4. 発端
悲鳴が聞こえた時、カミューは何を考える間もなく走り出していた。
この日も例によって私服で街を歩いていたカミューだった。ただこの日は意味もなくぶらつくのではなく、ある目的の為に歩いていた。とある人物に会うべく指定された場所に向かうところだった。だがその途中で、悲鳴はカミューの耳に届いた。
場所はロックアックス北側の薄暗い裏小路に近い、昼は人通りの皆無なところである。駆けつけたカミューはそして、悲鳴の出所を目の当たりにするなり不敵に笑った。
「不心得な者たちだな」
女性二人を取り囲む粗野な男たちの集団。一人が手を延ばして女性の肩を突き飛ばす。短い悲鳴の後に嘲笑が取り巻いた。
このロックアックスの街で、しかもこの自分の目の前で狼藉を働こうなどと笑止千万。カミューはゆらりと前に出ると剣の鞘止めを指先で弾いて外した。しかしまだ、抜きはしない。素人を相手に下らぬ理由で剣を振るうのは騎士の恥。
そして一歩一歩近づいていくカミューに、男たちの一人が気付いて近くの者に声をかける。
「おい……格好をつけようって兄ちゃんがいるぜ」
「そりゃ命知らずだな」
殊更に大声を張り上げて仲間達にカミューの存在を知らしめる。普通の者ならばそれだけで竦んでしまうだろうが、カミューにはそんな男たちの威嚇で怯むような胆は持っていなかった。穏やかな笑みすら浮かべて男たちを睥睨する。
「今すぐそのレディたちを解放してはくれないか?」
「そう言われてはいそうですかと俺たちが放すとでも思ってるのか?」
男たちの一人が愉快そうに顔を歪めてカミューに問う。
「今すぐに解放した方が良い。こう見えてわたしは実力行使を厭わない性格なんだ」
言って腰の剣に手を添えたカミューに、男たちは瞳を眇めた。
「怪我を負いたくなければ、このまま何もせずに即刻立ち去るが良い。でなければ―――」
「なんだってんだ?」
男の一人が好奇心からだけで聞いた事に、カミューは薄らと酷薄なまでに整った笑みを浮かべて答えた。
「ただではすまない」
そこで漸く、男たちはハッと息を飲んだ。
こんな時代である。剣を帯びているのはそう珍しい事では無い。しかしその腕がたつかどうかは分からないものである。ただの護身用か、それとも本業か。外見のみで見分けるのは難しい。
「兄ちゃん、何者だ」
一人が低い声で問うのに、カミューはついと眉を押し上げた。
「ただの通りすがりだ。しかしレディには親切にするのが信条でね」
「痛い目に合ってまでする親切か?」
「いや、合わない自信が少なからずあるのでね」
穏やかな、下手をすれば世間話でもしているかのようなカミューの受け応えに、男たちは果たしてそれがはったりなのか本当なのか、判断がつきかねた。
だがしかし見るからに優男のくせをして、これほど堂に入ったはったりをかますのならばそれなりの人物だろうし、例え本当に実力を兼ね備えているのならば、目で見える以外の力を何か持っているのだろう。
男たちの、おそらくはまとめ役らしい者がふっと笑みを浮かべて身を引いた。だがその瞳は油断なく光っている。
「しかしな兄さん。元はと言えばこのお嬢さんが良くない。それは分かってくれよ」
「そちらのレディが何か?」
カミューも剣から僅かに手を離して、重心を後ろに移動する。それから初めて怯えて固まる女性二人を見詰めた。身形は充分過ぎるほどに良い。たぶんどこぞの令嬢であろうと思われる。だが、それだけにこうした裏路地では目立ち、無頼の輩に絡まれるような羽目に陥るのが不思議と言えた。
すると男たちは一斉に怒りもあらわに、何かもあったもんじゃないと憤慨しはじめた。
「そっちのお嬢さんが、邪魔だから退けと俺達に言ったんだよ」
「……道を開けろと?」
「違うね。この街には俺たちのようなのは居るだけ邪魔だと言ったんだ」
それは、とカミューは息を飲んだ。
どんな権力を持った者であれ、悪戯に他者を排する権利など無い。気に入らないからと誰彼ともなく追いやればそれはただの暴君であって、然るべき理由が有り法に基づいてこそそれを犯したものだけを排する事が出来るのだ。そこからすれば、男達の言う少女の言葉は暴言も甚だしい。
そしてそんなカミューの視線に、二人いる女性のうち一人がそっと蒼褪めた顔を上げた。その怯えた瞳はカミューを見るとホッと安堵するように緩み、それから決意するように眦を赤くして男達を見回した。
「お嬢様には悪意あってのことではないんです。どうか見逃して下さいますよう……」
なるほど、令嬢とそのお付との二人組みか。まだ少女と呼んでも差し支えの無い主を庇うように確りと肩を寄せて、気丈にもそう訴える姿には好感が持てる。
「レディ、彼らの言葉は本当かな?」
カミューの問い掛けに答えたのはやはりお付の方だった。令嬢はずっと俯いて肩を震わせるだけで一向に声を発しない。
「……失言はお詫び致します。ただこの街に来てまだ日が浅いのです。それまでは穏やかな土地に暮していたものですから……お嬢様はただ怯えてしまっただけなんです」
「詫びってんなら、それ相応の態度で示してくんなきゃよ。どうせそっちのお嬢さんは俺たちに悪いともなんとも思ってねえんだろ?」
「そうだ。そっちの女じゃなくて、あんたに謝ってもらいたいね」
「それとも俺らみたいなもんには、下げる頭はねえってか」
どうなんだよ! と男の荒げた声にびくっと女性たちが震える。それを見てカミューは溜息混じりに手を往なすように振った。
「こら、レディを怖がらせるような真似は許さないよ」
咎めたカミューに男たちは情け無い顔で振り返る。
「兄さん……アンタ、分かる人間だろ? 悪いのは向こうだ」
男たちも大概弱り果てているのだろう。見たところ無力な相手に不必要な暴力を振るうような類ではなく、堅気には手を出さないと言うような玄人らしい雰囲気を持つ男たちだ。ただ怯えて顔を見せない彼女の暴言が許せないだけなのだろう。
カミューはこめかみを親指で揉みながら男たちをちらりと見て、それから女性たちの方を見た。気丈なお付は縋るようにこちらを見ている。それに守られている令嬢はちらりとも目を向けることなく背中を震わせている。カミューは片手を腰に置いてややわざとらしく溜息を吐いた。
「二度とこの場所には立ち入らない事。それが条件でどうかな」
女性も男たちも「なに?」とカミューを見る。カミューはこめかみの手を耳の横でパタパタと振った。
「どうせ互いにもう顔も見たく無いだろう。それならもうこれっきりにしてやれば良いじゃないか。レディたちは以後絶対にこの付近へ近寄らないこと、そしてここ以外の場所で顔を見ても互いに知らぬ振りをすることを約束する。それでは駄目かい」
「……詫びはなしか」
「これだけ怯えているんだ。後悔くらいは、しているでしょう?」
横目で見やればお付の女性が必死で首を縦に振っている。カミューは苦笑を浮かべると両手をパンと叩き合わせた。
「レディたちはわたしが大通りまで送りましょう。おまえたちはこれっきり、構わないな?」
有無を言わさぬ調子で話を進めてカミューは女性たちに手を差し伸べた。行きましょうと背を庇うように促すと、おずおずとついてくる。頷いてカミューは男たちに目だけで別れを告げた。渋々と言った具合で送り出してくれるようではあるから、やはりそう悪い者たちではないのだろう。
彼らに胸の内で礼を告げてカミューは女性たちと共に無言でその場から遠ざかった。
「おかげで助かりました。あの、お名前を伺っても? 後日必ずお礼を」
お付の女性が蒼褪めて涙を零す主人を労わりながらも、カミューへ頭を下げる。だがもとより礼など期待するつもりで差し出がましい真似をしたのではない。首を振って、それよりもと声を殺して泣く少女に注意を向けた。
「大丈夫ですか?」
こくりと頷く。それに微苦笑をもらしてカミューは前髪をかき上げた。
「なら良い。わたしもこれっきり、もう二度とお目にかかる事は無いでしょうし、今後どこかでお会いしても彼らと同様、知らぬ振りでお願いしますよ」
「あ……あの?」
「失礼だが、どこのご令嬢かは知らないが礼儀知らずは好きじゃない」
幼いから、不慣れだから。そんなものは理由にならない。他人を風体だけで判断し、無礼な言動を詫びもせず、助けてもらって礼のひとつも言えないような人間は、どんな可愛らしいレディでも願い下げだ。
僅かばかりの腹立ちを覚えつつカミューは素っ気無く言い残すと彼女たちに背を向ける。
「それでは。二度とこの付近には近寄らないようにしなさい。次もまた助けて差し上げられるとは限らないのでね」
忠告をしてから一歩踏み出した―――のだが、背後から聞こえたささやかな呼び声にその足を止めるとちらりと目線だけを向けた。そして。
「……なんの用です?」
皮肉げに問うと、初めて顔を上げてみせた令嬢が青い顔のままカミューを真っ直ぐに見詰めていた。その頬は涙に濡れているが、その美しさを損なうまでにはいかない。未熟な体型に幼いと思い込んでいたが、もっと年は上なのかも知れないと密かにその美しさに感嘆を覚えつつ、カミューは冷笑的な眼差しで言葉を待った。
少女はきゅっと唇を噛むと軽く頭を下げた。
「わたくしはエリスと申します。失礼は、お詫びします……助けて頂いたお礼も、有難うございました。マリナも、ごめんなさい」
最後は自分のお付に向けての礼だろう。カミューは改めて身体の向きを変えると微笑を浮かべた。
「レディ・エリスがご無事で何よりですよ。以後お気を付けなさい」
そうして甘く笑いかけた途端、エリスとマリナが大きく目を見開いて固まった。
「あ、あの……お名前を」
マリナが顔を赤らめたまま再び尋ねて来るのに対して、エリスはハッとしてまた俯く。カミューは苦く笑って手を振った。
「必要ありませんよ」
そして今度こそカミューは彼女たちから足早に立ち去ったのだった。
老人は約束の場所に既に来ていた。裏通りのうらぶれた酒場の、昼間は軽食屋としての薄暗い店内で、自身の店の中では決して吸えない煙草の煙をくゆらせている。その深い皺の奥に光る白っぽい瞳はしかし、本に囲まれている時となんら変わりは無い。
「遅れてすみません」
正面の椅子に座りながらカミューは短く詫びる。
「……何かあったかね」
「別に」
カミューは給仕を呼んで苦い珈琲を注文する。普段は滅多に飲まずに専ら茶ばかりだが、時折飲むこともある。老人の勧めるこの店の珈琲は世辞にも美味いとは言え無い代物なのだが、目を覚ますには持って来いだった。
そして運ばれてきた黒い液体をごくりと飲む頃に、漸く老人が懐から小さな封筒を出した。
「例の薬草の本の行方だ。案の定、性質の良くない者が手に入れた」
「そうですか」
封筒を受け取りカミューは中も確かめずに懐に仕舞い込む。そして残りの珈琲を一気に流し込むと、予め用意してあった金額を珈琲代と一緒にテーブルの上に置いて立ち上がった。
「また何かあれば宜しくお願いします」
「もう行くのかね。せっかちだ」
「これでも多忙の身でしてね。ご存知でしょう」
「あぁ……でもまたいつでも本を買いに来ると良い。……しかし」
老人は言葉を切ると煙草の煙を唇の隙間から零した。カミューは怪訝に瞳を細めてそんな老人を見下ろした。
「何か」
「いや、彼は知っておるのかね?」
老人の白っぽい目がカミューの琥珀を射抜いた。一瞬竦んで、カミューは答える義務は無いとばかりににっこりと笑みを浮かべた。そして踵を返す、その背に。
「無茶はせんが良い。何しろ多忙の身だろう?」
揶揄混じりの言葉にカミューは鼻で笑って答えた。
「お互いに」
それきり、カミューは老人に見向きもせずに店を出た。途端に昼間の陽光が薄暗さに慣れた瞳を刺激する。あの老人と会うときはいつも薄暗い場所になる―――目が弱いとの話だから仕方の無い事かも知れないが、どうしても後ろ暗い気分にさせられるのはいただけない。
カミューは緩く首を振り、大通りに向かって真っ直ぐ歩き出した。そしてカミューは懐に仕舞った封筒を意識する。彼は、書店の老店主はカミューの知る情報屋の一人である。古くから書籍売買を生業にしつつ長いロックアックスの歴史をつぶさに見てきた白んだ瞳。偏屈で簡単には情報をくれないし、代金も高いが信用の置ける人物である。
カミューを赤騎士団長と知って、その情報の使い道を知って、漸く情報を売ってくれる様になった。おかげで随分と助かっているのだが、時折あんなふうに老人特有の世話焼きな口を挟むのは気に入らない。
老人の言った「彼」とはマイクロトフのことだ。先だって店先で待たせて店内に連れてこなかったことが気に入らないらしい。カミューがこんな風に情報を仕入れて影で動くのを、あの潔癖な気性の青騎士団長は良しとしないのだろうと、ちくちく責めてくる。
大きなお世話だと一蹴するも、老人の気の長さと粘り強さにの前にはそれも何処吹く風らしい。カミューは軽く吐息を零して人通りの無い路地裏に入り込んだ。
一年を通して日の当たらない、狭く湿気の停滞する路地裏。建物の壁と壁が迫ってくるような圧力を感じるそこに潜り込んで、カミューは懐の封筒から紙片を取り出して目を落とした。
幾つかの箇条書きの文章と、短く走り書きされた人物名にまた別の人物名とある店の所在。聞かないそれらの名前に眉を寄せてカミューは封筒も取り出すと一緒に掌で握りつぶした。と、そこに突然炎が生まれて瞬く間に燃えていく。それがカミューの持つ紋章の力だと知らない人間には、どんな手品かと驚く風景だったろう。しかしカミューは動じることなく手の中で消し炭と変わっていくそれを、足元へ落とし完全に燃え尽きるまでじっと見詰めていた。
同日ロックアックス城、赤騎士団長の執務室でカミューは腹心の隊長を数名集めていた。すっかりと日は落ちて執務も終えた頃である。集った一同の顔はどれも真剣なそれで、皆カミューの言葉を待っている。
「名前はバル。何処から来たのか詳しい経歴までは分からない。ただひと月程前に数人の仲間とロックアックス入りしたようだ。現在の拠点は―――不明」
老店主から得た僅かだけの情報を部下達に伝える。皆黙って聞いているが内心の驚きは目に見えている。カミューが何処からそんな情報を仕入れるのか謎であるに違いない。誰も聞いてはこないが、しかしこれまでの経験上その情報の信憑性が間違いないのは心得ている。
隊長の一人がふむと頷いてカミューを見詰めた。
「その男が先日のフェリス一家心中事件の裏ですか」
カミューは頷き、先日絵心のある部下に描き写させた紙片をそこに出した。一見山菜に見えなくも無い肉厚の柔らかそうな葉の植物が描かれている。
「あの事件で使われた毒がロートの葉であるのも分かった。少量なら沈痛と幻覚作用……大量に服用すると麻痺をおこして死ぬ。都市同盟ではこれの一般流通を禁じている」
だからこれまで毒の正体が特定できなかったのだとカミューは部下達に教えた。ロートと言う薬草は許可を得た医者や商人しか取り扱ってはならないことになっており、破れば厳罰に処されてしまう。必然専門家以外には知られない薬草で、大した資料も無い。
「結果から見るに、心中ではなく遺産狙いの殺人だ」
「カミュー様…!」
隊長達が驚き、そこにいない何かを憚るように声をひそめる。もっとも、今話している心中事件は白騎士が調べて既に決着をつけた事件である。それを根底から覆すには確りとした証拠がなくてはならず、下手な発言は諍いの元となる。
だがカミューには確信があった。
心中事件の死亡者の中に、あるひとりの赤騎士の妹がいた。親を早くに失くした兄妹で、良い家に嫁いで妹もやっと幸せになれると微笑んでいた赤騎士は、先日来病を患い寝たきりとなっている。どうして毒を飲む前に相談をしてくれなかったのかと、その兆候さえ看破できなかった自身を責めているうちに、中隊長まで勤め上げるほど屈強だったはずの精神と身体は病魔にとり憑かれてしまったのだろう。
話を聞いた時、カミューは限りない不自然さを覚えて独自に調べ始めたのだ。そうして見えてきたのは捜査にあたった白騎士の収賄の事実だった。最初から心中と決めてかかった先入観丸出しの捜査にしても、杜撰すぎる証拠集めはかえって不自然さを煽った。打ち切り方が半端すぎる―――そうする内に、ある一味が事件の裏に見えてきた。
巧妙に心中に見せかけられた殺人。しかも流通の禁止されている毒を用いてのそれは、カミューの中にある怒りを煽るに充分であった。その上に捜査にあたった白騎士をも巻き込んでまんまと財産を掠め取った。幸せな一家に悉くの死と言う不幸を見舞わせた犯罪は、見過ごすには大きすぎて目につきすぎた。
「おまえ達には唯一の生き残りを探してもらいたい。一味がロックアックスに居る以上、身柄はこの街の中に必ずあるはずだ。生死は不明だが」
資産家のフェリス夫婦とその老母に、まだ新婚だった息子夫婦とその生まれて間も無い幼い男児が六名全員死んだが、別に暮していた氏の年の離れた弟だけが生き残っているのだ。しかも現在行方不明と来ている。これらの事象を見逃す白騎士には嘲笑しか浮かんでこない。だが、この弟を追えば自然と一味の姿も見えてくるだろう。
カミューはばさりと書類を机上に放ると部下達を見回した。
「あくまで隠密の捜査になるが、最終的な目的はこのバルとその一味の確保だ。まずは一家の殺人ではなく毒の不正流入で押さえる」
一同が頷く。白騎士が絡んでいる以上は赤騎士は目立って動けない。確たる証拠が揃ってからそれとなくゴルドーに上手く囁く以外に事件の解決は無いだろう。
「この騎士団領内へ犯罪の為に毒を持ち込んだ輩を決して許すな」
「御意」
命令を下してカミューが目元を覆うとそれを合図とするように隊長たちは退出して行く。一人執務室に残ったカミューは、暗く閉ざした視界の中でこれからの青図を描いていった。
next
はわわわ、二週間もアップが遅くなりました。
オリキャラばっかりですが、よろしくお付き合いくださいませ〜。
2007/03/24
企画トップ