8. 事件
冬枯れの並木は枝葉も寂しく、見ているだけで寒々しい景色を展開させる。
あれから暫くの間、カミューは鬱々とした気分を払えずに過ごしていた。当然マイクロトフにはエリスティナ・オリオールとの一件は話していない。話したところでどうなるものでもなかったし、今後もどうにかするつもりは無いからだ。それに彼女の存在はカミューの中に軽い気鬱を残したのみで、実はさほどの衝撃はなかったのである。
もう二度と会うまいとそれきりの出来事だったし、目下のところ彼女のことよりも気懸かりな事件の所為でそれどころではなかったのが本音だった。
レニーのおかげでバル一味に関する情報は随分と仕入れられたが、故フェリス氏の行方知れずの弟の痕跡は全く掴めておらず、これと言った決め手も無いままに一味の拠点を叩くしか無いのかとの決断をしあぐねていた。
そんな折だ。
決断が遅かったとカミューが悔やむ事件が起きた。
冷たい雪が一晩中降りしきり、街を白一色に染め替えたその朝。ロックアックスの街に死体がひとつ、その美しく積もった雪に隠されるように横たえられていた。
発見時、うつ伏せに倒れていたために発見した者はこの真冬に酔ってでもして道端に寝転がり凍え死んだものかと思ったと言う。実際滅多には無いが、ままあることなので発見した者がそう考えても当然だった。だがそうした連想をさせて原因に、倒れ伏した男の周囲に血溜まりがなかったのもあっただろう。駆けつけた騎士がその死体をひっくり返した時、胸に鋭利な刃物で一突きにされた痕があったにもかかわらず、である。
抵抗もせず心臓を貫かれて即死したのだろうとはその全く乱れの無い衣服や四肢から知れた。だが整えられていない髪や、不精のようにまばらに伸びた髭、そして手足に残る戒めの痕が遺体を調べた者の注目を引いた。
その報せを聞き及んだ時カミューはもしやと閃いた。そして心当たりのある者に確認をさせて始めてその身元が知れたのである。死体は、行方を追っていた故フェリス氏の弟だったのである。
「絶たれたな」
証拠を掴むための手掛かりが、しかも更なる人死によってである。もっと早くに動いていれば少なくとも、この事件の共謀犯だったのか被害者だったのかは分からないが、氏の弟一人の命は守れたかもしれなかった。
だが悔やんだところでもう遅い。一言そう発したカミューに一同は項垂れて、あるものは目を伏せあるものは拳を握りしめた。この上はバル一味を決して逃さず捕らえるしかあるまい。
「だが拠点は押さえてある。第二の殺人を犯した以上奴らもそう長居はすまい……今夜中に一気に押さえる」
言い切ったカミューに部下たちが頷く。それでもまだ白騎士団の手前大きく動けないのが手痛かった。
死体の身元が判明した直後、カミューは腹心達を集めて赤騎士団の小会議室にいた。腹心といってもその殆どは隊長職を任じているものたちばかりである。いわば赤騎士団の重役級会議と言って差し支え無いだろう。ただ一点、議事録係が置かれていないところが違ったが。
これは赤騎士団の執務の一環でありながら、実のところ全員が私的時間を費やして取り組んでいたのだ。その熱心さこそ如何にその事件が惨いものだったか分かろうというもので、皆の熱の入り様もまた他と一線を隔てていた。
何しろ団長本人がいつになく情念の火を燃やしている様に、皆触発されていたのである。その気になった赤騎士団長ほど敵には回したくないものだと知っているのだ。逆に味方である事を天に感謝さえする。
さらりと風に滑る金茶の髪や、淡い琥珀色の瞳。武人と呼ぶにはすっきりとした身体と役者にも勝る美貌と、貴族よりも洗練された振る舞い。しかしその魂に宿るのは誰よりも激しい闘争の炎である。さながらその右手に宿る烈火の印の如く。
一味は、このマチルダにおいて大それた犯罪を成す事の、恐ろしさを知らなさ過ぎたのだ。この地には、大地に響いた勇猛なる青騎士団長とは別に、華やかでありながら死神すら震え上がるだろう赤騎士団長もいるのだから。そしてそんな団長を頂点に持った赤騎士団を敵に回したこの一味は、これより未来において更なる罪を犯す可能性は万にひとつもないだろう。
一同はそして続くカミューの言葉を待っていた。そしておもむろに彼は手の中の書類をぱさりと手の甲で打った。
「精鋭は以前に推挙してもらった者達で変わりは無い。ただ、わたしもそこへ加わる」
付け加えた言葉に、それまで熱の篭った目で彼を見ていた部下たちがひくりと引き攣った。
「……なりませんカミュー様」
躊躇いがちにではあるがはっきりと副長が言うのにカミューは肩をすくめた。
「言うと思った」
「でしたら」
「だがもう決めた。わたし自ら出向いてこのマチルダで罪を犯す愚かしさを知らしめてやる」
「カミュー様、マイクロトフ様に叱られますよ」
そこでどうしてその男の名前を出すのかと、部下の誰も疑問を差し挟まず、むしろ一様に頷いているのに、カミューは軽く目を眇めた。
「言わなければ良い」
「なりません」
「……拠点をつきとめたのはわたしだぞ?」
「あとは我らにお任せくださいますよう。カミュー様はこの、ロックアックス城の、赤騎士団長執務室で、結果をお待ち下さい」
いちいち強調して言う副長の嫌味にカミューは苦笑を浮かべながら首を傾げる。
「ふんぞり返ってかな?」
「お眠りになっていただいても構いません」
しれっとして応える副長にカミューもやれやれと肩を落とす。
「分かった、任せる」
「ご納得頂けて何よりです」
そして副長がわざとらしく深々と頭を下げるのに、他の者達もホッと安堵を滲ませる。それらを一瞥してカミューは不服げに天井を仰いだ。そんな稚気めいた仕草に部下たちは苦笑を滲ませるが、瞳は真剣そのものだ。だが副長だけは穏やかな笑みを浮かべてそんなカミューを見詰めると。
「何よりこれ以上の無茶は我々の寿命を縮めます。以後、お控え頂きたい」
冷気にも似た気配が副長の足元から漂ってくるような感覚を覚えてカミューは内心で冷や汗を浮かべた。単独行動はしっかりばれていたらしい。
「心得た」
カミューがその琥珀に謝意を滲ませて微笑む。そこで漸くそれでは、と納得したのか副長が手元の資料をトンと揃えた。だが、その時一同の集まる部屋の、その外から騒々しい怒鳴り声と駆ける足音が聞こえてきた。
隊長の一人がすっと立ち上がり扉へと向かう、と同時にその扉が静かに開いた。
「……失礼します…っ」
顔を覗かせたのは確か医務局詰めの従騎士で、ここまで走ってきたのか顔が赤い。彼はそこに居並ぶ赤騎士団要人の面々に思わず息を飲み、非礼をまず詫びた。
「申し訳ありません、その、カミュー様に至急お伝えせよと医師が…っ」
「何があったんだ」
「病で臥せっていた筈のキャラウェル隊長のお姿が、何処を探しても見当たらないのです」
キャラウェルが? と一人が首を傾げると、すかさず副長が鋭い視線を向けた。
「彼にはフェリス氏の弟の遺体確認をさせた……義理の家族までも全て殺されて頭に血が上ったか」
彼こそ、渦中の事件の被害者、フェリス一家の殺された妻の実兄だった。妹一家の死に弱ったところを病に憑かれて寝込み、他に身よりもないので回復するまで騎士団内の医務局で入院措置を取っていた。
「確か奴は歩くのがやっとだったろう」
「は、はい……それなのにもぬけの殻で…」
従騎士の応えにカミューは軽く瞳を眇めた。
「誰かキャラウェルに仔細を伝えたか?」
短く問うた途端、彼と懇意だった第八の中隊長が飛び上がって背筋を伸ばした。
「……はっ! どうしてもと請われつい―――」
「それで焦れて飛び出したか、仕方の無い奴だ」
色めきたつ他の者たちを抑えて、カミューはぼやくようにこぼした。
「まぁ、何処へ向かったか見当はつく。今朝の死体発見現場を、教えたんだろう?」
「は、はい」
何故それを? と首を傾げる第八中隊長にカミューは苦笑を浮かべた。
「一味の拠点をもらすほどの浅慮は無いと信じているよ。全くキャラウェルめ、だから任せろと言ったのに……」
カミューがカリと親指の先を噛んで呟くのに、全員が苦しげな表情を浮かべた。
彼の、キャラウェルの妹を、実はこの場にいる全員が見知っているのだった。
年の近い者は尚更少女時代からの愛らしさを記憶にとどめ、花嫁として幸福の絶頂にあるその時までが今も鮮明に瞼の裏に蘇るほどだ。
それが、殺された挙句心中として片付けられようとしていた。兄キャラウェル本人だけでなく、この場の全員が一味に対して憎しみに近い怒りを感じていたのである。
「如何なさいますかカミュー様」
「連れ戻すしかあるまい」
「ですが……」
カミューの当然の応えに、だが副長が詰まった物言いをする。なんだと促せば彼は眉根を寄せて唸った。
「現場はいわゆる裏通りと呼ばれる場所です―――物騒なのは今更述べるまでもありませんが、遺体回収時でさえ付近住民と小さくは無い揉め事を既に起こしているのです」
何しろ彼らは騎士をあまり好ましく思っていない、と副長は付け加えた。
裏通りに暮す住民たちは曲りなりにもロックアックスの民ではあるが、騎士団の恩恵からは程遠い場所にいる者達ばかりである。日々の暮らしに精一杯で誇りや信念を鼻で笑い飛ばすばかりである。「騎士様だかなんだかしらないが」というのがそこに暮す人々の決まり文句と言われるほどだ。
また騎士の中にもそんな彼らを見下すような輩がいて、何か事が起きれば真っ先に裏通りの住民を疑うなどという愚かしい真似をする場合がある。であるから彼らが騎士を忌み嫌うのもまた当然といえた。
だからこそ、身分を隠して入り込んでいたのだが―――。
カミューはふと瞳を薄く細めて思案にくれた。報告で知った現場は奇しくもレニーの酒場近く。二度と会わないと告げた言葉を撤回するのは心苦しいが、キャラウェルが馬鹿をしでかすかもしれない現状を考えると、結論は既に決まったも同然である。
「お前たちは計画どおりに一味を叩け。キャラウェルはわたしがなんとかしてこよう」
「はっ?」
「副長、すまないが、もう少しばかり寿命を縮めさせてしまうのを許してくれ」
にっこりと、必殺の微笑を浮かべたカミューに、一同がしばし呆然と見惚れる。その最中赤騎士団長は音も立てずに立ち上がると「ではあとは任せた」と言い残して小会議室を出て行ってしまう。
その迅速さ故に、我に返った副長が「お待ち下さい!」と叫んでもそれはもう後の祭りだった。
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これは青赤ですか?(笑)
2007/12/09
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