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百万本のバラの「夢」 絵描きと女優が登場する物語(歌詞)ですね。 小さな家を持っていますが、部屋にはキャンバスぐらいしかない。 そんな貧しい「絵描き」がまず登場します。おそらくひとり暮らしなのでしょう。 女優のことは以前から知っていて、好きだったのでしょうね。 たぶん、1枚や2枚は彼女を描いた「キャンバス」があったはず。 それまでは写真やパンフレットでしかみたことのない彼女が 生身の姿で、自分の街にある小さなホテルに泊まっている…。 たまたま絵描きの住んでいる街に興行で訪問しただけの「女優」が相手役です。 絵描きは、キャンバスに描いた絵を売ることで、 その日暮らしであっても生計を立てていたのですから、年齢は22〜25才ぐらいでしょう。 あちこちの街をめぐる興行が中心の「女優」でありながら、 ある程度は知られているのですから、女優歴は5年ほどある。年齢は23〜28才かも。 バラの花を贈られても驚いていませんから、これまでにも同様なことがあったということ。 しかも、興行で街を移動するような事業形態がとられる時代背景を考慮すれば、 多くの女優が独身であったように、この「女優」もひとり身であったと考えるのが自然でしょう。 いくぶん女優の方が年上で、絵描きにとっては高嶺の花。 だから、バラの花をありったけ贈らなければ気づいてさえもらえないと思ったのでしょう。 興行の期間は、1週間から数週間程度。小さい町ですから、それで十分。 女優が来ることを知って、家を売却する手筈を整えるのに最低1か月はかかります。 バラを買うためだけに全てを売り払います。 その日暮らしを支える「キャンバス」という手立てさえも売り払います。 すでに家はありませんから、絵描きは安ホテルに宿泊していたのかもしれません。 街中のバラを買い占めたのですから、すでに噂がたっています。 どこかの「女優」好きが、気前のよい散財をして、女優を楽しませるだろうと…。 そんな噂を「絵描き」も安ホテルのロビーで聴いて苦笑してしまいます。 絵描きは女優の「公演」の場に出向いてはいないでしょう。 なぜなら、バラそのものが絵描きという存在として登場する手筈になっているから。 初日の公演が終わり、夜の間にバラの花が広場いっぱいにセッティングされます。 次の日の朝を迎え、女優はバラに気づきます。 家を売ったお金のほとんどをバラに替えて並べた広場が絵描きの「舞台」となります。 女優は窓辺に立って、バラの海をながめることで観客になるという逆の設定ですね。 そこではじめて、絵描きは彼女の前に出ることができるのですね。 彼女の顔を見るために、バラの海が広がる「窓の下」に絵描きは立ちます。 女優は寝起きのまま、窓辺に立ち、バラの海を見ています。 絵描きが立っているのですが、そのことに気づいたのでしょうか? 彼女が思い浮かべているのは…。 バラの海の向こうに隠れている「いたずら好きのお金持ちの男」 窓の下にいる男は、通りすがりの存在で、広場いっぱいのバラとは無関係のよう。 なぜなら絵描きは何も言わずにそこに立っていただろうから。 女優は別の街の興行に行ってしまいますが、バラの海のような華やかな人生が広がっています。 家と生きる手立てを失った絵描きは孤独なまま、街を離れて放浪することになるでしょう。 バラの花の海が長期記憶になるのは、「女優」でしょうか? それとも「絵描き」でしょうか? わたしは、両方だと思っているのですが、いかがでしょうか? 「絵描き」が夢をみるとしたら、バラの海となんとなく知っている女性の顔が出てくるでしょう。 いつの日のことになるかわかりませんが、たぶん、あたらしい「恋」が始まっているはずなのです。 もちろん、というより、たぶん、夢のトリガーは「バラの香り」…。 「女優」が夢をみるとしたら、別の街でお金持ちに失恋したときでしょう。 実際のお金持ちは、彼女のために散財などはしてくれません。 バラの海というロマンチックな恋に出会うことなどないと強く感じ取ったときでしょう。 そして、そのとき、窓辺の下にたっていた男性がいたことに気づくはずです。 なぜなら、バラの海の記憶は強いつながりですが、 立っている「絵描き」は弱いつながり記憶だからです。 失恋という新奇体験によって、記憶の再構成がはじまります。 このとき、夢は「弱いつながり記憶」を見つけ出して、 失恋という感情の色をつけて、あらたなシナリオを創り出しますから…。 例え様の無い寂しさ 「くみ」さんの夢 ところで、百万本のバラの花は、広場いっぱいにありましたが、 その後、どうなったのでしょうか? そのことが気になる方は、たぶん…不安な夢を見ているかも? 絵描きの名はピロスマニです。 実在した方で、32〜35才ぐらいの頃の出来事だったようです。 女優はシャンソン歌手でもあったマルガリータとされていますが詳細は不明です。 1894年に彼の町を訪れたフランス人女優マルガリータとロマンチックな出会いをし、 彼女を深く愛した証として、道路を花で埋め尽くしたという逸話が残っています。 やがて、放浪の旅に出たピロスマニは15年後に『女優マルガリータ』を描くことになります。 小さな家とキャンバス 他には何もない 貧しい絵かきが 女優に恋をした 大好きなあの人に バラの花をあげたい ある日街中の バラを買いました 百万本のバラの花を あなたにあなたにあなたにあげる 窓から窓から見える広場を 真っ赤なバラでうめつくして ある朝 彼女は 真っ赤なバラの海を見て どこかの お金持ちが ふざけたのだとおもった 小さな家とキャンバス 全てを売ってバラの花 買った貧しい絵かきは 窓のしたで彼女を見てた…。 いつも不安な夢をみているけど? 誰もが不安な夢をみています。 たとえば、今朝の夢は、以下のようなものだった。 新しい任地に赴いて、座席にすわるのだけど、机の上に、次々と物が置かれ始める。 決裁のための印鑑を求められたり、出張にかかる文書を手渡されたり、 書類への確認やサインを求められたりしていて、 どこから手をつけたらいいのか迷っているようだ。 周囲の人は、かつて知っていた方であり、親切にあれこれと手伝ってくれたり、 要点や手順を指摘してくれたり、物をどかしたり、別なものを持ってきたりしてるけど、 どうやら、それらは私の仕事ではないはずだと何となく気づいてしまう。 「どうしてこうなっている」とぼんやりと考えていると机の上はものでいっぱいだ。 やがて決心したかのように、机の上にある「様々なもの」をどこかに移動していると目が覚めた。 この夢の肝心なところは、第三者の目で自分の行動を見つめているというところだろう。 なぜなら、自分の背中がみえる視点で夢は展開しており、 夢の中の自分と背後からみている自分がいるからだ。 混乱があり、あいまいさがあり、区別や判断のつかない事態が発生しているが 不安な状況になりつつあっても、どうにか持ちこたえて、 何かしらの行動を実践できたことを伝えている夢だと言える。 不安な夢であるが、どうにか対処した、 今回も乗り超えたという確認がとれている。安堵している。 病気の夫 「ジダン」さんの夢 夢見は記憶に感情のラベルをつける 夢を見ることは、エピソード記憶に感情のラベルを貼る作業だとわたしは思っています。 感情は生き残るための本能的な反応を瞬時に引き起こします。 人間は理性的な生き物だと言われていますが、 それはほんの一場面でのことに過ぎないのではないかと感じています。 私たちは、常に脳が働いていて、何かしら「言葉」が思い浮かんでいます。 言葉をつないで考えているとき、新皮質にあるニューロンクラスターが連携しはじめます。 連携を引き出すのはニューロンクラスターの同時発火です。 同時発火を促進させるインデックスが「感情」によって構成されております。 なぜなら、記憶を固定する司令塔が「海馬」であり、評価づけするのが「偏桃体」ですから。 感情の色づけがない「意味記憶」は無色で、言葉をつむぐときには補助的な役割しかありません。 エピソード記憶はあなたそのものという存在を確立させてくれますが、 何かしら考えたりするときの主体であり、あなたそのものの「存在を維持」するだけにすぎません。 感情記憶から構成される「生存回路」ともいうべき仕組みが脳にはあって、 生き残るためのさまざまなボトムアップのアルゴリズムを積み上げています。 夢はその積み上げのためにあるのだとわたしは考えます。 その積み上げがうまくいかないと心理的に「ほころび」が生じることがあります。 日常の生活がうまくいかない感じがして生きている意味を失います。 不安な夢は誰もがみているわけであって、 そのとらえ方がわからないままでいることは不安が増えてくるばかりです。 脳には不安を促進させる「反芻機能」が装置として備えられていますから。 夢見をもとに、脳に再び語り掛けることで、 あるいは意味を理解することで現実は変わります。 夢見を自分なりに理解すること、 それが心の健康につながり、あなた自身を生き生きとさせてくれます。 しかしながら、夢見の主体であるあなた自身の睡眠が十分でなければ、 健全なレム睡眠は確保されず、感情のアルゴリズムの積み上げも不十分となります。 もし、今日の夢見を夢日記にかけたのなら、そこから始まる脳の中での「SNS」が あなたに、何かしらのメッセージを拡散しはじめることでしょう。今日はぐっすり寝てくださいね。 NEXTUP |