馬鹿な真似8
立ち止まりカミューは嘆息した。
一時間ほどさ迷っただろうか。或いはほんの僅かな時間だけだったのかもしれない。
窓の無い、洋燈に灯した炎だけが頼りの狭い隠し通路では、正確な時の流れを掴みにくかった。だが壁や床を探りながら、ゆっくりと歩いているカミューにとって時間はひどく緩やかに流れているようだった。
しかも薄暗い通路の端々に注意を向けるのは疲れる作業だったし、更にドレスが足手まといとなってただ歩くのも大変だ。壁に手をつくとカミューはやれやれと肩を落とした。
意外に通路は複雑だった。
流石に大きな屋敷のなかだけはある。階段がやけに多く、曲がり角も少なくない。そろそろ『迷った』のだと自分で認めなくてはならない頃だろうか。馬鹿な真似をしたものだ。やはりあの時色気を出さずに純粋に出口だけを探して歩けば良かったのだ。
「…くそ」
誰ともなしに吐き捨ててカミューはずっと片手に持っていた真っ赤なハイヒールを投げ捨てた。そして、勿体無いとは思いつつも光沢を放つ美しい織りのドレスの裾を掴むと、ぎゅっと絞って力任せに結びこんだ。
おかげで膝から下が露わになったが、見る者など誰も居ないこの狭苦しい空間では大した格好ではない。ただ自分自身が惨めで情けないだけだ。
そうして動き易い格好になって、改めてカミューは前方の暗闇を見据えると再び決意も新たに歩き出した。見間違いでなければ先の方に今までになかった更に上に通じる階段があるようで、この際どんどんと上を目指していってやろうと心に決める。
地下なら何処が行き詰まりか分からないが、上へいくのなら三階建てのこの屋敷で、そのうち屋根にたどり着くだろう。そうしたら無理矢理にでも屋根板をぶち抜いてでも外の空気を吸ってやる。
ところが意外なことに階段はかなりの急勾配だった。
いったい何処へ、と首を傾げながら素足でぺたぺたと階段を上っていくと、どうやららせん状になっているらしい階段はぐるぐると小さな円を描きながら上へ上へとカミューを誘う。そして随分と高い場所にきたのではないか、と思った頃、目の前に小さな扉が現れた。
「……まさか、あの鐘…」
不意に脳裏を掠めたとある予感に、カミューは小さく呟きを落とす。身を屈めなければくぐり抜けられないような小さな扉を見つめる瞳は大きく拡がり、薄く開いた唇が震える吐息をこぼした。
そっと手を伸ばし、取っ手を探る。
施錠すらされていない木製の扉は、いとも容易く押し開かれた。しかし蝶番には油がさされているのか、軋みひとつあげずに扉は滑らかに開き向こう側の景色を惜しみなくカミューに見せた。
「うわ―――」
驚きに思わず声があがる。
カミューの立つ場所は、高い小塔の上。人ひとりが立つので精一杯な空間で、見上げた頭上には尖った庇の中に小さな鐘が釣り下がっている。鐘からは丈夫そうな紐が、足場に穿たれた小さな穴から下方へとずっと繋がっている。
そこは、屋敷の中央の塔のまさしく一番頂上だった。夕食時に屋敷中になり響いていたのはこの鐘だ。
まさか隠し通路がそんな場所に通じているとは、小さな扉を開ける寸前に過ぎった考えが的中したことを喜べば良いのかどうか分からないカミューである。
何しろこれ以上無いほどの行き詰まりである。足元に気をつけながらそろそろと下を見遣れば、広々とした屋敷の屋根が塔からずっと下の方にある。外の空気は吸えたものの、結局隠し通路を逆戻りする意外に脱出の手段が無いらしい。
仮にここから飛び降りたとしたら、確実に昇天だろう。結局『宝』も見つけられずじまいで、またあの狭い通路を後戻りかと思うと気が滅入る。
「……くそ」
小さく罵ってカミューは嘆息混じりに天を仰いだ。
ところが、そこで不意に琥珀の瞳が大きく見開かれる。
「あ…!」
驚きの声をあげてカミューは夜気を吸い込んだ。
その頃マイクロトフは、やっぱりじっとしていられずに再び部屋を飛び出して、屋敷の中をカミューを探して歩き回っていた。
あれから暫く部屋の中でじっとしていたものの、風の音と木々のざわめきしか聞こえない静かな夜にひとりで居たら嫌でも頭が冷えるのだ。結局、カミューの誠を疑うのがどれほど馬鹿げた事か思い知っただけである。
そうすると、今度は別の心配が頭をもたげてきた。
執事の言葉によれば遭難するほど広い屋敷だ。もしかしたらカミューは部屋に戻ろうとして迷っているのではないか。―――その推察はあながち間違いでもなかったが、流石に隠し通路で迷っているとはマイクロトフも思いつかないだろう。
ともあれそんなことを案じ始めたら居ても立ってもいられなくなった。このまま放っておいても朝までカミューが戻らねば、と思うだけで胸が焼けるような心地になってしまう。もしや助けを呼んでいるのではないか? 困った事になっているのではないか?
そのうちマイクロトフの心にメラメラと燃えるのは、カミューを探しださねばならないと言う使命感。
「今行くぞカミュー!」
拳を握り締めて鼻息も荒く飛び出した無鉄砲な男である。
しかし、この時確実に二人の間にわだかまる距離は縮められようとしていた。
先ほどマイクロトフが覗いた談話室である。その前を再び通り過ぎようとしたマイクロトフは、不意に聞こえた不審な物音に足を止めた。
分厚い木の扉の向こうから、ともすると聞き逃していてもおかしく無いほどに小さな音だったが、確かに不自然な音がしたのだ。マイクロトフはそしてそっと扉をもう一度開いた。
未だ明かりの灯ったままの談話室は、少し前に見た時となんら変わらないように見えた。しかしマイクロトフは室内に踏み込むと注意深く広々とした中を見回す。
そして視線を部屋の窓側の一番右手奥にある、観葉植物で区切られた一角に定めた。
そこには背の高い植物が等間隔に並べられ、室内で一区画だけ視線を遮っていた。しかし完全には隠しきっていない、植物の枝葉の向こうには大きな寝椅子が横たわっている。そして壁側には背の高い本棚が据え付けられ、重厚そうな本の背表紙が見えていた。
どうやら、小さな読書スペースのようだった。
しかし、そこにふと実に不自然な色味を発見してマイクロトフは瞳を眇めた。
赤い。
一瞬、カーテンの色かと思われたそれは、寝椅子にもたれるようにして広がっている。更に目を凝らすとそこから白い何かが突き出ているではないか。そしてマイクロトフはそれが人の腕である事に気付いてぎょっとした。
誰かがいる。しかも、光沢のある赤い生地は恐らくドレスの類である。と言うことは、そこにいるのは女性だ。
途端にマイクロトフの脳裏に先ほどの出来事が過ぎった。
夜半に男性の部屋を訪れた、積極的な女性の姿。
まさか、と一瞬思う。
もしそうなら邪魔をしてはいけない。それこそ不審な物音がしたからと容易に踏み込んで良いような状況ではないのだ。
焦ってマイクロトフは足音をたてないように、後退さろうとした。だが、その時再びガタンと音がして、同時に聞き覚えのある声が聞こえた。
「……った…」
見れば寝椅子から赤い生地が消えている。滑り落ちたのか、と頭のどこかで判断するも、聞こえた声にマイクロトフの目が驚愕に大きく見開かれた。
「カミュー……?」
まさかそんな、信じられない。
赤いドレスの女性と、逢引をしている相手が、カミューだとは…!!
誤解である。
だが瞬時にそう考えてしまったマイクロトフに罪はあるのか。
誰だってよもや最愛の男が、女装姿で隠し通路を徘徊した挙句、やっとの思いでそこから出てきたところなのだとは思うまい。しかもマイクロトフは最前女性の夜這い姿を見てきたばかりだ。
途端にカッと頭に血が上った。
かと言って不実を責める気持ちが先に立ったわけではない。ただひたすら驚愕と困惑に思考が満杯状態になってしまったのだ。
気がつけば足はその一角に向けて大股で歩み出してる。
握り締めた拳は固く震え、見開いたままの瞳は寝椅子の向こうを凝視している。
そして、マイクロトフは目の前が赤く染まったまま、観葉植物の隔てを回り込むと、勢い良くそこを見下ろしたのである。
「……………」
「や、やぁ…マイクロトフ……」
まさしく真っ赤。
赤く染まった視界に現れたのは、赤いドレスに身を包んだカミューその人。
彼は引き攣ったような笑みを浮かべて、寝椅子から転がり落ちた格好のままマイクロトフに片手をあげてみせた。
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ごた〜いめ〜ん(笑)
今回が、お話の冒頭部分と重なります。
実際赤さんは青に助けを求めているので、青が飛び出したのは正解ですね。
2003/12/06
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