孤島の来訪者/方丈貴恵
本書の特殊設定である異世界生物“マレヒト”(*1)ですが、まず直接的な“怪現象”として登場するのではなく、その存在が竜泉佑樹による推理で導き出されるのが非常にユニーク。殺人事件の犯人探しの中で、いきなりこの推理を聞かされる羽目になった、登場人物たちの困惑は察するに余りありますが(苦笑)、“鈍く大きな着地音を響かせて”
(73頁)という、猫らしからぬ挙動は(いわれてみれば)決定的ですし、足跡の深さもしっかり描写されている(*2)ので、体重からして猫ではないことは確実です。そして〈“黒猫”が犯人〉だとすれば、“足跡のない殺人”と思われた状況が単なる“足跡のある殺人”に転じて、不可能状況が解消されるのもいうまでもありません。
かくして、茂手木教授がいうところの『襲撃の謎』の第一段階が始まりますが、現状の観察と推理で何とかなる部分もあるものの、佑樹が食い荒らされた黒猫の死骸から四十五年前の笹倉博士の遺体を連想したように、『幽世島の獣』事件が一種の“チュートリアル”となっている――さらにいえば、そもそも幽世島の住民たちが代々マレヒトを退けてきたという設定により、マレヒトに関する千年前から蓄積されてきた知識が利用できることで(*3)、スムーズに手がかりが出揃うようになっているところが実に巧妙です。
三雲英子の手記を発見するための、石碑に彫られた和歌の暗号の肝である“仲間はずれの 四枚は”
(75頁)という部分については、すぐ後に訪れた墓地で“タイルの中に四枚だけ灰色でないものがある”
(78頁)ことが明示されているので、読者にもかなりわかりやすくなっています。“マレヒトに気づかれないように暗号化した”
(163頁)と考えられる割に、作中で信楽が“あまりにショボくないですか?”
(210頁)と指摘しているほどですが(苦笑)、にもかかわらずマレヒトが解けなかったことが、最後に重要な手がかりとなってくるのが周到です。
*1: 人間を殺して擬態するという物騒な存在ではありませんが、古典的なSFミステリであるハル・クレメント『20億の針』を思い起こしました。
*2: “人間の足跡が薄っすらと一筋残っている”
(95頁)のに対して、“猫”の方は“しっかりと深々とした跡を残していた”
(96頁)とされています。
*3: それを利用するに当たっては、もちろん三雲絵千花の存在も不可欠ですが、テレビ番組の撮影の主役ということで、絵千花がそこに居合わせたこともご都合主義に感じられないところがよくできています。
佑樹による[第一の解決]はまず、マレヒトが遺体を焼いた理由に着目していますが、定番の“顔のない死体”トリックが成立しなさそうな状況の中、マレヒトの擬態能力を前提に据えて、古典的な“顔のない死体”(食い荒らされた遺体)といわば事後的な“顔のない死体”(焼かれた遺体)を組み合わせた、“顔のない死体”の特殊な応用がなかなか面白いと思います。マレヒトの擬態によって遺体の不足が補われるとともに、生存者ではなく海野の遺体に擬態することで自由に動きが取れるメリットが生じるのがうまいところです。
さらに、三雲英子の手記により、マレヒトが“死体の皮や肉を使って擬態することができない”
(215頁)ことが判明した時点で、海野の遺体の“アリバイ”がより強固なものになっている――“偽黒猫”が登場した時点ですでに“死んでいる”(*4)ので、海野に擬態することはできないと思わされる――のが巧妙です。これについては、マレヒトの毒による仮死状態を利用したトリックが強力――というか、考えられないほど便利すぎるきらいはありますが(*5)、作中で示された設定をそのまま受け入れる限りは妥当でしょう。
先に海野の遺体への擬態という真相が明らかにされることで、続いて示される古家の遺体への擬態という“真相”が受け入れやすくなっている部分があるでしょうし、何より木京殺しの不可能状況――タラの監視を回避できることで、説得力が高まっている感があります。また、カメラで録画していた映像が消去されたことについて、“(廊下に出なかった)犯人が映っていないことを隠すため”という逆説的な理由が用意されているところなどは、“偽の解決”といえどもまずまず魅力的なものになっていると思います。
*4: 海野の脈を取ろうとした佑樹が、“五秒ほどで手を離し”
(96頁)たところが絶妙です。
*5: “致命傷を負った動物だろうと(中略)仮死状態にする”
とされているものの、“治癒をもたらすものではない”
のですから、マレヒトの針が胸を貫通して大量に出血した海野は、たとえ“生命活動を限りなく低下させ”
(いずれも216頁)たところで、実際にはさほど長くは持たないと考えられます。
続く船上での[第二の解決]は、“木京殺しの犯人が多目的ホールにいた”というところから始まり、廊下を通る犯人に対してタラが吠えなかったことから、“タラ”と“人間”の共犯というあり得ない状況を経て、マレヒトが二体いたという予想外の真相(*6)が明かされるのが鮮やか。当然ながら、四十五年前に出現したマレヒトが生き残っていたということになりますが、『幽世島の獣』事件の決着を引っくり返す手がかりが、“警察船舶に牽引された永利庵丸”
(14頁)と、雑誌記事の写真の説明という地味な形で示されているのが絶妙です(*7)。
「マレヒトの独白(一)」を読み返してみると、“三雲英子の孫がここにいたこと”
や“四十五年前のことを考えてみても、私にとって最も危険なのは三雲家の人間なのは間違いなかった”
(いずれも201頁)といった表現は、四十五年前の事件を記事で知ったというよりも直接体験したこと、すなわち語り手が四十五年前に出現したマレヒト(*8)であることをうかがわせます。一方で、佑樹が“黒猫の親子に会いました”
(64頁)というロケハンの際には、島にマレヒトがいなかったと考えられるので、“偽黒猫”が新たに出現したマレヒトであることは確実。ということで、二体のマレヒトの存在が密かに示唆されているといえるでしょう。
ただし、タラへの擬態の機会について、佑樹は“焼死体を調べていた時、静寂が訪れていた時間帯があった”
(320頁)としていますが、問題の場面の記述をみると少々怪しくなっています。確かにそこで“静寂の中”
(233頁)とあるので、そのタイミングで擬態が行われていた――とすれば、近づいてきた“偽西城”が“キャリーバッグを片手に握ったまま”
(233頁)なので、その中身は空のはず(*9)。しかし最終的に、“キャリーバッグの入り口を開いて(中略)タラはワンワンいいながら飛び出し”
(235頁)とあるので、どうもよくわかりません(*10)。
[第一の解決]では古家の遺体とされていた焼死体が、[第二の解決]では墓地の遺体を利用したものとされていますが、“棺桶を用いた簡易の火葬が行われていた”
(12頁)と、冒頭から手がかりが示されているのもさることながら、三雲英子の手記を探すというそれ自体重要な目的が前面に出されていることで、遺体を入手するという本来の目的が隠蔽されているのがお見事。
そして、“木京のスニーカー”・“木京のワインボトル”・“三雲英子の暗号”を手がかりとした犯人の特定もよくできています。まず前者二つから、木京殺しの際の犯人の行動――廊下にこぼれたワインの痕跡と足跡を消したことを明らかにした上で、最後は再び第一段階の“特殊ルール探し”に回帰する手順が心憎いところですし、暗号の難易度それ自体が手がかりとなっているのも秀逸。赤色を認識できないというマレヒトの特性によって、自分でピンクのタイルを探そうとせず、赤紫色と青灰色のテントを間違えた(49頁~50頁)〈西城がマレヒト〉 という結論にも納得です。
“偽西城”が幽世島に戻ってきた理由が繁殖のためというのは納得で、三雲英子の手記にも“生殖の為の性別が存在しているらしい”
(212頁)とあります――単為生殖でなかったのが幸いというべきでしょう――し、マレヒトがタラに擬態する際に“他のことをやる余裕だってあった”
(320頁)というのが空恐ろしいところです(*11)。そして用済みになった“偽タラ”を犠牲にするという冷酷な選択も、なかなか凄まじいものがあります。
“偽西城”の最期については、マレヒト自身が“海を含む液体に沈められれば呼吸ができなくなって、すぐに溺れ死ぬ”
(201頁)としているものの、擬態のために皮や肉を取り込んだとしても同じ体格の人間よりもだいぶ体重が軽くなり、浮力の影響が大きくなってすぐに浮かんでくるのでは……と気になったのですが、三雲英子の手記に“大きなものに擬態する場合は、体重調整の為に土や石を自らの体内に”
(216頁)とあるので、そこは大丈夫でしょうか。
「エピローグ」では、三雲絵千花がもう一人の復讐者だったことが判明しますが、今ひとつすっきりしないまま残されていた裏口の閂の問題だけでなく、睡眠薬と胃薬を入れ替えた“罠”も巧妙。何より、自らは最小限の介入にとどめておいて、標的の木京の行動をも操りながら、(佑樹と違って)マレヒトを利用して復讐を成し遂げる計画が印象的で、最後の財宝伝説のオチに通じるところもよくできています。
ところで、[第一の解決]で“偽西城”を“油断させて船に乗せる”
(315頁)という佑樹の意図はわからなくもないのですが、“偽タラ”の“処理”に難があるのは問題でしょう。作中では“タラの存在を失念していた”
(296頁)ということで“結果オーライ”となっていますが、佑樹(と“偽西城”)がスルーしたとしても他の誰かがタラのことを思い出せば当然、公民館を焼く(*12)前に“偽タラ”を一緒に連れ出すことになったはず(*13)。そうなると、焼け跡からマレヒトの死体が出てこないわけですから、船に乗る前に推理の誤りが露見して“偽西城”を油断させるどころではなくなりますし、そこで(“五対一”
(324頁)ではなく)“五対二”の対決になってしまうのも苦しいところです。
*6: 現場がクローズドサークルであり、なおかつマレヒトの出現が四十五年に一度と限定されていることで、もう一体のマレヒトの存在を想定しがたくなっています。加えて、『幽世島の獣』事件の顛末が『襲撃の謎』第一段階のための“チュートリアル”として機能したことで、いわば“役目を終えた”と思わされてしまう部分もなきにしもあらず。
*7: 正確には、これは手がかりというよりも“裏付け”(二体のマレヒトの存在は別の手がかりから導き出される)なので、読者が事前に気づかなくても問題ない――むしろ、佑樹らが『幽世島の獣』事件を検討した際に誰も気づかない程度に目立たない方が自然です。
*8: すなわち“偽西城”ということになりますが、“海野を襲った段階で”
(200頁)という表現は、直接は“偽黒猫”の仕業であって“偽西城”自身は関与していないことを考えるとやや微妙です。
*9: マレヒトの体重の問題で、“偽西城”も“アイツをキャリーバッグをに入れても、持ち上げて運ぶことはできなかった”
(321頁)としています。
*10: “偽西城”が“キャリーバッグを地面に置いて”
(234頁)いるので、擬態を終えてこっそり現れた“偽タラ”が、佑樹の目を盗んで自力でキャリーバッグに入り込んだ――とは、さすがに考えにくいものがあります(ちなみにキャリーバッグから出た後は、“十秒ほどで”
(235頁)戻ってきているので、このタイミングでの擬態も不可能です)。
*11: しかし、寿命が百年以上(→“化身は百有余年ほど島に留まり”
(214頁))で、こちらの世界に来て四十五年が経過してもいまだに繁殖が可能、しかも一度の行為で“五百もの新しい命”
(324頁)を宿すことができるというのは、いくら何でもバランスが悪すぎる気が……。
*12: 仮に絵千花がやらなかったとしても、“マレヒトの死体を確認”
(322頁)する必要がありますし、少なくとも“偽西城”はそのつもりだったと告白している(323頁)ので、これは不可避でしょう。
*13: 作中のように切羽詰まった状況であっても、例えば八名川が控室からタラを連れ出そうとした場合、“偽西城”でも穏当にそれを止めるのは難しいのではないでしょうか。