逃げるが勝ち、熊から子熊へ、そして人!   K

スクランブル交差点のようなところを、こちらに向かって歩いてくるわたしがいる。
つまり、歩いているわたしと、それを見ている「わたし」がいる。

歩いているわたしの前を遮るように横切る人がいる。
嫌な感じだなと思いながら、目的地に向かって、人がまばらな道を歩いていく。

誰かに追われているようで、逃げるために高台に向かっている。
追ってくる姿が見えて、大きな倉庫の屋根に上ると、眼下にその男が見える。
屋根の上には包丁や鎌などの刃物が散乱していて、わたしが歩く振動によって落下する。
鎌が回転しながら、その男の腹部に命中し、刺さって仰向けに倒れたようだ。
高台をおりて、すすきの生い茂る道を歩き、祭りが開かれている大きなため池に到着する。
たくさんの人たちが池の周囲にいる中を、男に見つからないように隠れて逃げている。

池の水際に隠れようとしたときに、どうやら男に見つかったような気がしている。
どこにいるのだろうと、あたりを見回したが、男の姿を見つけることはできなかった。
いなくなってしまったのかもしれないと思った。

前回の相手が熊だったけど、今回は男なのかと変化を受け止めているわたしがいる。


※続編がある夢Aの記事を参照
熊の夢では、わたしは「どうにでもなれ」と身体を投げ出している。
今回の夢では、追ってくる男が鎌が刺さったままで仰向けになっている。
闘う武器が屋根の上にあったのは状況をコントロールしていることを意味する。

こちらからアプローチすべきことを、相手側にゆだねたという現実が反映されているようだ。
プロジェクトを共有する相手側から、承認を求める連絡があり、それを許諾したからだろう。
以前は、こちらから事前に書類を送付し、打ち合わせを進め、許認可の手続きを完遂していた。
つまり、手続きを一部簡略または省くことにより、状況が逆転していることを夢は伝えてきている。

※不安の発生はわたしたちを守る自然な防御メカニズムであり、
脳が正常に機能しているということを示しています。

かつての狩猟採集の生活においては、脅威から逃げることは最善の方法でした。
農耕の生活はごく最近のことであり、現在のような生活は始まったばかりで、
脳にとっては、狩猟採集の生活の期間と比較すると
現在のような生活の期間はほんの一瞬のことにすぎないのです。

人間の脳は「狩猟採集」の生活に適応しており、危機からは基本的に逃げるが勝ちなのです。