、どんな怪我を負わすか知れない。
勘弁してくれ、とカミューは己の身体を検分する女性たちに哀れっぽく懇願した。
「助けてください…」
止めてくれでもなく、もはやそれは救いを求める言葉で。
しかし女性達は聞かない。
「かつらも用意していたけれど、覆い隠してしまうのも惜しいわね。短いですけれどこのままで良いかしら」
「そうですわね、髪はこのまま、後で梳ってカチューシャでもお付けしましょうか」
「でもこの腰はどうしましょう。こんなに細くては折角のドレスが様になりませんわ」
「あらそれは仕方がないわ。詰め物をしたら大丈夫よ」
しかも気がつけば上着は剥ぎ取られ、シャツのボタンも三つ四つ外されてしまい。ベルトまでもが取り払われてしまっていた。閨でカミューを押し倒すマイクロトフでさえ、ここまでの手際の良さはなかろうというくらいだ。
「本当に勘弁してくださいレディ方」
流石にこのままではまず過ぎる、とカミューは己の身体を守るように両腕で抱え込むと、更にシャツを剥ぎ取ろうとする手から逃れた。
「あんまりはしたない真似をしないで下さい。いくら可愛らしいレディの為さることとはいえ、これ以上は怒りますよ」
出来るだけの不機嫌を掻き集めてカミューは心底嫌がっているのだという表情を作ってロスマリンをはじめ女性たちを睨み下ろした。
するとぴたりと身体に伸びていた多くの手が動きを止める。
「ああ、怒ってはいやですわ」
「カミュー様……」
「怖い顔なさらないで」
怯えを含んだ声が恐々とカミューの機嫌を伺うのに肩を竦めて、肌蹴られたシャツの襟を寄せた。しかしロスマリンだけは違った。
「あら、そんな怖い声をなさってもだめよ? 最後までお付き合いしてくださる約束ですもの」
「……そんな約束をした覚えはありません」
「くじを引いたでしょう?」
「確かに引きましたが」
「あの時点でカミュー様はわたくしたちのお遊びに付き合って下さるとお決めになったんじゃございませんの? お嫌だったのなら、何が出るか分からないくじなど、最初から引いたりしませんもの、ね?」
にっこりと、邪気のない笑顔でロスマリンはそう言う。思わず、ぐ、と詰まってカミューは黙り込んだ。
確かにくじを引く時にカミューは腹を決めたのだ。ロスマリンの指摘に間違いはない。しかし素直にそれを認めてはこの先どうなることやら知れない。
「しかしレディ、だからと言ってこのような無茶な要求は」
「あら何処が無茶なんですの? 別に私たちはこれを着て一日過ごせとか、公衆の面前に出ろとか、そんな事を言っているわけじゃありませんのよ?」
当たり前である。そんな要求を突きつけられたら、それこそ自分は振り払ってでも逃げ出して、ロックアックスまで馬を駆って戻るに違いない。
そんなカミューの内心を見透かしているのかロスマリンは、ね? と小首を傾げて微笑んだ。
「ただ、このドレスを着て見せて下さるだけで充分。勿論一度見せて下さったらもう直ぐにでも元の服に戻って頂いて結構ですのよ?」
そんなロスマリンの微笑みを前に、カミューはあらゆる可能性を考えて比較検討していく。だがしかし、一番穏便に且つ被害の少ない未来はといえば―――。
「ね、カミュー様?」
にっこり。
笑顔の迫力にカミューの肩ががっくり落ちた。
「分かりました……」
途端に黄色い悲鳴が上がる。
「きゃあああ!」
「やだわどうしましょう!」
「本当に本当に!?」
そしてロスマリンがうっとりと笑みを深めてドレスをカミューに手渡し、衣装箱を指差しながら奥にある扉を目線で指し示した。
「こちらに靴や装飾品の類が揃っておりますわ。奥が寝室になっておりますから、どうぞそちらでお着替え下さいな。カミュー様でしたらお一人でも大丈夫ですわよね?」
言外に、幾度か脱がしているから逆の手順も分かっているだろうと含ませるロスマリンに、カミューは苦笑いで返す。なんともまぁこの手の夫を持つ若い貴婦人というのは上品にも下品な話題が好きなことである。
「ええ、手は借りずとも着てご覧にいれますよ」
もっとも最近はとんとご無沙汰であるから時間はかかるかもしれないが、などなど考えながらカミューはドレスを衣装箱に重ねてそれを持ち上げた。
全く、こんな一式を用意している彼女たちの気が知れない。
「では少々失礼しますよ」
「どうぞごゆっくり?」
くすくすと笑ってロスマリンはそそと先を歩くと、閉じていた扉を開いて奥へと促してくれる。その横を通り抜けながらカミューはやれやれと生まれてはじめての貴重な体験に臨むべく、また更に腹を決めた。
女装―――。
ひとつの人生で男が早々体験でくるものでもない。
この際、その貴重な体験を少しでも楽しむべく、意識の切り替えを図ったのであった。
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カミューの身体なら触りたい。
思わずレディたちの気持ちになりながら書いておりました。
ここからどうして遭難に続くかが問題でありますよ(笑)
2003/10/13
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