馬鹿な真似7


 通路をゆっくりと進むうち、カミューはいつしか立ち止まっていた。
 その琥珀の瞳が洋燈の明かりを受けて、ゆらゆらと揺れながら不意に細められる。そして秀麗な唇からひっそりとした声音が漏れた。
「…まったく、とんだ茶番だよ」
 カミューはそして履いていた真っ赤なハイヒールを脱いだ。
 どさくさに紛れて無意識のうちに持ち出していたその赤い女性用の靴は正直長時間続けて履いていたくない代物だ。しかし、未知の場所を歩くのに素足は躊躇われたのだ。仕方なくつま先に必要以上の加重がかかるのも堪えて歩いていたのだが、今それを脱ぎ捨てて裸足の裏を置いた床は、冷たくとも危惧した痛みはなかった。
 砂埃も木屑も、虫の死骸も何もない。
 綺麗に掃き清められた床の石材は規則正しく敷かれて、これで壁に並ぶ洋燈すべてに火が灯り、絨毯が敷かれていたなら普通の通路と変わりがない。
 明らかに、日常的に使用しているらしい隠し通路の様相にカミューは瞳を眇める
 恐らくこれを作ったのは屋敷の先代の主だろう。ロンバートの親戚の、その誰か。そして現在も使われているらしい様子に、どうしても意識は執事から聞き、夕食の際に聞いた『宝』の存在を思う。
 果たしてロンバートはこの通路の存在を知っているのだろうか。ロスマリンの様子では彼女は知らないようだったが、或いはロンバートこそがこの通路の利用者なのかもしれない。
 誰であれ、きっとこの通路の利用者はこの屋敷を知りつくしているのだろう。そして、もしかすると『宝』について何かを知っているのかもしれないのだ。
 ―――あるのかもしれない。
 宝が。この通路の先に。
 そこまで考えてカミューはハッと我に返る。
 今はそんなものに色気を出している場合ではなかったのだ。一刻も早く出口を見つけて、そしてこんな馬鹿げた服を着替えなくてはならないのだ。
 しかし暗い通路の向こうに、自分を待っているのかもしれない宝の存在にカミューの好奇心が強く刺激されてしまう。
 いけない、だめだ、止めた方が良い。理性はそう訴えるのに、カミューの好戦的な本能が胸の奥で徐々に育っていく。
 常に冷静たれと己自信に命じているカミューであるが、それはつまり裏を返せば冷静でない自分が存在するからである。傍らのマイクロトフが激しやすく無茶をしがちな性格で殊更にカミューのそんな部分は霞みがちだが、実のところカミューもそれなりに烈しい性格をしている。
 それでなくても、面白そうな事に首を突っ込みたがる癖は、無鉄砲が専売のようなマイクロトフにすら諌められるほどだ。今回の宝探しにしても、話を聞いた時からウズウズして堪らなかった。
 それが今こうして目の前に謎解きの一端を担うかもしれない紐をぶら下げられて、それを見逃せなどとはカミューにとって至難のわざと言える。
 ひた。
 裸足で一歩踏み出した石床は冷たい。
 けれど。
 ひたひたひた。カミューはもう躊躇わず先に向かって歩を進め出した。





 一方その頃マイクロトフは、与えられた部屋の中で落ち着かないでいた。
 相変わらずカミューの戻る気配は無く、シンと静まり返った空気に苛立ちと焦りが募るばかりである。立ち上がり暗い夜の風景が見えるばかりの窓の外を眺め、寝台の端に腰掛けては足元をじっと見詰め、かと思えば訳もなく持参の荷物をごそごそと探ったり。
 常にカミューの事ばかりを考えながら、そうして過ごしてもう数刻だ。
 早寝早起きが日課のマイクロトフが、もうそろそろ眠気を覚える頃で、それでなくても遠出をしてきて今日は随分と疲れていた。これが相手がカミューでなければ、そのうち勝手に戻るだろうと先に一人で就寝するだろう。
 しかし、眠れよう筈がない。
 今こうしている間にもカミューがどんな目に合っているのか、それを思うと不安でたまらない。これはだが、心配という類のものではなかった。我ながらここまでとは、と呆れるほどだが、今マイクロトフが抱いているのは紛れもない独占欲である。
 同じ屋敷の中にいながら、カミューが別の誰かといるのかもしれない。カミューの瞳が自分ではない物を見ているのかもしれない。そんなことを考えるだけで、腹の奥が焼け爛れそうなほど熱くなる。
「くそ…っ」
 短く罵ってマイクロトフは荒々しく立ち上がる。
 そもそも、こうして動かずにじっとしているから鬱屈が溜まるのだ。せめて何か行動に移そう。
 思ってマイクロトフは扉に向かう。
 まずは部屋の周囲を探してみよう。入れ違いになっても困るから、直ぐに戻れるように。



 そして部屋の外に出たマイクロトフは、当て所なく取り敢えず部屋のある二階の廊下を奥へと進んだ。
 確か執事は図書室や遊戯室などもあると言っていた。もしかするとカミューはそんな類の部屋にいるのだろうか。進むうち、マイクロトフは踊り場のような空間で立ち止まった。
 廊下から小部屋の広さほど抉るように設けられたその場所の奥には、壁に大きな両開きの扉があった。ふと視線を巡らせれば、談話室と書かれた札がある。
 マイクロトフは躊躇わずにその扉を開く。鍵のかかっていないその扉は大きさの割に軽く開き、広い室内の様子をマイクロトフに見せた。
 常に明かりを灯しているらしい談話室は、今は無人だった。大きく座り後こちの良さそうなソファーに座る人影もなく、小さな棚に並ぶ本の類を手に取る人物もおらず、キャビネットに並んでコルク栓を見せている酒瓶を吟味する者もいない。
 そんな室内をぐるりと見回してマイクロトフは肩を落とす。しかし、今は濃い色合いのカーテンに隠された窓は、昼間には充分すぎるほどに温かな陽光を取り入れるのだろう。昼寝好きのカミューが気に入りそうな場所だと思った途端、僅かばかり気分が上昇した。
 しかし自分のそんな安直な感情の変化に、マイクロトフ自身は気付いていない。相変わらずカミューの不在に気を揉みながら、扉を閉めて次の場所を探す。
 ところが、続く廊下をゆっくりと進む足が、不意に立ち止まる。
 何事か声が聞こえたような気がしたのだ。そして耳を澄ませば、確かに壁一枚隔てた程の向こうに女性の声がした。
 いったい何処だとマイクロトフは周囲を見回す。すると少し先に廊下の分岐があった。足早に、しかし足音を立てない様に進むと、角の手前で立ち止まり頭だけを覗かせる。すると、廊下の先に女性が立っていた。
 いや、厳密には一枚の扉の前に立っている。
 扉は薄く開かれ、女性を迎え入れようとしている者の姿も見えた。それは夕食の席で見かけた男性の一人で、良く見れば女性も離れた席に居たように思うが、女性の顔を覚えるのは不得手であるマイクロトフに確信はない。
 ただ、マイクロトフはその覚えのある顔よりも、その出で立ちにぎょっとした。
 女性はなんと薄手の寝着の上にガウンを纏っただけの姿なのである。しかも夕食の時には美しく結い上げられていた長い髪も、今は緩やかにとかれて、実に気だるい風情だ。
 そして男性の方はといえば、口元に微笑を浮かべてそんな女性を相手に何かを静かに語りかけている。その、あられもない女性を前にしてあまりに自然な態度にマイクロトフは戸惑った。
 あの二人は、恋人か夫婦かだったろうか?
 しかし夕食の席では離れた席で、まるで他人のようだった覚えがある。それにもしそうした間柄ならば、ロンバートやロスマリンが気を利かせて近くに席を置くはずだ。
 では……?
 考え込むマイクロトフの前で、しかし不意に女性が動いた。
 何とも大胆な事に、女性は男性の首筋に抱きつき口付けをねだっているではないか。しかも男性もまんざらではない様子でそれに応えている。そして、マイクロトフが呆然と見守る中、扉が音も立てずに閉じられ、後には無人の廊下が残った―――。
 ―――な。
 開いた口が塞がらないとはまさにこれ。
 マイクロトフは呆然としたまま廊下の角で硬直していた。目の前で起きた出来事が、信じられなくて理性が処理してくれないからである。
 親しくもない間柄の女性が、夜に男性の部屋を訪れる。しかも夜着で、無防備極まりない格好でである。そして男性はねだられるままにそんな女性に口付けを施し、腰を抱いて部屋に招きいれた。
 これは世に言う夜這いである。
 そう思い至った途端、マイクロトフは瞬間的に首筋まで真っ赤に染め上げた。
 いや、夜這いとは通常男性が女性の元を夜に人目を忍んで訪れる事を言うのだろうが、しかししかししかし。
 マイクロトフはガッと拳を握り締めると、来た道を猛然と戻った。
 そして己の部屋に舞い戻ると扉を閉め、そのまま寝台に頭を突っ込む。そこで漸く沸騰しそうなほどに混迷を極めていた頭が冷えた。
 恋愛は個人の自由だ。
 世の中には奔放な女性もいるだろう。
 それにこうした旅先で、偶然出会った相手と恋に落ちたとして、非日常的な状況では普段の慎ましさも忘れて、情熱的になっても不自然ではないかもしれない。
 ………。
 まて。
 カミューは?

 何故、戻ってこない―――。

 考えて、マイクロトフは直ぐにそれを否定した。
 頭を大きく振って寝台に勢い良く突っ伏す。
 これではまるでカミューを疑っているみたいではないか。戻ってこないのは何か不都合が起きたからで、決して不実を行っているからではない。
 何故信じられない。
 カミューを大切に想うのなら、心底から信頼せねば。

「……くっ…!」
 そうせねばと思うのに、結局どうしても苛立ち焦る心が抑え切れないマイクロトフである。
「うぉぉぉぉおおお!!!!」
 雄たけびを上げてマイクロトフは寝台を殴りつけた。



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マイクロトフが随分未熟者です。
カミューも好奇心に負ける辺り、まだまだ若い。
いや…26だの27だのの時点でもう充分若いんですが、このお話ではそれより更に若い頃のお話なので。
この後の展開はお約束…?

2003/11/20

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