5. 裏通り


 深夜のロックアックスは昼間とは違う様々な顔を持っている。
 夜にこそ活性化する類のそれらは、華々しくは無いが夜の蛾を誘う淡い街灯のような色めきがある。大通りから一歩裏通りへと入れば、寒空に素足を惜しげもなくさらして男の関心を得ようとする女達が辻ごとに立つ。
 そんな中カミューは誰をも寄せ付けない厳しい空気を纏いつつ、外套のフードを目深に被って記憶に焼き付けていた、とある店へと向かっていた。

 ロックアックスの街はそれなりの規模を誇る都市のひとつだ。交易も盛んなので人の出入りも激しく、その全てがまともな人物ばかりとは限らない。善からぬ目的にやってくる者も中にはいるだろう。
「そんな時には俺たちの存在がものを言うんだ。ここは俺たちの縄張りだからな、余所者に勝手な真似はさせられないのさ」
 無法者には無法者。それが世の理だと男は言う。
 確かにとカミューも思う。
「必要悪は、認めるさ」
「だろう? 綺麗事だけではまかり通らないんだよ」
 やっぱりあんた話が分かるよと男は嬉しげに酒を勧める。
「だがあんまり目立つと騎士団も黙ってはいないだろうな」
「もちろんよ、俺たちはだからその微妙な匙加減で毎日暮してんのさ」
 俺たちだって騎士団に睨まれたかねえと男は言う。
「マチルダが騎士がいるからこそ成り立ってる理屈は知ってる。そんで騎士団の面子とか体裁とかな。俺たちはそれに反さねえ程度で宜しくやらせてもらうだけだ」
「……分かっているじゃないか」
 夜の酒場でカミューは隣の男の聞こえないように囁いて微笑を浮かべた。

 とある居酒屋の暗い片隅でカミューは盃を重ねていた。店は下品で、出される酒のどれも薄い安酒ばかりで、出入りするのは金の無い者ばかり。
 地下に設えられたその場所は一日中蝋燭の灯りなしでは暗く、店の入り口は細くて、ひと一人が漸く通れるくらいの階段から通じていた。間違っても騎士団の人間が来るようなまっとうな場所ではなかった。
 その店で偶然、先日女性二人に絡んでいた男の一人と顔を合わせた。腰にあるユーライアの柄の形を覚えていたらしい男は、一人で飲んでいたカミューの顔を、無遠慮に覗き込んできて「俺を覚えているか」と話しかけてきたのだ。
 厄介な偶然かと思われたが、実はこの付近の顔役らしい男が、人を探してこの店へと訪れていたカミューの、目的の人物その人だったと知って黙って頷いた。男の名はレニーと言って、大柄で強面の髭面だったが磊落に笑う姿は、人懐っこいものだった。
 レニーは、俺の奢りにしてやるから遠慮なく飲めと言って、次々にカミューに酒を飲ませた。しかし元から酔い難い性質のカミューであるから、レニーの方が先に酔っ払い始める。笑い上戸か機嫌良くレニーは思っている全てをとりとめなく吐き出して、カミューは根気良くそれに付き合うと言った図式が出来ていた。
「あん時な、俺はあんたがただモンじゃないと直ぐに気付いた」
 女性達との間に割って入った時の事だろう。
「今時分剣士は珍しく無いが、あんたほど迫力ある人は無いね。俺は手下どもがアンタを見つけるまで、気配すら気付かなかったんだ。もしあん時俺たちが早まった真似をしてれば、その腰の物騒なモンは抜かれてたんだろうなぁ」
 赤い顔でしみじみと言うレニーは、ちらりとカミューを窺って照れたように歯を見せて笑う。沈痛な思いでカミューはこめかみを揉んだ。必殺の微笑を見せたわけでも無いのにこの具合は、マイクロトフが部下に良く発揮するあれが伝染でもしたのだろうか。今回に限り懐かれ過ぎて良いことなど無いと言うのに。
「なぁあんた、いいかげん名前くらい教えてくれよ。そしたらこれから何があっても俺が手助けしてやれる。この街で俺の目が届かない悪党はいないんだからな?」
「悪党とは関わらない事に決めてるんだ」
「ははは! 隣で酒飲んでるくせにかよ?」
 冗談とでも思ったのかレニーは大声で笑う。カミューは軽く吐息をついてグラスの残りを呷った。そろそろ餌を撒くかと考えを巡らせる。当初は、如何にして顔役の男に接触するか巻き込むか散々と策を練ってきたはずが、拍子抜けする程の再会劇で正直戸惑っていたのだ。
 だが油断は厳禁と気を引き締めながらも、カミューは好都合を逃さずにするりと切り出した。
「レニー、名前を教えてやる代わりに、頼まれてくれないか」
「……なんだ?」
「バルという男の情報を知りたい」
 へえ? とレニーはにやりと笑う。
「その男なら今一番の注目株だ、いったいあんたそいつに何の用だ?」
「それは言えない。ただ、そうだな……どうしても返してもらわなければならない貸しがあるとでも言って置こうか。それでレニー、どれ程の事を知ってる」
 カミューがその独特の琥珀で覗き込むと、レニーはふと笑みを引っ込めて髭に覆われた口元をもごもごと動かした。
「知らなくても調べる、手下を使ってな」
「名分は」
「俺の言葉に逆らう奴はいない」
 不思議とその言葉はカミューの中にすとんと入ってきた。笑みの消えたレニーの瞳が思いの外凄みがあったからだろうか。だが直ぐに再び笑みが滲み出て、剥き出したの歯がガチガチと鳴った。
「さぁ名前を教えてくれよ」
 カミューはグラスをテーブルに置いて立ち上がった。
「また来るよレニー……わたしの名は」
 カミューは何かを堪えるかのように目を伏せて一瞬だけ息を詰めた。それから微かな笑みを唇に乗せてレニーを見詰め下ろす。
「フェリス」
 死人の名を借りて、カミューは酒場を出た。





 その数刻後、酒精を漂わせて城の私室に戻ったカミューを出向かえたのは、不機嫌そうに腕組みをしたマイクロトフだった。扉を開けた瞬間に見たその姿に、一瞬扉を閉めて退散したくなったが逆効果だと思い直して中に入る。
「ただいま」
「遅かったなカミュー」
「まあね、おまえも珍しく夜更かしだな」
 応じながら僅かの躊躇のあとでカミューは上着を脱いだ。途端にマイクロトフの冷たい視線を感じてつい壁の方へと逃れるように身体を向ける。上着の下には裏街の居酒屋に似合いの服を着ていたのだ。
 背後から大袈裟なまでの溜息が聞こえて、カミューはむくれた顔で振り向いた。
「なんだよマイクロトフ」
 するといつの間に詰め寄られていたのか、眼前にマイクロトフの掌が伸びていて、あ、と思う間もなく額をびしっと指先で弾かれた。
「……イッた」
 反射的に目を閉じ顎を反らせて歯を食いしばるカミューが、堪えようのない痛みで涙を滲ませていると、マイクロトフの低い声が耳を掠める。
「カミュー。おまえの悪い癖だ、また一人で動いているな?」
 何するんだ、痛いじゃないかと、文句を言おうとするが瞬く間に肩ごと抱き込まれていて、気付けばマイクロトフの唇がカミューの耳に触れるか否かのところにきていた。
「しらばっくれても無駄だぞ。カミュー、これ以上はやめておけ、部下に任せろ」
 身を捩りなんとか腕の中から抜け出ようとしたが、さっき視線の逃げ場を求めた壁が阻んで無理だった。口惜しくて分かっていながらむくれたような言葉が出る。
「……これは赤騎士団の問題だぞ、口を挟むな」
「生憎、団長の個人行動には口を挟める。俺だけはな」
 団における最高位にある団長に、意見が出来るのは他団の同位にある団長―――つまりカミューに口煩く言える権限をマイクロトフは持っているのだ。
 その権限をカミューがマイクロトフに行使する事は多いが、反対は滅多に無い―――だけに威力と効果は絶大だと言う自覚が双方共にある。カミューは黙りこくって目を伏せた。
 自分がその地位と責任に見合わない言動をしているのは分かっている。それでも譲れない意地と衝動がカミューにはあった。本来ならそうして身勝手に動き回って部下を困らせるのはマイクロトフの専売と思われがちだが、こうして陰で動き回る周到さがある分カミューの方が目立ちはしないが独断で動く頻度は高い。
 冷静なとか思慮深いなどと、それはカミューの上辺だけを知る者の幻想である。常に奥底に消えない熾火を抱いているのはカミューの方で、静かに燻るそれは、一度火がつけば勢いを変える事なくしつこく燃え続ける。
 その静かな炎につき動かされ、冷徹なまでの判断を下しながら公人にあるまじき事を平然とやってのける。その全てを知るものはいない。マイクロトフでさえ感づいているくらいのもので、実際にどれ程のことをやってきているのかまでは知ってはいないだろう。どちらかと言えば赤騎士の腹心の方が心得ていて、時にそうした出来事の始末を何も言わないのに買って出てくれることがあるからだ。
 書類には残せない生臭いそれらと敢えて向き会う場所に身を置くのは、連綿と続くマチルダ騎士団の歴史における赤騎士団の役どころの所為もあるだろうが、カミュー自身の意思も強く介在している。
 武人一辺倒になりがちな青騎士団のそれと違い、赤騎士団は魔術を操る騎士が多いだけに、どれも一筋縄ではいかない思考の持ち主ばかりの趣きがある。そんな彼らを統べるにはそれ以上の厄介さがなければ務まらないだろうと言えた。諜報、駆け引き、罠―――カミューが騎士団長となってからは、団内では随分と目立たなくなったが、対犯罪となれば十八番の赤騎士団が駆り出されるのは、もう当然のこととなっている。そしてそれを知らない青騎士団長でもなかった。だが。
 赤騎士の誰よりも団長その人が、一番にそんな隠密行動に長けているのはどうかと、彼は苦渋に満ちた表情で詰め寄るのだ。
「上の者が一人で動くと下の者との信頼が崩れる。勝手な行動はするな」
「おまえにそんな事を諭されるとはね」
 戦場でも会議室でも部下の制止を聞かずに突っ走って、周囲を引き回して翻弄させる。そんなマイクロトフの性質を引き合いに出して揶揄したつもりだったが、マイクロトフは憮然と顔を顰めるとカミューの瞳を強く睨みつけた。
「俺の猛進と、おまえの独断は違うものだ。確かに俺はいつも勝手に飛びだしてしまうが、カミューと違って俺の部下はそれを心得ている」
 比較の上で諭されて、珍しく反論の出来ないカミューだった。マイクロトフの個人行動は部下の誰もが知るところで行われ、カミューのそれはカミュー以外の誰も気付かない……その通りなのだ。所在不明になる騎士団長など、あってはならないのだ。
 しかし。
「だけどね、マイクロトフ……」
 幼子の手が握り締められたまま冷たく動かなくなった、その事実がカミューの熾火を煽る。実直に働き平穏に暮して行くはずだった一家を襲った悲劇を、それを仕掛けた張本人が大手を振ってこの街を歩いているだろう様が、ただ一言。
「……見過ごせない」
 強く吐き捨てたカミューを、マイクロトフは痛みを覚えるかのような眼差しで見た。
「だがカミュー、それならばどうしてそれこそ正攻法でいかない。許せないのなら奴らを白日の下にこそ曝すべきだろう」
「白騎士が絡んでいる。下手に動けば捜査そのものが出来なくなるんだよマイクロトフ」
「―――それでもだ、カミュー。独りで動くのはやめろ」
 一瞬の戸惑いがあったがマイクロトフはやはり強くカミューを諌めた。その瞳に宿る意思の中に自身への深い想いを見つけてカミューは暫く考え込んだ。
「……分かった。できる限り部下にもやらせる」
 かなりの妥協でこう応えたカミューであったが、マイクロトフには不服らしい。
「できる限りではない、部下に全て任せられんのか」
「マイクロトフ。仕掛けはもう動き始めている。今からそれを覆すとなると全てが白紙に戻りかね無いんだよ―――それこそ、口を挟むな」
 カミューはマイクロトフから身を離すとその眼前に指を突き付けて言った。ところがマイクロトフはその指を手ごと握り込むと負けじと言う。
「今度、そんな格好でこんな時刻に帰って来てみろ、許さんぞ」
「……了解」
 流石にそんなマイクロトフの言い分は正しすぎて、認めざるを得なかった。深夜人通りも少ない街では何がおこるか分からない。もしもがあってからでは遅いのだ。
 だが渋々頷きながらも、次は昼間に動くとしようなどと即断していたカミューであった。



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更なるオリキャラです。
なかなか人気のあった男です、レニーさん。

2007/03/28

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