絶
望的な家庭訪問 ㉙
わ
たしは学校の先生になっている。たぶん小学生の先生で、家庭訪問の真っ最中らしい。
というのも、家庭訪問の予定表が目の前にあって、書き込みがいっぱいしてある。
どうやら、家庭訪問の予定が当日になって変更されてしまい、調整作業をしているようだ。
どうにもならない感じでスタートし、しかも最初の家でだいぶ時間がかかってしまい、
そのお宅で電話を借りて、次の訪問宅に遅れる旨の連絡をしている。
次の訪問先でも、やはり同じで、保護者と話すよりも、次の訪問先に電話をするのを優先している。
気持ちがここにあらずという状況で、次から次へと連絡をしているばかりだ。
差し出されたお茶を飲むこともせず、電話ばかりしていて、遅れることを詫びている。
あれ、家庭訪問って、やらなくなったんじゃなかった?
先生って忙しいから、自宅の様子はグーグルで調べるってことだったよね?
終わるはずのない「予定」がぐるぐるとまわりはじめ、最初の予定表の文字が目の前にある。
ぐるぐるとボールペンで書きなぐられた文字がうごめくように見えてくる。
とても苦しくなって、泣きたいような、許してもらいたいような気分になった。
何かがきっといけなかったんだ、どこかで間違えたんだと涙がでてくるようだった。
ずっと前の、どこかで感じていた気持ちが、ふたたび戻ってきたのではないかと、目が覚めて思った。
※相手に伝わらない何かを感じたとき、その思いはどこにしまっているのでしょうね。
どうしたのと問いかけられ、何でもないとだれかに答えたとき、果たしてどうだったのでしょうか?
心の奥底に積もったものが、何かの拍子であなたの夢に忍び込んだとき、だれかがそっと話しかけてくる。
もちろん、もうひとりの「わたし」でしょうが、それでも頼りたいと思う「せつなさ」がある。
薄く目をあけて、夢の余韻に、そっと目をとじ、ふたたび夢に戻り、確かめたいと思うのはいけないでしょうか?
大したことじゃなかったでしょうと言ってくれるのを待っている…。
春は予期しない別れの季節、身体を洗うように、心を洗うのは夢なのかもしれないと感じている。
※しなくてはいけないと思い込んでいたことは、実際のところそうでもなかったということのよう。
自分ばかりが責任を感じている。ひとりで背負っていることって、本当はどうなのって思いがある。
誰かに背負わされている「もの」が、積み重なってくると降ろしたくなる。
視点を変えれば、大したことではなかったと思えるのは、時間がたってはじめてわかることかもしれない。
|
|