想いの根拠6
ところが、事態は思わぬところから方向を変えていった。
その夜の酒場である。相変わらずの面々が好き好きに酒を嗜んでいるが、この夜ばかりは流石に両騎士団長の姿は無かった。
それでも、一昨日の夜同様、二人の女剣士の姿は健在で、やはり顔を突き合わせて何やらひそひそと女性特有の話に花を咲かせていたのだが。
「それはどういうことか確り説明しろ!」
突然バレリアが大声でそんな事を言うものだから、酒場中の視線が彼女とその連れのアニタへと注がれる。
バレリアは何故だか立ち上がり、愕然とした顔で友人を見下ろしているのだが、対するアニタは集まった視線にうんざりとした顔をしている。
「ちょっと座りなよ、みっともない」
流石にバレリアも視線が気になったのか、大人しく座ったがその顔つきは厳しいままだ。小声でも詰問する口調は変わらない。
「カミュー殿がアニタの催眠術にかかったなんて―――そんな馬鹿な話があるか」
「それがあるんだよねぇ。昨日の朝、真っ青な顔で私のとこにきたんだからさ」
「昨日の朝だと……?」
相変わらず酒をくいくいと飲みながら気だるそうに言うアニタに、身を乗り出しているバレリアは怪訝に眉を寄せた。
「そ。ビクトールの奴まで一緒になって人を叩き起こしてさぁ。ま、でも私にはどうしようもないもんだしね」
「まさかそれで追い返したとか言うんじゃないだろうな」
「そうだけど?」
あっけらかんと答えたアニタに、バレリアは目を剥く。
「どうして追い返したり出来るんだ!」
「だって、私は関係ないからね」
「馬鹿! 関係大有りだろうが! どうしてもっと早くに話さなかったんだよ!」
「った……怒鳴らないでよ。関係なんて、勝手に向こうが暗示にかかっただけじゃない」
「だけどきっかけは自分じゃないか!」
バレリアの剣幕に、流石にアニタもそうかもと思い直して持ち上げていたグラスを置いた。
「でもさ、本当に催眠術なんてかけるつもりなかったんだよ?」
「そんなのは分かってる。アニタがそんな器用な真似できるわけ無いからね」
「ひどいこと言うね。でもその通り、私はただの真似事をしただけよ」
「でも、一応催眠術みたいな真似はしただろ。もしかしたらそこで何か原因があるかもしれないよ。今からでも一昨日の夜のことを思い出してみようか」
「面倒だわね」
「面倒でもやるの。気の毒だろ」
叱られてアニタはしょげたように酒を舐める。しかしバレリアに言われて漸く、あの夜のことを脳裏に再現し始めたのだった。
「それでね、もしかしたらと思って、一応知らせに来た、んだけ、ど……」
アニタの声が徐々に小さくなっていくのは、カミューの顔色を見たからだ。
見るからに蒼ざめて憔悴した様子に、さしものアニタも罪悪感に駆られたらしい。傍らではバレリアが、そらごらんと言いたげな顔でそんなアニタの脇を肘でつついた。
「あ、でさ。思い出したんだけど、確かこう言ったじゃない」
―――アンタは誰よりマイクロトフって男を知ってるね?
―――だけどね、良いかい? アンタは忘れてしまうんだ。この、マイクロトフを。
「バレリアが言うには、この言葉があんたに暗示をかけさせたんじゃないかって」
宵の口に訪ねてきたアニタとバレリアを、カミューは困惑交じりに見上げていた。
確かにそんなことを言われたような気もするが、実のところ大して覚えていないのだ。だから、改めてあの時に何があったかなど言われてもピンと来ない。
しかし彼女らの言葉を真っ向から否定する気もないカミューだった。
「……彼を良く知っているからこそ、忘れなければならない―――という意味ですか?」
「そう、流石は団長さんだね。私なんてバレリアに何度も説明されなきゃ分かんなかったけど。つまりそう言うことさ」
誰よりも良く知っている。
その言葉が鍵だとバレリアは言うのだ。
つまり、ここで催眠術にかからなければ、誰よりも知っているわけではないということになる。誰よりも知っていると自負するのなら、催眠術にかからなければおかしいのだ。
「随分と逆説的な暗示ですね」
笑みを零しながらも、カミューは自分自身がそうした捻くれた考え方を持ち合わせている自覚があったので、それを原因のひとつとして認めざるをえなかった。
だから有得ない話ではないそれに、静かに頷いた。それにバレリアが痛ましげな顔をして項垂れた。
「すまない。悪気は無かったのだが、このようなことになって、本当にすまなく思う」
両手を身体の横でぐっと握り締めて、生真面目に詫びる姿にカミューは力無く首を振った。
「いえ、気になさらないで下さい」
詫びられたところで事態が変わるわけでもなく。だが、こうしてわざわざ話をしに訪れてくれただけでも有難い。
そう思って辛うじて微笑を浮かべてカミューはそう言ったのだが、殊勝に頭を下げるバレリアとは違い、アニタの思惑は別にあるようだった。
「うん、私はあんまり気にしてないんだけど」
さばさばとしたその性格同様、アニタの口調になんら含みはない。ただ横のバレリアがぎょっとした顔をして、慌てて悪友の口を閉じようとしているだけだ。
そんな生真面目な友人の手をかわしながら、アニタは「あのさ」とカミューの目を覗き込む。
「で、思ったんだけど。もしかしたら忘れきっちゃったら、思い出すんじゃないかしらね」
「はい?」
「だからね。誰より知ってるから忘れていってるわけじゃない? だとしたらこのまま綺麗さっぱり全部忘れて、何にも知らない状態になったらその暗示も解けるんじゃないの」
だがカミューが何かを言う前にバレリアが握り締めた拳で、そんなアニタの頭を真上から小突いた。
「そんな無責任で適当な事を言うな!」
「いっ……たいじゃないの!」
「おまえの言う通りにして、もしマイクロトフ殿を全部忘れてそのまま何も思い出せなかったらどうするつもりだ」
しかしバレリアの剣幕にアニタも負けてはいない。小突かれた頭を押さえつつ睨むような目で見返した。
「どうもこうもしないわよ。どっちみちこのまま忘れていくんだろ? 同じことじゃないか」
そんな美女たちの遣り取りを、カミューは見えない剣で胸をザクザク突かれているような気持ちで聞いていた。出来れば、こう、不吉なことはあんまり言わないで欲しい。しかし美女たちの争いは止まらない。
「よくもそんな薄情なことが言えるな、おまえは! このまま忘れるにしても何もしないよりはマシだろう?」
「悪あがきしたって、結果が同じなら一緒じゃない。そんなの下手な慰めなんかじゃ報われりゃしないわよ」
「何でもやらない事には分からないだろ! 何もせずに結果だけ待つなど意気地なしのすることだ!」
「やだね、これだから熱くるしい奴はさ。やっても意味のないことなんかしない方がマシってもんじゃないか。そもそも原因も定かじゃないものを、どうやって対処するわけ?」
「……っそれは!」
バレリアがぐっと言葉に詰まって黙り込む。それにアニタはふふんと鼻で笑ってちらりと嫌味な視線を寄越した。
「ないよね対処法なんてさ。待つ以外になんの方法もないのなら、結局はこのまま大人しく忘れるしかないじゃない」
「アニタ!」
だが流石にバレリアの叱声が飛んで、漸くアニタもハッとする。
「ごめんね、言い過ぎたよ」
悄然としたままのカミューに、アニタは珍しく真面目な顔をして謝る。
「でも、本当に……仮に私のあの言葉がきっかけだったとしても、だからと言って対処が浮かぶわけでもないからさ―――思い付くのは、さっきみたいな事だけなんだ。役に立てなくて悪いけど」
そんな言葉にカミューが返せる反応と言えば、曖昧に頷くくらいしか出来なくて。
「いえ……」
微笑んでまた項垂れた。
そのあまりに力弱い有様に、バレリアの表情が曇る。そして常とかけ離れたカミューの様子に如何にも落ち着かない様子で、不躾と思いながらも室内に思わず視線を巡らせてしまう。ところが、そこで不意に気付いた。
「そういえばカミュー殿。マイクロトフ殿はどうされたんだ?」
武官らしい率直な問い掛けに、カミューも苦笑を浮かべて顔を上げるとやんわりと首を振った。
「さぁ、どうしたんでしょう。実は朝から姿が見えないんです」
「朝から? 失礼だがマイクロトフ殿はその、貴方の今の事情を―――」
「ええ、知っています。昨日、話しました」
話して、カミューはホウアンの薬を飲んで眠りについた。ところが朝起きると一緒に眠ったはずのマイクロトフの姿は無く、いつもどおり早朝訓練に行ってしまったのかと思っていたら、それから後も全く姿を見ない。
今がこんな状態なだけに、カミューの方から積極的に探すのも躊躇われて、気がついたら夜が来るまで一切顔を合わせていないのだ。
いったい何処へ行ったものやら―――。
カミューは蒼ざめた顔のまま憂いの濃い溜息を落とし、そんな様子にバレリアだけでなく、アニタまで顔を顰めて黙り込んだ。
ところが、その時だ。
「カミュー!」
まるでその場に不似合いな明朗とした声で飛び込んできたのは、マイクロトフだ。
「色々方法が見つかったぞ! 探せばあるものだな!」
その手には大量の書籍と、それから道具箱や麻袋や、とにかく沢山持ちきれないのではないかと言うほどの荷物を抱えて入ってきた男の、その姿に室内にいた三人分の目が丸くなる。
「……マイクロトフ殿? その姿はいったい…」
バレリアが呆然と問う傍ら。
「アンタ、いったい今までどこに行ってたわけ?」
アニタが怪訝な声を隠しもせずに聞く。
そんな美女二人の疑問に、マイクロトフはまさかカミュー以外の人間が居るとは思わなかったと、驚いた顔を隠しもせずに慌てて居住まいを正す。
「こ、これは失礼した。いや、俺はその……何とかカミューの暗示が解けぬものかと朝から調べ物を―――」
そして腕に抱えていた書籍や荷物をテーブルの上にどさりと置くと、カミューの顔を見て生真面目に引き結んでいた口元に笑みを浮かべる。
「エミリア殿も協力くださって、おかげで暗示についての書物を沢山貸して頂けた」
「おまえ……もしかして、一日中図書館に居たのかい?」
「ああ。それから大工の方々のところや、とにかく大勢の方に会って道具なども借りて来たんだ」
そしてマイクロトフは道具箱の中から重々しい木槌を取りだした。
「取り敢えずは手始めにこれなどどうだ? 物忘れは頭に強い衝撃を与えると治るというのが通説らしいのだが」
そして木槌をぶんぶんと振り下ろす真似をする。
カミューは思わずひく、と口元を歪めて微笑を浮かべた。
「…取り敢えずそれは、最後の手段にしてもらえるかな……」
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お、おおお? なぜギャグになる??(笑)
まぁでも、青はやっぱり前向きな人だと思うのですよ!
2003/08/14