氷の溶ける音


 場所は小会議室。
 夜も更けてきて尚、会議は収束を見せない。足りない予算の割り振りや、ますます増え続ける難民の数。頭を悩ませる議題は幾らでもあった。
 しかもつい最近、グリンヒルを落としテレーズを引き入れると同時に、グリンヒル市の市民と市兵の責任まで一時的に負うこととなった同盟軍。
 そして市長代行のテレーズは人望もあり、市民の信頼に応えようと頑張っているが如何せん若く、まだ統治の何たるかが分かりきっていない側面がある。
 一時的にとはいえ同盟軍が自治権を預かる事にテレーズは最初難色を示したが、何とか説得したのがつい先日。同盟軍としては厄介なだけで自治権など得にもならないのだが、テレーズだけに任せていては、またいつハイランドに付け込まれるか分からないので仕方がなかった。
 市民の後押しを受けてここにいるのだという彼女の自負は分からないでもないが、何にでもグリンヒルを一番に考える彼女の主張は正直に言って同盟軍の他の都市代表達を辟易させていた。
 確かにグリンヒルはほんの数日前までハイランドの占領下にあり、戦地にもなったために都市そのものが疲弊している。
 その復興の為に予算を割いてくれという主張は尤もだ。
 しかし現状にあって疲弊しているのはグリンヒルに限ったものではなかった。
 必然、会議が上手く進むわけがなかった。
 特に一度町を占領されかけたトゥーリバーのリドリーが、唾を飛ばす勢いでテレーズに反論している。
 喧々囂々。どこまでいっても解決の糸口の見えない紛糾ぶりに、つい時間を気にするカミューである。
 次第に苛立ちが募るのも我慢しづらくなってきた。そして誰より、こうした無意味な時間を嫌う軍師が今の自分以上に苛立ちを露わにしていることに思わず皮肉な笑みを浮かべてしまう。
 仕方がなくカミューは、テレーズとリドリーの激しい言い争いを目の前に深々と溜息をついた。そのあからさまな態度にシンと会議室に沈黙が下りる。
「カミュー殿、何か?」
 リドリーが生真面目な眼をして振り返る。それにカミューはひょいと肩を竦めた。
「ええ、宜しいですか?」
「どうぞ」
 テレーズがその冷ややかな色の瞳を細めて、こくりと頷いた。それにカミューは片手を挙げて「それでは」と口を開いた。
「マチルダの元赤騎士団長として発言させて頂きます。確かに街の復興も大事でしょうが、今は極力軍備の充実に予算を充てて頂きたい」
「それは何故だ」
 軍師がカミューの言葉に乗っかってきたのに、笑みを浮かべる。
「理由は、あくまでわたしの経験上の予測からですが、グリンヒルが同盟軍に加わった以上、マチルダがこのまま何もしないわけがありません」
「それはマチルダのゴルドーの事を言っているのか」
 それにカミューはこくりと頷いた。同時に思い出すのは、マチルダを離れる寸前まで繰り返された不毛なやり取りの数々だった。
 勿論、ゴルドーとマイクロトフのことだ。
 マイクロトフは己の信念がなんであるかをよく知っている男だった。自分にとって何が正しくて何が間違っているのか迷いもせずに選び取る男だ。そしてゴルドーもまた、価値観や程度の差はあれ、同じく己の信念を知る男だったのだ。
 そんな二人がそれぞれの団の長に納まって、和やかに過ごせるわけもなく、日々亀裂が深まり悪化していく二人の関係に眉を顰めていたカミューである。
 離反する直前には、もうどうにもならないほどにマイクロトフとゴルドーの関係は決裂していた。このままではどちらが剣を抜くのが先かと思われたほどの緊張感に包まれた日々は、今でもカミューにとって生々しい記憶だ。
 その一方のマイクロトフは今、カミューと共に同盟軍にいる。そして一方のゴルドーはマチルダに。そんな二人の間に入って色々と取り成したり修復に努めようとしていたカミューには、嬉しくもないことだが、どちらの思考回路もすんなり読めた。
 特にこんな時、ゴルドーがどう考え動くか意識せずとも頭が先を読むように考えてしまう。かつて、最悪の事態にだけはならないようにと、忙しなく立ち働いていた日々の名残だ。
 存外自分も苦労症だなと、そっと溜息をついてカミューは徐に口を開いた。
「その通りです軍師殿。あの男は己の威厳を損なわれる事を酷く嫌います。かつて隣接する都市のうちミューズとグリンヒルがハイランドの占領下にあった頃に、無視を決め込んで全く何もしなかったあの男が、グリンヒルが同盟軍の手に落ちた今、何もしないわけがない」
「それはマチルダがどちらかに傾く、ということか」
「ええ……そしてわたしの考えでは、おそらくハイランド側に傾くのでは、と」
「まあ、そうだろうな」
 いくら鉄壁の守りを誇る騎士団とはいえ、ミューズとグリンヒルが占領されていた時期に、マチルダに全くなんの動きもなかったことそのものが不自然なのだ。これはもう裏でハイランドとの密約があったとしか思えない。
「ゴルドーはおそらく焦っているでしょう。よもやグリンヒルが落ちるとは考えていなかった筈です。それがここに来て漸く同盟軍というものを認識して、今頃大慌てでハイランドに使者でも送っているのではないかと」
 するとそこでフリックが「分からないんだが」と声を上げた。
「だからってどうしてそこまでハイランドにつくと言い切れるんだ? 分からないじゃないか、カミューとマイクロトフが部下の半数を引き連れて同盟軍に既に加わっているんだ。同じようにこっちに来るとは考えられないのか?」
 それにカミューは小さく首を振った。
「ゴルドーは最初からこの新生同盟軍を侮っています。地盤もなく資金力もなくまともな軍備もない。対してハイランドは立派な国家であり、相手は時期皇王たるルカ皇子です。どちらと手を結ぶかなど、あの男にとっては悩む必要すら無いほどに分かりきったことですよ」
「確かにこちらは金もなければ大きな後ろ盾もない寄せ集めの軍だがな」
 シュウが皮肉げに言うのに苦笑を零す。
「ゴルドーはマチルダの領主である現在の地位に固執しています。それにはマチルダの地が戦場になっては困るし、民が死んでも困る。勿論、わけの分からない連中を引き入れて己の立場を揺るがされても困るのですよ。だったらマチルダという地理的な要所を餌にハイランドと手を組めば良いだけの話です」
「だが相手はルカだぜ。手を組んだ後にあっさり裏切られないとも限らない」
 フリックの言葉にカミューは「そうですね」と頷いた。
「だから裏切られないために、今の中立という立場を捨てて、ハイランドと手を組もうとするのではないかとわたしは考えます」
「ってことは、マチルダが俺達の敵になるって事か」
「ええ、ハイランドに与するのはゴルドーにとっては屈辱的な選択でしょうが、それよりも我々同盟軍がマチルダを侵略する方がよっぽど屈辱でしょうね。ゴルドーは、同盟軍はどうせ寄せ集めの軍隊であるのだから、ハイランドという背後の虎を気にせずにマチルダ騎士団が本気になれば、直ぐにでも叩き潰せると考えている事でしょう。事実、そうなれば騎士団は手強い敵になると思います」
 カミューがそう言い切った時、会議室には息を呑むような緊張感が漂った。誰もが、マチルダ騎士団の強さを知っているのだ。その強大な軍力を。
 だがそんな会議室の扉を叩く音が唐突に響いて、皆がハッと我に返った。




今回はつまらない会議の風景です。
でも団長時代の赤さんの苦労がしのばれます。
ちなみにこれは青が酒場にいるのと同時刻です。

2005/04/17



 入ってきたのはマチルダの若い赤騎士だった。
 会議室の参加者全員の注目を浴びて、僅かに慄いた表情の赤騎士はそこに一人立ち上がっていたカミューを見つけると、明らかにホッとした顔を見せた。
「カミュー団長に、伝言を宜しいでしょうか」
「構わん」
 軍師の短い許可の声に、赤騎士は背筋を伸ばすと騎士のお手本のような歩き方でカミューの元に歩み寄ってきた。
「カミュー団長」
 そっと押さえた声で語り掛けた赤騎士の顔は、少し前にマイクロトフの元へ送り出した顔と同じだ。カミューは軽く微笑を浮かべると、ああ、と頷いた。
「それでどうだった?」
「は。ご返答を伺ってまいりました。遅くなっても構わないので待つ、と仰っておられました」
 その言葉にカミューの琥珀の瞳がふわりと見開かれた。そしてほんの一瞬、蕩けるような甘さを滲ませる。
「………」
 だがそれも本当に一瞬の事、直ぐに元通りの怜悧な表情に戻った赤騎士団長に、若い赤騎士は惚けかけた意識をハッと取り戻した。
「そ、それでは!」
 その場にやたらと不似合いな大声で赤騎士は居住まいを正すと、ドタバタと大慌てで会議室を去っていったのだった。
 だがそんなやり取りを横から耳をそばだてて聞いていた男が一人。傭兵のビクトールである。にやにやと笑う表情を隠しもせずに、男は参ったねとひとりごちた。
「なぁシュウ」
「なんだ」
 ぶしつけな傭兵の声かけに、軍師はむすっとしたまま振返る。
「で、結局予算は軍備に回るって事で良いのか?」
「ああ。他にもっと説得力のある予算の使い道がなければな」
「ふうん。だったら他に予算が欲しいって奴はいるか?」
 ビクトール特有の大声が会議室中を震わせたが、最前まで激しく予算の取り合いをしていたリドリーもテレーズも黙りこくったままだった。
「そんじゃ、会議はこれで終いだな」
 言うなりビクトールは立ち上がり、やれやれと肩を押さえて腕を回す。
「肩凝っちまったぜ。道場にでも行ってくっかな」
 常ならば、ここでこの破天荒な男の行いを諌める声がかかるはずだが、この時ばかりはそれがない。
「ったくいつもならこんな集まり、フリックだけが出るってのによ」
 割にあわねぇ、と何事かをぼやいてビクトールは一同が見守る中、さっさと会議室を出て行ってしまった。カミューはそんな傭兵の背を見送り思わず笑う。決して浅慮な男ではないのに、時にこんな風に明け透けな言動をしてみせる。それがまた憎めないから不思議な男である。
 そしてビクトールが去ってから漸く、シュウが思い出したように散会を告げた。三々五々散っていく中、カミューは一人肩を下ろして溜息を吐く。そこへふと影が差した。
 見上げればテレーズが無表情で見下ろしている。
「どうかなさいましたか?」
「いえ……その…」
 テレーズは口篭りカミューの視線から目を逸らす。だが今は彼女を守るべき剣士シンの姿はない。それだけで寄る辺ない儚げな一輪草のような雰囲気を持つ彼女は、触れれば折れてしまいそうな印象が強くなる。
 しかしカミューが黙って彼女の言葉を待っていると、ややもして意を決したように再び視線を合わせた。
「ごゆっくり、再会の御挨拶もしていないと気付いて……」
「ああ、言われてみれば確かにその通りですね」
 カミューは立ち上がりテレーズの手をそっと取り上げた。そしてにこりと笑みを浮かべる。
「お元気そうで何よりです。今は大変な時ですが、どうぞお心を強くお持ち下さい。困った事があればいつでもご相談に乗ります―――と言いたいところですが、貴方には我々よりもずっと頼りになる騎士がおられましたね」
 カミューの言葉にテレーズがその無表情に仄かな朱を上らせる。その反応を微笑ましく思いながら、失礼にならない態度で手を離した。
 実はカミューとテレーズの交友は長い。年齢も同じという事もあって、お互いにマチルダとグリンヒルの特使や代表として活動する時期が同時で、顔を合わす機会が多かった。
 むろん、それ以上に深い親交があったと言うわけではない。あくまで都市の代表として、話し合ったり、挨拶を交わしたりと言った程度だ。
 だがカミューはテレーズの人となりをそれなりに把握している。不器用な女性だが、心根は深く優しい。指導者としての資質と力も、父親よりはマシだろう。ただやはり未熟な点はまだまだ多い。
「それでレディ。御用が挨拶だけではありますまい」
 カミューの言葉にテレーズは黙り込んだ。しかし今度は直ぐに顔を上げてはっきりと口を開く。
「カミュー様」
「はい、なんでしょう」
「……ためらいは、ございませんか」
 何に、とは聞かなくても理解できた。しかしカミューはあえて沈黙のままテレーズに先を促す。すると彼女は無表情を青褪めさせて唇を震わせた。
「答えて下さい。先程の仰りようでは、あなたはゴルドーと、いえマチルダ騎士団と戦うおつもりがあるように聞こえました。それでは下手をすればマチルダの土地が、あのロックアックスの街が戦場になるかもしれないのですよ。その事にあなたは指導者としてのためらいはないのですか」
「今の私は、指導者ではありません」
 新生同盟軍の騎馬隊頭領に過ぎない身だ。真の指導者は『輝く盾の紋章』を抱く少年―――。しかしテレーズは硬い表情で首を振った。
「いいえ。あなたは今でもマチルダの騎士たちを導く赤騎士団長です。そしてその立場は今も変わらずマチルダの人々への責任を担っておられます」
 確かにその通りだった。しかしカミューはテレーズの指摘に否定も肯定もしなかった。その代わりに、微笑を浮かべる。
「ではわたしからも聞かせて頂きましょう。あなたはグリンヒルの町を戦場にして後悔なさっておられるのですか?」
 すると今度ははっきりとテレーズが青褪めたのが分かった。少々酷な質問だったと思いながらもカミューは取り消さず、続けた。
「テレーズ殿。今、我々が何をしているか、まだ理解なさっておられないのですか」
「……カミュー様」
「宜しいですか、レディ。我々は今、『戦争』をしているのですよ」
 途端にテレーズの、ただでさえ無表情なそれが氷のように強張る。
「グリンヒルはひとまずの脅威が去り、町の人々も安堵を得ているでしょう。それは何よりです。ですが、まだ全てが終わったわけではありません。だからこその軍備の充実であって、そこにためらいなど―――」
 カミューは言葉を区切り、一瞬だけ目を伏せた。刹那目蓋の裏にロックアックスの美しい街並みが過ぎる。だが、己の唇は軍人としての心得を惑いもなく吐き出す。

「―――無用」

 沈黙が落ちる。
 暫く、テレーズもカミューも何も言わなかった。ただ静かに時が流れていく。

 だがそこへノックの音が高く響いて、二人を現実に戻す。振り返れば開いた扉の向こうに、シンの姿があった。
「お嬢様」
 シンはカミューをきつい眼差しで見詰めた後に、ためらいがちにテレーズを呼んだ。
「今、行くわ」
 応えて、テレーズはもう一度カミューを見詰めた。
「答えて下さって有難うございますカミュー様。どうやら私は、どなたかに懺悔をしたかったみたい……」
 テレーズは静かに頭を下げた。
「お時間を取らせて失礼しました。それでは」
 そしてシンに守られるように出て行ったテレーズを見送り、カミューは会議室に取り残されて、ただ一人きり誰の目もない場所で緩やかな溜息を落とした。



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軍人としての赤さんが書きたくなりました。
酒場での青視点のお話とはガラリと雰囲気が違いますが、
この後、あの青とこの赤が合流するわけなのです。

2005/06/14

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