9. 不意打ち
古着の上着と、目深に被ったフードと、毛玉のついた長いマフラー。ロックアックスの街で、ごく一般的な民間人の冬の装いだ。
お定まりの服装に着替えて駆け付けたのはやはりレニーの店。扉の向こうでは宵にはまだ程遠いのに、複数の行き交う気配がある。扉の前で逡巡したのはほんの僅かだけだった。カミューはひとつ深呼吸をするとおもむろに扉を開け放った。
埃っぽい空気の先に、何人も居た男たちが一斉に振り返る顔が見える。
「邪魔をするよ、レニーはいるかい」
カミューがマフラーを外して有無を言わせずにそう切り出すと、連中のうちの顔馴染みの一人があっと声を上げた。
「あっ、あんた」
店内は不穏な空気に満ちていた。半地下の店だから蝋燭の明かりもない昼間では薄暗いままではあるが、奥に目を転じればそこには当然のように座すレニーと、それを取り囲むように屈強な男達の様子がはっきりと見て取れる。そして、そんな男たちの中心に見慣れた顔がひとつ。床の上に無様に転がっている。
姿を見せたカミューに、半分身を起こした男の赤く腫れた目が驚きに大きくなる。しかしその反面、彼の血の滲んだ唇は、震えながら否応なく沈黙に閉ざされた。
「やはりここか」
怜悧な琥珀の瞳が細められて、その冴え冴えとした声が空間を一直線に切る。
「悪いがそいつはわたしに預からせてくれ」
突然の闖入に、どうしたものかと固まっている男たちの中で、さしものレニーも驚きを隠せ無いらしく、瞠目して固まっていたが直ぐに不満げな声を上げた。
「知り合いか?」
「まあね……」
靴音も高く歩み寄ると、床に蹲る男の肩を押さえつけ動きを封じている手をそっと外させる。長患いでこけた顔が、完全にカミューを振り返り泣きそうに歪んだ。
キャラウェル。
騎士服こそ着ていないが、れっきとした赤騎士でカミューの直属の部下だ。
妹と、その嫁ぎ先の一家の悲惨な最期に、気を病んで身体まで壊した。それなのに折りに触れ、カミューに事の真相の究明を嘆願し続けた。妹も、その夫も、心中なんて馬鹿な真似は絶対にしないのだと必死で訴えてきた。
そんな彼に、今朝方発見されたフェリス氏の弟の遺体を確認させた。唯一、顔見知りだったのだ。深い家族付き合いがあったと聞いていたからこそ、任せたのだ。そして間違いなく弟だと判明した。
けれど。
なにをどう誤解したのか。それとも、手がかりを失った事に焦燥を覚えてしまったのか。まともに食事も取れない有様の身体で飛び出した。
カミューは愚か者めと目できつく睨み据えながら、手を伸ばした。
「―――戻るぞ」
「……しかしっ」
「ここに、おまえの望む敵はいない」
ぴしりと言い切るとキャラウェルはがっくりと項垂れた。それから視線を外しカミューはレニーに視線を向ける。と彼はひどく真剣な眼差しでこちらを見ていた。
「事情は聞かねえ。だが、落とし前はどうつける。そこの兄さんは俺達を人殺しと罵った」
「わたしが代わって詫びる、それではいけないか」
カミューの言葉にキャラウェルがハッと顔を上げて何かを叫ぼうとする。しかし直ぐに鋭い琥珀に射貫かれて口を閉ざした。
「あんたの謝罪か……良いだろう。怪我したのはこいつだ、詫びてくれ」
レニーの後ろに控えていた男が進み出る。その頬は殴られたばかりらしく赤く腫れ始めて、痛みにか顔を顰め続けている。カミューはそんな男の前に立つと腰のユーライアを外し、床に片膝をついた。そして手にしていたマフラーも脇に押しやり。
「この通りだ、許してくれ」
片手を付き、床に髪の先が触れるほど深々と頭を下げる。傍らで、キャラウェルが悲鳴のように短く息を飲んだ。だが、レニーの盛大な溜息に掻き消され、場は直ぐに沈黙に支配された。
「ったく。腹の立つ……さっさとその兄さん連れて帰れ!」
顔を上げるとレニーは益々不機嫌な顔をして手振りで去れと繰り返していた。そんな態度に、カミューがほっと柔らかな微笑を浮かべる。借りが出来るばかりだ。
「騒ぎをおこしてすまない」
「早く帰れよ」
「ああ……。―――立てるか」
立ち上がりキャラウェルにそう問い掛けると、驚いた事に彼は瞳を潤ませて泣いていた。
「は、はい……」
嗚咽混じりに返事をしてヨロヨロと立ち上がる。
「申し、わけ……ありません…」
「反省したか」
「はい……本当に、申し訳……」
「だったら良い。だが二度目はないぞ。な?」
そうだろう? と不意にカミューはレニーに同意を求めた。すると男はこの野郎と口を動かしてから、一転豪快に笑いを放った。
「たまらんなあんたは、相変わらずだぜ」
レニーの笑い声に、それまで張り詰めていた不穏な空気が霧が晴れていくように消えて行く。集まっていた手下達も、頬を腫らせた男すらもにやりにやりと笑っていた。ただキャラウェルだけが取り残されたように困惑している。
「あ、あの……?」
「おまえの知りたい事を教えてやろう―――『彼』はここで殺されたわけではない」
え、とキャラウェルの目が大きく開かれる。カミューは小さく吐息を零し、ユーライアを再び腰へと据えながらレニーに同意を求めた。
「確かに今朝、この近くで見つけられたんだろう? レニー」
死体が。ちらりと目で伺うとレニーは「ああ!」と大声で応じる。
「ったく迷惑な話だぜ。おかげでこっちはとんでもねえ濡れ衣着せられちまって」
「だろうな……」
捜査のかく乱を狙ってこんな場所に捨てていったに違いない。思惑通り住民と騎士とでひと悶着おきて、遺体の回収から確認まで随分と時間を食われた。
「だが、発見現場には血がなかった。『彼』は別の場所で殺害され、運ばれたんだよ」
「そんな…それでは……」
「彼らは見つけた『彼』の遺体を放置せず、通報までしてくれた。それを感謝しこそすれ疑いをかけて殴りこみをするなど、百度詫びても足りないな……?」
カミューの言い含めるような言葉にキャラウェルの元から青い顔が、更にすうーっと蒼褪める。と、その弱った身体からは信じられないほどの素早さで彼は床に身を沈めていた。
「すまない! 俺は……俺は…」
床に額を擦りつけて詫びる姿に、相変わらずの人懐っこい笑みを浮かべてレニーは「良いってことよ」と今度は鷹揚に許した。
「誰にだって間違いはある。それにさっきのあんたの侘びでもう俺達の気は済んでるんだ。鬱陶しいからとっとと連れ帰ってくれよ、な」
「ああ、面倒をかけたな」
キャラウェルの腕を取りカミューは立ち上がらせてその背を押す。そしてレニーたちの強い視線を背に感じながら、この借りはいつか必ず返そうと、今はただ酒場を後にした。そして弱り果てている部下を見遣る。
「無茶をする……どこかの誰かのようだ」
くすりと笑う。
するとキャラウェルが不思議そうな目を向けた。
「どうした」
「いえ、まさか団長と連中がお知り合いだったとは思いませんでしたので、今頃驚いているのですが」
カミューは思わず片眉を上げた。しまった、ばれた。
「ああ、まぁね」
「……副長には、内密ですか」
「そうだね」
「分かりました」
「うん」
そこで漸くキャラウェルが僅かばかりの笑みを滲ませた。
「カミュー団長こそ、無茶ばかりなさっておられる」
「おまえが言う事か?」
「申し訳ありません、ですが」
常から、赤騎士の隊長位以上の連中はカミューに対して、小言が多い。皆、年嵩なのも原因なのだろうが、彼らの戴く団長が非常に奔放で型破りなのが一番の理由だろう。優秀で切れ者で礼節に溢れているのは確かなのだが、女性と見ると褒めて口説くのが礼儀だとして憚らないし、暴走がちの青騎士団の団長を、見守りこそすれ時に暴走するまま煽るような真似をする。
あの白騎士団長を相手にはとても上手く立ち回っているのは、なかなか出来る事ではないが、それだけに周囲があまりそのやり方に大きく口を挟めないのを良いことに、カミューと言う団長はかなり独断傾向が強かった。だから、年嵩の騎士たちは小言が増えるのだ。
このキャラウェルにしても、カミューとそう年は変わらないのだが、病む前は小言の多い部下の一人だった。
「分かっている。分かっているよ。ここにももう来ない筈だったんだ。それを来させたのはおまえの所為だぞ。だから副長たちには黙っておけよ」
「……仕方がありませんね」
ふう、と溜息をつく部下にカミューはやれやれと肩を竦めた。ところがそろそろ大通りに出る、と言うところでハタと立ち止まる。
「カミュー団長?」
こめかみを指先でつと押さえ俯き考え込む上司に、小声でそろりと伺う部下。そこへふわりと風が吹き抜けてから、赤騎士団長はぽつりと言った。
「しまった、忘れてきた」
その手が己の首筋を撫でる。
来る時にはあったマフラーをすっかり忘れて来てしまっていた。あれが無いと顔が隠せ無い上に、寒い……。
「取りに戻ろう」
即断するとくるりと踵を返して、指先で部下に示した。
「待っていてくれ、直ぐ戻るから」
「お待ち下さい、それでしたら俺が」
「病人は大人しくしていろ」
指を突き付けてそこに押し留めるようにしてカミューは足早に一人戻る。
小路を抜ける冷たい風に首をすくめ、今にも巻き上げられて脱げそうになるフードの端を確りと握り締めていると、視界がひどく狭まって心許ない。早く取り戻しに行こうと足を急いだ。
だがその急く心が油断を呼んだのかもしれなかった。
不意に視界を何かの影が掠めた気がしてカミューは歩みを止めた。
昼間は人通りが失せて、さながら無人の通りと成り果てる裏通り。日照条件は悪く常に湿気が停滞し、冬は特にひんやりとしている。もう直ぐ夕闇の訪れるこの時刻、そこに何かが横切るとすれば野良犬の類か、或いは―――。
フードを僅かだけずらして背後を伺う。そしてそこに何もいないのを見て首を傾げた。ところが、今度はその逆から重い足音が聞こえて反射的に振り返る。
そして誰何しようと開かれた口に、突然柔らかなものが押し込まれて息が詰まる。と、不意に鼻腔を掠めた匂いにカミューの眉がきりりと寄った。
独特の匂い。それは、青い草が雨に打たれた時のそれに似ていた。
だがそれ以上、思考する事は無理だった。
突然、両腕と両足を取られて不自然なほどに深く折り曲げられる衝撃に、鼻から呻き声を漏らしたが、それは冷たい空気に消えた。そして胸を圧迫する更なる衝撃。瞬く間に四肢を拘束され、乱暴に放り込まれたのはどうやら荷台か何かだったらしいと思考が途切れる寸前に考え、ガタガタと車輪特有の揺れを身体に感じながらカミューは意識を失った。
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攫われた!
今回のオリキャラ、キャラウェルさんは、某海賊漫画の船の様式を参考に名付け。
でも実際にキャラウェルさんというお名前はあるっぽいです。
2007/12/16
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