馬鹿な真似9


「カミュー……おまえ」
 声を震わせるマイクロトフの視線はカミューのまとう真っ赤なドレスへと注がれたままだ。その瞳に含まれる驚愕以外の何かに、はっと気付いたのはたくし上げたままの裾。
「う、うわ」
 歩くのに邪魔だからと絞って結び込んだドレスの裾を慌てて解くが、膝上まで露わになっていた素足はしっかりマイクロトフの目に入っていた。
「……ど、どう…っ」
「これは違うんだマイクロトフ。誤解するんじゃないぞ無理やりだったんだからな。わたしが着たいと思って着たんじゃない」
 己を指差し赤い顔で震えるマイクロトフに、カミューは眦を染めるとドレスの裾を握り締めて力説した。
「ロスマリン殿らのお遊びに付き合わされたんだからな? 叶うなら直ぐにでもこんなドレス脱ぎ捨てたいんだ」
 決して女装趣味があるわけではない。断じて違う。
 マイクロトフもそんな必死なカミューに漸く驚きが薄れたのか、ほっと息をつくと目前に膝をついた。だがその黒い瞳が心なしか熱を孕んでいるように見えるのは気のせいだろうか。
「脱ぎたいのか」
「え……マイクロトフ?」
 背後に凭れている寝椅子の木枠が、やけに背中に硬く感じた。だがそれを気にするよりもマイクロトフの差し伸べてくる指先がカミューの身体の前で小刻みに揺れている方が気にかかる。
「マイクロトフ。その手は、なにかな?」
「む……」
「ひゃあっ!」
 低く唸ったかと思った途端、するりと裾から忍び込んできた掌の感触にカミューは身体を飛び上がらせた。
「なななななに…っ」
「いや、これはどうなっているんだろうか、と」
「どうってただのドレスだ! ばかっ、離せ!」
 ぐいーっと迫ってくる身体を押し退けようとするが、太腿を撫でてくる掌がきわどいところに触れると、どうしようもなく力が抜けていくのだ。
「や、やめないかマイクロトフ!」
 埃がついて皺だらけになっているが、今着ているドレスは借り物の高級品だ。それでなくとも、ここは自分たちの私室ではない別の何処かの広い部屋ではないのか。
 しかし、圧し掛かってくる男はもう片方の手で、ぐいと襟元を掴んだ。
「破るなよ! 破ったら怒るからなっ」
 この期に及んでドレスの心配をしている自分がなんだか嫌なカミューである。それ以前にどうしてマイクロトフが突然そんな気になったのかが分からない。混乱の極みである。
 よもやマイクロトフがレディの夜這い姿を見て触発されたとは考えもつかないだろう。
「カミュー、綺麗だ」
「ふざけるな莫迦〜」
「ふざけてない、本気だ。驚いたぞカミュー……本当に綺麗だ」
 言ってマイクロトフは首筋に埋めていた顔を上げ、少し身体を離すと目を細めてドレス姿のカミューをまじまじと見つめた。その満足そうな笑みになんだか次第に恥ずかしくなってくるカミューである。
「あんまり見るなよ」
「何故だ。きっとこんな格好のカミューはもう見られないだろう?」
「当たり前だ」
「だったら良いだろう。どうせ今は俺しか見ていない」
 そしてマイクロトフは再びカミューの首筋へと顔を埋めた。いつの間にか器用に留め金を外された襟の下、ぴちゃりと舐められてぞくりと背筋に悪寒が走る。
「マイクロトフ」
「大丈夫だ」
「なにが大丈夫なんだ、まさかこんな場所でおまえ……」
 こんな時ばかりはマイクロトフの指先は巧みに動いて、カミューが苦労して着込んだドレスをするすると脱がせていく。だが全てを脱ぎ去るには複雑すぎて、肩を抜いただけの格好で袖口は留まったままと言う妙な格好になる。
 半分だけむき出しになった上半身を、しかしマイクロトフは嬉しそうに愛撫していく。
「マイクロトフ」
「うん?」
「一回だけだからな」
「無論だ。後は部屋に戻ってからだな」
「………〜〜〜!」
 臆面のない物言いにカミューが言葉を無くしていると、不意に愛撫する手が止まってぎゅうっと身体を抱きしめられた。なんだか腕の中に閉じ込めるような深い抱きしめかたに、マイクロトフの様子を伺うと溜息のような吐息が耳元から聞こえる。
「マイクロトフ?」
「心配した」
 途端にどきりとする。
 そういえばマイクロトフはカミューを迎えに、ロスマリンたちの元へ現れたのだ。あれから散々歩き回って今に至るまで、それなりの時間が経っている。苦笑してカミューはそんなマイクロトフの背に回した手でぽんぽんと広い肩を叩いてやった。
「実は、遭難していたんだよ」
 詳しくは後で説明をするから、と。
 独りで狭い通路を延々と進んだ数分前の自分を思い出して、カミューはマイクロトフの胸に身をもたせかけた。きっとそんな自分をとても案じてくれただろう男に抱きついて、にっこりと微笑を浮かべる。
「探しに出てくれたのか?」
「ああ。こうして無事に会えて良かった」
「…うん」
 最初は気付かなかった。
 通路を引き返してきたところで、通路の石壁が一部ずれて光を覗かせていたのだ。飛びつくようにしてその周辺を探ると、隠し扉を開いたときと同様に細工が施されていて、突起を引くと壁が動いたのだ。
 それは入った時の扉と違って、横に長い戸袋の板戸のようだった。這うようにして身体を引きずり出すと目の前には寝椅子があり、やっとの思いでそこにしがみ付いた。しかし、その手がするっと滑ってガタンと大きな音を立てた弾みで隠し通路に通じる戸が閉じてしまった。
 きっと今も注意深く見てみなければ分からないのだろう。マイクロトフもまさかカミューがそんな場所から出てきたとは思っていない。どちらかと言えばマイクロトフがそこにいた事が驚きだった。
 だがほっと息をついていると、またもや不埒な手がドレスの裾の下を這い始める。
「マイクロトフ……」
「いつもと違う感じがするな」
「…くっ……」
 悪びれず再び遠慮もなく触れてくる手に、カミューは目を閉じると諦めたようにその肩に首を寄せた。
「絶対にドレスを汚すなよ」
「分かっている。だが、着たままでは駄目か?」
「……変態かおまえは」
 呆れて呟きつつも、カミューの腕は己を抱え込む男の首へとしどけなくまわされる。それを許諾と取ったかマイクロトフの手はますます大胆に動き始めたのだった。





 しんと静まり返った談話室内に小さな吐息がこぼれる。
「……ふ…」
 漸く二つの身体が離れた時、真っ赤な絹で仕立てられたドレスは無残な姿となっていた。汗が染み、皺と呼ぶにはあまいほどにもみくちゃにされている。
 カミューがのろのろと起き上がると、ドレスの裾がさらさらと床を滑って光沢をはじく。
「大丈夫かカミュー」
「……立てない」
 情けない声でカミューが訴えると、マイクロトフは一瞬黙り込んだものの、直ぐに頷いてみせるとよしと脱ぎ捨てていた上着を広い寄せた。
 その上着で情事の余韻が色濃く残るカミューの肩を包むと、浮いた膝裏に腕を差し入れてその身体を抱き上げる。
「直ぐ部屋に戻るから」
「このまま?」
「もう夜も遅い。誰も見んだろう」
 だいいち、見られたところで誰もドレスの主が男とは思うまい。
 マイクロトフに言われるまでもなくそう思い至ってカミューは素直に抱き寄せられるまま、その肩に苦笑をこぼす。
「ではよろしく頼むよ」

 そしてカミューが思ったよりも早くに部屋に帰りつくと、今度こそ明るい照明の下でドレスを脱ぎ、服を着替えた。マイクロトフは少しばかり残念そうな顔をしていたが、着替えて漸くほっと人心地ついたカミューである。
 しかし、と、広げたドレスの散々な有様にロスマリンの笑顔が浮かぶ。
「これは、参ったな……」
 呟くカミューにマイクロトフが一転して心配そうな目をした。
「もしかしてこのドレスは高価なのか?」
「特注品だからね」
「そうなのか?」
「……わたしが着れるような代物だぞ。普通のドレスよりもずっと布地もいるし、特別な型紙でなければ無理に決まっている」
 だがマイクロトフにはそんなドレスの仕組みなどまるで理解不能であるらしい。今ひとつ良く分かっていないらしい顔で首を傾げている。その顔を些かの腹立ちを持って睨み付けながら、カミューは教えてやった。
「十万ポッチはいくかな」
「な! 『大地のよろい』より高いのか!」
「うん。平騎士のひと月分の給金を軽く上回るね」
「信じられん!」
 それでもこれくらいのドレスならばそのくらいはする。装備の『かたあて』が十は買える金がこのドレス一着に注ぎ込まれているのだ。しかし今それはくしゃくしゃに丸まって汗まみれである。
「参ったなぁ」
 ロスマリンなら笑って許してくれそうではあるが、それも怖いような気がする。出会ってから僅かの時間しか過ごしていないが、ランバートの奥方はどうにも一筋縄ではいかないような人物に思えた。
「仕方がない。少々気が咎めるが、あの手を使うしかないか…」
 言って溜息をこぼしたカミューを、マイクロトフが不思議そうな顔をして見ている。
「カミュー?」
「……もう二度とドレスなんぞ着ないからな」
 恨めしげなカミューの声に、ひくと顔を引き攣らせたマイクロトフであった。



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次で終わりでしょうか。
なんとか四周年の前に終わりそうです。ほっ。
ちなみにすっ飛ばしたシーンは書きません!(笑)

2004/01/15

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