馬鹿な真似6


 マイクロトフたちが無人の部屋の前で呆然としている時、カミューは暗闇で息を潜めて気配を殺していた。
 実のところ、カミューは彼らのすぐ傍に居た。
 しかしクローゼットの中だとか、そんな単純な場所ではない。
 咄嗟にここに気付いた自分を褒めてやりたいほどだと、カミューは壁越しに感じる気配を追いながら、意識の別の処で自分の行動を思い返していた。

 マイクロトフの行動力は知っている。
 カミューに会おうと彼が決めたなら、あの笑顔でいながら押しの強いロスマリンでも止められはしないだろう。マイクロトフの迫力や醸しだす影響力は彼女を凌駕するものがあるのだから。
 だがカミューは自分の情けない女装姿などマイクロトフには絶対に見せたくなかった。しかし窓から逃げようにも格子が嵌まっていたし、扉は彼らの居る部屋に続くひとつだけ。クローゼットやベッドの下に隠れてもすぐに見つけられてしまう。
 絶体絶命、追い込まれてもう逃げ場所など無かったかに思われたカミューだったが、注意深い彼の琥珀色の瞳は、室内のたった一つの違和感にその時漸く気付いたのである。
 それまで女装ばかりに囚われていたカミューの精緻な思考力が、そこで初めて迅速に働き、目の前に差し出されたあらゆる事象の鍵を掴み取ることをカミュー自身に命じさせた。
 伸ばした指先が触れたものは、大きな姿見。
 その彫刻された美しくも立派な縁は壁に確りと固定されているように見えた。だが―――そう、注意深く見なければ気付けない違和感だった。恐らく、カミューもここまで追い込まれなければ見逃していただろう程に些細なしるしだ。
 幾何学的な模様に彫り込まれた鏡の縁は左右上下に対象となるような柄になっていた。だがその複雑な模様に隠された、小さなしるしをカミューの指先は間違いなく探り当てる。
 間違いないとの確信を胸にカミューは一見何の変哲も無いその部分に触れた。そしてぐっと僅かに横に向けて指先に力を込めた。途端にするっと木目の流れに沿って模様の一部が横に流れた瞬間、カミューは心の中で喝采をあげた。
 後は単純なパズルと一緒だ。
 木目どおりに横に流れた部分には、穴があく。今度はその穴を埋めるように別の場所をそこへスライドさせるように力を込めると、やはり驚くほどすんなりと模様が移動して行く。
 それを何度か繰り返すと、漸く現れたのは指が一、二本くらい入りそうな隙間だ。カミューは背後にマイクロトフの声と迫ってくる足音を聞きながら、焦る指先を叱咤してそこに指を挿し込んだ。そしてそこにあった何かをぐいっと押した。途端に大きな姿見がぐらりと動いたのだ。
 後はもう、扉のように開いた姿見の向こうに飛び込んで、大慌てでそれを閉めた。壁との隙間が閉じた瞬間、カタンと不吉な音がしたが、今はとにかくマイクロトフの目から逃れられただけで良かった。そして息を殺して彼らが立ち去るのを待ったのである。



 それでもマイクロトフは暫く、ロスマリンが止めるのも聞かずに室内を色々と探し回っていた。壁越しに小さく聞こえる彼らの会話を聞いていたカミューは、僅かに顔を曇らせる。
 どうやらマイクロトフは、カミューの服だけが脱いで置かれているのを不審に思ったらしい。声高にそれを言及する事は無かったが、マイクロトフにしては奥歯に物の挟まったような物言いがカミューにそれを教えた。
 カミューは、どうしたのだ。
 いったい何処へ行ったのだ。
 この服は……カミューのもののように思うが。
 だが答えるロスマリンも、流石にカミューの姿が見えないことに驚きを隠せなかったらしい。碌な返事も出来ずに困惑しきっていた。しかし流石に食えない女性なだけあって、カミューを女装遊びに付き合わせていたとは口が裂けても言わなかったから、その点だけは深く感謝した。
 そうして暫くしてからマイクロトフがロスマリンに引き摺られるように去り、静寂が訪れて漸くカミューは溜息を吐きだした。
 やれやれだ。
 肩を竦めて、そして初めて自分の現状把握に意識を向けることにした。
 今自分がいる場所は間違いなく隠し部屋の類であろう。ただ真っ暗なので何も見えない。寄りかかる姿見の裏側だけが頼りなのがどうにも不安でいけない。
 仕方なくカミューは右手に意識を集中させると瞬間的に、掌に炎を生み出した。
 ぽうっと赤い炎が周囲を照らして情景を浮かび上がらせる。そしてカミューは息を呑んだ。
 そこは、先の見えない通路の一番端であった。
「…………」
 ゴクリと喉を鳴らしてカミューは目を眇める。
 炎の灯りすら届かぬ長い長い通路。
 隠し部屋ではなく隠し通路に迷い込んだらしいことにカミューは知らず口の端に笑みを浮かべる。
 それなら―――。
 ふっと右手を揺らしてカミューは一歩踏み出した。
 折良く視界の端には壁に取り付けられた古い洋燈が見えた。紋章に意識を集中させてそちらに炎を飛ばすと、よりいっそう辺りが明るくなる。
 カミューは紋章の炎を消すと、手を伸ばしてその洋燈を壁から取り外すと目前に掲げる。
 隠し通路なら、得意だ。
 マイクロトフは知らないが、カミューの最近の趣味はロックアックス城内の秘密通路探索である。
 上層部でも一部の者しか知らないその通路を見つけたのは、やはり今回のように偶然のことだ。もしかしたら自分はそんなものを見つけやすい性質なのかもしれない。目端が利くとでも言うのだろうか。ともあれ、驚くほど入り組んだ城内の隠し通路はまだ全て把握し切れてはいないが、何度か通う内に独特の癖のようなものを知ったのだ。
 もしかしたらその癖が、この屋敷の隠し通路にも適用されるかもしれない。
 実のところ先程手探りで調べたら、姿見の隠し扉は、嫌な予感どおりに一度閉じれば中からは開けられない仕組みになっていた。ならば、別の場所に出口があるに違いない。
 よし、とカミューは腹を決めて更に一歩踏み出した。





 その頃。
 マイクロトフといえば、ロスマリンに部屋を追い出されたまま一人猛然と廊下を進んでいた。
 まっすぐに与えられた部屋へと向かっていたが、マイクロトフにはその自覚は無い。ただ前を向いて足を動かしていなければずぶずぶとゆかに沈み込んで行きそうな心地だった。
 あの寝室に脱ぎ散らされていた衣服。
 その残像を思い出すだけで頭の奥が熱く痺れてしまうようだった。
 マイクロトフは対して人の着ている衣服に目が行く方ではない。カミューにもその点は散々指摘されてからかわれているほど、他人の髪型や衣装に興味がないのである。
 部下の一人が髪を極端に短くしても、城勤めのメイドたちの衣服が季節によって変わったとしても、マイクロトフはそれに気付けないのである。当然カミューがどんな服を着ていたかなどもあまり記憶には残らない。
 しかし。
 それは単に、意識が向かないと言うだけで見ていないわけでもなければ記憶していないわけでもないのだ。
 例えば、部下の剣を見ているとき、昨日と違った癖を見せたならマイクロトフは即座にそれに気付くことができる。別に注視しているわけでもない些細な癖をだ。それは自身の記憶に残るものと、その時目で見ている情景がぶれて重ならないから気付くのだ。
 一度、視界に納めたものならばマイクロトフはいつなりとそれを引き出せるほどには記憶力が良い。だから人の衣服にもそう気にして見ているわけではないのだが、後からどんな色の服だったか思い出せと言われたら確かこうだったと答えられる。
 それが自分の趣味に合う合わないは当然、意識の範疇外にあるのだが、ともあれ、マイクロトフは寝室に脱ぎ散らかされていたあの服が、寸前までカミューが身に着けていた物だと、間違いなく理解していた。
 上着も、シャツも、普通のこれといって特徴のない代物だ。
 それでも区別ができる。
 自分は確かに、あれを着たカミューを記憶しているのだから。

 だが、それが何故あそこにああして脱いだ形で散らされていたのか。問題はそこであり、マイクロトフを追い詰めているのはその原因となる幾つかの可能性なのだ。
 脱がされたのか脱いだのか。
 どうして脱いだのか。
 考えながら、ランバートたちの語ったあらゆる言葉が思考を掻き混ぜてしまうかのように渦巻く。
 ロスマリンたちが脱がせたのか。しかし彼女達はマイクロトフが出向いたとき、手前の部屋でお茶を楽しんでいた。ならばカミューは奥の寝室で、自発的に服を脱いだ事になる。
 何故。
 そしてカミューは今、どこにいる。
 どんな姿で。
 どこに。
 一人でいるのか。それとも。

 だめだ。

 マイクロトフはそこまで考えて強く頭を振った。
 考えすぎて今にも沸騰しそうだ。
 ここはひとつ冷静に、落ち着いてから改めて考えよう。
 そしていつの間にか到着していた部屋の扉の前で立ち止まり、その取っ手に触れる。しかし、それを掴んで開こうとするより前に、もう片方の手がまるで暴走でもしたかのように、強く扉を叩いた。
 腹の奥底が熱かった。

 わけも分からず、カミューが素肌を晒したかもしれない相手が、居るか居ないかも分かっていないのに、ひたすら嫉妬に気が狂いそうだった。
 よもや。
 カミューが女装姿であるとは思いもよらずに―――。



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ギャグなんですよねぇ…(しみじみ)。
姿見は実は隠し扉でした。
分かり難いかったかもしれませんが、寄せ木細工の鍵になっています。
更に都合の良いことに、開けて、閉めると元通りになる仕組み。
そんな細工が果たして出来るものなのかは……。

2003/10/31

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