けやきの木とぶなの木

近所にけやきの大木が3本あって、20メートルを超える高さ。
広げられた枝は直径で15メートルほどの円をつくります。
それが、南北に一列に並んでいて、一部は重なり合っています。
夏場は、それは気分のよい木陰を作り出し、風が通るので
クーラー要らずの生活ができそうな感じでした。

そんなけやきの木がまとめて伐採されました。
晩秋に落ち葉をかきあつめる作業がとても大変で、
体力も気力も尽きて、管理を断念したためだそうです。

たしかに、そのお宅からわたしの家の庭にも
たくさんの枯れ葉が舞い込んできていました。
季節を感じる枯れ葉集めは、それなりに楽しい作業でしたが、
迷惑をかけているのではないかと気苦労されていたようです。

わたしの家の庭には、ぶなの木があります。
50年ほどの樹齢でシンボルツリーとなっています。
ここ、5年ほどで、幹ががっしりとし、
樹高3メートル、枝の広がりは直径で4メートルと、急成長しました。

ぶなの木も、落葉するのですが、風にとばされて落ちるわけではありません。
新芽が伸びる勢いに、押し出されて、落下するのです。
飛ばされるのではなく、真下に落ちます。隣の庭にお邪魔することはありません。

夢の生成はぶなの木のようだと思うことがあります。
散乱するのではなく、その場に蓄積される。
新しい記憶は古い記憶の入れ替えとして、居場所を得る。
また、新しく伸びた枝には葉はありませんから、新芽のみとなります。
ニューロンの新生ですね。

ぶなの木は、古い葉を半分ほど残したまま、5月を迎えます。
全部の葉を落とすけやきと違って、半分以上の古い葉を残したままなのです。
新芽が成長し、ふくらみはじめ、葉が開く頃に、残っていた古い葉も落ちます。
まさに、入れ替わるのです。

古い記憶と新しい記憶が、ある程度の間共存するのは、夢の生成メカニズムと似ています。
つながって、ネットワークをつくり、不要となってから、刈り込みを行い、記憶を入れ替えていく。
ニューロンの新生と刈り込み作業の過程において、随伴現象として夢をみているというわけです。

夢の生成メカニズムに興味があって、知りたいのなら
https://www5a.biglobe.ne.jp/~yumeyume/dream1.html



生存は「いつ、どこ」がにぎっている。

生きるために移動する。もちろん、食料を得るためだ。

食べつくせば、他の場所に次の糧を探すことになるだろう。

新しい土地で、同じ種類の食料を見つけることもあるし
まったく別種の食料らしきものに出会うこともあるだろう。
食べられるかどうか、命がけで、あたらしいものを試したのに違いない。
人体にとって、「無害でないもの」でさえ口に入れてきた。

「いつ、どこ」で、食料を得られるかが生き残りに必須な記憶となる。
それらのイベントを経験し、エピソード記憶を蓄え、生き残ってきたわけだ。

夢は、エピソード記憶を精選し、強化する。
やがて意味記憶へ昇華するものも出てくる。

「いつ、どこ」が生存に不可欠だ。「いつは状況、どこは場所」だ。
いま、あなたは、状況はどうなっている? どの場所で生きている。
生き残ろうとしているのか? 生き続けているのか?

https://www5a.biglobe.ne.jp/%7Eyumeyume/poo03w.html



夢は記憶を再構成している

人物・動物・物は左側頭葉に記憶されている。


前頭葉に近い方から、人物の記憶領域があり、その隣に動物、
後頭葉に近いところに「物」という具合だ。

きちんと区分けされているわけではない。
人物・動物、物を記憶するニューロンクラスターは
ばらつきながらも、ある程度まとまりがあるということだろう。

エピソード記憶は、「場所」「状況」「人物/動物」「物」を構成要素としている。
「場所」と「状況」は脳の別の領域(海馬に隣接する大脳嗅内皮質)に記憶されているから、
エピソード記憶の4要素をつないで、同時発火させる装置が必要。

それが海馬ということになる。

4つの要素を錐体ニューロンでつなぎなおそうとしているのが「海馬」であり、
新皮質に移動している「弱いつながり記憶」を見つけ出し、
新奇体験という「短期記憶」と結びなおしをしてネットワークを更新する。
その際、随伴現象として夢をみる。

デフォルトモードの脳は、エピソード記憶を再構成しながら
ニューロンのネットワークを点検し、意味記憶をアップデートする。
意味記憶は過去の経験や知識をもとに再構成されるものであり
スキーマはこの再構成を助けるテンプレートのような役割を果たします。
あなたのスキーマが主役となり、記憶を再構成しているのです。
このスキーマこそ、認識の枠組みなのですね。
夢はスキーマという型枠を繰り返し利用しているわけです。

https://www5a.biglobe.ne.jp/~yumeyume/ensyu.html




夢はデジャブ?

夢の中で、奇妙な感じを受けるのは、あなたの意味記憶が識別しているからです。


意味記憶というのは、たとえば「教室」とはこういうものという記憶のこと。
机があって、生徒がいて、友人もいれば、苛めるやつもいる。
初恋の人がいたり、部活動があったり、勉強もしたりする、
いい思い出もあり、いやな気分にもなる空間というような「枠組み:スキーマ」を提供します。

教室にいる夢を見ている場合、そこにあるものが会社のデスクであったり、
小学生の友人であったけど、中学で転校してしまった初恋の人が
高校生の自分と話をしていたりと、ありえない状況にあることに気づくのは、
意味記憶が「それは奇妙だよ、ありえないよ、おかしいよ」と判断しているから。

新奇な体験をしているとき、いつもと違うという「感覚」を引き出すのも、「意味記憶」ですね。
初めての場所にいるとき、未知の物を見て、触れているときに、
新奇な体験だと気づくのは、嗅内新皮質と海馬、嗅周野がやり取りをして
新皮質にあるエピソード記憶を参照し、既知のエピソードでないかどうか検索し、
新奇であると海馬が結果を出すからでしょう。

新皮質に散らばっている類似する記憶の断片を見つけようとするときに、
これだというエピソード記憶は見つからないのに、
きっとあるはずという検索が、同時進行してしまうことがあります。
まさに「いま」体験していることが、記憶を上書きし、
かつての記憶への重ね合わせのような妙な感覚に陥ることがあります。
同じ経験をしたことがあるはずだ、そうにちがいないというような「既知感覚」が生じます。

あるかもしれない「経験」を、あったかもしれない「経験」に
仕上げてしまう「デジャブ」効果ですね。

類似の記憶を探す作業において、あるいは記憶を想起する過程において、
想像的に「記憶」をつくりだしてしまうからですね。「嘘の記憶」もありふれているでしょう?

新奇な体験の短期記憶を既存のエピソード記憶と関連づけようとするときも、
同じように想像的に仕上げられるのですが、その際にみているのが夢なのですから、
デジャブのような感覚が夢見において生じるのは当然のことかもしれません。
夢は近い未来を予測し、生存のための「スキーマ」を提供するデジャブということなのかも?

https://www5a.biglobe.ne.jp/%7Eyumeyume/poin01w.html




最初の感覚が嗅覚、「いつ・どこ」を検索する

嗅覚はもっとも原始的な感覚。


海の中に生命を受けた最初の単細胞生物は、感覚器として、嗅覚をもちます。
生きるためのエネルギーを得るために、細部外の物質を取り入れる必要がありました。
物質から洩れ出る化学成分を「匂い」として感知する感覚器が
生き残るために必要、不可欠だったのでしょう。

匂いのする方に移動することが生き残ることに有利だった。
いつ、どこで、そのような匂いがあったのか、
外界の変化に気づき、受け入れることが生き残りに必須だったのですね。

その嗅覚がやがて、「いつ・どこ」というエピソード記憶を作り出す基盤となる。
視覚や聴覚、触覚、味覚など新しいセンサーを装備したのちも
原始の海で果たしていた役割を引き継いで、
位置情報を担当する海馬とともに「いつ・どこ」を担当するようになります。

エピソード記憶の他の要素は、弱いつながりとして後付けられる。
新皮質へ移動している「人物/動物」「事物」の断片を海馬が引き寄せる。

「いつ・どこ」がまずあって、そのあとに人物/動物が登場し、事物が加わるということだ。
そして前頭前野があなたのスキーマを使って、即興で夢見のシナリオを展開する。

2025の最後に見る夢は、どんな夢ですか?

https://www5a.biglobe.ne.jp/%7Eyumeyume/aomi01w.html


記憶の歪みと夢、鮮明な夢

夢内容を思い出すこと。想起。


夢見者から長い夢内容がとどけられる。…実際に長い夢報告は多い…。
どこまでが夢で、夢を想起する際に追加された「想像」なのか?

夢を思い出すときに、夢内容が再構築されることは自然なことだから。
再生と録画のボタンが同時に押されている状態だといえば分かりやすいかもしれない。

夢は初回の報告においてさえ、そのような記憶の更新という「付加または削除、変更」がともなう。
繰り返し、何度も見る夢は、コピーのコピーのコピーであって
オリジナルの夢はどこかに消えてしまっているかもしれない。

オリジナルがよいというわけではない。
想起することでゆがみが生じることは承知していなければならない。
問診をすると、その回答の最中に「他の夢」を思い出すのも自然な流れだ。
それが想起によるものなのか、想像なのかはっきりしない。
混在しているというのが実際のことなのだろうと思う。

いずれにしても、夢見者の「スキーマ」が垣間見られる夢素材の提供となる。
物語の型枠であり、テンプレートの縁取りを感じることができる。手触りが残るのだ。

さて、今日見る夢は初夢の候補となるだろう。

みたい夢をみたいのなら、昼の間に見るべき夢をすでにある「記憶」として想起することだ。
目を閉じる前に、もう一度、その記憶を夢として報告するように、繰り返しイメージしてみよう。
目を閉じてから、睡眠に入るまで、何度もイメージを続けるのがよい。

途中で起きるだろうから、そこで、再び、同じ作業を繰り返してみる。
朝方の夢になって、思い通りの見たい夢はみることができる。しかも鮮明にだ。

https://www5a.biglobe.ne.jp/~yumeyume/eico01w.html




彼の顔をきちんと覚えている?

壁にあるしみのような模様が、何気なく微笑んでいる「顔」に見えてくる。


夢のなかに登場してくる人物の顔も、実はそのような感じ。
誰かに似ているようだったり、知らない誰かに見えたりとさまざまですね。
日常的に会っている人の顔は記憶として固定しているように感じるけど…。

でも、よく思い出して! 例えば、大好きな彼の顔。

その顔って、真正面から見た顔? 横顔、斜め後ろからみた顔、どこから見た顔?
ぼんやりしていない? それらしい顔はイメージとして思い浮かぶだろうけど。
実際の彼の顔じゃないのかも?
スマホの写真の彼なら、間違いなく彼なのにね。

それらしい彼の顔が、彼の顔だと感じるのは、「一般化」しているから。

彼の顔を写真のように細部まで記憶しているわけじゃない。
あらゆる角度からみた彼の顔をすべて記憶しなければならなかったら、
彼といっしょにたった1日を過ごしただけで、記憶容量が足りなくなる。
彼の顔だとわかる程度のイメージだけ、つまり「一般化された彼の顔」で脳は済ませているらしい。

たくさん見ている彼の顔の映像は、次々と忘れ去られているということ。
顔ベースに、脳のあちこちに分散する「目・鼻・口・耳・眉…」の部品を
並べただけで、彼の顔らしいと認識しているにすぎない。
次々と入力されている「彼の顔」を次々と忘れることによって、「彼の顔」を覚えているということ。

脳にとっても、夢にしても、忘れることを大切な作業としているのですね。
忘れることで、今日も生きていけるわけです。

https://www5a.biglobe.ne.jp/~yumeyume/megu01w.html


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