罪無き温もり


 夜、夕食後にマイクロトフの部屋を訪れたカミューは、そこにいた予想外の存在に小さな吐息をついた。ベッドの上、壁に肩と首を預けて寝そべるように腰掛けたマイクロトフの腹の上に陣取って、幸せそうに丸まっている。
「また君か…」
 つかつかと足早に歩み寄ると、その薄く広がった三角の耳が足音を聞きとめてピンと反る。そしてカミューがその手を伸ばして頭を撫でてやると、彼女は僅かに目を見開いただけで、また直ぐに目を瞑った。
「わたしにはいつもつれないな」
 苦笑を漏らすと、差し伸べていた指先をひと舐めだけして、彼女は顔を背けて眠りに戻った。そんな愛らしい態度に、その丸い背をまた撫でてやると、その上から大きく無骨な手が重ねられた。
「眠いだけだろう」
 わざわざ起こす事も無い、とマイクロトフはカミューの手を握ると猫の背から退けて、代わりとでも言うのか己の足に置かせる。そのもう片方の手は書類束を持っていた。
「それは…なんだ?」
「隊の編成表だ。見直しをな、忘れていたんだ」
 ばさり、と書類束をひるがえしてごちゃごちゃと書き込んでいるものをカミューに見せた。
「明日、ビクトール殿ら備兵の方々との合同訓練があるからな」
「そうか――― ならレディ・アプリコット」
 カミューがそうしてマイクロトフの腹の上に丸まっている猫を抱き上げると、彼女はぱちくりと杏の形をした瞳を大きく見開いて、カミューの腕の中で大欠伸をした。
「わたしと遊ばないかい?」
 人差し指で顎下をくすぐってやると、レディ・アプリコットはその瞳を細めて喉を鳴らした。

 カミューはふと視線を室内に巡らせると、テーブルの上に書類を閉じる紐を見つけた。
「借りるぞ」
 ひょいと摘み上げると、アプリコットを床の上に下ろしてやって、紐の端を丸く結んでそれを垂らした。そして見上げてくる猫の目の前でそれをぴょんぴょんと跳ねさせると、ぴくっとその前足が浮いた。
 更に誘うように紐を揺らすと、ぶるっと一瞬震えてからアプリコットは目いっぱい紐に飛びかかってじゃれつき始めた。
「よし」
 頷くとカミューは口許に笑みを浮かべ、腰を据えて猫と遊び始めた。それを暫らく眺めてから、マイクロトフは微笑を浮かべると、再び書類束へと目を向けたのだった。



 ひとしきり猫を相手に遊んでいたカミューは、ふとマイクロトフの方へ目を向けた。すると男は眉間に皺を寄せて熱心に両手に持って並べた書類を見比べているところだった。
 そのとても“らしい”真剣な顔付きについ、苦笑が漏れる。すると、動きが止まってしまった紐に飽きたのか、アプリコットがついと身体を反転させて身軽にマイクロトフのいるベッドに飛び乗った。そしてそのまま、再び腹の上に乗ると身を丸めた。
「ん?」
 脇を上げてアプリコットを見たマイクロトフは、だが直ぐにぽんぽんとその背に軽く触れたのみでまた書類へと目を戻す。
「随分と、悩んでいるようだな?」
 ベッドの傍まで寄ると、カミューは上半身を傾けてその手の中を覗きこんだ。
「あぁ、次の戦闘で弓兵隊との連携を取りたいんだが―――こうして向こうの編成資料を借りてみても、どうにも把握が難しくてな」
「なるほど」
「やはり明日、訓練の前にフリック殿と話をせねばならんか」
 そうして益々眉間に皺を寄せて唸るマイクロトフの、その手の書類にカミューはそっと触れた。
「見せてくれるか?」
「あぁ…」
 するりと男の手から書類を抜き取ると、カミューはそれを見つめながら何気なくベッドに浅く腰をかけた。そして、効率良く文字の羅列を読み取る瞳が、素早く編成の仕組みを辿っていく。
「なるほど、弓の経験のある者を弓兵隊との連携に、か…だが…」
「なんだ?」
 マイクロトフが壁から背を離して前に乗り出すと、カミューも体勢を変えて、ベッドに肘をつくと編成表を目の前に、とんとんと紙面を指先で叩いた。
「騎馬隊は騎馬隊だろう? 本質を忘れてはならないな。弓よりも馬を巧みに操る連中のことを忘れない方が良いと思う」
 するとマイクロトフが僅かに眉を寄せた。
「しまったな…そうか。馬の中には弓の音を怖がるのもいるな」
「うん。数度の戦で慣れてきたとは言え、馬は繊細だ」
 だからこその合同訓練だろうが、と続けてカミューは書類を弾いてそのまま仰向けに寝転がった。その床に付いたままの足先が僅かに浮いて揺れる。
「それにしても―――騎士団に居た頃では考えられなかったな」
「……何がだ?」
 訊ねてくるマイクロトフに、視線だけ向けてカミューは微笑む。
「こんな多彩な戦闘方法が実践できるとはね……騎士団では馬と剣だけだった」
「つまらなかったみたいな物言いだぞカミュー」
「…かもしれない」
 身を捩って起き上がるとカミューはマイクロトフの手に戻った書類の端をまた指先で弾いた。
「不謹慎だが、面白い」
「カミュー…」
「怒るなよ、分かっているから」
 言い置いてカミューは腕を伸ばして、いつの間にかマイクロトフの身体の向こう側に移動したアプリコットの背を緩く撫でる。そしてそのままパタリと脱力した。
「カミュー…?」
「良いじゃないか腕くらい。レディ・アプリコットは許してわたしは駄目なのか?」
「………」
 マイクロトフの目が憮然と、自分の身体の上に乗ったカミューの腕を見た。それをちらりと眇めた目で見てカミューは、小さく笑って瞑目する。
 腕から伝わる男の息遣いと温もりがなんだか心地よくて、アプリコットがこの場所を好むのがなんだか分かる気がした。すると、ふと背中に触れる暖かさを感じた。驚いて目を開けると、マイクロトフの手がまるで猫を撫でるかのようにカミューの背と首を撫でている。
「マイクロトフ…?」
 見上げるとマイクロトフは顔を背けていながらも、その手は止めずに何度も背と首を往復させている。だがそのうちにぽつりと呟いた言葉がカミューの耳に届いた。
「駄目なわけがあるか」

 カミューは苦笑を押さえ切れずに身体を丸めると、完全にベッドに乗り上がって猫の如くマイクロトフに寄り添って見せたのだった。


END | 4th story



不謹慎ですねぇ(笑)
んー…でも紋章とかバンバン使ってて、弓の音に驚くなんて…無いかな?
でも弓の発射音て結構甲高くて鋭くて油断してると吃驚するんですよねぇ
さて名前…杏の目だからアプリコットだなんて安易ですか、そうですか(笑)

2000/07/19