馬鹿な真似5
だが脱がすのと着るのでは随分勝手が違うものだ。解けそうな箇所や外れそうな箇所を手探りで脱がしていく作業は簡単でも、ドレスなどの衣装を着こなすには少々手間がいった。
だがカミューが知るそれよりは若干、簡易に作られてはいた。
本来ならこうした立派なドレスは、身体の線を美しく見せるためにコルセットをつけなくてはいけない。女性の正装時の下着も同然だが、当然そんなものをカミューが着るわけが無い。
ところが代わりに、柔らかな綿で出来たパットが置いてあった。
彼女たちの言うとおり、確かにこのドレスは男が着るために作られた酔狂な珍品であろう。だが男の身体にピッタリ合うようでは、それはドレスとしての美しさや意味が失われるのである。男でも女性らしく着こなせるために、これは用意されたに違いない。
腰に当てるための薄く広いパットと、どうやら胸に当てろと言わんばかりの二つのふくらみ。
カミューはこれ以上は情け無くなりようがないだろう心地で、溜息を落としてシャツを脱ぎ捨てるとそのパットを手に取った。
壁に貼り付けられている大きく立派な姿見の前で四苦八苦して数分。扉の向こうの淑女達は気長に待つつもりか、ささやかな笑い声が時折聞こえてくるばかりで、カミューを急かすような真似はしなかった。その間に何とかドレスを着込む事に成功しつつあったカミューは、その時になって漸く箱の中に小分けにされてあったアクセサリーや化粧品の類に気付いて呆然としていた。
流石にこれは無理だ。
自分では無理だ。
となれば扉の向こうの誰かを呼ばねばならないのか。
いや、それ以前にドレスを着ただけでももう充分ではないか。何もアクセサリーで身を飾り立て、化粧まで施す必要など―――。しかし彼女達はそれを許しはしないだろう。きっとロスマリンは笑顔でカミューの唇に朱を刷こうとするに違いない。
この期に及んで逃げ出すような無様はすまいと思いつつも、化粧となると腰が引けるカミューである。自分のような男がそんなものを施したとて気持ち悪いだけに決まっているではないか?
いえ、そんなことはありませんわ、とロスマリンの反論が聞こえてきそうであるが、カミューにしてみれば化粧というのは、女性か或いは舞台に立つ役者がすれば良いだけのものに過ぎないのだ。
となれば、如何にして化粧なんぞをせずに済むか、その逃げ道を探してカミューは頭を働かせ始めた。鏡の前で真っ赤なドレスを身に纏いながら実に真剣な表情である。
しかしそれも、カミュー自身の視点からすれば滑稽以外のなんでもなかったが、もしその場に第三者の目があったなら、思わずその見事な着こなしに目を瞠ったに違いない。
なるほど男性用に作られただけあってそれは見事だった。
元々が顔の造作が綺麗なほどに整ったカミューである。そして今、その身体は柔らかな線を描くふわりとしたドレスの滑らかな生地に覆われ、すっと背筋の伸びた立ち姿は何とも上品で美しかった。
もし、これで化粧などをして男性特有の硬さや鋭さを消したなら、そこには少しばかり大柄な美女が登場するはずだろう。初対面ならまず間違いなく女性と間違うと思われた。
扉の向こうで談笑をしている女性たちも、よもやこれほどカミューにドレスが似合うとは思っていないだろう。一目見るなり自分たちの仕業に歓喜したに違いない。
だが。
カミューは、扉越しに聞こえていたレディたちの声が不意に途切れたことに気付いて顔を上げた。
それから裸足のままでは裾を引き摺ってしまうドレスを両手でつまみ上げて、足音を殺してそっと扉へと歩み寄り、木で出来たそれに静かに耳を押し当てた。
途端。
「すまんがカミューに会わせてくれ!」
二つの扉越しに聞こえてきた小さな、しかし紛れも無く聞こえたその声にカミューはビクッと身体を飛び上がらせんばかりに驚いた。
「どうしてマイクロトフが…っ」
その瞬間にカミューは己の姿を思い出してサァッと青褪めた。
全身が映る姿見には到底見せられない間の抜けた自分がいる。そして扉を二つ挟んだ向こうにはマイクロトフ。間にはあの女性たち。
考えるまでも無くカミューはどうにかしてこの危機を脱出するために手段を講じはじめた。
マイクロトフはその時、部屋の前で硬く閉ざされた扉に対して苛立ちを隠しきれずにいた。自然とノックする拳にも力が入る。
実のところ、数分前まではどうということはなかったのだ。
ただカミューの戻りが遅いなと、何気なく口にした時、そんなマイクロトフを除く一同が揃って奇妙な顔をしたのである。それからランバートが言い出しにくそうに切り出した。
女性たちの何とも、男たちにとって恐ろしいこと極まりない遊びの内容を。
手始めにランバートが己の体験を語ってくれた。
『なに、私などは最初だったから実にその、大した事もなくね。いやぁ……身体に残る騎士時代に出来た傷跡を見せろとせがまれただけだよ』
服を剥がれてね……。
なんとも物悲しげに言う横で、別の男がそんなものと首を振る。
『俺なんかは女性一人一人を誠心誠意口説けと言われてな。もしそれがお気に召さなければその都度、顔に口紅で落書きされたんだぞ』
最後には顔中真っ赤だった、と。しかし、更にその背後では拳を握り締めて震える男がいる。
『いいやまだマシだ。俺はカードを用意されていてその中から一枚選べと言うから選んだら、無理やり両手両足を紐で括られて挙句に目隠しまでされて制限時間までに好き勝手身体中を触られたんだ』
服の上からでも際どい所とか触られてな、とあんな情けないことはないと嘆く。すると最後の男が『私はね』と呟いた。
『選んだカードが良かったのか悪かったのか、あの執事殿と熱烈な口づけをかわすだけで済んだよ……』
なんともあの執事殿が気の毒だったがね、と儚げに笑う。
そしてランバートが、今はもうここに居ない連中でも、何かしら彼女たちの被害を受けているわけだよと笑う。まぁ大した事をされるわけではないから、お前も今から心構えだけは確りしておけと言う。
だがマイクロトフは彼らの言葉を聞いていてもたってもいられなくなっていた。
他の人間を口説くだと? 服を逃がされるだと? 抵抗できないようにして身体を触られるだと? そして別の男と口づけを……!?
口説く云々はともかく一番最後がいただけない。
あの執事殿が相手とは言え、そんなことは許せない。カミューの全てはマイクロトフのものであって、女性たちの遊びであっても軽々しく触れたりさせるつもりなど微塵も無い。
狭量だろうが独占欲が強かろうが、なんと言われてもこれだけは譲れない。カミューはマイクロトフが唯一、心から欲しそしてこの腕の中に得た最愛の人なのだから。
そしてランバートが止めるのも聞かずに、扉の傍に控えていた執事を捉まえてカミューの居所を白状させて、今に至るのである。
扉は、マイクロトフが何度も強く叩くと漸く開かれた。
だがそこには微笑をたたえるロスマリンがいるだけで、カミューの姿は無い。いったい何処だと戸惑い気味の女性たちを他所に室内に視線を巡らせる。
「カミューは何処です」
「あら、マイクロトフ様は明日おいで下さる約束よ?」
「そんな約束はした覚えが無い。カミューもです、あいつをいったい何処へやったんです」
常ならば女性を前にすれば黙り込むばかりのマイクロトフであるが、カミューの一大事となればそんな初心な一面は吹き飛んでしまう。ロスマリンの横をすり抜けて部屋の中へと入り込んだ。
そして部屋の奥にもうひとつの扉を見つけた。
「あちらか」
ひと言呟いてマイクロトフは扉に向かって大股に歩く。
「あっ、お待ちになって…!」
だがロスマリンが止めるよりも早く、マイクロトフの手は取っ手を強く掴み、扉を大きく開いていた。
「カミュー!?」
いるのか、と呼びかけるが返事は無かった。
そんなマイクロトフの背中越しに、ロスマリンが「あら?」と小首を傾げる。
「カミュー様……?」
返るのは静寂ばかり。
他に扉はなく窓も固く閉じられ瀟洒な格子までが嵌っている。そんな広い寝台が中央に座すばかりの寝室に、誰の姿も無かった。
ただ脱ぎ捨てられた衣服だけが残されており、そこに人の姿が無いのが不思議なほどの状況で、マイクロトフとロスマリンは扉の傍で固まるばかりだ。
確かにそこにいる筈のカミューが何処へ消えたか、それを知るものは誰一人いなかった。
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ミステリっぽいですが違います。
これはギャグです。
マイクロトフ、カミューが女装を引いてくれて良かったね。
2003/10/20
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