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感情を共有する夢 C
深めの大皿にビーフシチューかローストビーフなのかはっきりしないが
山盛りの状態で、テーブルに幾皿も並べられている。
いくつかは手が付けられた跡があるが、ほとんどは手つかずのよう。
注文した女性客たちは、そそくさと帰り支度なのか、
立ち上がってており、何人かはすでに出口にむかっている。
もう十分だという「満腹感」が感じられる。うんざりという後悔も見え隠れしている。
※この夢はわたしが感じていることを、そのまま映像化してくれている。
感情をレターのようにわたしに届けてくれたのだ。
この夢のトリガーであるわたしの事情を話さなければならない。
数日前、買い物に出かけたとき、どういうわけか、おでんの種に目が向いて買い求めた。
寒さが少し戻ったため、「温かみ」を求めたのかもしれない。
おでんの種の品質もよく、食欲をそそられたのかもしれない。
しかし、何といっても一番の魅力はお買い得だったということだろう。
夢は、「あなた」はあれこれ理由を並べてはいるけど、結局のところ買いすぎましたよね。
食べきれないほどとはいかないけど、それでもいくぶん持て余している。
後悔しているでしょうと…言いたげのよう…。
でも、大丈夫、「もうひとりのあなた」もそう思っているし、
すべての時間に存在している「あなた」もたいしたことじゃないと感じているから。
※ぞろぞろと登場した女性たちは、わたしの分身であり、
それぞれが何かを感じ、その感情を述べている。
言葉として伝わってくるものがある。リツーイトしている。
それを今朝の夢で受け取ったのが「わたし」である。
「わ
たし」は時空のちがう「もうひとりのわたし」を自分自身に積み重ねることで存在している。
いまだけの、この瞬間だけの自分で生きているわけじゃない。
いくつもの時空に記憶されている自分を重ね合わせて生きている。
重ね合わせをするのが「感情」であり、記憶なのだ。それを夢がつないでいる。
バ
スの夢 B
乗り物の夢はよくみている。
実際に夢の中で乗っているのは、自転車、バイク、自動車、バスが多い。
乗っ
ていなくても、乗車前や搭乗前の状況が夢になるのは、
電車であったり、飛行機だったりする。
今朝のバスの夢は、動いているバスに乗っている夢だった。
おそらく最初はわたしが運転していたのだろう。
そう感じるのは、そのバスの持ち主はたぶん「わたし」だからだ。
そのはずなのに、いつの間にか最後尾に近い座席に座っている。
バスは、わたしの座っている後ろ側からでも運転ができるようになっているらしい。
当然のことだが、前の運転席でも運転ができる仕組みになっている。
バスは坂を下っていて、スピードが出ており、
運転の技術が試されるような危険な状況になってる。
出口近くになると、バスの幅ぎりぎりのゲートがみえてくる。
ブレーキも踏まずにそのまま進行している。
わたしは、たまらず、前の運転席に移動しようと、座席をまたぎながら進んでいく。
前の方に何人かいて、何をしているのかと思えば、だれも運転などしていない。
これでは駄目だと、わたしが運転しなければならないと感じている。
運転をしないで騒いでいるのは誰なのだろうかと、少し心がざわつくのを感じている。
後ろ姿の人物が特徴的な頭をしているのに気付き、誰なのかはっきりとわかった。
チー
ムのキャプテンなのだ。
わたしは、結局、運転席に向かってはいるが、運転席にたどり着くことはできないでいる。
バスは、ぎりぎりのゲートを神業のようにすり抜けて、終着点に到達した。
誰が運転していたのだろうかと、後ろの気配を探った。
もうひとりの「わたし」が運転していたのだった。
弟の雰囲気をまとっていたが「わたし」であり、
運転技能が優れている部分を取り込んでいる「わたしの分身」だった。
バスを降りると、わたしはそれぞれのメンバーに次の電車に乗るチケットを配布している。
何人かは、どこにいるのかわからず、手渡しできずに何枚かのチケットが残っている。
そこで、目が覚めた。
続
編がある夢? A
@少し前にみた熊の夢
どこか山間の木が立ち並ぶところに立っている。
眼下の開けた場所に何かしらうごめくものがこちらをうかがっている。
熊かピューマのような動物がわたしに危害を及ぼすかもしれないと感じ、
すぐにでも逃げるか隠れるかしなければならないと思うが、
身体の動きは緩慢で追いつかれそうだ。
逃げ場として、どこかの建物の中に移動している。
隠れる場所がありそうだと感じて、その建物の高いところへ登り始める。
普通の家のはずだったのに、いつの間にか倉庫のような鉄骨造りの建物になっている。
鉄骨の骨組みを手でつかみながら、高い場所へ移動する。
鉄骨をするすると登りながら、身体をひねり、飛び移るように移動する。
このような逃げ方が得意なのかもしれないと感じると、熊のようすを確かめる余裕もでてきた。
すると、予想もしない展開があって、熊のような生き物が別のルートから迫ってくる。
しきりとなっていた壁や屋根裏を引きはがし、足元まで息遣いが聞こえてきそうだ。
もう駄目かもしれないと諦め、無防備に「どうにでもなれ」と身体を投げ出してしまう。
食べられてしまうのだろうか、身体を引き裂かれるのだろうか。
A今日見た夢(熊の夢の続編)
道路に熊らしきものが徘徊している。
窓からみているのだろうか、2階から見下ろしているのだろうか。
熊は家の中に入りたそうだ。ここで、今住んでいる家なのだと気づいた。
縁側の廊下があり、和室の2部屋を挟んで、通路の廊下があり、雪見障子が取り囲んでいる。
雪見障子の下半分はガラスとなっていて、そこを歩く熊の足がよく見える。
障子など軽く押せばこわれてしまうだろうと思いながら、部屋の中で何もできないでいる。
ぐるぐると熊は廊下を歩き回り、気配をうかがっている。
わたしは、廊下にいる熊の動きを目で追って、飛び込んで来たらどうしようかと考えている。
熊の動きが激しくなって、雪見障子の向こうを走り回っている。
障子が外れはじめ、倒れ掛かると、そこには子熊が2枚の雪見障子の間に挟まっている。
もがいている子熊を両手でつかむと、もぞもぞと逃げようとするが動きがつたわってくる。
両手にこれ以上ないほどに力をいれた。動きがなくなったと感じて、つかんでいた手をゆるめた。
少し安心して、ほっとしながら、子熊のようすをじっくりみた。
獰猛にみえた熊が子熊になって、雪見障子のガラスの間に標本のように納まっている。
子熊は死んでいるわけでなく、こちらをみて甘えるようなしぐさをみせている。
※熊の正体がなんであるか、わたしは悟った。そういうことだったのだ。
ここ1週間から10日ほど前の記憶をたどり、今朝見た夢を創り出した新奇体験を発掘してみた。
いくつかの書類を作成しなけらばならない時期であった。
簡単な作業であるが、確認すべきことがあった。
確認することは手を抜いてはいけないことで、信用問題が生じる危険もある。
ちょっ
とした確認ミスが取り返しのつかない結果を引き出すので
作業そのものは簡単で、私の得意分野だとしても間違いは許されない類の書類である。
その書類の枠組みにあたらしい工夫と視点をほどこし、
別の情報と連携させる「システム化」を構築して、次のルーチン作業を楽にしたばかりだった。
※年に何回かある「責任ある作業」が当たり前にやって来る。それが熊の正体だった。
破壊力があって容赦しないのは、責任の重さを伝えている。逃げ切ってどうにかなるものではない。
対峙しなければならない対象であって、取っ組み合いをしてでも対応するべきことなのだ。
積極的な取り組みを避け、とりあえずの居場所があればいいと
見通しのよいところにいながらも、何もせず傍観しているわたしへのメッセージだったのだろう。
※最初の夢のときは、それとなく不安であっても、どうにかなるだろうと高をくくっていた。
だから、熊はわたしに襲い掛かり、状況が切迫しているのではないかと知らせた。
続編の熊の夢は、熊がすでに脅威ではなく、わたしの手の中に納まるような
「た
わいのない業務」に変貌していることに気づかせるためにつくりだしたものだと…・。
脅威の対象がどうして「熊」のような動物なのか、そこのところはしばらく置いておくこととして
夢のはたらきに感謝していることをとりあえず夢日記に記しておこう。
失われた夢の記憶と炭酸水の夢 @
今の夢はおおよそ午前6時ごろ、起床直前に見ていた夢のはずだっ
た。
はずだったというのは、その記憶が失われたからだ。
夢はひとまとまりの映像となる。そのまま目を開ければ、確実に短期記憶となるはずだった。
ふと、そのとき、少し前の夢の記憶が頭をもたげてきた。
どうしてなのかわからなかったが、少し前の夢にわたしは注目してしまったのだ。
その瞬間、身体が少し動いた。寝返りである。
今日の夢は、最後のイメージのみが少し残った。したがって、今日の夢はない。
少し前の夢(今日の夢を消し去る唐突な夢)
海外へ届けるボランティア物資の調達業務を担当している。
緊急物資として飲料類のとりまとめをしている。量そのものが足りていない状況のようだ。
リヤカーのような旧式の運搬車両に積載されているものを点検していると
炭酸水が紛れ込んでいる。しかも、かなり有名なメーカーのもので瓶入りの180mlの高級品だ。
瓶類は輸送に関し、破損の可能性があるので不適切なのだが、
無償提供されたものかもしれないと思い、元の場所に並べなおしている。
それにしても炭酸水の需要がはたしてあるのかと、調達数をカウントしながら考えていた。
※わたしの夢はたいてい、午前3時から4時の頃のものである。
したがって、そのころ一度目を覚ましている。
身体を動かさずに、目を閉じてまま、夢の映像をいちど文章として立ち上げる。
夢の映像に立ち上げた文章を字幕のように配置するのがわたしのやり方だ。
少し目を開けた後、おもむろに眠るのだが、その夢をふたたびなぞるようにしている。
いくぶん夢が膨らむこともあり、余計な部分が消え去ることもあるのは、
おそらく前頭葉が活発になっており、短期記憶として残す作業をしているからだろう。
起床前の夢は強い印象として残るものが多いが、身体をわずかでも動かすと消えてしまう。
起床への準備が整っており、夢の余韻を楽しむ「猶予」が少ないのではないかと感じる。
わたしの夢は中途覚醒による実況中継のものが多い。どちらかと言えば、明晰夢に近づいている。
明晰夢はそれなりに鮮明ではあるが、今日の消え去った夢は惜しい感じがしている。
ここでの明晰夢とは、夢を夢として認識しているという意味である。
思い通りにみている夢ではなく、記憶として残す作業を含む夢見を「明晰的」としている。
最後のわずかな映像のみが残っている夢。
それをトリガーをして再びみることもあるだろうと…。
たぶん今朝のように、ふとしたはずみで紛れて入り込んでくるのだろう。
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