11. 囚われ


 ふっと意識が浮かび上がる感覚をカミューは研ぎ澄まされた騎士の本能で知った。
 寝起きのそれとは違う、錐でこめかみを鋭く穿たれるような痛みに呼吸が乱れる。そっと目を開けると汚れた床板が目の前に広がっていた。どうやら後ろ手に両手首を纏めて括られているらしく、無防備に横たわっている身体の関節がところどころ悲鳴を上げている。
 これは良くないなと眉を寄せて、カミューは溜息を零した。キャラウェルが共に捕らわれていないのに少々の安堵は覚えるものの、見知らぬ場所で目覚める危険は計り知れない。問答無用で命を断たれなかっただけまだマシかと思いつつ、カミューはいったい何処の何者が自分を捕らえたのだろうかと考えた。
 場所は見知らぬ、窓もない薄暗い部屋だ。辛うじて蝋の灯りが四方にあるということは、普段から人が使っている部屋なのだろうが、それにしても埃っぽくてかび臭い。
 第一候補は考えたくなかったが、レニーだろう。
 どんな感情の動きがあの男の中にあるのかまではカミューには伺い知れない。襲われた場所が場所でもあるし、目的が分からなくても実行出来得る条件の中では可能性が高い。
 第二は、カミューを敵と見做す大勢の中の何者か。人気の無い道を一人でいたのを絶好の機会と見てとったか。しかし、だとすれば即座に殺さない理由が分からない。この吐き気を覚えるほどの頭痛は、おそらく急速に意識を奪う催眠薬の類だろう。そんなものまで用いて生かして捕らえるのに何の利益があるだろう。
 と、そこまで考えてカミューはふとバル一味の事を思い出した。同時にすとんと胸に落ちる納得の数々。
 それが一番自然だな。
 レニーの手下達が行った調べが完璧だったとは言い難い。その調査相手に全くの不審を抱かせずに済ませられたとは思えず、逆に向こうがこちらを探っていた可能性もあるわけで、そこでこちらの存在を知られたかもしれない。だいたい最初からあぶり出すつもりでフェリスの名を使ったのだ―――。
 そもそもフェリスの殺された弟は何故あの場所に放置されたのか。ただの捜査かく乱だけで無いとすれば、こちらが何らかの動きを見せるのを期待していたとは思えないか。
 しくじったな、と悔やみつつカミューは、どうしてもあの裏通りへの執着を捨て切れない自身の優柔不断さを恥じた。二度と立ち入らないと決め、告げた筈なのに他の策を考えもせず自らが動いた浅慮。これでは部下を笑えない。配当の見えない賭けは端からすべきでは無いのだ。
 さてどうしようかとカミューは床の埃を吐息で散らしながら思案した。どう転ぶかはまず、相手がカミューをレニーの仲間と捉えているか、それとも本来の正体を知っているかで変わってくるだろう。
 前者であれば良いのだが、と願いつつカミューは暫くそうして様々な思案を巡らせていた。



 動きが見えたのは横たわったまま、考えもまとまりかけて埒もなく思案を捏ね回していたところ、その部屋の扉が開く音が陰湿に聞こえた時だ。
 頭痛にぼんやりとしがちな瞳を音の方へと向けた先、開かれた扉の向こうから目を射る洋灯の炎の強さに目を細める。カミューはごそりと身動きして顔を上げた。
「ああ、気付いてたのか」
 聞いたことの無い声が頭上から降ってきて、誰かがカミューの肩を掴むとぐいと引き上げて壁に押さえつけた。無理やりに上体を起こされた格好ではあるが、痺れかけていた腕には楽だった。膝を曲げ壁に凭れてカミューは無言のまま入ってきた男達の顔を見上げた。
 やはり知らぬ顔ばかりであることに、レニーの影は消え去り、僅かにあった胸のしこりが消えて行く。
 間近に立つ男はだがそんなカミューの胸中など知らぬ素振りでしゃがみ込むと、まじまじと顔を覗きこんできた。
「へえ、やっぱり男にしては―――」
 意味深な言葉を吐いてにやにやと不快な笑みを浮かべる。
 何が言いたいのだろうかとカミューが不審な色を瞳に浮かべた時、男は振り返って扉の方へ声をかけた。
「入ってきな」
 誰が―――と身構えた。ところがそうして現れたその顔に、カミューは不覚にも呆然としてそれを表情に出してしまっていた。よもやこんな人物がこんな真似をしでかすとは、まるで慮外だった。
「誰かと思えば、レディ」
 沈黙の後に、弾けるように声が出た。
 ドレスを纏った楚々とした淑女。エリスティナ・オリオールは毅然としつつも不安を隠せない様子でカミューを見下ろしていた。そして辺りの男たちに目で合図を送ると、彼らを部屋から下がらせて一人きりカミューと対面した。

 エリスはまず詫びてみせた。
「手荒な真似をして、ごめんなさい」
 そして口を閉ざす。それから惑う風の様子に、カミューは斜に見上げてエリスの次の言葉を待ったが、何から話し出せば良いのか迷っているらしく、つい痺れを切らす。縛られたまま、ガックリと肩を落として見せた。
「レディ、わたしをどうするつもりか知らないが、力にものを言わせる気なら諦めなさい」
 たとえどんな脅しをかけられようと、いやそれが卑怯な真似であればあるほどカミューは屈しない。
 するとエリスは慌てて首を振った。
「そんな! ただ私は貴方ともう一度話がしたくて……ですが二度とは会って下さらないと、だから私は……」
 そこまで言ってぎゅっと唇を噛むエリスに、カミューは内心で舌打ちをする。こんな強引な真似に出るとは思いもしていなかった己の人を見る目のなさが恨めしい。彼女はもっと大人しい女性だとばかり思っていた。
 カミューは溜息落として話題を変えた。
「彼らは? レディの身内には見えませんでしたが」
「彼らはあの後―――」
 エリスはふと声音を落として素直に答える。カミューと会って結局相容れず決別した直後の事だと語り始めた。
「取り残されて途方に暮れていたら、手を貸してあげましょうかと……とても親身になって下さって。あなたともう一度だけお話をしたいのですと言ったら、ならそうさせてあげましょうって」
 カミューは目を閉じて、腹の底から込み上げてくる震えをやり過ごした。そして、この馬鹿娘、と罵りたい気分を宥めて、厳しい眼差しでエリスを見上げる。
「話をしても、どうにもならない。これ以上、あなたの思い違いで振り回されるのは勘弁願いたいのですが」
「いいえいいえ、思い違いなどではありません。あなたは確かにマイクロトフ様と抱き合って、口付けを交わしてらしたわ。見間違いでもない、私、あんなに絶望的な気持ちになったのは生まれて初めてだったもの……っ」
 エリスは突然両手で顔を覆ってなんと泣き出した。
 カミューは自分こそ泣きたいと、後ろ手に括られた手首の痛みや頭を断続的に襲う鈍痛なども相俟って顔をしかめた。だがここで更に突き放すような物言いをするには、カミューは女性に甘すぎた。
「レディ……泣かないで下さい。今のわたしには涙を拭いて差し上げる手段が無い」
 弱り果ててこぼすと、エリスがふと泣くのも忘れたかのようにきょとんと涙に濡れた目を瞬かせた。
「もし、その……出来るのなら拭いて下さっていたという意味ですの?」
「ええそうですよ」
「あなたは、あの、つまり、マイクロトフ様の愛人では無いのですか?」
 エリスの疑問はもっともだ。しかしカミューはそもそも男好きでは無い。マイクロトフが相手でなければ女性が良いに決まっている。
「………わたしの恋愛観がどうであろうと、レディには優しくしてさしあげるのが主義でしてね」
 困ってる女性や泣いている女性を放っては置けないこの性分は、長い騎士生活の心得も加わって身体の隅々まですっかり染み付いているのだ。
 するとエリスは拍子抜けしたように涙を止めてくすくすと笑みをこぼした。
「そう言われてみれば、一番最初にあなたには助けて頂いたんでしたわね」
 その通り、もしあの時割って入らなければ今どうなっていただろうか?
「あんな恐ろしい方達に対して、とても毅然としていて……」
「彼らはそんな恐ろしいものではありませんよ。他と得意分野が少し違うだけです」
「そう、なのですか?」
「ええおそらく、レディを唆してわたしをここへと連れてきた者達よりは、かなり善人だと思いますよ」
 そもそもどうして話をするだけなのに拘束が必要なのかと、この娘はひと欠片も疑問に思わないのか。最悪なことに腰のユーライアもなくなっているのだ。ただエリスのためだけにカミューを襲ったにしては措置が周到過ぎないだろうか。
「あなたを唆した彼らの中に、バルと言う名の男はいませんか」
「あら、もしかしてお知り合いなの? でもあの方達がわたくしを唆しただなんてとんでもないわ。良い方ばかりなのよ?」
 カミューは項垂れる。肩が痛かったが溜息も一緒に吐いてしまえ。本当に最悪だ―――。
 ここまでエリスが愚かだとは思わなかった。そう考えてカミューはいやそうでは無いなと思い直した。ただこの娘は世間知らずで未熟なだけなのだ。聞けば最近ロックアックスに来たと言う。それまでは田舎でのんびりと暮してきたのだろう。だからレニーたちを見て大袈裟なまでに恐怖に震え、憧れの騎士団長に夢を見る。
 しかしバル一味が思わぬ所から絡んできた事実に、このままではエリスティナまでも危ういではないかと、更なる責任の加重に頭を抱えたい気分になった。手首を括られていなければ絶対に抱えて髪をかき乱していただろう。
「それでレディ、あなたは彼らにわたしのことをなんと説明したのです。よもや青騎士団長の愛人だなどと、そのままに伝えたのではないでしょうね」
 違うだろう。頼むから違うと言ってくれと、顔に笑みを貼り付けて返答を請うたが、エリスはかぁっと頬を赤らめて小さく首を振った。
「そんなっ。わたくしはただ愛する方の、その、ご親友が縁談を邪魔すると……それだけですっ」
 ああ、それで充分ですよレディ……。
 先程のカミューを引き起こした男の不快な言葉と笑みの理由が知れて、ハハハと喉から渇いた笑みがこぼれる。
「あいつの名前は出していないでしょうね? 面白おかしく脚色された騎士団長の醜聞など聞きたくはないのですが」
「それだけは絶対に申しておりません。わたくしだってそのくらいのことは心得ています」
 なら辛うじて安心だ。はぁっと大きく息をついてカミューはエリスの瞳を改めて見上げた。
「レディ。それほどにあいつに対して気を使えると言うのに、どうしてわたしにはこの仕打ちなのでしょうね」
 少々酷くありませんか、と告げればエリスは哀しそうな顔をした。
「……ごめんなさい。でも……でも、マイクロトフ様にお会いする事は容易くはありません。父ならば可能でしょうが、あなたの存在を打ち明けるなどとても出来ないし。それならあなただけを説得するより他に道はないもの」
「説得、ですか」
「はい。やはりわたくしにはどうしても理解できません。どうして殿方同士で、そんな不毛な真似を……なさるのか」
 不毛、とね。
 ぴくりと片眉を押し上げてカミューは笑った。まぁしかし一般論だ。エリスだけが持つ考え方では無いだろう。そしてこの日もう何度目になるかわからない溜息を吐いてカミューは「レディ」と切り出した。
「実のところ、わたしは見合いを断ると言うあいつに、会いに行けと言ったんですよ」
 理由もなく断るにはマイクロトフには立場がありすぎ、オリオールには地位がありすぎた。どうしても理由を聞かれるだろう。そのときになんと答えれば良いのか、真っ正直に自分たちの関係を言いそうでカミューは怖かったのだ。
「否定はしませんよ。わたしと言う存在はあの男にとっては、一種の足枷です」
 自嘲混じりに言った言葉に、エリスが無言のまま首を傾げる。
「ならばどうして、ですか?」
 言葉にこくりと頷く。それに微笑みを送ってカミューは俯いた。
「わたしたちは神には誓えません。ですが騎士なら剣に誓う事が出来る。……あいつは、剣に誓ってくれましたから」
 かつて、魂になっても愛し続けるとそう誓ってくれた言葉は、カミューの中で何よりも重い礎となった。だから、共にいる。これはカミューが密かに誓ったこと。何があっても共にいる。
「わたしは、あいつがわたしを要らないと言う日まで傍にいます。ですが反面その為にあいつの未来が奪われるのならばとも、考えなくはない」
 そこでいったん言葉を切り、カミューは顔を上げるとエリスの顔をじっと見詰めた。
「決してあいつを不利な状況には陥らせたく無いので、せめて顔だけでも見てから適当に理由をつけて断れば良いと思ったんですよ」
 我ながら身勝手な言い分だなと思う。エリスは案の定何を言われているのか分かっていない様子で、それでも必死で理解しようと努めているのが良く分かる。
「あいつさえ守れるのなら、わたしは自分がどうなろうと、他の人間がどう傷付こうと構わないんです」
 見合いなどしてもらいたくはない。万にひとつの可能性だって許せないのだから、本当は嫉妬と不安で気が狂いそうになる。それを素直にマイクロトフに打ち明ければ、ひとつ頷いて聞き入れてくれるだろう。だがそれでは駄目なのだ。青騎士団長の立場でそれはしてはならないことなのだ。
 信じているからなどと、そんなのは嘘だ。
「あいつの為に、見合いは断るにしろ最低限の礼儀を見せたほうが良い。だから会えと言ったのですが、当の本人がさっさと断ってしまいましてね」
 どれだけ嬉しかったことか。カミューから一瞬たりとも目を離したく無いからだと言われて、涙が零れそうなほど嬉しかった。
「レディ・エリス。あなたには気の毒なことだが、本人が見合いをしない、このわたしで良いんだと言う以上はもうこれは仕方が無い」
 誰も彼の信念は曲げられない。カミューでさえ、だ。
 そして嘲笑的な笑みを浮かべたカミューを、エリスは顔を赤くして睨んだ。
「でも、間違っています!」
「……では、何が正しいと?」
「男女が結ばれることです。神様がそうお決めになったことです」
「言ったでしょう、我々は神には誓わない。我が身と我が誇りと、剣に誓う」
 これでは堂々巡りだとカミューは嘆息した。
 仕方なくカミューはエリスの、半端な心構えを暴くことにした。露骨な事はしたくも言いたくもなかったが、それを避けたが為にこの現状だ。容赦はもうしないことに決めた。
「だいたい、あなたにはあの男は受け止められませんよ、半端な愛情では無理な相手だ」
 見下すようにカミューは表情を崩さず、じっとエリスを見詰めた。
「そもそも生半可な想いで付き合えるような男じゃない。あなたは、どこまであの男を理解できるつもりでいるんです」
 どこか諦めているような口調で、淡々と問うカミューに、エリスは不快げに眉を少しばかり寄せた。それも仕方ないだろう。純情な娘にとって目の前に居る自分は青騎士団長を誘惑する汚らわしさの象徴でしか無い。そんな相手に想いだの愛だの語られたくは無いだろう。しかし生来の育ちの良さか素直さからかエリスは答えた。
「どこまで……? おかしな質問をなさるのですね。妻として当然あるべき愛し方をするだけですわ」
「騎士団長の妻として、ですか」
「何が、仰りたいのです?」
「もし、あの男が騎士団長でなくなればどうされますか。次に赴いた先の戦場で片腕をなくしたらどうします。騎士を廃業してもそれでもあなたはあの男に添うのですか」
 カミューが次々に並べ立てる出来事にエリスは蒼褪めて慌てて否定した。
「そ、そんな仮定の話になどは答えたくありません」
 不吉な、と彼女は憤るようにカミューを詰る。だがカミューはゆっくりと首を振った。
「いいえ、限りなく現実味のある話ですよ。片腕どころか命さえ亡くしかねない―――騎士とはそう言うものですから」
「随分と、知ったような口ぶりですのね……」
「確かに……ね」
 そう言えばまだ素性を言っていなかったなと思い出してカミューは笑った。どうせなら最後まで知らせずに済ませたかったが、場合が場合だ。
 もし素性を知った時、エリスは何を思うだろうかとぼんやり考えつつ、カミューは後ろ手にまわされた手首に食い込む縄に舌打ちした。バル一味が関わっている以上、暢気に愛だの恋だの騎士道だの語り合っている暇は無いのだが―――。
「レディ・エリス。あなたにとって騎士とはなんです」
「騎士とは……マチルダの象徴ですわ。何よりも厳しく律した精神で、主と国の為に命を賭して戦う雄々しく勇猛な……」
「それは、父上の受売りかな。あなた自身がどう思っているのか聞いているのですけどね。この街に来て実際に騎士を見て、何を思いましたか」
「素敵な方々だと―――」
 少し顔を赤らめて言う。
「彼らが人殺しでも、素敵だと?」
 な、とエリスが息を飲む。
「騎士とは剣を持つ武人です。戦場に出れば敵を切り伏せて勝利をもぎ取ってくる者達の事を言う―――騎士とは決して綺麗な美しいものではない」
「ですがそれは!」
「戦がなければ人を殺すこともありませんが、それでもこのマチルダの騎士たちは、領内管轄の権限を持っている。騎士団に反する者たちを捕らえ厳罰に処す力がある」
 騎士が何をしているか、深く考えた事のある一般人はどれほどいるだろう。見かけの壮麗さに憧れるだけで、汚いところから目を逸らす者が殆どではないだろうか。いったい誰が犯罪を調べて暴き、犯罪者を捕らえて罰しているのか。
 正義のためだとの大義名分はある。だが、そう―――正義の中にも必要悪はあって然るべきものだった。
 レニーがいつか言っていた事のように。カミューが今こんな格好をしている理由のように。
 正攻法では決して捕らえられない狡猾な犯罪者がいる。それを縛しようと思えば、毒には毒を以て制するしかないではないか。
「領内の犯罪に立ち向かうのもまた騎士の仕事。あなたは、犯罪の取締りの為に血が流れるのをご存知ですか。あなたの夫となるかもしれない騎士が、いつ犯罪の凶刃に倒れるかしれない現実を知っているのか」
 エリスの顔は蒼褪め、今にも涙を零しそうだった。だが、まだだ。
「そしてねレディ。そんな騎士の身内となるなら決して軽率であってはならないのですよ。その時点であなたはやはり、あの男の妻となるには相応しく無い」
 現実を知らない、結果を考えない軽率は許されざる罪だ。
「レディ、貴方も馬鹿なことをしたものだ」
 苦笑混じりの言葉にエリスは不安そうな表情を浮かべてカミューをじっと見詰めている。いったい何を言われているのか、教えて欲しいと訴えているその瞳に、琥珀が細く冷気を湛えた。



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赤さんよく喋りますね。

2008/02/17

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