Oriel window


 翌朝の事。
 寝起きのぼんやりとした眼差しのまま、カミューはごそごそと起き上がってずるずると寝台から這い出し、南に面した寝室の張り出し窓へと目を擦りながら向かった。
 そして身を乗り出しカーテンの隙間からそっと外を覗き込み、ややおいてゆっくりと寝台に寝そべるマイクロトフを振り返った。
「見ろ、おまえの好きな雪景色だ。一面真っ白で綺麗だぞ?」
「―――もう、見た」
「あぁそうだね」
 今朝、自然な目覚めに促されてカミューがゆるゆると目を開けた時、全身がマイクロトフの気配に包まれていた。そして息のかかりそうなすぐそこには端正な顔があり、ずっと起きたままカミューを抱いて寝転んでいたらしい、すっかり目覚めた眼差しで微笑み返された。
 それはつまり、いつもの如く早朝に起き出して律儀に賭けの結果を確認したからに違いなく。
 カミューは機嫌良く微笑むと更に身を乗り出して張り出し窓に腰を掛けて窓を押し開いた。途端に身を切るような冷たい新風が吹き込む。
「冷たい……」
 囁いて、雪に覆われた城下を見下ろせば何処もかしこも早朝の煌きに輝いている。
「カミュー、風邪を引くぞ」
「換気した方が身体には良い」
 しかしカミューは薄手のシャツを羽織っただけの姿である。それでも寝起きの気だるい温もりが身体の内側に残っているのだろう、さほど寒くも無さそうに微笑みを浮かべて外を眺めている。マイクロトフはひっそりと吐息をついて起き上がった。
「薄着は寄せ」
 背後からカミューに毛布を被せて、一緒になって外の景色を見下ろす。そうしてから不意に覆い被さるようにして軽く抱き付いてきた。
「そう言えばカミュー。もう雪はそう嫌いではなくなったのか?」
「え?」
 唐突の問い掛けにカミューは一瞬呆然とし、それから驚いて背後に顔を捻じ曲げた。だが子供のように確りと背に抱き付く男の髪しか見えず、諦めてまた前を向いて俯く。
「どうして……」
 雪が嫌いだと知っている。
 そんな事は一度も口にした覚えはないはずなのに。
 するとマイクロトフは項垂れカミューの肩に額を預けてぼそぼそと呟いた。
「雪の降る日のカミューは、何処か遠い場所にいるような気がしていた。それが降り積もって街を覆うほどになるとよりいっそう……」
 遠かったんだ。
 カミューの背中に声を響かせマイクロトフはそう言う。
「でも最近は、今年の冬はそう感じることが少ない。雪は、平気になったか?」
「マイクロトフ」
 カミューは息を整えて目をそっと伏せた。
「雪は、好きだよ……綺麗で、清浄で―――砂の荒野とは似ても似つかない」
 落ちた囁きは、しかしマイクロトフにはどう言う意味か分からなかった。
「カミュー?」
「もう、夢は見ないんだ。だから……」
 マイクロトフの腕の中で、何とか身を捩って振り返りカミューは笑う。
「おまえが好きだという雪景色が、わたしにとっても好きなものになったんだ」
「夢ってカミュー……?」
 だがカミューはもうそれ以上は何も言うつもりがないようで、口を笑みの形に閉ざすと、再び前を向いてマイクロトフの胸に背を預けた。仕方が無くマイクロトフは腕を伸ばして窓を閉じると腕の中のカミューを更に毛布で包み込み、張り出し窓から引き離した。
「冷えるぞ」
「うん」
 こくりと頷く金茶の髪を撫で、窓を閉めると寝台へとまた連れ戻す。
「朝寝、するんだろう?」
「あぁ…マイクロトフと一緒にね」
 くすくすと笑みが零れて、マイクロトフも苦笑を漏らす。
「好きなだけ付き合おう」
 どさりと寝転んでごそごそと体勢を変えて、カミューは毛布から抜け出しマイクロトフの腕の中に直に潜り込むと、満足げな吐息をついた。
「幸せだな」
「朝寝がか? お手軽な奴だな」
「そう思っていても構わないけどね。マイクロトフ? 朝寝も、おまえとするから幸せなんだがな」
 だがマイクロトフは複雑な表情を浮かべると、窓の外に視線を向けた。
「……俺は、起き抜けに汗を掻かんと落ち着かん」
 習慣になってしまっている早朝訓練の事を言ったのだが。
「なら一緒に汗を掻くかい?」
 問われて一瞬その意味が掴めずきょとんとする。だが直後にカミューが薄く笑ってマイクロトフにくちづけて、途端に理解が及んで赤くなる。
「…カミュー……」
「どうする?」
 にやりと笑うカミューに、マイクロトフは胡乱な目を向けてからその腕をしなやかな肢体に絡めることで答えを返した。問われるまでもなかった。
 室内は外の雪が反射する光を吸収して、常に増して薄く明るい。だがそんなものは抑制にはならない。二人はそして再び唇を重ねた。



 白い。どこまでも白い世界が、果てしなく続く冬の朝。
 満たされる想いにカミューはただ幸せな笑みをマイクロトフに向けた。





 いつの間に、眠りに落ちていた。

 夢の中でカミューは周囲を見まわす。
 そこはかつて何度となく訪れた覚えのある、果て無き砂漠。風が吹き抜け身体の其処彼処に虚を穿たんと、強く砂塵を叩き付けて来る。

 ―――また、来てしまったと?

 蒼褪めカミューは砂に埋もれそうな足を動かし、前へと進んだ。

 ―――何故。

 不安など無いはずだ。どうして今になって。
 嫌だ。このまま砂に囚われてしまうなど。
 だがカミューは我を失いそうな恐怖に囚われながらも、かろうじて自我を保っていた。以前は無かった強さが、今はある。その現実に助けられてカミューは正面をふと見据えた。
 この虚無の砂漠で、それでもずっとただひとつ確かな存在として在り続けた愛剣に手をかけて、する、と鞘から滑らせる。
 抜け出せないのなら。

『切り抜けるまでだ……』

 低く言い放ちカミューはユーライアを構えた。
 かつては何処までも虚無が続きそうな想像に怯えていた。何処まで行っても所詮安息の場所など無いのだと。
 だが今は。
 そこに必ずいると確信できる。

『悪夢を……終わらせる』

 それでも果て無く続く砂漠の何処に剣を突き立てると言うのか。
 だがカミューは諦めてはいなかった。必ず抜け出せると信じている。それは確信だった。

 不意に、風の向きが変わった。
 その刹那、掠めるように清浄な気配が流れて過ぎていった。
 カミューはその僅かな流れを逃がさなかった。

『あぁ…そうか』

 囁きを落としてゆっくりとユーライアを掲げる。

『本当は、いつでもそこにあったんだな……』

 目前。何も無いはずの空間にユーライアの切っ先が埋もれた。そこから布地が裂けるように刃にそって亀裂が走り、眩しい白い光りが弾ける。

『わたしが気付かなかっただけで―――』

 いつの時も、あったのだ。
 微笑んでカミューは広げた亀裂に指を差し込んだ。そこから光が広がりカミューの全身を包み込む。
 その光が少しばかり冷たく感じて、まるで雪に覆い包まれていくようだと、眩しさに視界を奪われながらカミューは思った。





「マイクロトフ……」
 確信に導かれてカミューは手を伸ばす。すると、間違いのない温もりが指先を包んだ。
「カミュー、まだ寝惚けているのか?」
「……ん…?」
「よくもこれだけ眠れるものだな」
 感心したような声が、耳に届く。
 眩しさに強く瞑っていた目蓋を押し上げれば、苦笑する男の顔がそこにあった。
「あれ……?」
 カミューはきょとんと首を傾げてそんなマイクロトフの黒い瞳を見つめ上げる。だがややあって至福の笑みを浮かべた。
「マイクロトフ」
「なんだ」
「また、共に朝寝をしような」
 そして僅かに身を起こして、目前にあった男の唇に触れるだけのくちづけを送った。
「カ、カミュー?」
「ん?」
 なにやら顔を赤くして素っ頓狂な声をあげるマイクロトフにカミューは変わらずの笑みを浮かべたまま「な?」と返答を促した。するとマイクロトフはぐるぐると目を回しながらも頷いた。
「……たまには、な」
「あぁ、たまには」
 男の返答に満足してカミューはまたころりと敷布に頬を擦り付けて寝床に懐く。その仕草に、途端に慌てたような声が降ってきた。
「おい、まだ寝るつもりなのか?」
「だって今度は良い夢が見れそうだからな」
 今度は? と首を捻るマイクロトフに、カミューはそう、と頷いてまたごそごそと動くとマイクロトフの腕の中におさまるとちらりと見上げた。
「付き合ってくれるよな?」
 にこりと、美しく微笑む青年の問い掛けに、すっかり惚れ込んでいるらしい男が否やを返せるはずもないのだった。



end



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まぁつまりはこの赤にとって青は心の空虚を埋める存在、と。
常夜灯のように、闇夜の月のように。
暗くて翳りのある場所をも照らしてくれる。
おかげで自分の弱いところや嫌なところとも向き合わなくてはいけないけど、そんなものから顔を背けて逃げるよりはずっとましです。
この後は皆様ご存知の、サイトにあるらぶらぶーな青赤になりますね。
ここまで読んで下さって有難うございました。

2004/06/07

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