初夏 花外樓に宴す
阿倍橋頭 梅雨 晴れ,
天王寺邊 鐘聲 響く。
忽ち逢ふ 長卿 我を 邀へ請じ,
百尺の高樓に 杯を將って傾けんとす。
涼風 吹き到る 天上の候,
紫煙 階に滿ちて 塵 無く 淸し。
雲外の大廈 光彩に 富み,
紅蕊 筵を開く 花外の庭。
小玉 擎げ出す 大漆盤,
黄金の日輪 銀の月晶。
雙成 捧げ來る 八寸の皿,
雲丹の海膽(=うに) 雪鮑(=あはび) 盛らる。
齊しく 琥珀を 擧げて 一言にて祝す:
「百歳の長命 偕に齡(=よはひ)を重ねんことを」。
春筍 香菜 加賀の器,
仙客 來りて配す 淸新の羮(=あつもの)。
玲瓏たる 鮮鯛 千重の浪,
贏ち得たり 張翰 鱸膾の名。
瑪瑙の鮪(=まぐろ)片 朱き珍珠,
東海の美肴 庖正 明かなり。
紅鮭 香魚は 蘭奢の如く,
紙に包みて 繋び上げたり 花紙の繩。
斑腴は 正に適す 九杯の綠,
東坡は 輸る可し 和牛の烹に。
瑠璃の嫩茄(=なす) 倘來の物,
什錦 藕飯 蓬莱の馨。
千金 焉んぞ得ん 瑤池の宴,
瀛洲の枇杷は 靈瑩の似し。
一杯 一杯 復た 一杯,
深く知る 長卿 爲に 情を盡くすを。
初夏の一日 夢の如く 過ぎ,
佳會 忘れ難くして 尚ほ未だ 酲せず。
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阿倍橋(あべのばし)の頭(ほとり)では、梅雨(つゆ)空が晴れて,
天王寺(てんのうじ)の邊りからは、鐘の音が響いてくる。
急なことだったが、長卿(司馬長卿=司馬相如。(卓王孫から見て作る))が、わたしを招待しようというありがたいお申し出で,
十階建ての建物(の十階のレストラン街)で、食べようという。
冷房の涼風はよく効いていて、天界のすばらしい気候のようであり,
紫雲は階に滿ちて、人混みではあるものの、それなりに淸々しいところである。
雲外に聳える高いビルは、華やかで、光に満ちており,
紅い花が咲いている「花外楼」で宴会を開いた。
小玉・服務員小姐が(まず)擎(ささ)げ出してきたのは、大きな漆器の盤で,
黄金の日輪か、銀の月晶か(とも思われる金銀の円い折敷(おしき)である)。
雙成・服務員同志は、八寸を捧げ持って來たが,
(そこには)雲丹の海膽(うに)に、純白の鮑(あわび)が盛られていた。
一斉に琥珀の酒杯を擧げて、一言にて祝いのことばを(次のように)述べた:
「百年の長命を願い(幾久しく)偕(とも)に齡(よわい)を重ねんことを」(と乾杯をした)。
春の筍(たけのこ)、香り高い菜が、加賀蒔絵(かがまきえ)の(煮物椀の)器(うつわ)に(入っており),
仙人が來て作った(かのような)淸新の羮(あつもの)(=お清ましのお吸い物)だ。
透き通って玲瓏(れいろう)としているのは、鯛(たい)の洗いで、(そのさまは恰も)千重の浪(のようであって),
晋の張翰(ちょうかん)(が懐かしがった故郷)の鱸(すずき)の膾(なます)の盛名に、打ち贏(か)っている。
瑪瑙(めのう)のような鮪(まぐろ)のサシミに、朱色の真珠(のようなイクラ),
東海の美肴(が生まれるのは、)庖正の人の(腕前が)明確であるからだ。
紅鮭や香魚などが、名香「蘭奢待(らんじゃたい)」の如く(大切に扱われて),
和紙に包まれて、花紙の繩(=みずひき)で、結び上げられていた。
霜降り肉は、九杯の緑酒を傾けるのにちょうど相応(ふさわ)しく,
東坡肉(ドンボーロウ)も、和牛の烹の前には、(その名誉ある座を)輸(ゆず)るべきである。
瑠璃(るり)色のやわらかい茄子(なすび)に、天祿の蔬菜が(炊き合わせとして出てきて),
(最後には)什錦藕飯(=雑魚入り蓮根飯)で、蓬莱の馨(かおり)がした。
千金をはたいても、どうしてまたこのようなすばらしい瑤池(ようち)の宴が得られようか,
(デザートは)東海の神仙の国・瀛洲(≒日本=国産)の枇杷(びわ)で、宝玉のようである。
一杯 一杯、復(また)一杯と(酒も思いも尽きることはないが),
(今日は)長卿が、わたしの爲に情を盡くしてくれたということが、よく分かった。
初夏の一日は、夢のように過ぎてしまったが,
(今回の)佳會は忘れ難いもので、なお未だ、酲(わるよい)することはない。
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・長卿: |
司馬長卿。司馬相如のこと。この詩は卓王孫の立場から見て作った。 |
・大廈: |
ビル。 |
・紅蕊: |
赤い花。 |
・小玉: |
小間使い。白居易『長恨歌』 |
・擎: |
捧げ持つ。 |
・雙成: |
腰元。白居易『長恨歌』 |
・八寸: |
かわいい肴。 |
・鮮鯛: |
たいの洗い。 |
・張翰: |
晋の人。『晋書・文苑・張翰』に「張翰は秋風が吹き出したのに逢って、故郷の呉中の菰菜と蓴羹と鱸魚の膾とを思い出して食べたいと思い、『人生は思いに従った生き方を尊ぶべきで、どうして故郷を数千里も離れたところで高官に就くべきだろうか』と言って、駕に乗って故郷に帰っていった。」(『晋書・文苑・張翰』「翰因見秋風起,乃思呉中菰菜、蓴羹、鱸魚膾,曰:『人生貴得適志,何能羈宦數千里以要名爵乎!』遂命駕而歸。」)。ただ、この部分だけを引用すると、張翰は隠棲を願う脱俗の士のように見えるが、そうではない。同書では引き続いて、「この後すぐに、主君は敗れた。人々は、張翰のことを機を見るに敏な人で、上手に身を引いた人だと思った」(「俄而冏敗,人皆謂之見機。」)と述べている。 |
・鱸膾: |
「鱸魚膾」のことで、前出「菰菜、蓴羮、鱸魚膾」での鱸魚(すずき)の膾(なます)をいう。菰菜(まこも)、蓴菜(じゅんさい)の羹(あつもの)とともに張翰の辞職の口実となった故郷の味。 |
・珍珠: |
真珠。「朱珍珠」で、朱色のイクラを謂う。 |
・庖正: |
調理師の官位。 |
・蘭奢待: |
らんじゃたい。その名称に「東大寺」の文字が隠されている正倉院秘蔵の名香木。 |
・花紙繩: |
水引。みずひき。 |
・斑腴: |
霜降りの肉。 |
・東坡: |
蘇東坡。北宋の詩詞人・蘇軾のことで、ここでは、蘇東坡の愛した肉料理「東坡肉」(ドンボーロウ)の意で使う。 |
・ 來物: |
風で落ちた果物。思いがけない獲物。自然界の恵み。 |
・什錦藕飯:蓮根の入った五目飯。ここでは、「雑魚入り蓮根飯」を指している。 |
・瑤池: |
西王母が住むところ。東方朔や孫悟空も食べた不老長生の仙桃の生えているところでもある。 |
・瀛洲: |
東方の海中にあって、神仙が住んでいる山。ここでは日本のことをいう。 |
・一杯…: |
李白の『山中與幽人對酌』に「兩人對酌山花開,一杯一杯復一杯。我醉欲眠卿且去,明朝有意抱琴來。」 とある。 |
・酲: |
二日酔い。悪酔い。二日酔いになる。 |
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