眠 れ る 騎 士


 うつらうつらとしている金茶の髪に、突然パコンと乾いた音が降りかかる。
「起きろカミュー」
 はっきりと呼び掛ける声に青年が目を開くと、丸めた書類束が大きく揺れている。更に青年が上を見るとそれを見下ろす黒い瞳に行き当たった。
「会議中居眠りをし通しで、おまえはいったい何のためにここにいる」
「あれ…もう終わったのか」
 寝起きのぼんやりとした顔のままカミューが見回せば広い会議室の中は閑散としている。
「とっくに終わった。軍師殿はおまえを居ない者として会議を進めていたぞ情けない」
「……それも仕方ないな。この会議のために昨日は殆ど徹夜だ」
 言ってカミューはまたぐったりと顔を伏せた。軍師も自分が命じた仕事をこなしたためにカミューが居眠りをしているのだと知っていて見ないふりを決め込んだのだろう。あれで大概あの軍師も砕けたところのある人物である。
「眠くてならない。睡魔が形になって見えていたら、今わたしの全身を覆っているのが分かるはずだよ」
 指先まで眠りたがっている、とカミューは億劫そうに人差し指でトンと机上を叩いた。しかしマイクロトフはその手を掴むとぐいっと引き上げる。
「それでも起きろ。なんなら眠気覚ましの散歩に付き合ってやろう」
 とにかく立てと腕を引き肩を抱いて立ち上がらせると、マイクロトフは自分の書類とカミューのそれとを合わせて小脇に抱えると会議室を後にした。そしてふと廊下に出れば壁に穿たれた小窓から柔らかな日差しが一条差し込んでいるのが見える。
「良い天気だ。外に出よう」
「うーん……」
 快活に言ってマイクロトフは唸りとも応答ともつかない声を上げたカミューを引っ張って歩く。そして階段を下りて図書館へと向かう小道へ出た。屋外へと出ると小春日和の暖かな空気がいっぱいに満ちていて、そよぐ微風も心地良い。草地は明るい若草が一面に生い茂り陽光にきらきらと輝いている。
「ほら、歩くぞ」
「うー……」
 しかしカミューにしてみれば小春日和の屋外は絶好の居眠り環境であったろう。ちょいと木陰に潜り込めばそのまま夢の世界に落ちるに違いなかった。それでも眠気の海に残る僅かな理性が『せっかくマイクロトフが散歩に連れ出してくれているのだから、ここで寝てはいけない』と訴えかけているので、手を引かれるままに大人しく後をついて行くのだった。
「もうすっかり春だ」
「う……ん…?」
「カミューは春が好きだろう。朝起きやすいからな」
「んー……」
 それは奇妙な光景だった。元気良く明朗と語りかける元青騎士団長に対し、その手を引かれ今にも眠りそうな表情で茫洋と受け答える元赤騎士団長。そのうちに彼らは図書館前の木立へと足を踏み入れていた。
 と、そこで明るく甲高い声がそんな二人を呼び止めた。
「マイクロトフさんにカミューさーん!」
 はたとマイクロトフが振り向けば、日差しの良く当たる図書館の壁に凭れるようにしてニナとトモが並んで座っており、ニナの方が手を振り上げて二人を呼んでいた。
「これはニナ殿にトモ殿」
 カミューの手を引いたまま二人の元に歩み寄りマイクロトフは彼女らの手元に視線を落した。
「勉強中ですか」
 ニナの手にはグリンヒルの学院で使われているものらしい教科書が握られており、トモの手には図書館から借りてきたらしい歴史書がある。それでそう訊ねたマイクロトフだったのだが、その通りだったらしいニナがこくりと頷いた。
「そうなんです。こんな時だからこそ勉強はきちんとしていなさいってエミリアさんに言われちゃって」
「わたしもお父さんに折角だから一緒に学んでおいでって言われたんです」
 二人とも年頃は近かったろうか、トモの方が幼く見えるのでおそらくニナが色々と教えてやっているのだろう。
「歴史、か」
「はい。ちょうど近代のところを勉強中なんです」
「ハイランドの事も知って置いた方が良いと思うの」
「あぁ、それは良い事だと俺も思う。戦う相手と言えど深く知って悪い事はない」
「ですよね」
 ニナがにっこりと笑った。しかしふとマイクロトフの背後に視線を投げて首を傾げた。
「……カミューさん、立ったまま寝てるんですか? 器用ねえ」
 マイクロトフはぎょっとして後ろを振り返った。するとニナの言葉どおり、マイクロトフに手を握られ立ち尽くしたままカミューはすうすうと寝ていた。ほんの僅か首を前に傾けて緩く目を伏せた姿で、ただ握られた手だけを支えにゆらゆらと揺れている。
「…………」
 マイクロトフは心の中でカミューの名を叫び、心底感心しているニナとトモに対して恥ずかしくてならなかった。人前で立ったまま寝入るなど騎士としてあまりにみっともないではないか。しかもカミューは元とはいえ赤騎士団長。常に他の騎士の手本であり外に対しては象徴でなければならないと言うのに―――。
 しかしニナはくすくすと微笑むとふわーっと天を仰いだ。
「この陽気じゃあねぇ、仕方ないわよね。それにカミューさんたら最近とても忙しそうにしてましたもん」
「そうだね。夜遅くまで部屋の明かりがついていたもの」
 お父さんが夜遅くなった時、部屋に戻ってくるとカミューの部屋の扉から灯りが洩れていたと言っていたとトモが言う。マイクロトフはぐっと息を呑んだ。確かにここ最近カミューが忙しくしていたのは知っていた。
「立ったままで寝ちゃえるほど疲れてるんですね〜」
「お部屋に戻った方が良いんじゃないかしら」
「む……」
 マイクロトフはゆらゆらと揺れているカミューを見て困ったように俯いた。これではもう散歩の続行よりもトモの言葉に従って部屋に連れ戻した方が良さそうである。ところがそう判断してマイクロトフがカミューの手を握る手に力を込めようとした時、ニナが短く「あっ」と声を上げた。
「どうされた」
「あ、あのね。マイクロトフさん、行ってしまう前に教えて欲しいんですけど」
 ニナは言いながらぱらぱらと手に持っていた教科書をめくりだした。歴史ならマイクロトフも騎士の見習い時分に習ったので覚えているがあまりに専門的なことになると難しい。すわどんな問い掛けがあるのだろうかと身構えると、ニナはふっと顔を上げて「最近の事なんですけどね」と前置きをした。
「『ゲンカクとハーンの一騎打ち』なんですけど、太陽暦で言うと何年のことだか分からなくなっちゃって」
 ニナは恥じ入るようにクシャリと笑みを浮かべて髪を掻き混ぜた。しかし対するマイクロトフはあぁそれなら…と笑みを浮かべた。そして答えようとしたのだが、突然背後から思いも寄らぬ解答があった。
「……太陽暦四三四年ですよ」
 聞こえたカミューの声にえっとして振り返る。だがしかし、そこにはやはり立ったまま寝入る姿しかなかった。マイクロトフはうろたえつつ正面に視線を戻す。するとニナもトモも目をまん丸に開いて驚いていた。と言うことはつまり、やはりこれはマイクロトフの気のせいではなかったらしい。
「おい?」
 また振り返ってそうっと声をかけてみた。しかしカミューは項垂れたままで、繋いだ掌は寝ている間の彼特有の僅かに高い体温を伝えてくる。マイクロトフはふと瞳を眇めてカミューを凝視した。ところがそこへニナの声が突っ込んできた。
「あの、ねぇ? ……マチルダの奪還は太陽暦何年かしら……?」
 伺うような質問に、それなら自分の生まれる二年前の事だと考えながらマイクロトフはカミューを見詰める。すると眠ったまま彼はすらすらと答えるではないか。
「四三二年です」
 常のそれよりは幾分かゆったりとした響きではあったがはっきりとそう聞こえた。続いてニナが調子付いたように再び質問を投げかける。
「じゃあ……グランリーフ学院の設立の年とその創立者の名前を答えよ?」
「三六二年、アレン・ワイズメル」
「ではグリンヒル市の独立は?」
「三七三年」
 沈黙が降りる。ニナは小さく嘆息すると、隣のトモと顔を見合わせてほとほと感心したように大きく何度も頷いた。
「狸寝入りじゃなくて本当に寝ているのよね……カミューさんて、ほんと器用ですねえ」
 ニナの言葉にマイクロトフは「ああ…」と遠い記憶を呼び起こした。そう言えば眠っているのに質問に答えるのは夜更かしが日常だったカミューの授業中における特技だった…。思い出してマイクロトフは沈痛を隠しきれず溜息を落とした。
「でもすごい。そらでこんなにスラスラ答えられるなんてさすがですよ。しかも寝てるのに」
 トモが純粋に賞賛してくれるのを、到底素直な気持ちで受け取れずにマイクロトフは苦く笑って頷いた。次にはっきりと目が覚めている時にこの事を教えてやれば嬉しがるだろうか。それともレディの前で無防備に寝てしまった事を恥じるだろうか。
 ともあれ、やはりこのままと言うのは良くなかろうとマイクロトフはニナとトモに苦笑を差し向けて緩く首を振った。
「質問は、以上だろうか」
「あ〜、はい。お引止めしてしまってごめんなさい」
「いや」
 ニナがぺこんと頭を下げるのに手をふり、マイクロトフは自身が何の力にもなれなかったのを詫びた。すると今度はトモが笑って首を振った。
「ううん。早くお部屋に連れて戻った方が良いですよ」
「そうだな……ではこれで失礼する」
「はい」
 ニナとトモが揃ってにっこりとする。そしてマイクロトフは踵を返すとカミューの腕に触れて、間近にそっと呼び掛けた。
「カミュー、戻るぞ」
「ん……マイクロトフ…?」
 するとまるで今目覚めたかのように薄ぼんやりと目を開けてカミューが小首を傾げる。実際、彼は本当に今目が覚めたばかりなのだろうが、取り合えずマイクロトフはこくりと頷いてやると、くいっとその手を引いた。
「散歩は終わりだ。あとは部屋でゆっくりすると良い」
 こんな有様の赤騎士団長では、軍師も今回ばかりはそれを許さざるを得ないだろう。もしかしてカミューのことだから仕事後の休息の確約は既に取り付けているのかもしれない。だがまあどっちみち彼には睡眠が必要なのは確かだ。
「んん……?」
「ほらほら、確りと歩け」
 流石に抱き上げて部屋まで連れ戻るのはカミューがあんまりに気の毒だろうからやめておこうと思い、マイクロトフはせめてもとその背を支えるように自らの腕を回して押すようにして歩いた。

 足元もおぼつかない、綿のような動きを見せる赤騎士団長に、その手を持って押すようにして歩く青騎士団長。それはある小春日和の午後の風景であった。



END



最初から最後までずっと手繋いでますこの人たち…

2002/12/06


第三問 ゲンカクとハーンが一騎打ちをしたのはカミューが何歳の時?

答えの数字を半角で、
quiz_fairy.htm
の「fairy」の部分と置き換えて下さい。

ヒント
カミューの誕生年は太陽暦433年

正解 1 → 正解

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