罪無き存在
秋も終わりの頃の日差しは、柔らかいのに強く鮮明だ。
徐々に短くなる昼に比例して、射光角度も低くなる。窓から室内に射し込む日差しは、次第にその領分を広げていくものだ。そんな窓辺の日溜り―――ソファに座るマイクロトフの膝の上で猫が一匹、うたた寝をしていた。
「どこのレディだ? マイクロトフ」
線の細い小柄な体付きでその猫が雌だと分かる。随分と人に慣れた猫のようで、カミューが入室して来た時も、僅かに目を開いただけで直ぐに眠りに戻った。
「最近良く来る」
同盟軍の居城には、人だけでなく小動物も多く住み付いている。誰かが飼っている場合もあるし、自然と住みついた野良もいる。恐らくは前者であろうとカミューは判断した。
「何か食べ物でもやったのか?」
「いや」
餌につられて来るのならともかく、何もしないのに来るとは相当な懐かれようだ。真面目で融通がきかないし、大きな体躯で歩く様も威厳があるこの元青騎士団長。その根が実はとても優しい事を、動物は敏感に感じ取るのだろうか。
陽光をいっぱいに浴びながら眠る猫の姿は、見ているだけでこちらも幸せになる。
「可愛いな」
「ああ、だが動けない」
完全に困りきった顔のマイクロトフに、カミューは苦笑を禁じえない。抱き上げて横に置けば良いものを、猫相手に気を使う男が何故だか微笑ましい。
「この後何か用事でもあるのか?」
昼までの訓練指導が終わって、汗を流して帰って来たはずだ。食事も済んで、午後は完全な自由時間と言える。カミューはそう考えて部屋を訪れたのだ。
するとマイクロトフは、自分のサイドボードを指差した。
「おまえに頼まれていた書類が出来たんだ。あとは最終確認しておまえのサインを入れるだけなんだが」
「どこだ?」
「その一番上の引き出しに入れてある」
「―――これか?」
カミューが取り出した分厚い紙束を見て、マイクロトフは頷いた。
「あとは確認だけなんだ」
ふむ、とカミューは考えた。そして、書類束を軽く叩くとマイクロトフに微笑みかけた。
「いいよ。確認はわたしがやろう。おまえはレディの寝床のまま、本でも読んでいれば良い」
「だが」
「元々わたしが頼んだ書類だ。不都合は無いよ。それよりほら、レディが起きてしまうぞ」
これだけの量ならなまじマイクロトフに任せるより自分でやったほうが早いだろう。
「ここの机を借りるよ」
そしてマイクロトフの返事を聞くまでも無く、カミューはさっさと座って書類をめくり始めた。
書類の誤字脱字はもとより、表現や説明の不備を正す作業は、カミューが考えていたよりも結構手間取った。
しかし、やっと済んだとカミューが書類から顔を上げて背後を振り返った時、恋人は猫と一緒にすやすやと寝息を立てていた。
「マイクロトフ―――」
早起きで、訓練で目いっぱい身体を動かして、ご飯をたくさん食べて猫と午睡―――。
「おまえは子供か……」
苦笑まじりでうっかり呟いた言葉に、当の男ではなく猫が反応して目を開けた。
「起こしてしまったかい?」
そうしてしゃがみ込んだカミューが手を差し伸べると、猫はマイクロトフの膝から静かに降りて、その手を舐めた。そしてごろごろとその指先にじゃれつく。
「いったいどこのレディなのかな」
絨毯の上に腰を下ろして、自らも子供のように猫と戯れるカミュー。その視線が、日差しを浴びて傍らにくっきりと浮かび上がった男の影に気付いた。
マイクロトフの真横から伸びた影は、絨毯に綺麗な横姿を描いていた。
髪の一筋もくっきりと、その下の額から鼻梁線。唇と顎―――指を伸ばしてその稜線をすーっとなぞると、まるで恋人の分身に触れているような気分になった。
なんだかとても愛しくて、その頭の辺りをつい何度も撫でる。と、その時。
「あっ」
猫が影の口許をぺろりと舐めた。
カミューは素早く猫を抱き上げると、きょとんとする猫の額に己の額をあてる。
「駄目だよレディ……返してくれるかい?」
囁くと、カミューは猫の口に軽いくちづけを落とした。
「何をしている、カミュー」
不意に頭上から降って来た低い声に、カミューが顔を上げると、マイクロトフの目がすっかり開いている。
「何でも無いよ、マイクロトフ」
流石に影にくちづけた猫に軽い嫉妬をしたなどとは言えない。ごまかすように片腕に猫を抱きかえて、その頭を撫でてやる。すると上からマイクロトフの大きな手が降りてきて、猫をひょいと攫った。
ところが、そのまま猫を抱くのかと思われた大きな手は、その小さな身体をソファの脇に無造作に置くと、再び伸びてカミューの腕を掴んで立ち上がらせた。
「マイクロトフ?」
「書類は……済んだのか?」
「うん」
カミューの腕を掴んだまま、立ち上がったカミューをマイクロトフは上目遣いに見る。
「俺は、どのくらい寝ていた?」
「そんなには、寝ていないよ―――?」
実際、直ぐ目覚めた。そう答えて、何が言いたいのか分からず首を傾げたとき、マイクロトフが繋げた言葉にカミューは「うわ〜〜〜」と内心で悲鳴を上げた。
「俺が寝てる間、猫と遊んでいたのか?」
可愛い、と思うのは仕方が無い。マイクロトフは嫉妬しているのだ。―――猫に。
―――お互いさま、か。
カミューは込み上がる胸の温かさを感じつつ、今すぐ恋人の、影ではないその頭を撫でてやりたくて、ソファに膝を乗り上げた。だがその前に唇が触れ合ってカミューの手はマイクロトフの黒い髪に差し込まれただけで止まってしまった。
ところが直ぐに、そんなふたりを見上げる存在に、くちづけは中断された。
済まんな、のひとことで部屋を追い出され、且つ謂れの無い嫉妬に晒されたレディには罪は無い。
END |
2nd story
なんだか子供っぽいふたりになってしまった
私は飼っている猫にめろめろの状態です
どんな悪戯をしても笑って許せます
罪の無い存在です
2000/03/07