1984年
2001年4月29日 GRAN VINの集い
このページも久し振りに更新することが出来ました。
最近ワイン会も開催する気力も無く、といってペトリュスを空けてくれるワイン会も無く、
今回やっと、MMCのメンバーのTTさんがGRAN VIN(GRANのあとにDはありません)の会を
企画され、出席させて頂いた。
本日は雨。しかしながらこの雨は非常に心地良い雨で、湿気も無く、寒くも無く
ワインを飲むのには非常にいいコンディションであった。
会場のリストランテもまた開放感のある部屋で時折爽やかな風が吹き込む
実に時間が緩やかに流れる昼下がりである。
コント・ラフォンのムルソー・クロ・ド・ラ・バール1988などの白、
赤はクロ・ド・ラ・ロッシュ・ポンソ1986、そしてペトリュスの前に
控えていたのがマルゴー1957。
このマルゴー1957の状態が完璧で、見事なコルクの状態、
味も想像していたよりも若さが残っていた。(ノン・リコルク)
そしてペトリュス1984年。
1984年は不作の年。
の、はずがこのペトリュス1984年には当てはまらない。
香こそ強烈さは無いものの、DRCなどが熟成したときに放つ特有のブケも
感じられ、それにポワブル・ノワール、カネル、などのエピスやエルブの香も。
味も最初は鋭い味をイメージしていたが、とんでもない。
まだ若い果実味もあり、円みがありふくよかさもある。
確かに偉大ではないが中堅クラスのペトリュスである。
この1984年はオフ・ヴィンテージという言葉はペトリュスには当てはまらない。
なぜだろう。やっぱりペトリュスは不思議な酒である。
1987年
2000年6月11日 ポワンのエキセントリックなワインの会にて。
よく、人に聞かれることが「今、飲み頃のペトリュスは何年ですか?」
まず即答するのが「1970年」そして「1976年」ちょっとひねって「1968年」
今日のペトリュスはまだ中学生になったばかりの若造。
もう、5年以上も飲んでいない久しぶりのヴィンテージであった。
梅雨入り宣言ざれた翌々日で、雨も今日は一休み。場所は大阪市西区の○○○。
抜栓は2時間ほど前でデキャンティング。
若いペトリュスは早めに抜栓するのがセオリー。
さて、色は、、、ちょっと照明が暗くて非常に判断し難かったが、テーブルの蝋燭に頼って見ると、
なかなかいい色。紫色はもうすでに無く、ルビー色。
香りと味は、ハーブ、肉桂、ミネラル、ベリー系少し、オーク、血など複雑極まりない。
1987年のボルドー・ワインは、もう果実味が弱くなってしまい、やたらとタンニンや酸がだけが目立つものが
多くなってしまってる。中身が抜けたような味になっている。
しかし、ポムロール地区では早摘のメルロは雨の難から逃れることが出来、意外と楽しませてくれたのが多かった。
このペトリュス1987年はまだまだ楽しませてくれる。今飲んでもうまいが、まだまだ将来も約束されているワインである。
次にペトリュスの飲み頃を聞かれたら、、、そろそろ1987年も付け加えてもいいだろう。
1958年
2000年4月25日 大阪市中央区のミナミでNO.1の評価の某ワイン倶楽部「H」にて。
私のバースデイ・ヴィンテージ。
ワインを提供いただいたのは大阪府岸和田市にある有名酒販店「H」の店主。
氏も私と同じヴィンテージで2人で飲むのはちょっと欲張りな気もしたので、同じ(年ではありません)干支の
これまたミナミの某商社勤務の「H」女史と3人で飲むことになった。
ワインはすでに3ヶ月前から安置してあった。
同時比較の意味で1958年のピション・ラランドも一緒にテイスティングすることになった。
ペトリュス1958のボトルの液面は肩より上のレベルで全く問題はなかった。
パニエに横たわったまま抜栓。
さすがミナミ・ナンバー・ワンのワイン・バーの「H」氏は何事もなかったように血色を変えることなく、
ものの見事に小さな欠片も落とす事なく、コルクを原形のまま抜いてくれた。
まずH氏に上澄みを一口毒見していただいたあとデキャンティングすることに決定。
色はとても42歳とは想えないくらい濃くて若々しい色。
色だけで判断すると1976年のようである。
ピション・ラランドはすでにブケを解き放したのにもかかわらず、ペトリュスまだ眠ったまま。
過去にペトリュスを飲んできた経験からはペトリュスは20年経たないと飲めない。時には30年以上。
いつもいらいらさせられる。飲む側は早く開いてくれー、と思っているのに、そんなことは関係なしに
知らん顔される。
1958年の作柄は良くない。強いて言えばグラーヴのラ・ミッション・オー・ブリオンだけが飲む価値があると言われている。
1987年5月22日に行われた1926年から1976年までの間の23ヴィンテージのペトリュスの試飲会が行われた。(場所は不明)
37人のパネリストの中にはクライブ・コーツ、ムエックス社の醸造責任者、ヒュー・ジョンソン、そしてパリのターン・ディーンのロベール・ヴィフィアンも含まれていた。
各々が点数を付けて集計したところ100点万点中のトップ・ヴィンテージはやはり1961年で81.38点。
続いて1971年が81.36点、1975年−79.59、1962年−78.84、1964年−78.83、1959年−78.43、
そして第6位に1958年が76.81点であった。私の大好きな1950年でさえ71.31点で14位。
この前情報があったため少なからず期待はしていた。
そろそろ開いたかな、と思ったけど、相変わらず頑固である。
香りはぼちぼち開き始め、味も少し甘味も加わってきた。
ペトリュスらしい鉄分とミネラルを含んだ味。ボディは中位よりやや重め。
作柄の関係かちょっと酸がちょっと強く、線が細い気もする。もうしばらく待とう。
ピション・ラランドは1987年にリコルクされたもの。こちらは時間とともにだんだんと衰えてきた。
だが、相変わらずペトリュスは満開こそしてくれないが、落ちる気配もない。
1958年というハンディを抱えたペトリュスとしては絶賛すべきワインだろう。
強烈な果実味こそなかったが素晴らしいワインであった。
シャトー・マルゴーがボルドーの女王なら、ペトリュスはボルドーの帝王であろう。
1976年
2000年4月8日 大阪市西区。ブルータスでも紹介された某ワインバー「P」のエキセントリックなワイン会にて。
1976年は過去に何度も飲んでいるが、いまひとつ記憶に残らない。
ここのワインバーは定期的にワイン会を開催し超破格の安い会費が魅力的である。
今回、初めてペトリュスを開けてくれた。
飲み頃のペトリュスである。
バランスもちょうど良く、今が絶頂期である。
1976年から1981年はペトリュスとしては実力不足の時代である。
しかし、上手に買い物をすればすごく安く手に入る。
今日のボトルは澱が全くなく、ペトリュスとしてはエレガントな方である。
もう一度飲みたくなるようなペトリュスであった。
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