道後全私研速報海道秘話その2
「海道」命名秘話?!ーいつ、誰が決めたの?ー
いったい「海道」という速報の題名は、いつ決まったのだろう?誰が決めたのだろう?と不思議な人も多いと思います。そこで、命名秘話を一挙公開します。(そんな大げさなものだろうか?)
3月初旬、四国私学研究集会(通称:四私研)が丸亀で行われ、速報メンバー候補者(その当時は候補者であった)4名が、同じ車で松山へ帰る途中のことでした。
この四私研においても、数ヶ月後に迫った道後全私研に向けての協力依頼を愛媛私教連委員長・書記長は、中・四国の私教連に対して強く訴えていた。愛媛私教連だけの力では、人材的にも経済的にも実施不可能というありさまであるのだから、当然である。
さて、こんな状況の中、四私研を終えた帰り道、道後全私研で速報を担当するであろう、いや、担当してみたい4人(今井さん、千佳ちゃん、まっちゃん、せいちゃん)が同乗しているのであるから、当然、話の内容は速報の話題へと移っていった。
とりあえず、盛り上げて行く意味でも題名は大事だろうということになって、みんなで題名(案)を決めることにした。様々なアイディアがでてきた。思い出すことができるものだけ上げてみると…「しまなみ」・「石鎚」・「熟田津」・「青雲」などなど…。でも、「しまなみ」では、青森の「しらかみ」と似ているし、「しまなみ海道」開通を意識して、「しまなみフェア」なるものが各所で行われているし…。
アイディアはでるものの、これといってピンとこない。最初は楽しかった車中も暗くなりはじめた。煮詰まったら、振り出しへ戻って考える。だいたい速報を作らなくてはならなくなったのはどうしてか?こんな大仰なことになったのは、誰のせいか?いろいろ考えていくうちに、前述(道後全私研海道秘話その1参照)のモックンの発言にたどりついた。つまり、モックンの「橋を架ける」発言が生かされることになったのだ。
話し合うこと2時間あまり…。「しまなみ海道」の下を使おうということになった。つまり「海道」である。しかも、司馬遼太郎さんの「街道をゆく」の「かいどう」とも掛けたことにして…なんて話もでて…。結局、「海道」と命名することになったのでした。
このいきさつは、愛媛私教連の組合員・道後全私研現地実行委員会の人々も知らない話である。今頃になって、暴露されるとはモックンも迷惑かもしれない。でも、元凶だったのだから仕方がない。涙を飲んでもらおう。ちなみに、モックンはインターネットを使用しないので、この話も知らずに終わるかもしれないのだが・・・。
確かこの時に、今井編集長のご長男のお名前も考えたような記憶があります。私は、「誠一」が良いとすすめた気がするのですが…。結局、「健吾」くんに決まりました。
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