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2001 HK 100 Min. 劇映画
出演者
Peter Boyle
(Buck Grotowski - 死刑執行人一家の祖父)
Billy Bob Thornton
(Hank Grotowski - 死刑執行人一家の父)
Heath Ledger
(Sonny Grotowski - 死刑執行人一家の孫)
Sean Combs
(Lawrence Musgrove - 死刑囚)
Halle Berry
(Leticia Musgrove - 死刑囚の妻)
Coronji Calhoun
(Tyrell Musgrove - 死刑囚の息子)
見た時期:2002年8月
2002年 ベルリン映画祭参加作品
ファンタの紹介はまだ暫く続きますが、時々別な作品も紹介して行きます。
先日のジェニファー・ロペスのイナフでも「んんん」と思いましたが、時々見終わって、「んんん、いいんだろうか」と思ってしまう作品に出くわします。今回はオスカーを受賞した作品だけに、余計考えてしまいました。
納得させられるようなすばらしい演技というのは見えて来ず、元ジェニファー・ロペスの恋人、元パフ・ダディーことショーン・コームズが俳優でないのにずいぶん様になっているなあと思った程度です。本職の俳優の中では悪役中の悪役、主人公の父親がまあ上手に演じているなあと思った程度。多才なことで知られているソーントンはいつも以上の出来ではなく、オスカーを貰ったハル・ベリーは雑誌などでしきりに否定している「美しい添え物」以上ではありませんでした。「アフリカ系の俳優でもっと演技力のある人がいるのになぜ彼女がオスカー?」と思った人は少なかったようですが。
アメリカ南部の町。ソーントン演じるところのハンク・グロトフスキー一家は親子孫3代に渡る死刑執行人。ボイル演じるところの祖父バックが1番古臭く、人種偏見を正しい事と確信しています。ソーントンもその世代の端くれ。レジャー演じるところの孫のソニーは現代風で、黒人を特別に差別しません。バックとハンクの妻は両方ともこの世の人ではありません。タフな男たちについて行けなかったということが男たちの口から語られ、家の庭には2人の墓があります。この2人の男たち、また南部の男たちがタフさ、男らしさと考えているものと、普通の女だった2人の女性の考え方の間にかなりの亀裂があったらしいことが分かります。2人の姿の見えない女たち、少なくともハンクの妻が普通の女だったらしいことは、孫のソニーの様子から分かります。配偶者のいない男たちはセックスを通いの売春婦で間に合わせています。出演しない女たちの無言の存在は小さくありません。
刑務所ではちょうど今元パフ・ダディー演じるところのローレンス・マスグローブの死刑の準備中。妻のハル・ベリーが息子を連れて最後の面会をしているところです。マスグローブが妻と子供を窮地に追い込んだ様子が面会室の会話で分かります。元パフ・ダディーがここに来て初めて反省していること、それが遅過ぎたことなどが良く表現されています。でもベリーの演技のためとは見えません。元パフ・ダディーの方が上手いかと思ったほど。マスグローブの処刑シーンがあり、彼はここで退場。妻レティシア・マスグローブのその後の生活が描かれます。息子を抱え、お金に困っています。家は競売にかけられることになっていて、間もなく追い出しを食います。息子に期待をかけているものの、教育はそれほど上手く行っておらず、レティシアは癇癪を起こして息子を殴りつけることもあります。息子は行けないと言われても隠れてチョコレートにぱくつきます。親に似ず肥満体。その息子はある日交通事故であっけなく死んでしまいます。
ハンクの家では世間的に見ると普通の神経を持ったソニーがこの家のしきたりに耐えて行けず親と祖父の目の前で自殺。こちらもあっけなく死んでしまいます。そこで祖父の口から出る言葉は「弱い奴だった、母親に似た」。ところが自分の意思とは反対にハンクの中で何かが崩れます。一軒家に体の自由が利かない年取った父親と2人暮し。成人した息子には近所にお悔やみを言ってくれる黒人の隣人がおり、自分には売春婦だけ。その売春婦までが息子の死を知らず「ソニーは元気?」と声をかける。このあたりでハンクは自分の人生がどこかで世間の軌道から外れたと思い始めます。
それが形になって現われて来るのが、レティシアの息子を病院に運んだ時。結局息子は死んでしまうのですが、血に濡れたレティシアのハンドバッグを拭いてやります。ここからハンクはコース変更にまっしぐら。死刑執行人の仕事を辞めてガソリン・スタンドの持ち主におさまります。レティシアの名前をスタンドの名前にし、デート。黒人をいまだに奴隷と解釈している家の人間としては革命的な変わりようです。家風を知らず遊びに来たレティシアはバックに侮辱を受け、ショックを受けて出て行きますが、そこでもハンクは父親を選ばずレティシアを選びます。ですから表向きはハッピーエンド。
ひねりが利いているのは、このハッピーエンドが必ずしもめでたしめでたしでないところ。本人たちは愛情で2人が結びついたのではなく、それぞれの過去、孤独、不安が2人を結びつけただけなのだということに気付いていません。このままこの地に住み続けるなら、2人の生活を守るぞという強い意志がないとだめでしょう。家に帰って誰もいないという状況が耐えられなくて、パートナーをみつけたのだったら、何か起きた時にもろく崩れてしまいます。「2人はそこまで分かっていないよ」という予告のようなものがちらつく終わり方です。この作品がオスカーを貰うとすれば脚本賞。ノミネートだけに終わったようですが。
Monster's Ball で憎たらしい父親を演じたのが本当のモンスター。この顔に見覚えのありませんか。そうなんです。あのヤング・フランケンシュタインに出て来たモンスター氏、ペーター・ボイルです。デビューが何とシドニー・ルメのグループ。晩いスタートです。ヤング・フランケンシュタインの次がタクシー・ドライバー。舞台、テレビの仕事もあるので映画ばかりで名前が出るわけではないようですが、個性的な顔なのでヤング・フランケンシュタインで覚えているという方もいらっしゃるでしょう。
一方主演なのに、名だたるアフロ・アメリカンの女優がこの役を断わっています。ベリー演じるところのレティシアの運命の過酷さを扱った作品ということらしいのですが、取りようによっては生きるために自分を売ったような立場になります。そして演じるベリーには説得力がありません。皮肉は実生活の方からも迫って来ます。ベリーはオスカーを貰った時涙ながらに「黒人の俳優にオスカーのドアを開いた」と挨拶していますが、感謝を示したのは白人の母親に対して。家族を捨てた黒人の父親の顔は見たくもないと公言しています。白人に容認され得る黒人だけのパーティーだったという印象が拭えません。同じ場所に座っていたアリのウィル・スミスはノミネートだけで終わってしまいました。ま、1年にこれだけの黒人がノミネートされるような時代が来た、と言って喜んだ方がいいのかも知れませんけれど。
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