セカンド・ラブ/乾くるみ
- 1.春香と美奈子の問題
本書では、例えば帯のあらすじ――
“うりふたつだが性格や生い立ちが違う二人。美奈子の正体は春香じゃないのか?”
といったあたりからして、“一人二役”の可能性が露骨に匂わされているわけで、そうすると“一人二役か否か”という二者択一に(ほぼ)絞り込まれてしまう以上、真相がどちらに転んでも想定の範囲内。したがって、“一人二役であったこと”自体ではそもそもさしたる驚きが生じようはずもなく、これはあくまでも“捨てネタ”だととらえるのが妥当でしょう。もちろん、「終章」に入るまで“一人二役”という真相がしっかりと隠蔽されているのは確かです。作中の登場人物(春香と紀藤)が「第8章」で仕掛けた二重のアリバイ工作もさることながら、「第12章」の最後で
“半井美奈子はすでに死んでいた”
(276頁)ことまで読者に明かしながら、依然として一人二役でなかったという可能性を残している(*1)作者の技巧が心憎いところです。ちなみに、「セカンド・ラブ 乾 くるみ 感想 - 読書メーター」などを眺めてみると、“春香が“ミナ”を演じていた理由がわからない”といったような感想が目につきますが、これについては以下の箇所にヒントがあるように思われます。
「しかも単にそっくりな人間じゃなくて、双子のきょうだいだし、その子が、あなたは本当は私の両親から生まれたのよって言うんだもん。それからはお互いにこっそりと連絡を取り合って」
「なるほどね。そういう裏があるとは知らずに――」
「そう。良家のお嬢様として、和くんや正明くんと出会って。(後略)」(280頁)上の引用箇所でわざわざ
“良家のお嬢様として”
とあるのが、春香の“ミナとしての顔”を匂わせているのは明らかで、そうすると直前の“そういう裏”
も春香の“一人二役”を指していると考えられます。問題は、それが“お互いにこっそりと連絡を取り合って”
を受けた発言であることで、“それだけしかなかった”と受け取ってしまうと文脈がおかしなことになります(*2)。したがって、(紀藤はすでにわかっているために)省略されているものの、本来は“連絡を取り合って”
の後には“そういう裏”
=“一人二役”につながる事実が続くはずだった、としか考えられません。つまり、美奈子と春香は“お互いにこっそりと連絡を取り合って入れ替わっていた”
のではないでしょうか(*3)。入れ替わりの理由としては、(双子ではないものの)入れ替わりものの代表的な作品であるマーク・トウェイン『王子と乞食』(→Wikipedia)のような、定番のものが考えられます。そして、春香は美奈子が死んだ後も“ミナ”としての生活が忘れられず、一人で二役を演じるようになったということなのでしょう。
- 2.新郎の問題
結婚披露宴が描かれた「序章」では、新郎が誰なのか明示されているわけではなく、いかにも叙述トリックが仕掛けられていそうな少々怪しい記述ではあります。しかしながら、“新郎が正明ではない”とするにはいささか大きすぎる“障害”が用意されているのを、見逃すべきではないでしょう。
というのは、
“新郎新婦の出会いの場に脇役として登場していた二人ですら――一緒にスキーに行くほど新婦と仲の良かった女性も、新郎と仲の良かった男性も、披露宴には招かれていない――招待状も出されていない”
(11頁)と明記されている点で、“新郎が正明ではない”とすれば当然披露宴に出席していないことになるはず(*4)ですが、そもそも「序章」全体が正明の視点で描かれているわけですから、普通に考えれば“新郎が正明でない”という“真相”は成立しようがないのではないでしょうか。実際のところ、何度か「序章」を読み返してみたものの、“新郎が正明ではない”ことを示唆する記述もどうやら見当たらないので、ただ“新郎が正明だと明示されていない”ことだけをもって、すなわち前述の“障害”をまったく無視して“新郎が正明ではない”という真相を想定するのは、片手落ちといわざるを得ません。
裏を返せば、新郎の正体を示唆する手がかりが盛り込まれていないのは、それがメインのネタではないことを強調するためにあえてフェアでない仕掛けとされている、と考えることもできるように思われます。
- 3.“何が起きていたのか”の問題
「終章」に入って、正明の目に見えないところ(裏側)で何が起きていたのかが明らかにされます。再び「セカンド・ラブ 乾 くるみ 感想 - 読書メーター」などを眺めてみると、これが春香と紀藤の口から楽屋話のような形で説明されることに不満を覚える向きもあるようですが、それはないものねだりのようにも思われます。
まず、本書は終始一貫して正明の視点で描かれていることに意味があり、特に「序章」と「終章」は正明の視点でなければ成立しないのですから、正明の目に見えない“裏側の物語”を読者に直接見せるのは不可能(*5)。さらに、正明が“裏側の物語”を知らされる過程を直接描いていくと、“解決篇”がだらだらと長くなって真相の衝撃が薄れてしまうわけで、それを避けるためには――(春香と紀藤の口からではなく)正明がすべてを説明するにしても――結局は本書のように、“何が起きていたのか”をダイジェストで振り返る形にならざるを得ないのではないでしょうか。
個人的には、正明の独白だけで説明されるよりも、春香と紀藤の二人が正明の存在に気づかないまま内幕を暴露する本書の形の方が、二人のあくどさが際立っている感があってベターだと思います。
このあたりについても、“春香と紀藤が手間をかけて正明を陥れた理由がよくわからない”という意見が一部にあるようですが、春香の立場で考えてみれば、
“どっちも男くさくて魅力的だったんだけど、和くんには尚ちゃんがいたから”
(280頁)正明と付き合い始めたものの、“ミナ”の正体を見抜かれて紀藤と関係を結ぶことになり、しばらく二股をかけていた末に紀藤の方を選び、最終的には正明が邪魔になったのでこっぴどく振ろうとした、といったところではないでしょうか。- 4.視点の問題
というわけで、本書のメインのネタはやはり、「終章」に入って――春香と結婚したのが紀藤だったことが明らかになってようやく浮かび上がってくる謎、すなわち披露宴に招かれていないはずの正明が、“なぜ/どのようにして描写の視点としてその場に存在し得たのか”でしょう。
作中、あまりにも“靱さ”にこだわり続ける正明の姿には、「終章」の
“「自分は『靭い』人間(中略)そういう人に限って――」/「実際には弱かったりするって?」”
(284頁)というやり取りそのままの危惧を覚えるところがありますし、自殺した西川の話を聞かされた時の“振られた腹いせに自殺するなんて最低の行為だ。身勝手すぎる。そんな奴だから振られるのだ。”
(258頁)という述懐も、振り返ってみれば“反転”を暗示していたように思われます。また、倉持の異様な性への妄執を目の当たりにして“自分だってある日突然、春香の身体を取り上げられたら(中略)どうなるか……。”
(251頁)と、さらには禁欲で自制を失って“結局は自分も、倉持と同類の人間だったのか。”
(264頁)と独白するあたりも、自殺という決断を後押しするきっかけ/伏線といえるかもしれません。とはいえ、これだけでは読者が事前に真相を見抜くには不十分といわざるを得ないのですが……。それでも、「序章」と「終章」が幽霊となった正明の視点で描かれていたという、“最後の一撃”は実に見事。実際のところ、直前の
“正明はガラスの外から内に移動した。ガラスを通り抜けた瞬間(後略)”
でほとんど明かされてはいますが、“やっぱり「見えて」いるんだ。/ごめんね。ずっと嘘だと思ってた。”
(いずれも285頁)という最後の二行によって、春香が『見える人』だという意味のなさそうに思えたエピソード(141頁~143頁)が伏線として浮かび上がってくるのが非常に秀逸です。そしてこの、物語の中であからさまに浮いている
“見える人”
という記述について、“意味があるとすればどのようなものか/どのように使われ得るのか”というメタな(?)読み方をすれば、最後の真相に到達することも不可能ではないかもしれません。
なお、カバーに“THE HIGH PRIESTESS”
と記された上に“女教皇”のイラストが描かれているように、本書は〈タロット・シリーズ〉――タロット・カードをモチーフとし、天童太郎という人物が共通して登場する――の一作(*6)ですが、作中に“天童太郎”という名前は出てきません。が、他の作品での描写を考慮すると、“目付きの悪い若い男だった。”背が異様に高い。一九〇センチくらいあるのではないか。
(272頁)という、“ミナ”の住んでいた部屋に引っ越してきた学生が、天童太郎だと思われます。
*2: 本当に
“連絡を取り合って”いただけだとすれば、
“そういう裏”とは春香が内田家の実子ではないという程度にとどまってしまい、
“良家のお嬢様として”にうまくつながりません。
*3: ついでにいえば、
“三年の夏休みの時期”(258頁)は春香の
“二十歳の誕生日”(279頁)よりも後ですから、西川が自殺した原因に美奈子が関わっていた可能性もある、のかもしれません。
*4: 招かれないのに勝手に押しかけたということも考えられるかもしれませんが、
“招待状も出されていない”(11頁)ことに表れている新郎新婦の意向からすれば、悠長に披露宴の様子を眺める間もなく追い出されるのがオチでしょう。
*5:(以下、『イニシエーション・ラブ』の内容に触れるので、未読の方はご注意下さい)
(一応伏せ字→) 『イニシエーション・ラブ』では、読者に示された「Side-A」と「Side-B」、すなわち二つの視点から描かれた二つの物語を、互いに照合することで初めて見えない物語が浮かび上がる仕掛けだったわけで、本書のように描写の視点が一つしかなければ成立しません。(←ここまで)。
*6: 現時点で本書の他に刊行されているのは、『塔の断章』:“塔”、『イニシエーション・ラブ』:“恋人”、『リピート』:“運命の輪”の三作。さらに、「オール讀物」の臨時増刊「オールスイリ」に掲載された『嫉妬事件』(もちろん天童太郎も登場)の中に
“The Empress”という言葉が登場するので、これがいずれ“女帝”として刊行されるのではないかと思われます。(→『嫉妬事件』を参照)
2010.10.29読了