氷の溶ける音
「うまい……」
カランと氷がグラスの中で鳴る。
揮発して無くなってしまいそうなほど度数の高い酒には、やはり大きな氷を放り込むのが美味い。
発明家のアダリーが紋章を利用した製氷機を作ってくれたが為に可能になった贅沢だった。
マイクロトフは一人、酒場で静かに酒を楽しんでいるところだった。カウンターにではなく、丸い卓を囲む椅子に腰掛けている。
同じ卓を囲む席にはあと三名ほど座れる余裕があるのだが、そこにはマイクロトフ一人だ。店内は時間帯の所為もあってほどよく混んでいるにもかかわらず、である。
理由は、彼が滅多にこの酒場を訪れない珍しい客である事と、その立場上一般人から敬遠されがちというところである。だが当の本人はそうして遠巻きにされている事に、なんの不思議も疎外感もないらしい。満足げに頷いて酒を再び舐めている。
それもちょうど良いと思っていた。
実際、公的な立場からなら幾らでも発言できるが、私的な事となると途端に寡黙になる己を自覚している。相手がカミューならば何も意識せずに会話が出来るというのに。
ふ、とマイクロトフの口元に薄っすらと笑みが浮かぶ。
あと、もう少しすれば来るはずだった。
珍しく、レオナの酒場で飲もうという話になって、待ち合わせをしたのだ。どうやらマイクロトフのほうが早かったらしい。待たずに先に始めているのは、いつもの事だ。
だがそうして一人で飲んでいるマイクロトフの耳に、ふと別の卓を囲んでいる男達の会話が聞こえてきた。
意識せずに聞き流していたものが、偶さか引っかかった言葉だった。
「だからおまえは女のあしらいが下手なんだ」
女性のあしらい方といえばカミューの右に出るものはいないのではないかと思う。対するマイクロトフはといえば、これがからっきし駄目である。
そんな事を考えている間も男達の会話は続く。
「調子に乗ってるから女同士が喧嘩なんかするんだ。まったく、上手い事やれば揉め事もないってのに」
奇妙に思った。
振り向くと三人の男達が赤ら顔で会話を繰り広げていた。三人ともマイクロトフと近い年齢で、金回りの良さそうな風体をしていた。商人だろうか。
「おまえはそこんとこ上手いよな。何人も騙しやがって悪い奴だな」
「その分、気を使ってんだよ俺は」
そして酒の満ちた杯を片手に胸を張る男は随分と優男に見えた。その隣で「あーあ」と声を上げる男が椅子にそっくり返る。
「俺も女同士が掴み合いの喧嘩するくらい想われたいよ」
するともう一人の男がにやりと笑みを浮かべた。
「羨ましかったらおまえも女に金をばら撒いてやれば良いんだよ。ちょっと高価な物でも贈って褒めておだててやれば、女は直ぐに目の色を変えるぜ」
「あー、駄目だ俺。女なんかに金使うなんて無理。あいつらちょっと羽振り良く見せてやれば、もうそれにしか興味ねえんだもん。馬鹿馬鹿しいだろ」
「じゃあ俺みたいに女に貢がせろよ。金は無くても甘い言葉で優しくして、それからほんのちょっとこっちが頼ってやれば女は張り切って金を運んできてくれる」
三者三様。それぞれの主義主張があるらしい。
声高に会話している彼らの声は、酒場中に聞こえているだろう。しかし本人たちは別段それを気にするわけでもなく、機嫌良く杯を重ねては、女談義に華を咲かせている。実に、楽しそうに見える。
だが。
聞いている側にしてみれば、無性に我慢がならない気分になってくる。
マイクロトフは僅かに顔を顰めて、酒を舐めた。美味さが半減している。
どうしようか。
立ち上がって怒鳴りつけたい。
しかしここで無用な騒ぎを起こす必要は無い、と考える程度の分別はある。しかし男達はそんなマイクロトフの思惑を他所に、女の話題で盛り上がっていくのだ。
騎士として、いや人間として男達の発言の数々はとてつもなく癇に障り、無視を決め込むにはあまりに耳障り過ぎた。
そしてゆっくりと手の中のグラスを卓上に置いた時、マイクロトフよりも早く行動に出た人物がいた。
「おまえら、分かってねーな」
その若々しい挑戦的な声に振り向けば、そこにはトラン大統領の息子が立っていた。シーナである。
いつの間に移動したのか、直ぐ近くの卓に軽く腰掛けるように凭れた格好で、男たちを斜めに見下ろしていた。
「最低って言葉、知ってるか。おまえら、今まさにそれだよ。女の子ってのは大切に守ってあげるものなんだぜ、それを何だよおまえら、恥を知れっての」
驚いた。
普段から女性と見れば端から口説いて回る軽薄振りを見せ付けている彼の言葉とは思えなかった。ところが、それに更に同調する人物が現れたではないか。
「全くだ。アンネリーが聞いたらきっと泣いて哀しがるよ」
歌うたいの少女アンネリーを取り巻く楽団の一人、ピコである。
座っていた椅子から大きく身を振り返って、背もたれにかけた腕をひらひらと振っていた。
マイクロトフは知らなかったが、この二人は同盟軍の宿星を代表する女たらしである。その二人が目を吊り上げて怒っているのである。
そしてそこへまた覆いかぶさるように不機嫌な声があった。
「大概、こんなろくでなしに引っ掛かる女もたかが知れてるけど、どんな馬鹿な女にだって幸せになる権利はあるんだよ。とっととその胸糞悪いツラをどっかにやってくんないかな」
なんと女剣士アニタである。カウンターにいたのだろうが、立ち上がって忌々しげに顎を持ち上げ、男達を睨みつけるようにしてじっと見つめたまま動かないでいる。
そして、同盟軍の名の知れた三人に取り囲まれるようにされた男達はにわかに焦りを浮かべて、青ざめていく。
ああ、だとか、うう、だとか、言葉にならない言葉を零しては、目に一杯の疑問を浮かべて硬直していた。きっと、何をそんなに睨まれているのか、この男達は理解していないのだろうと、マイクロトフは漠然と思った。
とりあえずここまで!
次は青のお説教(笑)です
2005/04/04
そうして少し先にある騒ぎに目を向けていたマイクロトフだったが、不意に直ぐ傍らに影が落ちて反射的に目を向ける。
するとそこには見慣れぬ顔の若い赤騎士が一人、困惑も露わな表情で立っていた。どうやらマイクロトフに用があるらしいのだが、その目はどうしても近場の騒ぎが気になるようで、ちらちらと様子を覗ってはこちらを見る、という具合だ。
「……どうかしたか」
赤騎士の抑え切れないらしい好奇心に苦笑混じりで、マイクロトフはそう声を掛けた。途端に年若い騎士はうわっとばかりに驚き飛び上がる。
「はっ! お寛ぎのところを申し訳ございません。団長よりマイクロトフ様へ伝言を預かって参りました!」
その大声に酒場のざわめきがぴたりとやみ、一瞬だけしんと静まり返る。それは例外なく、シーナやピコやアンネリーまでが口を閉ざして何事かとこちらを向いている程だった。
しかも更に、そんな状況を察した赤騎士がまた泡を食って「申し訳ございません!」ともっと大きな声で頭を下げたものだから、途端に周囲から笑い声が漏れる。
「ああ気にするな」
慌てて言ってやり、マイクロトフはゆっくりと酒場中を見回して、詫びるように軽く頷いた。すると気の良い同盟軍の人々は苦笑混じりに再びそれぞれの時間へと戻っていく。
そんな人々の態度にやれやれと息を吐き、赤騎士にしては粗忽な奴だと妙なところで感心しながら、それで、と切り出した。
「カミューから俺に、なんだ?」
「は、こちらをご覧下さい」
気を取り直した赤騎士は慌てて懐から一枚の折り畳まれた紙片を取り出し、勢い良く差し出した。それを受け取りマイクロトフは指先で開く。
『すまない、遅くなりそうだ』
走り書きだと直ぐに分かる。流れるように書かれた短い言葉にマイクロトフは軽く目を瞠る。それからふむ、と頷いて、隣で待つ赤騎士を見上げた。
「カミューに返事を頼めるか」
「勿論であります」
「ではこう伝えてくれ。『遅くなっても構わないから、待っている』と」
「承知いたしました!」
ホッとしたのか、にこっと満面の笑みで頷き赤騎士はきびきびとした動作で頭を下げると、酒場の騒ぎに気を取られていた事などまるで忘れたように、一直線に酒場を出て行った。
マイクロトフは再びグラスを手に取ると、少しだけ氷の解けて薄くなったそれを口に含む。それからもう一度手の中の紙片に目を落とした。
すまない、と。
そう詫びているからには、待つにもそれなりの身構えが必要そうだ。少々遅れるくらいなら、前以ってこんな形で詫びてなど来ないだろう。常からカミューはマイクロトフには無遠慮なところがあるのだから。
それもこれも遠慮など邪魔だと思えるほどに近しい間柄の所為だが、それでも例えばこんな時にはカミューはきちんとマイクロトフに気を使う事を忘れない。
しかも、今夜はそれ程に余裕がないのか、通りすがりらしい赤騎士を伝言係に寄越した。いつもなら、もう少しマイクロトフにも顔の通った誰かに頼むはずなのだから。
だが、待つのは構わない。
幸いながら酒は美味いし、明日はなんの予定も入っていない。少々宵を過ごしたところで支障はなかった。
だから、腰を据えて暫くの一人酒を楽しもうと思ったその時だった。
「ちょっと、あんた今なんてったんだ」
低く脅しの効いたアニタの声が、不意に大きく酒場を震わせた。
驚いて何事かとマイクロトフがまたもそちらを見遣れば、先程よりもずっと険悪な様子でアニタとシーナとピコが三人の男達を見下ろしていた。
すると男達の中の、確か羽振りが一番良さそうだった軽薄な男が、僅かに腰を浮かせてアニタに怒鳴り返したではないか。
「女が偉そうに口出しするなって言ったんだ! だいたい女がこんな酒場に一人で飲みに来るなよ。男漁りが目当てだって言触らしてるみたいなもんで、みっともないったらないぜ」
「な……っ!」
思わず絶句したのはアニタだけではない。マイクロトフですら、一瞬頭が真っ白になった。
「おっまえ、アニタさんになんてこと言いやがる!」
シーナが珍しく粗暴な口調で声を上げる。それだけに酷い侮辱の言葉だった。
確かに、マイクロトフも女性が単身で、このような酔った男達がたむろする酒場にいるのは相応しくないと考える性質だ。だがそれはあくまで問題は、馬鹿な酔っ払いが絡んだりした時の危険を考えてのことで、先程男が罵ったように男漁りだとかみっともないだとか、そんな事は思ったこともなかった。
第一にアニタは美しい女性ながらも、マイクロトフでさえ一目置く立派な剣士だ。その女性を捕まえて偉そうに口出しをするなとは、どういう了見か。
しかしアニタもその真っ向からの侮辱に、黙って震えるばかりの女性ではなかった。
「良い度胸だね。相手が武人じゃないからって容赦はしないよ。表に出な」
男さながら、顎をしゃくってアニタは男を促した。しかし。
「冗談じゃない。女相手に本気になる馬鹿がいるか」
男はせせら笑って肩を竦めると仲間の二人に「なぁ」と首を傾げた。するとその二人も全くだとアニタを馬鹿にするように笑うではないか。
そんな男達の態度に、アニタの表情がますます冴え冴えと色を失っていく。シーナやピコに至っては怒りを通り越して普段はよく回る口が全く動かないでいるらしい。
そこまでを見詰めて、マイクロトフはトンとグラスを卓上に置いた。そして。
「ならば、俺が代わりに相手になろう」
いつしか、しんと静まり返っていた酒場に、マイクロトフの声はよく通った。立ち上がると酒場中の目が己に集う。
「アニタ殿は共に戦う仲間の一人だ。その侮辱に対して俺は共に怒る権利がある。女性相手に本気を出せぬと言うのならば、良かろう、俺を相手に本気になれば良い」
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どうですかどうですか!
冷静でいて、でもやっぱり切れやすい青ですよ(笑)
本拠地の目安箱に青が投書したアレ、実は一言物申したかったクチです。
あんまり書き切れていないんですが、
青にとっては女性が傷つくなら女性よりもずっと丈夫で頑丈な男である自分が傷つくべきだと思ってる、
と思いたいです。
だから今回も抵抗なく立ち上がれた、と!
赤さんの登場は次回かな?
2005/04/04-04/10
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