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tamay.gif   レトリックの夢 A     「ふむふむ」さんの夢 chibiz.gif

隣に寝ている見知らぬ男が本を読んでいるので
何を読んでいるのか覗こうとしたら
それは本ではなくて、鏡だったのです。

その鏡を覗き込むと私の隣にいる男は、元彼で
私はいまよりずっと若く見えた。

最初ベッドに寝ていたと思っていたがそこは電車の中だった。







夢とレトリック02 : 夢における訂正

夢レトリックとしての「ためらい」は夢表現への迷いをそのまま表現することがある。

ある表現をしてしまったあとで、それでよかったのかと迷いが押し寄せてくるのです。
すでに夢イメージとして提示した要素をなかったことにして
別の、もっとふさわしい夢イメージに変えたいというエネルギーが生じます。
「ためらい」というより、「訂正」といった方がよいかもしれない。

たとえば、たくさんの男たちを集めて
一人一人に自分の魅力的な部分を食べさせるという夢において
食べさせるのではなく、それがいつのまにか舐めさせるというイメージに変えられたり
それが、さらに訂正され、「誉めさせる」とトーンが落ちてくるような場合
どのような無意識の作用がはたらいてくるのでしょうか。興味のあるところです。

夢のイメージとしては鮮烈なものから、ありきたりの表現に落ち着いてきてますね。

夢には、うっかり見てしまったとか
夢の素材としての記憶を引き出す途中で余計なものまで持ち出してしまったという言い訳は
用意していないことが多いのです。ときとして、そうすることが必然なのでしょうね。
となると、どういうことになるのでしょうか。

夢イメージはたちまちに霧散してしまうものですから、その痕跡を探すのは大変かもしれません。
忽然と消えますが、見捨てられてしまうということではありません。
消えるだけに、残るものもあるのです。

残るもののある部分が変わっていくとき、変化のなかでも、「訂正」という変化を選ぶとき
それは、強い印象として反復されていくことになります。

「食べさせる」のではなく、「舐めさせる」のでもなく
「誉めさせる」という訂正の経過をたどるとき
そこにのみ、無意識は意識を集中していることになります。

「訂正」ははっきりと印象づけるための夢の技法ではないかということです。
「訂正」する行為において、無意識は複雑な本性をさりげなく見せつけるともいえます。
「訂正」することで、前の部分を打ち消しているように見えますが
実はまったく別のことを類似のこととして表現しようとしているということになります。

夢の世界では、「食べる」と「舐める」と「誉める」は
その境界を区別することなく、同居しがちであることを示している。

夢の中では「訂正」しても、少しも反省はしていない。
「訂正」という手続きをすることで、より本質的な夢の一面が顕在化することになるのです。
この部分を夢分析では見逃してはならない。


by エリカ   



ここ夢においては「訂正」が3箇所ある。
本であったものが、「鏡」となり、見知らぬ男だったのに、「元彼」に変わる。
ベッドが、いつのまにか「電車」となる。

無意識は、それらの要素をひとつのくくりにして、何かを伝えようとしている。
「いまよりずっと若く見えた」は、何が訂正されたものなのかは明らかですね。
それを、あえて提示しようとしない無意識。

明らかに見えているのに、それを薄く隠して見えてないようにすることにより
そこにモザイクがかけられるわけです。もちろん、見せるためのモザイクである。

夢は、訂正されているものの組み合わせと
訂正されていないイメージの片割れを探すことにより、
夢があなたに伝えようとしているメッセージを引き出すことができる。
これがふむふむ独自のレトリック理論のひとつです。

by ふむふむ