失われた夢の記憶と炭酸水の夢 J
今の夢はおおよそ午前6時ごろ、起床直前に見ていた夢のはずだった。
はずだったというのは、その記憶が失われたからだ。
夢はひとまとまりの映像となる。そのまま目を開ければ、確実に短期記憶となるはずだった。
ふと、そのとき、少し前の夢の記憶が頭をもたげてきた。
どうしてなのかわからなかったが、少し前の夢にわたしは注目してしまったのだ。
その瞬間、身体が少し動いた。寝返りである。
今日の夢は、最後のイメージのみが少し残った。したがって、今日の夢はない。
少し前の夢(今日の夢を消し去る唐突な夢)
海外へ届けるボランティア物資の調達業務を担当している。
緊急物資として飲料類のとりまとめをしている。量そのものが足りていない状況のようだ。
リヤカーのような旧式の運搬車両に積載されているものを点検していると
炭酸水が紛れ込んでいる。しかも、かなり有名なメーカーのもので瓶入りの180mlの高級品だ。
瓶類は輸送に関し、破損の可能性があるので不適切なのだが、
無償提供されたものかもしれないと思い、元の場所に並べなおしている。
それにしても炭酸水の需要がはたしてあるのかと、調達数をカウントしながら考えていた。
※わたしの夢はたいてい、午前3時から4時の頃のものである。
したがって、そのころ一度目を覚ましている。
身体を動かさずに、目を閉じてまま、夢の映像をいちど文章として立ち上げる。
夢の映像に立ち上げた文章を字幕のように配置するのがわたしのやり方だ。
少し目を開けた後、おもむろに眠るのだが、その夢をふたたびなぞるようにしている。
いくぶん夢が膨らむこともあり、余計な部分が消え去ることもあるのは、
おそらく前頭葉が活発になっており、短期記憶として残す作業をしているからだろう。
起床前の夢は強い印象として残るものが多いが、身体をわずかでも動かすと消えてしまう。
起床への準備が整っており、夢の余韻を楽しむ「猶予」が少ないのではないかと感じる。
わたしの夢は中途覚醒による実況中継のものが多い。どちらかと言えば、明晰夢に近づいている。
明晰夢はそれなりに鮮明ではあるが、今日の消え去った夢は惜しい感じがしている。
ここでの明晰夢とは、夢を夢として認識しているという意味である。
思い通りにみている夢ではなく、記憶として残す作業を含む夢見を「明晰的」としている。
最後のわずかな映像のみが残っている夢。
それをトリガーをして再びみることもあるだろうと…。
たぶん今朝のように、ふとしたはずみで紛れて入り込んでくるのだろう。
ハイヤーは無駄な出費 I
会議に参加するために、タクシーかハイヤーに乗って出かけることになっている。
行く先は、地方にある国際路線がある空港だということで、距離が結構あるかなと思っている。
ドライバーが、いくぶん不機嫌な様子で、わたしに声をかけてきた。
すぐそこにある空港に行くのにハイヤーという割高なサービスは必要なかったのではと尋ねてくる。
そうか、ハイヤーだったんだと気づいたが、空港までは距離が近いという事実を不思議に思った。
ドライバーに再度確認すると、〇〇空港はすぐそばにあるし、便利だけど、国際線はないと言う。
わざわざハイヤーを使うのは経費の無駄ではないかとまで言い張る。
そのやりとりが終わる頃には全員が乗り終えていた。ハイヤーは満杯で定員ぎりぎりのありさま。
とにかく走り出し、車窓の風景が変わり始めると、一回りして到着するようだった。
ドライバーは、ほらねという感じで、顔をこちらに向けている。
時間的に少し離れた2つのエピソード記憶を連結して記憶するか、
それとも分離して別なものとして記憶し、混乱を避けるのか?
例えば、牛スジという「肉」を調理することを考えてみよう。
@まず40分ほど加熱する。そのあと水洗いをして、余分な脂を取り除く。
A次に、食べやすい大きさに切り分けて、再度60分ほど加熱する。
さて、肉の臭みを消すために、ある工夫をするのだけれど、
どんなことだったと質問されたとしましょう。
@の場面に関する質問なのか、それともAの場面なのか、
同じ加熱するという行動に関連して、何をしていたのかを思い出さなければなりません。
@に連結して記憶していることであり、Aとは関係がないと回答することができるはず。
記憶に混乱があれば、@なのかAなのか迷いが生じるでしょう。
何故、迷わなかったのか?
連結して記憶すべきか、分離して記憶すべきがを大脳の嗅内皮質が調整しているからです。
@と連結するのは、臭みを消すこと。Aと連結するのは、味付けをすること。
@とAの過熱時に投入される材料があるのだけど、その材料も別々であることを記憶している。
「い
つ」「どこで」といったエピソード記憶に不可欠な情報をコード化するのは、
嗅内皮質と海馬の連係プレーにあるわけで、料理教室での出来事の記憶は
海馬に数時間ほど確保され、次に前頭前野の皮質で1日から2週間ほど育成されます。
前頭皮質で記憶を育成している間は、その記憶を想起するときは海馬を経由しています。
最終的に大脳皮質へニューロンクラスターごと移動し、長期記憶が定着するわけです。
2週間をすぎれば、その記憶を思い出すのに、海馬を通さなくてもよいということになります。
料理教室で経験したこと…。
牛スジの臭みをとるためにはショウガや長ネギの青色部分を一緒に煮込みながら
灰汁をとるという料理の工夫はまさに「新奇体験」ですね。
新奇な体験は1週間から2週間の間に、夢の作業をともなって長期記憶となります。
その新奇記憶がもたらす「夢見」がどのようなものになるのか、
あなたの現実認識によってシナリオが創り出されるのです。
1週間ほどたったころに夢見がありました。
どこかで会ったことのある「おばさん」が、目の前にいる。
シャ
ンプーのような、リンスのようなものを手にもっていて、
それを交互に使い分けながら、食器を洗っている。
洗濯機に投入された食器は油分が洗い流されてピカピカになっている。
油汚れがこびりつく洗濯槽が気になってしかたないが、
それはリンスのようなものを使えば流せるから大丈夫らしい。
展示場におけるキャンペーン G
シアタールームかオーディオルームの展示場のようなところにいる。
区画割があって、会場に持ち込みの機材でセッティングできるような仕組みらしい。
わたしはオーディオ関連の装置を持ち込むような流れになっており
問題は配線が見えないようにする工夫をどうするかであった。
会場には関連商品の展示もあって、そこにある部材を自由に使ってもよい雰囲気のよう。
床は畳のようになっており、持ち上げれば、隙間配線のプラスチックケーブルが使えるのに気付いた。
隙間ケーブルを差し込んで設置していくにつれ、全体のイメージが出来上がりつつある。
何人かの仲間たちが協力してくれており、きびきびとした動きで細部を仕上げているようだ。
ところが、メインアンプがあるべきスペースに旧式のカセットラジオが置かれている。
仲間が、これでもいいのというようなポカンとした表情をしている。
このような展示場には相応しくない、どうにかすべきだと訴えているのだ。
そうかもしれないと思いなおし、展示場全体を俯瞰してみると
それぞれの区画に設置されていた機材がすでに撤去されていることに驚いた。
長くは展示できない制限でもあるのか、それとも展示の許可が下りていなかったのか?
どうすべきか判断に迷っていると、電池が入っているパッケージを手にもっている店員に出会う。
キャ
ンペーン商品なので無料で差し上げますという。
A3サイズのパウチの中に電池がぎっしりと詰め込まれているのを見て面白いと思うが、
使う予定のないものをもらっても意味がないと考え、不要だと相手に伝えるといなくなってしまった。
ふたたび、展示場を見渡すと、会場にはもはや誰もいないようで、わたし1人が残されている。
※倉庫を改造した12畳のスペースがあるが、何も置かずにそのままにしている。
床も壁もわたしが設計および一部を施工したので、気に入っていたが、
果たしてシアターやオーディオの機材をセットするだけの価値があるのかどうか迷っており、
何年もの間、何の変化もないまま、ガランとさせているという現実がある。
しかし、この夢は、それらの事情や事態に関する夢ではない。だから夢は面白い。
※解釈のヒントは、普通使いならA4なのに、倍の大きさのA3のサイズであったこと、
アンプなら100V電源なのに、カセットラジオ用の電池獲得のチャンスがあったこと。
展示場は誰のため?、展示時期は? という視点に立つことの3点である。
海外派遣の最終審査 F
海外派遣の最終審査の場に来ている。
来ていると感じるのは、最初はそこに来訪者を案内して入室したはずなのに、
いつの間にか審査の選考対象者のテーブルに座っていたからだ。
着席したとたん、なんと場違いな服装でいるのに驚いて、身体がこわばってしまう。
自分だけでなく、もう一方の競争相手となる女性も普段着というより、
ラフなジャージあるいはスエットの上下のようなもので揃えていて…、おかしな感じ。
面接の場ではあるが、すでに決定済みのような雰囲気で迎え入れられたようだ。
審査官は上司であって、目が合うと、君も来ているのかと声をかけてくる。
わたしは、一応経験はしたいと考えていましてというような返事をすると
それじゃ、君の方はゆっくりしてて構わないと言われてしまう。
じっ
くりと選考されていく過程を観察していなさいという特別扱い
あるいは部外者扱いに変更となり、心身ともにリラックスしてしまっている。
今回の海外派遣の選考に関する審査基準の説明とこれまでの経緯について、まず説明があった。
122人の応募があり、120人は選考外であって、残った2人ということらしい。
第1次選考に提出された「ある応募者」の論文のサマリーを並べだし、次々と見せられた。
どれも手書きのもので、黒いサインペンか毛筆で書かれた汚い文字がそこにあった。
名前は見えなかったが同じ筆跡なので、繰り返し申請したのだろうとあわれに思った。
手書きは、さすがにありえないだろうし、文字がぎっしりと詰め込まれているだけで、
段落という区切りもなく、論点を整理されていないので落選となっても当然だなと思っている。
審査官の選考過程におけるエピソード話は続いているが、いつの間にか耳に入ってこなくなった。
手書きの汚い文字は、もうひとりの審査対象者の女性が書いたものではないかと、ふと思った。
プレゼン失敗と混乱 E
プロジェクトチームによるイベント企画の最終チェック会議。
そこで、わたしは事前にリハーサルすべきことがらが未実施であることに気づいていた。
イベントを華やかに演出するために、火薬を使ったセレモニーが設定されているのだが、
予算の関係で事前確認の作業が省かれてしまっているのだ。
省いたのは、たぶん「わたし」らしい。
そう感じるのはプレゼンをしているのは確かにわたしだし、
火薬を使うことの危険性とそれを回避する具体策を指摘しているからだ。
事前に対策を講じている、リハーサルでその効果を確かめていないが懸念することはない、
具体的に提案しており、指摘されていることは対策済みだとわたしは述べている。
すべて、そうあって欲しいというわたしの願望を述べているようだ。
プレゼン中に、火災が発生する状況が映し出され、こんなはずはないと言いながら、
事前に、一度は試しておくべきだったと思っているだけで、事態はさらに深刻さを増している。
燃えているのだ。イベント会場が混乱している。原因はもちろん火薬による演出効果にある。
でも、これはプレゼンにすぎませんよと言い訳をするべきなのか?
それとも、このような状況が発生することを予想していたのですと視点を変えるべきなのか?
結果としてプレゼンはうまくいったということになったらしい。
ナットの夢 D
新商品開発の企画に関するコンサルタント業務を担当している。
今回の案件は、軽自動車かオートバイのナンバープレートのよう。
テー
マはナンバープレートの位置を自在に変更できるアタッチメントの開発である。
デザイン性が強調され、ナンバープレートのアングルを変えられるだけでなく、
位置そのものを移動できる利便性と意外性がニッチな市場を生み出すという主張である。
その提案に対し、コンサルタントとしてのサポートを求めたいとの申し出であるが、
プレートの一部が車体の幅を超えることが法的規制にかかるのではないかという指摘と、
ナッ
トによる取り付け方法に不具合発生の懸念があるというアドバイスをしている。
その解決策として、部品を反転させて取り付ければよいとわたしは一時しのぎの提案をしている。
場面が変わった。
広い池のような水中に足を入れている。どうやら父が設計した回廊型の池のようだ。
一部の施工はわたしが手掛けたのだろう。デザイン的にあか抜けていると振り返っている。
コンクリート壁面の合間に部分モザイク模様がほどこされ、
「10」
と「16」と表記されたタイルが2個ほど埋め込まれていることに気づいた。
どのような意味があるのかと気になった。突然だが、ナットのサイズなのではないかと…。
そこではっきりと目が覚めた。
ナッ
トのサイズを「16」にすれば解決するはずだ。
NEXTUP
|
|