huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye




                                                          
      
凱風
                         

  六十年前灼熱時,
  大東帝國將顛危。
  空襲一命幸而免,
  至今奉養浴德治。



六十年前  灼熱(しゃくねつ)の時,
大東の帝國  將
(まさ)に顛(たふ)れんとして危(あやふ)し。
空襲に 一命  幸
(さいはひ)にして免(まぬか)れ,
今に至るも 奉養  德治に 浴す。


       ********************************
 家の整理をしていると、古い位牌が出てきた。幼くして死んだ姉二人のだ。何故だか、三日前に護国神社で見た母子像(写真:上)を思い起こした。姉二人は大空襲で負傷して、親も負傷しながらも、怪我をした二人を抱えながら安全なところを目指して逃れていったという。姉二人はやがて、命を落とした。昭和二十年七月、終戦の一ヶ月前のことだ。二つの小さな墓は、疎開先の遥か遠いところにあるという。
 わたしのルーツ。(平成十九年一月二十日)
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  わたしの親は、わが子が亡くなった当夜の空襲のことを言うのをいやがって、なかなか詳しく話してくれなかった。ぽつりぽつりと漏らした言葉を綜合的にとらえると、亡くなった姉の内、一人めは、(即死か)すぐに亡くなったようだ。家族は逃げ落ちている移動の最中(さなか)なので、近くのお寺でお弔いをしていただき、更に逃れていったという。もう一人の姉は一週間(?)後に破傷風で亡くなった。戦後、何回か、親の「今だったら、死ぬようなことはなかったのに…」「薬も何もない時代だったから…」という歎きの言葉を聞いたことを覚えている。姉二人は、亡くなった日も場所も違うため、お弔いをしていただいたお寺も異なり、(お寺の宗派が異なるためか)姉二人の戒名の形式も異なっている。
  最近(H19.2.28)、図書館で借りた『日本帝国の最期』(新人物往来社)によると、当日の空襲時間は21時00分から翌2時00分に亘る空襲で、B29 110機より焼夷弾800トンを落とされ、1300名の死者が出、負傷者は4664名にのぼるという。(平成十九年二月二十八日)
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  ……平仄が整えられない。詩形が整えられない…。整えると、何故だかわたしの本当の感情から離れていく。
  より素直な感情が出ているままにしておく。

・凱風: 母の如き慈愛の風。南風のこと。
・顛: (恰も大廈の如き国家が)倒れ(ようとす)る。
・幸而免: 『論語・雍也』「子曰:人之生也直,罔之生也幸而免。」より。
平成十九年一月二十日

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