10. 失踪と疾走
その日、マイクロトフは朝から赤騎士団の様子がおかしいのに、気付いていた。
連日のように、早朝訓練を終えてから赤騎士団長の私室へとその部屋の主の起床を促しにいくマイクロトフであるが、今朝ばかりはその役目は免除された。出向いたその扉の前で当のカミューが隙なく赤い団長服を着て佇む姿を見たからだ。
何かあったのかと訊ねると、まあねとかうんとか曖昧な返事があり、彼の背中はそのまま赤騎士団の部下に囲まれて見えなくなった。それきり、その姿を目にしていないマイクロトフは、午後の茶の時間を過ぎてもちらりとも彼の気配を感じないのに焦れて、赤騎士の団長執務室へと押しかけていた。
母親を頼る幼子でもあるまいし、顔を見ていないからと探し回るのもどうだろうと思わないでも無いが、どうにも今朝から赤騎士たちの間に奇妙な緊張感が伝播しているような気がしてならない。ただの勘だが表立っては何事も無いように見せかけて、その実裏で何かしでかす気でいるのだろうかと思う。
それに、朝一瞬だけ視線を合わせた琥珀の瞳が、珍しく強く情に燃えていたのが気になる。
また無謀なことに身を投じていなければ良いと思う傍ら、心配のしすぎだろうかとも悩む。
周囲は、マイクロトフをこそ暴走しがちな人間だと思っている。
それは確かにその通りで、頭に血が上るとひとつのことしか考えられない直情なところがあった。しかしその分、マイクロトフは熱の冷めるのも早い。いざ頭が冷えてみれば我慢強いし機転の利く臨機応変さも多少はある。
ところが、反対に冷静の塊のようなカミューにこそ、無謀と言う言葉が良く似合った。
彼は熱するまでがゆっくりな分、熟考して怒りを練るというような器用な真似をする。そうして練り上げられた怒りは、なかなか冷めないし根が深い。しかもそうした静かな怒りに支配された彼は、自分を省みなくなるのだ。
そうなるとマイクロトフでも止めるのが難しくなってくる。下手にカミューと言うのは一人で何でも出来てしまう優秀な男だけに、尚更である。一人で、誰にも頼らずに、無謀な事を無謀と思わずにする。それは時に酷く刹那的だった。
だが常から、そんな彼から目を離してはいけないと、マイクロトフは己に課していた。自身をぞんざいに扱いがちなその性質を見過ごしては取り返しがつかない事にもなりかねないと、冗談ではなく思っていた。
マイクロトフはだから、とりあえず気になる事柄はひとつひとつ潰して安心してから自身の執務に取りかかろうと、カミューを訪ねてその扉を叩いたのだ。
ところが。
「こ、これはマイクロトフ様」
出迎えた顔の中に求める姿はなかった。どころか目に映るどれもが陰々鬱々としていて覇気が無い。いったい何事かとマイクロトフが眉をひそめたその時だ。
慌しい足音と共にマイクロトフの背後から伝令を告げる赤騎士が飛び込んできて、まるでそれを待ち構えていたかのように、赤騎士団長の執務室に勢揃いしていた隊長達が立ち上がった。
その、彼らの表情からは他団の団長マイクロトフの存在などはないようだった。
「で、カミュー様は戻ったか!?」
勢い込んで問い質した隊長の一人に、伝令は弾む息を飲み込んで首を振った。
「いえ、キャラウェル隊長のみです。直ぐにご報告をと仰って」
背後を伺った伝令のその後ろから、危なげな足取りで他者に支えられながらも大急ぎでやってくる、赤の中隊長の姿があった。彼はそしてマイクロトフの姿に僅か目を瞠りつつも、中にいる副長の顔を見るや「申し訳ありません」と床に崩れた。その姿に、駆け寄った赤の副長は心配するどころか責め立てるようにその胸倉を掴み上げた。
「いったいカミュー様はどうした! これほどの時間をおまえは何を……っ」
締め上げられた赤騎士は苦しげに叫んだ。
「カミュー様が、何者かに襲われたのです!」
ぎくり、と背筋が強張るのをマイクロトフは感じた。
―――襲われた?
「咄嗟の出来事でした……奴らはカミュー様を馬車へと押し込め。北の方へと……」
「どうして直ぐに報せを寄越さなかった!!」
「この件は表沙汰に出来ぬことを思い出し……っ、白と青の手前自らが報告に参るより他に無かったと…―――」
そして「申し訳ありません」とまた繰り返す姿に、副長が掴んでいた手を離す。すると今にも死にそうな顔色だったその赤騎士は、とうとうぐったりと崩れ落ちた。横たわり玉のような汗を額から滑らせて、うわ言のように何度も詫びの言葉を繰り返しているが、誰もそれを介抱しようとする者はいない。
その異様な場景の中で、マイクロトフは呆然と蒼褪める赤騎士たちを睥睨して、ぐうっと拳を握り込んだ。部外者なのは今更だ。しかしここで黙って去る冷静さと器用さなど、最初から持ち合わせてはいない。
「―――貴様ら己の剣を捧げた騎士団長を一人にして何をしている…」
低いがよく通る声だとカミューは褒める。その声が赤騎士たちの耳を静かに打った。
「マイクロトフ様……!」
「カミューは何処だ」
応えられる者はいない。マイクロトフはじろりと凍り付いたように動かない一同を見回すと、握り込んでいた拳で壁を殴りつけた。
「今朝から何を企んでいる。カミューが消えたのと関係があるのか」
しかし副長は軽く瞼を伏せると、表情を強張らせたままではあったが当然の返答をした。
「お答えしかねます」
「俺がカミューに不利益な真似をすると思うのか」
「他団の事柄には不干渉に願います。お二人がご親友であるのは周知なれど、赤騎士団の問題に青騎士団長であるマイクロトフ様を巻き込むわけにはまいりません」
「俺が『フェリス』の名をカミューから聞いていてもか」
それは、と副長が息を飲む。
マイクロトフにしてみれば名前だけしか聞いてはいないが、ここで副長を納得させなければ指を銜えるしか出来なくなる。カミューの部下達への秘密保持教育は徹底しているのだ。
「カミューが最近何度か裏通りに足を運んでいるのも知っている。俺なら構わん―――言え」
その黒い瞳の視線を真っ向から浴びて受け流せる者は少ない。副長はややあって唸るような声を洩らし、その整った自身の髪をくしゃりとかきまわした。
「分かりました、実は……」
そして副長が事情を短く掻い摘んで説明し終えたとき、マイクロトフの脳裏には先日聞いたカミューの「許せない」の言葉が蘇っていた。
そうか、それでか……。
渦巻く胸中を宥めながらもマイクロトフはカミューを思って顔を上げた。
「それで一味の拠点を叩くのではないか?」
本来ならもう動いていなければならない頃の筈が、カミューの行方に気を取られて動くに動けないのだと言う。そして。
「或いはカミュー様を攫った者と一味とに繋がりがあれば、計画通りに動けば御身に危険が及ぶ可能性も」
マイクロトフは頷いた。
「あるだろう。だがこのまま手を拱いてもどうにもなるまい。俺は、計画通り動くべきだと思うが」
しかし、と不断に惑う一同をマイクロトフは睨み据えた。
「案ずる暇があればさっさと捕らえてカミューの所在を吐かせれば良い! 繋がりがあるかどうかなどそれで分かる!」
激昂するマイクロトフに、だが赤騎士は反意を唱える。
「一味には手練も多いとの情報です。万が一踏み込んだ際にカミュー様がそこに囚われておいでならどうしますか!」
「盾に取られる前に切り伏せれば良い」
僅かの迷いもなく冷徹に返すマイクロトフに、赤騎士たちは驚きに目を瞠る。
「だが殺してはならん。カミューがいなかった場合は居所を吐いて貰わねばならない」
唸るような声に赤騎士たちが息を呑む。マイクロトフの黒い瞳は強い感情に燃えていた。
血がふつふつと沸くような感覚。全身の血が赤く燃え出して今にもマイクロトフを殺戮の衝動へと駆り立てようとする。だがたった一筋の理性がそれを抑え込んでいた。脳裏に過ぎるのは何よりも大切なひとつの命。彼の笑顔を最後に見たのはいつだったろうか。
だがそこでマイクロトフはハッとした。倒れ伏し、今伝令の騎士に漸く抱え起こされ、医務局へと運ばれて行くらしい赤騎士からも聞きだすべき事がある。ぬっと手を伸ばすとその肩をがしっと掴んだ。
「待て」
「マイクロトフ様! 何をなさいます……っ」
赤の副長が先程の己の暴挙も忘れて、顔色を変えて制止しようとするが、マイクロトフの勢いは止まらない。今にも失神してしまいそうな赤騎士の顎を掴み顔を上げさせると、その目を覗き込み強く詰問を重ねた。
「言え! カミューは何処へ行った!!」
「酒場、で……別、れ……」
そして赤騎士が最後にこぼした名前にマイクロトフは目を瞠る。
「確かだな?」
マイクロトフの手指に支えられたまま赤騎士は目の動きだけで頷く。その息も絶え絶えの様に「すまなかった」と詫びてその満身創痍の身体を元通り赤騎士に託した。そして。
「マイクロトフ様、どちらへ!」
一目散に駆け出したマイクロトフを慌てて追う声に、一言「拠点を叩け!」と応じる。その向かう先は赤騎士の言った名前の男がいるであろう場所だ。
以前にカミューを掴まえて、その行き先を聞いた。
レニーの店。
夕闇近く、街を疾走する長身の騎士団長は目立った。青い衣の裾を翻してそれこそ牛のように突進さながらの勢いである。だが彼に注目を集めている自覚はなく、ただ目指すその場所に向かって息が切れるのも構わず全力で走り抜けるのみだった。その勢いに何事かと色めいた誰もが、しかしあまりの速さに追いつけずに諦めてしまうが、裏街の方へと消えていったその後姿に首を傾げた者は少なくなかった。
青騎士団長があのような場所に何の用だろう、と。
用ならもちろんある。マイクロトフはそして目的の店へと辿り着くと肩で息をしながら勢い良く準備中の札ごと殴りつける勢いで扉を開けた。そして出迎えたのは決して穏やかでは無い面々の睨むような瞳だった。
裏通りの小さな酒場には不似合いなほどの、大人数の無頼の連中たち。
ところが突然の来訪者の衣服を見るなりその全てが驚愕と戸惑いに彩られる。まだ準備中であるにもかかわらず大勢が揃いぶみしたその薄暗い場所に、束の間の空虚感が生まれた。
「……青騎士…団長…?」
視界の真ん中に映る人物は幻かと、理性が何より反発をおこしてその信じ難い情景に警鐘を鳴らしているのだろう。だが若干一名だけが正しくマイクロトフの姿を認識していた。
一番奥に座していたレニーは立ち上がると、手下達を脇にどけて両手を広げた。
「これはようこそ、青騎士団長殿?」
その大袈裟な歓迎にマイクロトフはそこで漸く顔色を変えた。頭に血が上るあまり青騎士団長の装いのままこの店に飛び込んでしまった事を今更ながらに気付いたのだ。そして一瞬で「しまった」という表情を浮かべたのに、レニーが気付いて吹き出す。
「分かってるよ、アンタの用事はさ。おいおまえらちょっと散っとけ。俺はこのお方と話がある」
前半は砕けた様子で、だが最後は恫喝するような鋭い声で手下達に命じたレニーは店の奥へとマイクロトフを誘い込んだ。
「まぁ、座れよ。茶なんか出さねえけどな」
そしてレニーは興味深そうにマイクロトフのつま先から頭の上までを眺めて、少しだけ眉を歪めた。
「立派だねぇ……いやはや」
居心地悪さを覚えて、だがマイクロトフはそんな暢気なレニーに焦れて早々に切り出した。一刻も争うのに悠長にしてはいられないのだ。
「レニー殿とお見受けするが」
「あん? 俺は『どの』なんてガラじゃねえよ気色悪い」
一蹴されてマイクロトフは言葉に詰まった。だがめげない。
「カ……フェリスをご存知だろう」
「ああ、今あいつの事で手下と段取りしてたところだ。やばいぜかなり」
「やばい!? やはりカ…っ、フェリスの身に何か―――!」
思わず叫びそうになりながらも辛うじて指先で引っかかっている理性が言葉を正す。その不自然さにレニーは奇妙な視線を向けてきたが、構わない。
「この通りだ、委細を教えてくれ」
がばりと膝に両手をついて頭を下げた青騎士団長に、背後で幾人かの息を飲む気配があったが当人の意識にはどれも入ってこない。レニーも髭に覆われた口をへの字に曲げて更に奇妙な表情を作った。
「委細も何も、あいつが忽然と消えちまったって事だけだ。手下が偶然目撃してありゃおかしいって話になってな。だが、ちゃんと帰るところに帰ったわけでもねえし? ただ事じゃねえと手下使って助けてやろうかってとこだったんだよ」
「そうか……それで手掛かりはあるのだろうか」
「あるよ、たっぷりな」
調べたのは俺達だと声なく呟いてレニーは続けた。
「見たって手下が言うにはな、奴らこの街のもんじゃなかったらしい。で、人相を言わせてみりゃ驚いたね。あいつがよ、フェリスが俺達に調べてくれって言ってた一味の一人じゃねえか」
「……やはり…!」
大きく息を吸い込んで唸ったマイクロトフである。
だが不意にレニーはちらりとそんなマイクロトフを見た。その、何故だか意味深に感じる視線になんだろうかと首を傾げると、太い人差し指が掲げられてちょいちょいと呼ばれた。
その仕草に誘われるまま身を乗り出したマイクロトフの耳に、レニーはこう囁いた。
「な、おいアンタ、あいつのコレだろ」
そして目の前に立てた親指を持ってこられて一瞬マイクロトフは固まった。次いで沸騰しかけた思考が「なぜ」と口走らせる。すると髭面のレニーは笑みも浮かべずぶっきらぼうに一言ぼそりと答えた。
「見ちまった」
何をとは言わない、が。
「誰が見てるかしらねえとこで、良くやるぜ」
続けて軽く吐き捨てられた言葉に、マイクロトフは頭を殴られたような衝撃を受けてよろめきそうになるのを奥歯を噛んで堪えた。カミューに知れたら怒られるだろうな、と思うと同時にそのカミューを今探しているのだと思い出して拳を握る。
「―――っ、ならば話は早い! レニー殿、是非とも協力を願いたい!」
「ったく図々しい野郎だな! 腹立つぜ……」
「す、すまん。だが事は一刻を争う。カッ…〜〜フェリス、が危険なのだ」
「分かってるさ、俺だってあいつは助けてやりてえ」
不満げにマイクロトフを睨みつけながらレニーは言って、近くにいた手下を一人呼び寄せた。
「おい、アレだ……手筈どおり人数集めとけ」
たったそれだけの言葉で手下は心得たとばかりに頷いて踵を返す。レニーはそして再びマイクロトフをちらりと見やって手を振った。
「俺は先に行く。あんたは手下をつれて待ってろよ、場所はそうだな、大通りのどっかで良いや」
手下…とマイクロトフは呆気に取られつつも頷く。
「承知した」
「でかい騒ぎおこしてやるからよ。絶対あいつを助けてくれよな」
にやりと笑ってみせたレニーに、マイクロトフはふと彼はどうしてそこまでに尽力してくれるのだろうかと思った。ただのお人よしには見えないこの髭面の男が、幾らカミューに好感を持ったからと言って下手をすればその身すら危うくするかもしれない事を、こうも容易く引き受けるだろうか。
「どうかしたか」
「いや、気を悪くしないでくれ。ただレニー殿、なぜそこまで―――」
「世話を焼きたがるかって?」
「……うむ」
頷いたマイクロトフに、レニーは「そうだなぁ」と頭を掻いた。
「実は初めてあいつを見た時、なんて危なっかしい奴だと思ったんだ。だから気になって色々ちょっかい出してたんだが、あいつな、アンタといると違ったんだ。えらく落ち着いた雰囲気でよ、あぁ、アレが本当のあいつなんだなって思ったよ」
今だけ、この髭面の男はまるで保護者のような顔をしてしんみりと語る。それから黙って聞いているマイクロトフを見て、参ったなと苦笑を浮かべた。
「俺はただ、そうだな。あんな顔したあいつがアンタと並んで、ほら向こうの上っかわからこの街を見下ろしてりゃ、それで良いと思うんだ」
レニーの指差した方向は街の傾斜の上の方。今は無骨な石壁に阻まれてその全貌を望むべくもないが、そちらには確かにこの街の礎、ロックアックス城があった。
「レニー殿は、あなたはもしや……」
知っているのでは、とマイクロトフは言いかけた。フェリスと名乗ったカミューの本当の身分をとうに分かっていたのではないか。だがレニーは大急ぎで手を振ってそれ以上を遮った。
「あー野暮はよせよ。ともかくそう言うこった。あいつが穏やかに暮してるって事はつまり俺も俺達も、この街も穏やかでいられるって勝手に思い込んでるだけだよ」
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年越してしまいましたねー。
2008/01/20
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