Oriel window
あの夜から一年後の、冬。
それは、そろそろと冬の足音が遠ざかっていく頃。
赤騎士団の第一中隊長と青騎士団の第八中隊長は揃っての非番を得て、街をふらりふらりと歩いていた。
そんな、何処にいても目立つ二人組みを見つけた警邏中の赤騎士が不意に声を上げた。
「あれマイクロトフとカミュー……」
言いかけて慌てて口を閉ざす。
「じゃなかった、マイクロトフ隊長にカミュー隊長。買い物でありますか?」
上位にあたる二人に、かつての同期である赤騎士が威儀をただして礼を構える。
それにカミューがふわりと微笑んで頷いた。
私服姿の彼は、赤い騎士服姿の常とは違った魅力を持っている。明るい色合いの外套がふわりと暖かみを増した風に煽られ、金茶の髪も一緒にさらさらと流れるさまは、思わず見惚れてしまうような美しさがある。
同じ男に魅力も美しさもないと思うのだが、騎士団の中どころかロックアックスの町でも有名なこの実力のある騎士の美男ぶりは、誰が否定したところで事実なのだ。
「あぁ先日マイクロトフが落として割ったグラスの替えを探しにね。お勤めご苦労様」
にこりと微笑まれて、赤騎士は思わず頬を赤らめつつカミューの背後に控えるように立っていた青騎士隊長をちらりと見た。
こちらはカミューと対照的に黒い外套をそつなく着こなしている。年齢は確かカミューよりもこの赤騎士よりも下の筈なのだが、何故だかこの場の誰よりも落ち着いた風格がある。それはにこりともしない生真面目な表情からきているのだろうか。
だが、そんなマイクロトフを指差して微笑むカミューに、赤騎士もつい笑みを浮かべて言葉を返している。
「硝子の品ならば、先日雑貨商が新たな店を開いたばかりで、珍しい他国のものを多く揃えてありましたよ」
「へえ、どこだい?」
カミューが物珍しそうな顔をして直ぐ反応を返すと、赤騎士は「すぐそこです」と坂の上を指差した。
「ご案内致しましょうか」
「あぁ、頼むよ」
それでは、と赤騎士はカミューと並んで歩き出す。その後ろを、ずっと黙り込んでいたマイクロトフが何も言わずついてきた。そのさまにあぁそう言えば、と赤騎士は不意に一昨年前のことを思い出しす。
あれは冬の入りの頃だったと思いを馳せる。
まだマイクロトフは小隊長の位で自分と同位だった。対するカミューはもう第五中隊の隊長を務めていたが、まだ同期の気安さが抜け切れず今よりももっと砕けた態度で接していたような覚えがある。
あの時もこうして三人で歩いた。
確か務めの帰りだったか。
あの頃と比べて位階を随分と引き離されたなぁと思うものの、この二人の実力ではまだまだ差がつきそうだ。それはかえって同期として誇らしい気がする。
あの頃はこの二人が親友同士であると言うのが不思議でならなかったものだが、今は実はそうでもない。
一年も経ってみれば、随分と変わるものがある。
こうして二人を見比べてみれば驚くほどしっくりと来る一対で、団の違いでその属する色が違うからこそまたそれが余計に映えるのだ。それはまた彼らが纏う本質的な色合いもあるのかもしれない。
片や華やかな誰もが魅了される笑顔の青年と、片や確固たる意思を秘めた眼差しを持つ青年と。見た目も言葉遣いも印象さえ違うのに、彼らの持つ華と言うのか迫力と言うのか、そんな形に見えないものが同じだけの輝きと力を持っているのだ。
それは、一年前と比べて随分と良い方へと変わっていた。
カミューはずっと物柔らかになって受ける印象が丸くなったし、マイクロトフは頑是無い印象が少し落ち着いて凪のような雰囲気を纏うようになった。
なるほど、あれから彼らは少し大人になり、そしてこれから先もお互いに肩を並べて力を競い合い、夢を語り合い成長するのだろう。
そうして赤騎士が密かに内心で納得をしていると、不意にカミューが足を止めた。
「あれ?」
首を傾げて前方をじっと見つめている。その視線の先を見ると女性が往来で一人難儀していた。どうやら手に持っていた籠がひっくり返って中身が道に散らばったらしい。パンや包みやがころころと転がっている。
大変だ、と赤騎士が思うより先にカミューがすっと駆け寄った。
「拾いますよ」
女性が膝を折るのを制して地に膝を付き、手を伸ばして拾い集める。坂の道を転がりそうなものも素早く取り上げてぽんぽんと籠へとおさめた。そして最後に女性の手を取って籠を持たせる。
「大丈夫ですか?」
女性は頷きながらも目前の労わるような青年の秀麗な微笑に言葉を無くす。赤騎士はそんな風景にこいつは出世しても相変わらずだなと肩を竦めた。そしてやっぱりマイクロトフは眉間に皺を寄せているのだろうか、と思って振り返れば。
「カミュー」
普段と変わらない生真面目な顔付きのまま、ただ横道にそれたカミューに戻れと促す。またカミューも女性に別れを告げると素直に戻ってきた。
「待たせたね。さぁ行こうか」
にっこりと。
再び歩き始めながら赤騎士は首を傾げた。
何かが違う。
何かが変わっている。
だがそれが何なのかわからない。
「どうかしたかい?」
「え? あ、いや……」
言い淀み、気のせいかと首を振る。流石にマイクロトフも一年以上を経ているのだから毎度同じような態度も取るまい。ところが。
「なんだ? マイクロトフ」
カミューの声に赤騎士が振り返るとそこにはマイクロトフがカミューの手首を確りと掴むという光景があった。
「おまえは直ぐにふらふらする」
マイクロトフの低い声が聞こえた。
「それでこうして握っておくって?」
くすくすと笑ってカミューは握られた方の腕を振って、繋がって一緒に揺れるマイクロトフの腕を見下ろして苦笑する。だが決して振り払おうとはしない。それどころか赤騎士の気のせいでなければ嬉しそうだ。
瞬間的に吹き出した汗にうろたえて、赤騎士はまだ店の前には至っていないのに、遠くを指差し「あそこです」と立ち止まった。
「あの店か?」
「はい、あの緑の看板を立てている店です」
「あぁ、あれか。有難う助かったよ」
穏やかな陽光にきらきらと光る琥珀が笑みに細められ、その端正な面持ちが余すところなく魅力的に映し出される。秀麗な赤騎士カミュー。だがその手首は変わらずマイクロトフが握るままで。
「それでは失礼致します」
くるりと踵を返して赤騎士はその場から逃げるように去って行った。
ロックアックス城、カミューの私室。
卓上には新品のグラスが鎮座している。
案内された雑貨商の店は赤騎士が言った通りに、珍しい品々が揃っていた。結局他の店を回る無駄足を踏む事なくそこで良い品を見つけることができたのだ。
「気付かれたかな」
グラスを横目にカミューはぽつりと呟いた。
すっかり日も落ちた宵。
暖炉の前でカミューは敷いた毛皮の上に座り込んでいた。夕食は早めに済ませ、湯も浴びてさっぱりした後である。しっとりと濡れた髪が暖炉の炎を受けてやんわりと温もりを帯びている。
その隣に、酒のボトルと新しいグラスを手にしたマイクロトフが腰を下ろす。
「何がだ?」
「昼間、赤騎士の彼だ―――我々の事に気付いたかもしれない。おまえがわたしの手首を掴んだから」
そしてカミューはマイクロトフの掴んでいた左手首を撫で擦った。
「カミューの手首など、これまでにも何度も掴んでいたが」
確かにね、とカミューは笑う。だが以前のそれと現在のこれでは少々違うところがあるのだ。つまりは。
「わたしの態度が違うんだよ」
「カミューの?」
そう、と頷いてカミューは手首を掲げる。
「前なら振り払っていたんだが、今は―――……」
振り払えないから。
ひっそりと囁いて間近に顔を寄せて微笑むと、マイクロトフは目を見開いて硬直した。
「ほら、マイクロトフ手元が危ないぞ」
カミューは身体を捩ってマイクロトフの横に手をついて、顔を覗き込みながらその手から今にも取り落としそうなグラスを攫った。
「買ったばかりのものをまた落として割るつもりか?」
そっとそれを敷物の遠くへと置きやりカミューはマイクロトフの首に腕を絡めた。
「なぁマイクロトフ」
いつの間にかその手から酒のボトルも取り上げて、カミューはマイクロトフの膝に乗り上げて猫のように懐く。そうしてひどく嬉しそうな表情を浮かべる青年のこめかみを今度は武骨な手がそっと触れて掠めるように撫でた。
「なんだ?」
やたらと接触を望むカミューにうろたえる様子も無くマイクロトフは首を傾げる。すると青年は間近に顔を覗き込む姿勢のまま、同じく首を傾げた。
「うん……今年はもう、雪は降らないと思うか?」
問われてマイクロトフはふと考え込む。
「さぁどうだろうな。まだまだ夜は冷え込むから降らないとも言い切れんが、次はもう雨かもしれんな」
「なら、今晩雪が降るかどうか賭けてみないか」
「なんだと?」
「明日の朝、景色が真っ白になっていればわたしの勝ち」
「賭けに勝ったら何を得るんだ」
「遅寝の権利。いつもみたいに休暇なのに起こしたりしないでくれ」
にやりと膝の上で笑うカミューを見上げてマイクロトフは憮然とした表情を作る。その耳にくすくすとした笑い声が届いた。
「雪が降らなければ良いんだよ?」
「しかし雪が降ったら起こしてはいかんのだろう……」
「そう、それとおまえの早朝訓練も無しな」
さらりと言われた言葉にマイクロトフが顎を引いた。
「なに?」
「だから早朝訓練に行かずに、わたしと一緒に朝寝をしてくれ」
な? と首に絡めた腕の力を強めてカミューはぎゅっとマイクロトフにしがみついた。途端に抱き締められた男の首から耳までが盛大に赤くなる。
「……ゆ、雪が降ったらな…」
「あぁ、雪が降ったらね」
密やかな笑みはそれきり、青年の背に回った男の腕で甘い吐息へと変わったのだった。
その夜はひどく冷え込んだ。
今年最後の冷え込みとでも言うかのように、水面は氷を張り、木々は美しい樹氷と変じた。そうして暗い夜の闇の中で、尤も、互いに身を寄せ合い眠りに落ちた彼らには遠い世界の出来事のようだったかもしれない。
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お初から一年後です。
マイクロトフやカミューにとってこの時代の一年てすごい濃そうです。
彼らの成長ぶりはきっと周囲が目を瞠るほどなんだろうな。
2004/05/29
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